TO麺×$ 番外編初めて女の子の部屋に入るわけでもなし。それでもこんなに緊張するのは初めてだと、開いた玄関の向こうに広がる世界に思わずごくりと喉を鳴らす。香ったのは、アズールが好んでつけている香水と、それとも少し違う少し甘い匂い。ルームフレグランスかなと思いつつ、どうぞ、と勧められるがままに部屋に上がった。
下駄箱の上に置かれたシェル型の小物入れに部屋の鍵を置いて、長くもない廊下を抜ける背中について行く。突き当たりのドアを開けたその部屋に、思わず目を瞠った。
「あ、アズール氏……ここ……」
「? 何ですか?」
不躾ながらもぐるりと部屋を見回して、あまりの既視感に全身から力が抜ける。その場に両手両膝を着いた僕に、アズールが慌てて駆け寄った。
「ど、どうしたんですか!?」
「…………ここ、アズール氏の部屋だったんだね……」
「え?」
「パジャマパーティー配信……ここでやってたの……」
「ああ、そうですよ」
何だそんな事かと言わんばかりの反応に勢いよく顔を上げる。びくりと肩を震わせた彼女が身構えるのを気に留めず、まっすぐにその目を見つめた。
「自室から配信なんて絶対ダメ」
「な、何でですか?」
配信について誰か彼女に指南した人間はいなかったのか。初心者が簡単に手を出すから炎上の火種が尽きないと言うのに。アイドルなんて職業なら尚更だ。
はー、と重く長い溜息を吐いてその場に正座すると、アズールもつられて姿勢を正す。きっちりとした正座で向き合って、こほんとひとつ咳払いをした。
「いい? 自分の部屋で配信なんぞしたら何が起こるか分からないので危険でござる」
「はあ」
「例えば、配達員の振りをしたファンが配信を見ながらキミの家に当たりをつけてピンポンしまくって部屋を特定したり」
「こんなに広い世の中で有り得ます?」
「実際あった事件です」
言いながらスマホに概要を表示させて差し出すと、見るからに表情が歪んで行く。熱心なファン、と言えば聞こえはいいけれど、ストーカーと紙一重であるその類の人間は異常な行動力を発揮するし、危険なのだ。
「それと、部屋の中に映っちゃまずいものがあったりしたらそれだけで大炎上でござる」
「そんなのないです」
そのくらい分かっていると言いたいのだろう。むっとした表情が可愛い。けれど、ここで怯む訳には行かないのだ。
「例えばカメラから外れたところに洗濯物干してて、何かの手が当たってカメラがズレて映りこんじゃうとか」
「ないですよ」
「その中に男物のパンツなんてあった日には大炎上間違いなしでござる……」
「ぱ……そんなの持ってません!」
まあ持ってたとしたらそれはそれで僕が大炎上する訳だけど、取り敢えず即座に否定してくれてよかった。顔を赤くして怒ってる姿もまた可愛い。度々絆されそうになるのをぐっと堪えながら続けた。
「例えば、テーブルの片隅のリモコンの上に僕がジッポを忘れて行って、それに気付かずに配信したりしたら。やれ男がいるのか、それとも喫煙してるのかと大騒ぎでござる」
アイドルと言うのは。例え喫煙や飲酒をしていたとしても、そう言うのは見せないものだ。いやそれ以前にアズールは未成年であるから、タバコはダメなのだけれど。きょとんとした彼女が不思議そうに僕を見る。
「イデアさん、タバコ吸わないじゃないですか」
「今はね。て言うか例え話だから」
ああ言えばこう言う。可愛くないお口は塞いであげようか、とかイケメンだけが許されるセリフを頭の中だけで呟いて、そんな勇気もない僕はもうと唇を尖らせるしかできなかった。そんな傍らで何故か目をキラキラとさせたアズールが僕を見詰める。
「禁煙て難しいって言うのにすごいですね。何か切っ掛けがあったんですか?」
素直に、そんな風に感心されてしまってはむず痒くなってしまう。そわそわしたまま視線を逸らして、尖らせた唇のままぽろりと零した。
「だって……キミ、タバコの匂いが嫌いってむかしMCで言ってたでしょ……」
きっと彼女にとっては些細なことなのだ。MCで話したことなんて全てが真実とは思わないけれど、それだけは本当のように思えたものだから。何度か長い睫毛を瞬かせたアズールが正座のまま少し距離を詰めた。もう少しで膝がぶつかる。
「僕のためにやめたんですか?」
「まあ……だってチェキ会とかで近付いた時にタバコ臭いなって思われるの嫌だし、臭いの可哀想だし、お金もかかるしどうせならやめるかって思って」
まるで言い訳をするように早口で言い募ると、まん丸い目のままアズールが首を傾げた。
「貴方チェキ会来たことなかったでしょう」
「行こうと思ってたの! いつかは! でもこう、勇気が出なくてって言うかそもそもこんな見るからなオタク陰キャとツーショとか本当アズール氏が可哀想すぎるしそもそも他の奴とアズール氏がツーショ撮ってるところ見たくないしそういうの全部整理ついたらちゃんと行こうと思ってたし」
焦れば焦るほど早口になるし、何でこんなにいっぱいいっぱいになりながら釈明しているのか分からないんだけど。もう何か、絶対顔とか耳とか赤いんだろうなと思いつつ膝の上に握った両手を瞬きもせずに見詰めながらぶつぶつと唱え続けるその視界に、ふと僕よりも小さな白い手が入って来た。それはひやりと僕の拳に重ねられる。思わず声にならない声を上げて固まると、今度は下から覗き込むようにアズールの顔が現れた。
「貴方、本当に僕のこと好きですね」
「…………悪い?」
笑った顔がこれまた可愛くて、でもそれすら少し悔しくてぷいとそっぽを向く。くすくすと笑って、今度こそ膝がぶつかった。
「嬉しいです。けど、初めて彼女の部屋に来た彼氏の反応としては失格です」
アズールの手は、僕よりも少し冷たくて、ひとまわりもふたまわりも小さい。そんな手が僕の手の甲に重ねられて、拳をぎゅうと包まれる。ちらと目線を持ち上げると、わざとらしく拗ねた顔が僕を見ていて心臓が高鳴る。
「……キミらしくて可愛いお城だね」
「ふふ、合格です」
擽ったそうに笑った顔は何のてらいもないそれで、今日見た中でも、これまで見た中でも一番に可愛くて愛しかった。こうやって、きっと毎日一番を更新して行くんだろう。
「取り敢えず事務所に配信専用の部屋作ってもらってね。すぐに」
真顔でそう言うと、可愛い顔はすぐに呆れたそれへと変わる。
だって僕には、推しの生活を守らねばと言う使命と、彼女の安全を守らねばならぬ使命があるものだから。
はいはい、と肩を竦めて立ち上がったその背中について立ち上がり、ちゃんと聞いてるでござるかあと食い下がって、最終的にうざがられてしまった。