TO麺×$ 36 待ち合わせは駅の前。久し振りの一人の外出にわくわくしながら地下鉄から地上に上がって周りを見回すと、ぽんと背中を叩かれた。振り向くと、ようと笑ったオレンジ色の髪が太陽に透けてきらきらと光っている。
「エース・トラッポラさん?」
「おう! オルトだよな? 今日はよろしくな~」
にっかり笑った笑顔が太陽のようでほっとした。人見知りをする方ではないけれど、初めて会う年上の人は多少緊張する。
駅前のやや広い道はあちこちで女性たちが何人かずつでおしゃべりしていたり、足早に歩いていたり、人を探していたりと賑やかだ。石畳が続く大きな門の向こうに向かって緩やかな人の流れができている。よく晴れた日曜日。待ちに待った、兄さんのライブの日。
「こちらこそよろしくお願いします。ボク、ライブって初めてなんだ」
「気管支弱いんだっけ? ライブハウスだと空気悪いしな」
行こうか、と歩き出したエースさんに続いて歩き出す。ライブハウスでライブをやっていた時代は、兄さんも同じことを言っていた。だからこそ、今回のホールライブでは真っ先に観に来るよね、と声をかけてくれたのがとてもとても嬉しかった。
ボク一人だと心許ないからと兄さんが案内役に紹介してくれたエースさんは、とても話しやすいお兄さんでよかった。道すがら、兄さんのライブの事や、バンドの話を聞かせてくれたのがとても楽しくて、元から高めだったテンションが更に上向く。
スキップしたい気分をどうにか押さえながら緩い上り坂を進み、でこぼこの石畳を過ぎる。開けた視界の正面に、緑の屋根の大きな建物。会場付近には駅前よりも更に多い人たちがいて、スタッフらしきスーツの人達が大きな声で案内をしたり注意をしたり。手前のテントではタオルやTシャツを売っていて、何だかお祭りみたいだと感動した。
「こっちこっち」
エースさんに呼ばれるがまま付いて行くと、建物の正面玄関の左手に『関係者受付』と紙が貼られた長机が置かれ、ちらとエースさんを見たスーツの女性がぺこりと頭を下げて何かを手元の紙に書き込む。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。オルトさんですよね」
「うす」
「これどうぞ」
差し出されたのは十五センチほどの長方形のシールだ。受け取ったはいいものの、どうすればいいのかとエースさんを見ると、視線に気付いた彼が自分の左の太腿を指差す。そこには同じシールが貼られていて、なるほど、と同じようにシールを太腿に貼った。
「関係者パスだよ。楽屋パスにしてあるからこのまま楽屋にも行けるけど、どうする?」
「兄さんに会えるの?」
「会える」
「う~ん……」
「終わってからでもいいと思うぜ~」
「じゃあそうする! 今は緊張してるだろうし、邪魔したくないし」
ライブの前に兄さんがどう過ごしているのかは知らないけれど、こんなに大きな所で、こんな大勢の前でギターを弾くんだから、きっと緊張で震えてるに違いない。そんなところにボクが行ったらきっと、変に強がって余計緊張しちゃうだろうから、今はやめておくことにした。
「エース?」
ボクらが通過した入り口から、エースさんを呼ぶ声がして振り向くと、黒髪のお兄さんが二人、長方形の紙のチケットを手にこちらを見ている。どうやらチケットには種類があるらしい。エースさんはさっき、楽屋パス、と言っていたけれど、他に何があるんだろうと何となく考えた。
「おう、来てたのか」
「お前こそ」
黒髪短髪のお兄さんが気安く手を上げてボクらの近くへと歩み寄って来る。もうひとりの黒髪長髪のお兄さんはエースさんの知り合いではないらしく、あちこちに視線を投げて数歩遅れてボクらの所に来た。
「イデアさんの弟さん。ゲストだから俺がアテンドしてんの」
「シュラウド先輩の!」
「へえ」
「こんにちは! オルト・シュラウドです。ええと、」
兄さんを先輩と呼ぶという事は学校の時の知り合いとかかな。ボクはあまり兄さんの知り合いに会ったことがないけれど、失礼があっちゃいけない。ぺこりと頭を下げると、髪の短いお兄さんも慌てて頭を下げてくれた。
「デュース・スペードです。お兄さんにはお世話になってます」
「ジャミル・バイパーだ。高校の時一度会ったの覚えてないか?」
ジャミルさんに言われてよくよく彼の顔を見てみてからはっとする。そういえば、兄さんが高校生の時に一度家に連れてきたことがあった気がする。あの頃はまだ、こんなに髪が長くなくて、随分印象が変わっていたから気付かなかった。
「覚えてます! ご無沙汰してます! デュースさん初めまして! こちらこそ、兄がいつもお世話になってます」
「……シュラウド先輩と随分印象が違うな……」
それ、よく言われるんだけど、自分ではよくわからない。確かに兄さんはボクと違って口数が少ないけれど、それでも、ボクらは兄弟だ。
「でもよく似てるよ!」
な、とエースさんが頭をぐりぐりと撫でてくれて、ちょっと乱暴なその仕草に嬉しくなって大きく頷く。ついでだとエースさんとジャミルさんが初めましてのご挨拶をするのを見守って、漸く周りをぐるりと見回してみると、そこここにポスターが貼られていて、それをみんながスマホで写真を撮っていた。ボクもあとで撮りたい。
「今日どこで観んの?」
「一階の卓のとこ」
「一般席?」
「おう、関係者席だとノリづらいし気を遣うだろうからってシュラウド先輩が。実際俺達はイデア先輩の友達ってだけで音楽関係者とかじゃないし、そっちの方がありがたい」
「ほーーん。イデアさんてそんな気遣いできるんだ」
「兄さんは優しいんだよ!」
新しく発見したというようなエースさんにそう言うと、そうだよなあとまた笑って頭を撫でてくれるものだから、嬉しくなってしまう。兄さんの友達はみんな優しくていい人だ。
「ところで、エースくんもイデア先輩繋がりなのか?」
「そッス。このバンドがよくやってたライブハウスのスタッフだったんスよ。何となく仲良くしてもらってて、そんで今日オルトの案内役に大抜擢」
「なるほど」
「じゃあ俺達、物販見に行くから」
「は? 何か買うの?」
「「ランダムチェキ」」
にやりと笑ってそう言ったジャミルさんとデュースさんの笑顔は何かを企んでいそうなそれで、不思議に思って首を傾げる。その意味を理解したらしいエースさんがやっぱりにやりと笑って、わざとらしく「いってらっしゃい」と手を振って二人を送り出した。
「チェキなんて売ってるんだね」
「ま、その辺はアイドルと変わらないよ」
さっき通りかかった時に物販コーナーを見て来なかったのを少しだけ後悔する。兄さんのカッコいい写真ならボクも欲しかったなあと考えていると、エースさんがからりと笑った。
「欲しいのあったら確保しておくよ。チラシあるから後で教えて」
「いいの? ありがとう!」
どんなアイテムがあるのかもよくわかっていなかったけれど、兄さんがカッコいい写真の何かは欲しいなあと鼻歌交じりで歩き出す。
「あいつら一般席でよかったな~」
「? どうかした?」
「んーん、何でも!」
赤いじゅうたんが敷かれた廊下を歩きながらエースさんを見上げると、また太陽みたいににっかり笑って、こっちこっち、と二階に続く階段へと向かった。