TO麺×$ 39 ビジュアル系の、というよりは、ロックバンドのライブというのはこんなにも色や音に溢れているものなのかと圧倒される。ステージの上を所狭しと動き回るアイドルのライブとは違い、それぞれ楽器を扱うせいで激しい移動はないけれど、それでも会場全体を盛り上げるやり方を知っていた。
「案外動かないんだね」
隣の席のリドルさんがぽつりと呟く。同じ感想を抱いていたのかと頷くと、後ろからケイトさんが身を乗り出して来た。
「うちはそうなだけだよ。他はフロントマンが派手に動き回る所もある」
「へえ」
バンドにも色々あるらしい。それはそうかと納得して、数曲を終え深呼吸と共に会場全体を見回したマレウスがふうとひとつ息を吐いた。
「MCは基本マレウスくんだけど、あんまりおしゃべりが得意じゃないから、雑談MCはトレイくんがメインになるの」
「そういう担当も決まってるのか」
「決まってるって言うか、決まっちゃったって言うか」
カリムさんの質問にとほほと笑ったケイトさんが答える。彼女の言わんとしている事は何となくわかった。マレウスさんはどこか不思議な人で、司会進行というタイプではない。それでいうとトレイさんの方がよほどその役目に向いていた。曰く、雑談以外のMCは台本が用意されていて、マレウスさんはそれに沿って多少アレンジを加えつつ読み上げるらしい。
『では、次の曲……あっ、今日は、初めてのホールに来てくれてありがとう』
唐突に差し込まれた礼は恐らくそのアレンジなのだろう。会場に笑い声が起こり、トレイさんも笑っていた。こういうギャップに女の子が弱いだろうなというのはよくわかる。かくいう僕も、不覚ながらきゅんとしてしまう。カッコいいのに天然、でも歌の実力は折り紙付き。僕らもこれに倣った武器が作れるだろうかと考えている間に一度明るくなっていた照明が再び落ちた。
『っしゃいくぞーーー!!』
突然の声に思わず身を竦ませる。レオナさんの咆哮だ。DVDでも観たけれど、生だと迫力が全然違う。一気に走り始めた重低音とあちこちに散らばる赤い照明。ステージ手前のスピーカーに片足を乗せ、両手でマイクを包んだマレウスさんの歌声すら、先刻までとは違う世界を紡いでいた。
「すごい」
呟いた僕の声を拾ったのは、意外にもオルトさんだった。ふふ、と笑った彼は興奮したように僕に話しかける。
「この曲、兄さんがすごくカッコいいんだ! ねえ、アズールさんも観ててね!」
そう言えば、始まってから今まで、マレウスさんしかきちんと観ていなかった事に漸く気が付いた。他のメンバーや全体をもっと俯瞰で見るべきだったと少し恥ずかしくなり、オルトさんに頷いてから左右に視線を走らせる。
トレイさんはあまりさっきまでと変わらずに、その場で淡々と演奏しながら会場やステージの上に視線を走らせている。恐らく、あの場にいながらも効果的な演出を考え実行し、メンバーのコンディションをも見ているのだろう。レオナさんは例の咆哮から、更に派手なドラムパフォーマンスを披露し、恐らく彼のファンであろう女性たちがそれに合わせて両手を伸ばしている。
二度目のサビが終わったその後。それまで動かずにいたイデアさんがステージの前方まで歩き出し、下手のスピーカーに右足をかけた。ギターソロだ。技術については残念ながら全く分からずとも、すごい早さと正確さで弦を操っている事だけは素人ながらもよくわかる。ピックを口にくわえ、指先で弦を擦り、再びピックに戻す。ぎゅいい、とつんざくような音を立てたギターを抱えてくるりとロングコートを翻して足を戻した。
きっと、これが〝超絶技巧〟なんだろうけれど。ただ漠然と『すごい』ということしかわからない自分がもどかしい。数歩下がった彼の前にスタンドマイクが立ち、おやと思う間もなく左手を持ち上げたイデアさんの声が会場に響く。
『踊れ!』
号令と共に蒼い髪が激しく振られて波打った。呼応する会場は見渡す限り振り乱される髪が海のようにうねり、激しい演奏だけが響く。初めて見る光景に圧倒されていると、ケイトさんが笑った。
「ヘッドバンギングね。ヘドバン。聞いた事ない?」
「すごいですね」
これもDVDで観ていたけれど映像では客席までは映っておらず、メンバーのパフォーマンスなのかとばかり思っていた。会場全体の一体感は残念だけれど僕らのライブにはないそれで、こういうナンバーがあると一層盛り上がるのだなと思う。
「ね! 兄さんカッコいいでしょう!」
派手に髪を振り乱しながらもギターを弾き続けるイデアさんは確かにカッコよくて、わくわくと目を輝かせるオルトさんに頷いた。
「世界一のお兄さんですね」
「うん!」
この世界を、彼は弟に見せてやりたかったのだろうと思う。映像では伝わらない、独特の空気、熱気、音に光。近寄りがたい雰囲気をしているけれど、オルトさんを見ていると弟を大切に思っていることは伝わって来る。彼の事はよく知らないけれど、優しい人なんだなあと何となく思った。
ケイトさんの言う通り、雑談のMCはトレイさん主体で行われた。照明が上がって明るくなった会場の中。
「初めてのホールに緊張しているんじゃないか」
話を振られたレオナさんがトークのバトンを受け取って話をしている間、トレイさんは自分のいる上手周辺に視線を走らせ、ちらほらと手を振る。その度にあちこちで「きゃあ」と黄色い声が上がり、ちょっとだけ不思議に思った。会場全体ではもっと、狂気を孕んだ声援であるのに、彼の周りだけは少し違うファン層なんだろうか。
レオナさんの話にマレウスさんが口を挟むと、また少し違う悲鳴が上がり、ファンの中にも種類があるのかも知れないと思い至った。
「あっ」
オルトさんの声に彼を振り向く。その視線が一点を見詰めていて、僕もその先を追いかけた。視線の先、ステージの下手側でイデアさんが水平にした両手を額に翳し、会場全体を見渡している。何かを探すような仕草に見えて、もしかしてオルトさんを探しているのかと思い当たった。
「見つかりますかね?」
「きっと見つけてくれるよ!」
蒼い髪がゆるりと左右を舐めて、別の誰かを見つけたのかふとどこかで止まる。そこへさらりと手を振ると、その周辺の女性たちが黄色い声を上げた。視線はそのまま二階に上がり、やがてひたりと動きを止める。
「兄さん見付けてくれたね!」
「見えてるんですかね?」
「見えてるよ!」
実際、ホール級の会場ではどこまで見えているものなのか僕にはよくわからなかった。一番前とはいえ、あんなところから二階席にいる人物がわかるものだろうか。いや、遠目でも親族は案外わかったりするものだし、オルトさんのことは見付けられているのかも知れない。
「……結構ずっと見てますね?」
「あー……はは、うん」
オルトさんを見つけたのかも知れない彼が、二階の、僕らの辺りを見たまま動かずにいて首を傾げた。やはり距離がある分、じっくり見ないと確証が得られなかったとかそういう事なんだろうか。漸く視線を外したイデアさんはそのまま客席に背を向けて、用意されていたドリンクを飲んでいるようだった。しかし、見付けてあげたのなら手を振るくらいしてあげたらいいのに。逃げるように向けられた背中に、少しだけ唇を尖らせた。