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    ヒトデの夢 そこから見上げた空の高さにただ呆然として、次第にハッキリとしていく意識の中で揺らめく太陽だけが妙に印象に残っていた。
     時折脇の下辺りからこぷりと舞い上がる空気の塊が何とも言えない不快さを感じさせて、どうにかそうならないように体を動かしてみるけれどどうやらこの身体は自分の意思で動くことが出来ず、ただ時々吹く風によってずりずりと動かしてもらうしか移動手段がないようだった。
     覚醒した思考で理解をする。ここは海の底、僕は『ひとで』だ。背中にあるのは砂の感触。吹いているのは風ではなくて水流。それか全身を撫でて、脇の下(と言うべきか)から水泡をいくつか生み出していた。
     何だってこんなことにと思えども、変わらず海面は遠く、空は更に遠い。身動きひとつ取れないこの身では手を伸ばしたって何をも掴むことはできそうになかった。そもそも手がどれなのかもよく分からないのだけれど。

     生まれて初めてこんなにも、ゆっくりとした時間の流れを体験した気がする。何を思うでもなく、ただ海中を漂うプランクトンや鳥のように行き交う魚(否、生物学的には魚の誕生の方が先であるだろうから、魚のように飛ぶ鳥の方が正しいのかも知れない、どちらでもいい)。時々目の前で繰り広げられる命の戦いにひっそりと感動していた。
    「変わった色をしていますね」
     不意に聞こえたその声に視線を向ける。視線を向けるための眼があるのかないのかよく分からないけれど、風景が見えているならばきっとあるのだろうという事にしておいた。
     声の主は僕の隣に腰を下ろして、薄汚れたジャックオーランタンのキャンディバケットを僕と反対側に置き、海面を、空を見上げる。
    「ここからは空が遠いですね」
     返事を期待しているようなそれではなく、ただ独り言のように呟いてキャンディバケットからひとつ小さな飴玉を取り出して口に含んだ。
     水流に揺れる右サイドの長い前髪が彼の横顔を巧みに隠すものだから、表情はよく分からない。けれどもその声と、髪と、その姿で、僕ははっきりとその人が愛おしい人だと確信した。
    「海は蒼くなんてないんです」
     海面を見上げたまま呟く。言われてみれば、この周辺は随分と暗かった。青い海だと誤認したのは、海面から青空を見ていたせいかもしれない。
    「この辺りは特に黒い」
     暗いではなく、黒いと表現した横顔がゆるゆると俯いた。頬が丸い。やや舌足らずな話し方がその見た目にマッチしていて、微笑ましいとさえ思うのだけれど。
     幼少期のアズールであろうその少年は、随分と昏い眼をしていた。これはきっと、虐められていたと言っていた頃の彼なのだろう。何らかの魔法で彼の記憶に入り込んだか、はたまたこれは彼の話を聞いた僕の、連装から来る完全なる妄想であるのか。それは定かではないけれど、キャンディを転がすまあるい頬の動きをただ見詰めた。
    「黒い海に墨を吐いたところで何も変わりはしないのに。あいつらに向かってやっているわけでも、わざとやっているわけでもない。それをあげつらって揶揄って。何が楽しいのか、あの雑魚共は」
     綺麗な顔をしているくせに。冷たい眼でバケットを見下ろした横顔からこぼれた言葉は決して綺麗なそれではなかった。誰もいないこの場所で思わず零れた本音なのだろう。
     いつもなら、「そうですなあ」と笑って、むすくれた頬にキスをして、そしたら仕方がないからというように背中に手が回ってくるのを抱き締めてやるのに。ひとでの僕はといえば、彼の艶やかな足の一本にぺたりと張り付くのが精々だ。
    「同情ですか?」
     ちらと僕に視線を落とした子供は唇を尖らせて抗議をして見せたけれど、やがてそれが無意味であると気付いたのか短い溜息を水の泡に変えてキャンディバケットからまたひとつキャンディを取り出す。
    「慰めてくれてるんですね」
     ひとでに意地を張っても仕方がないだろうと言う判断に至ったらしい。海の中でひとでというものがどういう立ち位置で、どういう存在であるのかはよく知らないけれど(そもそも生き物なのか)、気を弛めてもらえたならそれはそれでよかった。
    「僕は必ず陸に上がって、富と名声を手に入れるんです」
     海にはハロウィンなんて文化はないだろうから、恐らくあのバケットは陸の人間の落し物なのだろう。古そうではあったけれど、禿げた塗装を塗り直した後が見えた。
    「そのためには勉強あるのみです。魔法も、経営も、商売も。頭に入れられることは全部詰め込んで戦うんです。あんなやつらには負けないくらい、強く、賢くなって、見返してやるんです」
     悔しいことがあったのかも知れない。悲しいことで傷付いたのかも知れない。昏い瞳のその奥に静かな炎を垣間見て、その意志の強さに胸が高鳴る。努力の天才の原動力は、知識欲でも好奇心でもない、ただひとつの負けん気だ。決して人には負けないという強い意志。負けてなるものかという強い信念。
     小さな頃からそんなにもその魂は強く、激しく燃えていたのか。漏れ出る魔力が心地よくて、海面を、その先の空を強く見上げた長い睫毛に持てる愛しさの総てを馳せた。
    「アオヒトデさんも一緒に来ますか? 貴方は水色ですけれど」
     差し出された小さな手の上にぺたりと乗せられ、イエスともノーとも言わない星型がキャンディと一緒にバケットに入れられる。すいと泳ぎ出したタコ足の、膨らんでは窄まるその動きをバケットの中からそっと眺めて、水を切り裂く剣のような美しさだと暗い海の中に紛れる濃紫の脚にいつか触れてみたいと願った。



