これが夢なら良かったのに 拾参 今夜の無限列車は乗客が多い。その数、ざっと二百人程度。この数を食う計画を、魘夢は事前に立てていた。まずは鬼狩りを含めた乗客全員を眠らせて夢を見せ、その間に列車と融合してしまおうという計画だ。空間と夢、その両方を支配してしまえば、いくら柱と言えども自分の敵ではない。彼にはそんな確信があった。
「今回の鬼狩りには柱がいるから、いつもより一層気を付けて。細心の注意を払って、それぞれ自分の役割をしっかりすること」
まだ誰も乗り込まないうちに、車掌、運転士と協力者達の六人で魘夢は打ち合わせをしていた。まず、車掌が魘夢の血を混ぜた切符を切って眠らせる。ここで失敗したら、計画が全て駄目になる。その前提を踏まえた上で、魘夢は念押しをしておいた。失敗したら、夢を見せてやらないと。痩せこけた車掌は暗く固い表情で「はい」と応える。運転士には、もし自分に何かあったら鬼狩りの足止めをするようにと言い含めた。運転士は渡された錐を大事そうにしまって「任せてください」と応える。その二人の何かに取り憑かれたような様子を、安実は痛ましいものを見る目で見ていた。この二人も、魘夢に出会わなければ、きっと前を向けていたに違いないだろう。
「取り敢えず、今のところはそんなところかな。後は状況を見て、追って説明するよ。今、一気に説明されたって分からないだろうし。ああ、その時まで君達は先頭車両で待機してて」
ぐい、と席に座っている魘夢に袖を引かれて、三つ編みの少女は大人しく近くの席に座る。他の三人もそれに倣った。彼らを鼓舞するようににっこりと害意の無い笑みを浮かべて魘夢は言った。
「じゃあ、みんな頑張ろうね。望む夢を見るために」
一度だけその言葉に頷くと、車掌と運転士はいつも通り、発車の準備を始めた。それぞれが思い描く夢を見るために。
夜の中を無限列車は切り裂いて走る。鬼狩りの気配は柱を入れて四人。もうすぐ車掌が切符を切って眠らせるだろう。その間、魘夢は先頭車両でやるべきことがあった。屋根の上に立って列車が吐き出す黒煙を眺めながら、彼は一人口を開く。
「安実、そのまま続けていてね」
「……本当にやるの?」
躊躇っている安実に、魘夢は涼しげな顔で「もちろん」と返す。今から二人がやろうとしていることは、大量の乗客を一度に食べられるよう、魘夢の肉体を列車と融合させる作業だ。この作業が済んでしまえば、乗客も鬼狩り達も彼の腹の中にいるのも同然。内臓に収めてしまえば、たとえ鬼狩り達が夢から覚めても、力尽きるまで攻撃を仕掛ければいい。最も、起きられたらの話だが。
彼らに夢を見せている間、何もしない訳ではない。運転士に持たせた錐と同じ物を協力者四人にも持たせる。その錐は魘夢の歯と骨で作った特製の物であり、単に物理的な凶器として使えるだけではなく、夢の中でも使える物だ。その錐で無意識世界にある『精神の核』を破壊すれば、夢の宿主は精神崩壊し、廃人になる。鬼狩りをこの状態まで追い込めれば、魘夢は最も安全に乗客を食える。
「で、でも……」
「早くしなよ。じゃないと、また痛い目に遭わせるよ?」
渋る安実に痺れを切らして魘夢は冷たく命令した。それを聞くと、これまでの準備を思い出したらしく、安実は短い悲鳴を上げて作業を始める。着実に食事の準備が整っていくことに笑みを零し、魘夢は早々に自分の一部を切り離し、分身を作り始めた。
ぱちん、と車掌が切符を切り始める気配を魘夢は感じ取った。いよいよだ。そのまま続けてぱちんぱちんと切符が切られていく。この気配が全ての車両に及べば、後は自分の腕の見せ所だ。
気配が半ばまで来た頃、魘夢は左手を切り離しておく。車掌が報告に戻って来れば、あの四人に次の手順の説明が必要だからだ。
「安実、今どのくらい?」
「……今、三両目くらいまでは」
「うふふ。今日はご馳走だから、上手くできたら、安実にもご褒美をあげないとねぇ」
怪しく笑う魘夢に、嫌な予感を覚えた安実は彼からの褒美を「いらない」と断る。どうせ碌なものではないと思っていたからだった。
「いらないの? なんだ。折角、安実にも良い夢を見せてあげようと思ったのに」
「私はいいから」
「俺なら、安実の望む世界の夢を見せてあげられるよ。例えば……そうだねぇ、俺が鬼にならない世界、とか」
正直に言うと、惹かれなかった訳ではない。安実にとって、魘夢が鬼でなくなることはずっと望んでいたことだったからだ。しかし、それは現実ではない。今更、夢の中に逃げ込んでみたところで、何が変わる訳でもない。現実では魘夢と安実は依然として鬼の体で、三つ編みの少女達も現実に絶望したままだ。ここまで来て、現実から逃げることに何の意味がある?
