ワンライ「弱点」 部室の中央に置かれたソファからはみ出た足の先にふと悪戯心が疼いて、血の代わりにオイルが通う冷たい指先でオルトの手のひらよりも大きな兄の足の裏をつつとなぞってみた。
「おひゃあ!?」
思ったよりも大きな声が上がって、オルトも思わず飛び上がってしまう。少し離れた所でボードゲームを選んでいたアズールにも当然その声は聞こえたようで、何事ですかと慌てて振り向かれてしまい、驚かせてしまったかと認識してそこで初めてしゅんと眉を下げた。
「アズールさんごめんなさい、兄さんの足の裏をちょっとくすぐってみたら思ったより大きな声が」
「え? 待って、先に拙者に謝るべきでは?」
「そうでしたか、ならよかったです」
「んん??」
ソファの上で両足を抱え込んだイデアが腑に落ちない顔をしたまま首を傾げる。くすぐられた足の裏はぴっちりとソファの座面にくっ付いていて、もう触れられないようにガードされていた。
「もう、僕とアズールさんしかいないからってソファに寝転んでゲームだなんてだらしがないよ」
尤もらしい理由を単なる悪戯の言い訳にしてイデアを見ると、それを見透かした兄の肩がくつくつと揺れ、サーセン、と可笑しそうに笑って、もう気にしていないよと言うようにひらりと手が振られる。
アンティークデザインの三人がけのソファはやや小さめで、長身のイデアが肘掛に頭を置いて寝転がると反対の肘置きに足首がはみ出てしまう。そんな、はみ出た裸足の足がボードゲーム部に遊びに来ていたオルトの視界に入ったものだから、つい手が出てしまった。
しっかり者の弟がだらしのない兄を窘めたと思っているであろうアズールが近くのイスに腰を下ろす。やや呆れた目がイデアを見たことに少しだけ申し訳なさを感じながら彼が持って来たゲームに目をやった。
「しかし、さっきの声はすごかったですね。貴方あんな大きい声出るんですね」
「いや不意打ちでくらったら声くらい出るでござる」
「足の裏に触られるとということですか?」
ふいとアズールの蒼い眼がオルトを見る。その視線を受けて、小首を傾げながら検索を開始した。
「『足の裏は、大脳皮質中心後回の感覚野の一部が認知しています。「足の裏がくすぐったい」という感覚が生じるしくみは科学的にはまだわかっていませんが、皮膚の下の神経が感じやすい部分だからと考えられています』── だって」
「なるほど」
「アズール氏はくすぐったくないの?」
二人のやり取りを見ていたイデアが漸くゲーム機を側に置いて問い掛ける。足元に目を落としたアズールの視線の先には革靴が艶やかな光をたたえながらつんとしていた。これが自分の足であると認識する前はえも言われぬ違和感があったものだと一年前を思い出しながら、鼻を鳴らす。
「そもそも他人に触られたことがない気がします」
「じゃあ試してみたらいいでござる」
「僕お手伝いするよ!」
「ええー……嫌ですよ」
面倒だというのを隠そうともせずに顔を顰めたアズールに、わくわくと向けられた二対のきいろの眼は期待に膨らんでいた。イデアはまだしも、オルトの大きな目で見詰められると断るに断れなくなってしまう。薄く溜息を吐いてから、渋々革靴を脱いで持ち上げた。反応するようにイデアの手がぴくりと動いたけれど、それはすぐに慌てたように方向を変えてオルトの肩を叩く。
「行っちゃってくださいオルト隊長!」
「よおし」
芝居がかった口調にアズールが笑い、きりりと目元を引き締めたオルトの手がアズールの足の裏を靴下越しにこそこそとくすぐった。確かにくすぐったいのだけれど、それだけだ。イデアのように大きな声を上げるようなほどではないし、慌てて足を縮こませるほどでもない。
「あれ? アズールさん平気なんだね」
驚いたオルトが言うと、そのようですと頷いたアズールが足を靴の中にしまいながらオルトの髪を柔らかく撫でた。その様子に思い切り眉を寄せ、抗議の声を上げたのはイデアだ。
「ええーつまらんでござるー。人魚だから足の感覚鈍いとか?」
「感覚は普通にありますよ。喧嘩売ってます?」
「じゃあ本当に平気なだけなのか……オルトもくすぐったがらないし、つまらんでござる」
不貞腐れて再びゲームを始めてしまったイデアに、アズールとオルトは顔を見合わせて肩を竦める。
「オルトさん、よければお好きなゲーム選んでくださいね」
テーブルの上にはアズールが選んだ戦略ゲームが置かれていたけれど、どうせなら好きなゲームを持ち寄った方が楽しめるかと頷いて棚へと向かった。
正直、ゲームはもう何通りも先が読めてしまうが故に基本的に負けることはないのだけれど、その経緯や、楽しんでいる様子を見るのが好きだった。そもそも今日このボードゲーム部の部室に来たのはゲームに混ぜてもらうことが目的だったのだから、そろそろゲームを始めないと部活の時間が終わってしまう。
どれにしようかなあ、と三人で遊べるゲームを吟味し始めた。どれを選んでもきっと、楽しいに違いないのだけれど。こんな気持ちを“わくわく”と言うのだろうと考えながら、鼻歌のプログラムを再生した。
オルトがゲームを選んでいる背中を眺めていたアズールが視線をスライドさせてイデアを見る。それに気付いて目を上げると、ぱちりと空中でぶつかって、スカイブルーが悪戯に弧を描いた。
「足の裏でなくとも、どこか弱いところはあるかも知れませんね。それこそ、声が出てしまうような?」
歌うような揶揄は掠れた小さな音符に乗せられてイデアの耳を撫でる。かっと上がった体温に奥歯を噛んで睨み付けてみるけれど、きっと効果なんてほとんどないに違いない。舌打ちしたいのをどうにかやり過ごして、無理矢理口端を持ち上げた。
「へえ? それって僕に探させてくれるってこと?」
挑発するようにそう言ってみれば、アズールの頬の端がふわと淡く染まる。
「アズールさん、これなんてどうかな?」
戻って来たオルトがテーブルにゲームを置いて蓋を開けた。中に詰められたカラフルなマップやコマが視界の端を彩る。
「“もちろんです”」
一度もイデアから目を離さないまま頷かれたそれに、オルトがわあいと声を上げたその後ろでイデアの耳が真っ赤になっていた。