     目覚めたのは頬に垂れる雫の感触のせい。はたと目を開けた正面には見るからに不機嫌な見慣れたアズールの顔があった。
    「まったく。三徹だか四徹だか知りませんが、浴室で寝るなんてとんでもない」
    「……あー……」
     そういえば。頼まれていたプログラムに思ったよりも手こずって眠れないままどうにか仕上げ、やっと終わった解放感からふと湯船に浸かりたくなったところから記憶がかなり曖昧だ。アズールの口振りからすると、無事風呂には入ったものの、湯船で力尽きて溺れかけていたのかも知れない。アズールも濡れているところを見ると、僕を引き上げるのに濡れてしまったんだろうと察することができた。
    「サーセン」
    「早く出てくださいよ、二度は助けませんよ」
     呆れたと言わんばかりにそう告げた背中が浴室から出て行くのを見送って、何となく湯船から持ち上げた手のひらを何度か開閉させてみる。あの時の僕はきっとこの手のひらより少し小さいくらいだったのだろうけれど、あの小さなアズールの手よりは遥かに大きかった。
     可愛らしかったけれど、同時に痛々しかった子供を思い出して、温くなった湯船から長く長く息を吐く。ふと目をやった浴室の窓の外はまだ明るかった。ここからは随分空が近い。空に近付いた彼はいま、あの時言っていた通り、富と名声を得るための途中段階だ。学生の内にできる限りの下準備をしている。海中を切り裂くように泳いだ姿を思い返して、きっとそれと同じように目標に向かって泳ぐのだろうと立ち上がった。



     ああこれ、と呟いたのに反応したのは双子が先。それから少し遅れて、僕。けれど声には出さずに心の中で、あっと思うだけに留めた。
     学園で実施したハロウィンで用意されたキャンディバケットは、あの日小さなアズールが持っていたバケットによく似ていて、成長した彼の持っているその中には、薄い青の星の形をしたキャンディがそっと乗っている。
     まるであの時のようだと思ったのは果たして僕だけであったのか。嬉しそうに星型キャンディを取り出したアズールに後で聞いてみようと少し不思議な時間のことを胸の奥で転がした。


    KazRyusaki Link Message Mute
    2021/10/18 16:43:02

    ヒトデの夢

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    子供時代のアズールと、ヒトデのイデアのお話

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