「いらない。いらないから、もうこんなこと止めて……」
「嫌だよ。俺は二百人の乗客を食って、もっともっと強くなるんだから」
「だから、安実は大人しく俺に協力してね」どこか遙か遠くを見つめて言う魘夢。最早彼にこちらの言葉が届くことは無い。とうとう諦めてしまった安実は、せめてこの戦いで鬼狩りが彼を、自分を殺してくれるよう必死に祈るしかなかった。望みはかなり薄いけれど。
次第に皆、夢を見始める。金髪の少年は、恐らく好きなのだろう少女と川辺に遊びに行く夢。猪の頭を被った少年は子分を引き連れて洞窟探検をする夢。炎柱の青年は今の家族の夢。そして、花札の少年は失った家族との日々を夢に見ていた。
魘夢と安実は花札の少年のような境遇の人間達を何人も見てきた。その度に殺して食ってきた。花札の少年の夢を覗き見る度、安実は罪悪感で押し潰されそうだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
少年に届かなくとも、殺してきた人達に届かなくても、安実は何度も謝った。謝っても許されないと分かっていたけれど、そうせずにはいられなかった。本当は誰の手も汚させたくなかった。自分と魘夢はもう後戻りはできない。だから、せめて協力者の四人や車掌達には誰も殺させたくなかった。
夢の中に入ることも安実にはできるが、そんなことをすれば、確実に魘夢に気取られてしまう。あの少女達を選ぶ前、他にも協力者の人間はいた。しかし、安実が夢の中に入って邪魔をしようとすると、当の本人に追い出されたばかりでなく、目の前で魘夢に殺されてしまう。今回もそれだけは避けなくてはいけない。夢の中に直接入れないとすると、どうしたらいいのか。
ぐずぐずしてはいられないが、対抗策が浮かばない。現実で彼らの体に触れて起こすことも考えたが、そもそも彼らのいる車両はかなり後ろだ。今の段階では、四両目までしか融合が終わっていない。どう考えても間に合わない。安実の融合が終わるより、彼らが鬼狩り達を廃人にさせる方が早い。
「どうしよう……どうしよう……」
乗客も今は皆眠っている。今の無限列車に起きている者は安実と魘夢、運転士しかいない。列車を止めることも考えたが、絶対に魘夢に邪魔をされる上に安全の保障ができない。彼らに余計な怪我を負わせるわけにはいかない。きっと自分達以外の仕事も沢山ある筈だ。ならば、彼女にできることは一つしかない。
安実は自分の体をもっと広げ、列車との融合を速める。協力者の四人より早く融合を済ませ、触手で鬼狩り達を起こすしかない。その一心だった。
「うふふ。そうそう。良い子だね、安実」
融合が先程より速まってきたことを感知した魘夢は、分身を介して愛おしそうに車体を撫でた。彼女にはこれまで何度も邪魔をされ、その度に罰を与えてきたが、一向に萎える気配が無い。あの気概は賞賛に値するが、こちらも対策を講じなければならない。ならば、その性質を逆に利用してやればいい。人間や鬼狩りを餌に焦らせ、知っていようが知るまいが、こちらに協力させれば、俺の勝ちだ。
「ふふ。愚かだなぁ」
本当に、愚かで可愛い。俺の恋人。これからもずっと一緒だよ。一緒に強くなって、上弦に入るんだぁ。そしたら、あいつらに絶望を振りかけてやろうね。
「……あれ?」
あいつらって、誰だっけ?