TO麺×$ 8「伝説の目撃者に……じゃないんだよなぁ~~! ナニコレ!?」
事務所の長机の上に置いたタブレットの画面を指し示しながら抗議するけれど、トレイ氏は不思議そうに首を傾げるだけだった。あれ、伝わってない?
「これ、ここ! ツアーって何!?」
「ああ、その事か。何で怒ってるのかと思った」
笑いながらタブレットを操作して、ざっと記事に目を通す。昨日のライブのWEB記事だ。いつも来ている記者の記事だろう。ライブ前にトレイ氏と話をしていたのを見かけたから、その時得た情報がそこへ記載されているのだろうけれど。『三か月後から全国五か所のツアー』と言うのは初耳だ。
「聞いてないんだけど!?」
「ええ? そんなわけないだろ。話したよ、ちゃんと」
「いつ!?」
「いつ……先月の終わりくらいか?」
余りにすっと答えられるものだから、本当に事前相談があったのだろうか。いやでもトレイ氏普通に嘘つくしな。嘘と言うか、言う必要なかったとか言って言い包めると言うか。
先月末。確かに事務所に来た記憶はある。この先の宣伝プランみたいな話をしていたのはぼんやり覚えているけど、ツアーの話なんてしていただろうか。
「イデアさん新曲MVキター! スケジュールとかはお任せするでござる~! って言ってたッスよ」
ひょいと現れたラギー氏が口を挟んで、一気に記憶が蘇った。そうか。先月末は新曲発表があった日にここにいて、トレイ氏があれこれ話してるのを半分聞き流しながらMVをエンドレスリピートして聴いていた。あの時か。
「い、いやでも聞いてませんでしたし。ノーカンで……」
「なわけないだろ。聞いてなかったのはお前の都合だ」
デスヨネ。わかってたけど言ってみただけですし。ああでも、ツアーはまずい。五ヵ所と言う事は、最低でも二週間は出っぱなしになると言う事だ。慌てて調べたツアーの行先(そもそもこれもネット検索で知ると言うのがおかしな話なんだけど)を見ても、まず間違いない。
「何か都合悪いの?」
ラギー氏に次いで事務所に現れたのは、運営事務担当のケイト・ダイヤモンド氏。ラギー氏が来るまでは紅一点だった彼女は、運営に関わる事務全般を担当してくれている。友好関係が広く、顔も広いから彼女のコネクションで出演できたイベントも少なくない。
首を傾げたケイト氏にこくりとひとつ頷いた。
「この日は無理」
「無理って何だ」
ツアー日程のある一日を指さしてきっぱりとそう言うと、黙って聞いていたレオナ氏も口を挟んで来る。ライブを潰す気か、とかそういう事ではなくて、多分この件を早く終えて早く帰りたいだけだ。彼にそこまでのバンド愛はない。
「どういう事だ?」
やや不機嫌そうに眉を寄せたトレイ氏が聞き返して来るのに、きっと顔を持ち上げた。
「アズール氏達のライブがあります」
「却下」
「なんで!?」
だって、推しのライブがあると言うのに現場に穴を開けるわけにはいかないでしょ! そんなのヲタの名折れ! 人前に立つのは嫌だけどヲタ活するためにバンドなんかやってるのに、ライブに行けなかったら意味がない。ばん、と音を立てて机を叩くけれど、それはすぐにトレイ氏の溜息と共に掻き消された。
「趣味のために仕事を放棄することが許されるわけないだろ。そもそも事前に承諾を得てるのに」
「だって、それは」
「とにかく。ツアーは会場も押さえてるし、日程も変更しない」
「トレイ氏~~」
泣きついたって意味がない事は分かっている。分かっているけれど、足掻きたい。は。当日バックレるとかどうか。いやそんなことしたら一生恨まれるし、何やかんや気に入っているこのバンドに二度と戻れない。けど、ライブには行きたい。どうしたらいいんだ、と頭を抱えている僕を、ケイト氏が笑った。
「じゃあ向こうのライブをなくしたら?」
「は? そんな事できるわけ」
「ああ、いいんじゃないか。元々あのライブはケイトがリドルに紹介したイベントだし。ケイトからバラして欲しいって連絡したら取り消しもできるだろ」
