TO麺×$ 37 二階から会場を見下ろしてみる。まだ時間が早いせいで客席にひとはまばらだけれど、みんなそれぞれ思い思いの髪の色や髪型、服装で自分を彩っていて、何だかとてもわくわくした。エースさんから受け取ったチラシを眺めていると、ボクの周りにもちらほらと人が入り始める。みんなどこかに例のシールを貼っていて、きっと誰かの知り合いやお友達、仕事相手とかなんだろう。時々お仕事用のご挨拶の声がちらほらと聞こえて来て、少し居心地が悪くなる。エースさん早くトイレから戻って来ないかなあ、とチラシの中の兄さんを見詰めた。
「……あれ?」
転がった声は、ボクの真っ白いスニーカーにぶつかって顔を上げさせる。視線の先に、数人の女の子たち。みんなどこかで見たような子達だったけれど、その中の一人に、あっと声を上げた。
「アズールさん」
「やっぱり。奇遇ですね、こんな所で」
いつかの検査入院で出会った、兄さんの大好きなアイドルの女の子。帽子を目深にかぶっているから一瞬わからなかったけれど、肩に流れた銀色の髪と眼鏡越しの蒼い眼を見てピンと来た。ていうか、兄さん達のバンドと彼女らのユニットは知り合いだったんだっけ。そしたらもしかして、兄さんとアズールさん達ってお友達だったりするのかな。
「やっほ。具合どう?」
ひとつ後ろの座席からひょこりと顔を出したケイトさんに目を丸くする。ケイトさんとアズールさん達がお友達なのかな。だから今日連れて来てくれてるとか。状況がよくわからなくて、曖昧に、うん、とだけ頷くと、ケイトさんは全てを察したみたいに苦笑して、ボクのひとつ後ろの席に座った。
「いまオレがお手伝いしてるアイドルユニットの子達なんだ。今日は勉強のために連れて来たの」
「そうなんだ」
座席の通路は広くなく、ボクから見て一列になっている彼女らは、アズールさんを先頭に、アズールさんと同じように帽子をかぶった女の子たちがふたり。ライブ映像で見た事がある、アイドルユニットのメンバーだ。
「もしかしてお兄さんのバンドなんですか?」
「えっ! う、うん」
「そうですか。偶然ですね」
「えっ、う、うん……」
言いながら僕の隣に腰を下ろして、それに続いてほかの二人も席に着く。関係者席は特に座席指定がないとエースさんが言っていたし、問題はないのだけれど。ボクは一体どういうスタンスでアズールさんと接していればいいのだろうかと眉を寄せた。
「あれ、みんないる」
「ちょっとー、どこ行ってたのエースくんー? オルトくん一人ぼっちだったよぉ」
ケイトさんが冗談交じりでそう言うと、便所っす、と悪びれることなく笑ったエースさんが、アズールさんと反対側に腰を下ろす。
「? エースさん、アズールさんと知り合いなの?」
「うん、俺いま事務所のバイトやっててさ。てかオルト何で知り合いなの?」
「アズールさんが入院してた時、病院で知り合ったんだ」
「へ~、すごい縁だな」
縁。確かにそうかも知れない。偶然という言葉で片付けず、縁という言葉を使ったエースさんの言葉のチョイスに感心した。ならばきっと、あの時アズールさんとボクが知り合ったのは何か意味がある事だったんだ。アズールさん達もボクとエースさんはどういう知り合いなのかと話をしていて、何だか繋がっていくものだなあと〝縁〟を嬉しく思う。この中にも縁のある人はいるのかな、なんて考えながらいつの間にか殆ど埋まっている一階席を見下ろす。二階席の一番前だから、少し身を乗り出せば広い一階もほぼ見渡す事が出来た。
「あ、ねえエースさん、あれ、デュースさん達かな」
「お、ほんとだ」
卓と言っていたのはあれの事かと上から彼らを見付けて納得する。ライブの音響を調整するための音響機材。そのすぐ横に黒髪がふたり。女性ばかりの会場で、男性の二人連れはやや目立っていた。周りの女の子たちが彼らをちらちら見ているのには気付いているのかいないのかわからないけれど、二人は席に座ったまま何やらスマホをいじっている。
「お名前、聞いていませんでしたよね」
不意に話しかけられてアズールさんの方を見ると、柔らかな笑顔でボクを見ていた。何だか不思議だと思う。兄さんがいっぱい持っていたあの写真と同じ顔が、全然違う雰囲気でボクの目の前で笑っているのだ。
「オルトだよ。オルト・シュラウド」
今日は随分と自己紹介する日だなと頭の片隅で考えながら名乗ると、オルトさん、とひとつ繰り返した声が優しかった。
「あの日はありがとうございました」
「え?」
「ちょっと……色々あって参ってしまっていて。オルトさんに励ましてもらえて元気が出ました」
「本当? よかった!」
そう言ってもらえるのは素直に嬉しい。誰かを元気づけられるだなんて最高だ。
体質のせいであまり学校にも行けなくて、そのせいで友達も滅多にできなくて、定期的に病室に閉じ込められるだけの生活の中で、ボクが誰かにできることなんてほんの僅かでしかない。だからこうして、人の役に立てることはとても嬉しかった。
「あの約束、忘れていませんよ」
「約束?」
「お忘れですか? 競争したの」
にっと笑った口許に、あの日の事を思い出す。中庭で交わした約束。あっと声を上げると、肩を揺らしたアズールさんがステージに視線を投げた。
「オルトさんが完治する方が早そうですかね?」
「そうかもね! ボクもうこんなに元気だもん!」
同じようにステージを眺める。これから、あの広いステージの上に兄さんが立つんだ。既にセッティングされた舞台装置や楽器をスタッフの人達が一生懸命最終調整をしている姿に、段々どきどきしてくる。緑の髪のスタッフさんが大きな声であちこちに指示を出して、楽器のチューニングが始まった。
「僕らがあんなステージでやる時には、オルトさんもいらしてくださいね」
「もちろん!」
兄さんと一緒に、とつい言ってしまいそうになって慌てて口を塞いだのと同時に、アズールさんの向こう側からあっと声が上がる。
「あれ、ラギーじゃないか?」
「本当だ。ここのローディーだったのか」
「言ってなかったっけ?」
ドラムのチューニングをしているスタッフさんを指差した二人に、ケイトさんがのほほんと笑った。知らなかったと口々に話している二人は、確か、リドルさんとカリムさんだ。兄さんの友達がファンなんだと言っていた。そう言えば、一緒にライブに通っているというお友達の名前って。
「……デュースさんとジャミルさんだ」
「? どした?」
思わず零した独り言にエースさんが首を傾げる。どこかで聞いた事があると思ったのはそのせいだったのか。ああ、だから、エースさんはデュースさん達の席が一階でよかったと言ったのか。でも、ファンなら会わせてあげてもよかったんじゃないのかな。ううん、でもきっと、エースさんにはエースさんの考えがあるのかも知れない。ボクが口を挟む事でもないか。
「ううん、何でもない」
首を振ったボクに、そ、とだけ短く返したエースさんは、もう癖になったみたいにまたボクの頭を撫でる。
「もうすぐだぞ」
エースさん自身もわくわくしているみたいな言い方。きっと、本当にわくわくしているんだろう。兄さんはどんな風に登場するんだろう。きっとカッコいいんだろうなと想像して、スタッフさん達がいなくなったステージに深呼吸をした。