青に謳えば 濡れた石畳の端々に残る小さな水溜まりが、初夏の日差しを跳ね返してまたたく。ここしばらくのあいだ雨模様が続いていたところにふと覗いた休日の蒼穹に、ふたり揃って屋外へ足を伸ばしたくなるのはごく自然なことだった。
四季折々に訪ね、すっかり馴染みとなっている植物園の木々や生垣の枝先に繁る葉が、前回ここを訪れた桜の季節よりも青さを増して風に揺れている。足元に落ちる翠の影が水溜まりからの陽光と溶け合って、浅い波際のように小路を彩っていた。隣を歩く彼のひそやかな潮騒に似たテノールと、梢のさざめきが耳朶を打つ。
目に映る景観の美しさ、昨日の稽古中に得た小さな気付き、新しくオープンした書店の品揃えについて。あちらこちらへと気の向くままに交わす言葉が、舗装された道の穏やかな傾斜に沿って流れていく。良い天気だ。いくらか道なりに進んだところで出会した路面列車に乗り込んで、そっと息を吐いた。
二人掛けのシートが通路を挟んでひとつずつ並んだ分の横幅の、こじんまりとした車体が数両連なって進む。開け放された窓から滑り込んで抜けるやわらかな風が心地好い。目当ての場所は、広大な敷地のうちでもやや奥まった高台に位置している。
夏へ向かういま、この植物園でも、例に漏れず薔薇が見頃を迎えているという。手入れの行き届いた庭園であざやかに咲き誇る瑞々しい薔薇の美しさは、少なからず彼の演出家としてのインスピレーションを刺激するものだろう。そこに佇む彼自身のうつくしさなどまるで知らぬような無防備な横顔と直線の眼差しの眩しさを脳裏にえがき、目を細める。視線に気付いて「どうした」と問い掛けてくる彼に緩く首を横に振って返そうとしたところで、……ふと、頬にふれるかすかな感触に呼ばれて窓の外へと向き直った。
「灰羽?」
「ああ、いえ」
どうやら随分と折りの良いタイミングで列車に乗り込めたようだ。
澄んで晴れ渡ったままの空から、ちいさな水滴が点々とそそぎ始めていた。
「雨か」
「近くに雲は見えませんから、天気雨でしょうね」
「ああ」
乾きかけの石畳が、青い芝生が、音もなく降る雨滴にしっとりと濡れていく。鼻先を掠める草花と土の香りがわずかに濃くなったような気がした。
「着くころには止んでいるだろうか」
隣で同じように窓の外を眺めつつ、ちいさく彼が呟く。移動の速度と距離、あいだにいくつかの停留所があることを考えると、おそらく高台まで十五分ほどはかかるだろう。風に乗って空から気紛れに零れ落ちる雨粒が、そのうちに収まっている可能性は充分にある。そうですね、と返してから、もうすこしだけ先を紡いだ。
「もし止んでいなければ、どこか木陰を探しましょう」
「……、」
「天気雨の中を歩くなんて、なかなかできませんからね」
些か悪戯めかして続けた応えに、澄んだ赤がゆるくまばたく。停留所に小さな屋根があることは無論知っていたけれども、――無機質な屋根の陰よりも、濡れた青葉の木陰のいろのほうが、いまの彼にはよく似合うように思えたのだ。
「……そうだな」
彼のひとみが柔く眇まる。ま白いかんばせに微かに落ちた睫の影が、初夏の日差しに溶けて淡く滲んだ。
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20210607Mon.//HappyBirthday, dear Ryosuke!