悪魔か! 二人してにっこり笑顔でする会話じゃないでしょ! ケイト氏の顔の広さはそんなところにも影響していたのかと今初めて知って絶望する。どう考えたって僕の我儘でアズール氏達の出演取消とか、そっちの方がオタクとして終わってる。
こうなったらもう、この二人には勝てるはずがないのだ。いや最初から勝てる見込みなんてなかったのだけれど。
「……ツアー行きます……」
「よし、じゃあこれからはツアーに向けてのセットリストと……」
ようやく本題に入れると言わんばかりにミーティングを始めたトレイ氏と、既に飽き始めているレオナ氏と、聞いてるのか聞いてないのかわからないマレウス氏が長机に着席した。セットリストに衣装、舞台装置に演出。移動手段や宿泊については同行はしないけれどケイト氏が全て手配してくれる。
ツアーが初めてなわけではないし、嫌なわけでもないけれど。推しのライブとかぶってしまったのが初めてだったから少し取り乱してしまった。仕方がない。ジャミル氏だって何かの大会がどうこうとかで現場にいなかった事もあるし、誰しも一度くらいは推し活できない事はあるものだ。
細く小さな溜息を吐きながら、テーブルにコーヒーを置いて回るケイト氏を見上げる。
「ケイト氏、お願いがあるんだけど」
僕のそれは、みなまで言わずとも分かってくれた。いいよ、と笑ったケイト氏にぺこりと頭を下げて、配られた資料を眺めながらコーヒーを口に含む。ブラックコーヒーの香りがいつもよりも少し濃いような気がした。
真っ白なその部屋はそんなに好きじゃなかったけど仕方がない。もう見慣れてしまった窓からの景色にぼんやりと視線を投げて、ぐす、と鼻を鳴らした。
「もー、それは兄さんが悪いよ」
「分かってるけど……」
怒ってると言うよりも困ったように眉を寄せ、下肢に掛けた布団をばふばふと両手で叩く。短い青い髪に、まんまるのきいろい瞳。僕の大事な弟。オルト・シュラウドは先週からこの病室で生活している。
入院は初めてではない。生まれつき身体が弱く、定期的に検査もかねて入院しているのだ。明後日にはここを出て、また次回までは僕と一緒に暮らす。正直、完治するのかどうかも分からない。この入退院を繰り返す生活がいつまで続くのかも、全く分からなかった。けれど、当然放っておくわけには行かない。どこも悪くないのになあ、と呟いて病院の硬いベッドに横になる弟が可哀想だと思わない訳はないけれど。僕なんかが治してやれるはずもないから、医者の言う事に従わざるを得ないのだ。
「この前のライブ配信観たよ。アズールさん綺麗だったね」
「あっ、観た? そう、あの衣装すごいよかったよね。スカートがくらげみたいにふわふわしてさあ」
「うん! でも兄さんのライブもカッコよかったよ! 僕もう3回も観ちゃった!」
「あー……いやそれは別にどうでも……」
自分の話題になった途端、テンションが急降下する。カッコいい、とは。他のメンバーにそういう人がいるのは分かるけど、僕の何を見てそう言うのかが全く分からん。ライブの配信アーカイブの感想を熱く語るオルトの声を聞きながら、少しでも僕の音楽が彼を元気づけられるのなら何よりだと肩の力を抜いた。
「あ。ツアー中、入院ぶつかるでしょ。着替えとか、ケイト氏に頼んだから」
「わかった!」
以前も一度、ツアーがあった時にケイト氏にオルトを頼んだことがあったせいで面識はある。何より人懐こいオルトと人当たりのいいケイト氏だからすぐに打ち解けてくれた。ケイト氏も嫌な顔ひとつせずに対応してくれるから助かる。
「ツアー楽しみだね。頑張ってね! お土産楽しみにしてるね」
「……うん。兄ちゃん頑張らないとなあ」
見上げて来るまっすぐな瞳。優しくその頭を撫でてやれば、擽ったそうに細められた。
気管支が弱いせいで、ライブハウスのような空気の悪い所には長時間はいられない。オールスタンディングなんてまず無理だ。いつかライブを観に行きたいと言うオルトのためにも、もう少しバンドの規模を大きくしないと。ツアーが終わった後のホールライブには呼んであげられるかな。二階の関係者席から僕に手を振るオルトを想像して、ふっと短く息を吐いた。