【始春】気配 共有ルームのソファで始さんが本を読んでいる。
来週から撮影が始まるドラマの関連資料だとかで、夕食前にも別の本を読んでいた。
本を読むなら部屋に行けばいいのに、と苦笑しながら春さんはキッチンへ消えていったけど、始さんが誰かの近くにいたいんだっていうのは春さんも俺も知っている。会話なんてしなくても、誰かがそばにいて、一緒の時間を過ごしているって感覚が欲しいのはよくわかる。駆や恋が共有ルームで勉強するのも、俺がソファでダラダラしながらいちご牛乳を飲むのも同じだからだ。
ここはとても居心地がいい。
キッチンからお湯の沸く音がする。それからすぐにいい匂いが流れてくる。春さんが紅茶を淹れているんだろう。
しばらくしたら人数分のマグカップをトレイに乗せて春さんがキッチンから出てきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
テーブルにテキストとノートを広げていた駆と恋に春さんはマグカップを置く。それから葵、ちょっと離れて座っていた俺と順番に渡してくれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
最後は始さん、なのだけれど。
春さんが近づいてマグカップをトレイから持ち上げた瞬間、本を読みながら始さんが左手を動かした。始さんの丸く形作った手の中へ、春さんがマグカップをすとんと下ろす。そのまま、本を持っている右手で器用にページをめくりながら始さんはマグカップを口元へ持っていった。
全然、ちっとも、春さんを見もしないで。もうそこへ来るのが当然と言わんばかりの動作。
春さんもなにも言わないで、始さんの邪魔する気はないですよ、みたいな気配だったのに。
流れるような動き、とはこういうことを言うんだろうかと思ってしまうくらいに自然な動きに俺は思わず葵の顔を見た。
「……葵くん」
「俺は無理だと思うなあ」
同じように始さんと春さんのやりとりを見ていた葵が首を左右に振った。俺たちの話し声や紅茶の匂いで気づいたにしても、あんなにジャストなタイミングでマグカップの受け渡しはちょっと難しい。
「俺としてはいちご牛乳のパックならできるんじゃないかな、と」
「やらないよ? というか、それはちょっと違うんじゃない?」
「だめか」
「だめです」
「なんの話?」
笑いながら春さんが葵の隣に座った。
「どこまで気配を察知できるか、というやつです」
「うん?」
小首を傾げる春さんには、もう少し言わないでおこうと俺は決めた。
これはあくまでも勘だけど。
春さんに教えたら、次は意識しちゃって逆に失敗するんじゃないかと思うのだ。それはそれで見てみたい気もするけれど、始さんと春さんが何の気なしにやってのけることは見ていて面白いから何度も見たい気持ちの方が強い。
お菓子を出しましょうか、なんて言いながら葵が立ち上がるのも、たぶん俺と同じだろう。
だからこれは内緒の発見。