ワンライ「パーカー」好きな人の趣味を理解するために勉強するのは悪い事ではないと思っている。
完全に理解して、同じくらいの知識を持つ必要はないけれど、ちょっとした話し相手になる程度の知識くらいは欲しいと考え、サブカルチャーについての書籍はいくつか読んだし、イデアに勧めてもらった漫画も全て読んだ。お陰で、あの漫画の新作が、とか、あの映画の続きが、といった彼の話にも付いて行けるようになった。
それはそれでよかったのだけれど。ラウンジを終えたあと、宿題も片付けてから向かったパソコンで「オタク」と言われる人たちの趣味趣向を調べるのがここ最近の日課となっている。
早い話が、彼らに刺さる仕草や格好はどんなものなのか、という事を調べているのだ。如何せんオタクの方々はやや特殊な趣味の人が多く(アズール調べ)、例えば、アニメのキャラクターのコスプレだったり、背中ががっつり開いたセーターだったり、そう言ったものに興奮するらしい(アズール調べ)。正直なところいまいちピンと来てはいないのだけれど、イデアもそう言ったものが好きなんだろうかと考えながら左手で頬杖をついたまま右手でだらだらとマウスを操作する。
ふと、画像検索の中で気になるものを見付けた。小柄な女性が随分と大きいシャツを着て、その隣には恐らくそのシャツがぴったりであろう体格の男性。これはどう見ても彼のシャツなのでは、と気になってクリックしてみて、その記事に天命を受けた。
『彼シャツで彼のハートをゲットだぜ♡』
「彼シャツ……」
どうやら、体格差や身長差のあるカップルでのみ実行できるそれは、相手のサイズの洋服を着ることで余る袖や裾を眺めて悦ぶというものらしい。何となく、偏見だと言われてしまえばそれまでなのだけれど、イデアがとても好きそうだな、と直感したその嗜好を是非取り入れて少しでも自分に興味を持ってもらおうと作戦実行を決意した。
いつもそのパーカー着てますよね。そんなに着心地がいいんですか? ちょっと僕にも着させてください。
予め用意したセリフを何度も反芻しながら校舎内の廊下を早歩きで通り抜ける。今日は部活が休みで、且つラウンジのシフトも調整上休みにしていたものだから珍しく時間は十分にあった。先刻ばったり会ったケイトから、今日は出席必須の授業があったから生身で来ているはずという情報を得て、今こうして校舎内を探し回っているのだけれど。こういう時に限ってばったり出会うという事がないのは何故なのだろうか。イデア曰く、物欲センサーという、欲しい物ほど容易に手に入らないという自動試練生成機能のようなものが人間には備わっているらしいので、もしかしたら会いたいと思う時に限って出会えないのはそのせいなのかも知れない。
部室を覗いてみるけれど、案の定もぬけの殻。購買でお菓子を買っているかも知れないと覗いてみるけれど、そこにもいない。中庭の猫たちの所だろうか。うろうろしている内に随分日も暮れてしまったし、急いで覗いてみよう。渡り廊下を足早に抜けて、中庭に出てみるけれど、やはりそこにも姿はなかった。
もう部屋に戻ってしまったのだろうか。仕方なしにイグニハイドの方へと方向転換しかけた時、くしゃん、と小さなくしゃみの声がしてふと足を止めた。中庭の奥、建物の陰に誰かがいるらしい。暗くなり始めた空のせいで視界があまりよくはないけれど、ぽつりぽつりと話し声がして、そのひとつが何となくイデアのそれに聞こえたものだから、気付かれないように近付いてみることにした。
「っくしょ!」
「大丈夫でござるか~……火出す?」
「焚火なんかしたらめちゃくちゃ怒られますよ……」
「ですよね~。じゃあせめて部屋に帰」
「今は無理です」
「そっかあー。うーん、とは言え拙者の部屋はちょっとなあ……」
やはり、話し声の片方はイデアだ。聞き間違えるはずなどない、独特のしゃべり方とその声。話し相手のその声にも大変に聞き覚えがある。滑らかで抑揚があまりないその低音はジャミルだ。こんなところで隠れてこそこそと何をしているのかと様子を伺うけれど、状況まではよく分からない。
「て言うかいいですよ、イデア先輩は帰ってもらって」
「えー……だって拙者のせいでもあるし、ほっとけないでしょ」
「もう暗くなってきたんで」
「待って待って」
建物の陰から足音がして、二人が出て来たのに気付き咄嗟に近くにあった木に隠れてこっそりと様子を伺い見た。中庭の明かりや校舎の明かりが二人を照らし、浮かび上がったその姿に思わず息を飲む。えっ、と声を上げそうになったのを両手で塞いでやり過ごした。
ジャミルが羽織っているのは、イデアが愛用しているパーカー。大きめのそれはイデアよりも少し小さいジャミルが着ると更に大きくて、指先すらもすっぽりと覆ってしまっていた。それを、彼はどう見ているのだろうか。指先すら出なくて可愛いと、そんな風に思うのだろうか。なぜこんな状況になったのかは分からないけれど、ジャミルはアズールと同じくらいの身長であるし、指先まですっぽり入っちゃって可愛い、なんてものはアズールにだって言えるはずだ。それを、ジャミル相手に思われるのはどうしたって許し難い。いや、率直に言うと。
「何でジャミルさんがイデアさんの上着着てるんですかっずるいですっ!」
これに尽きる。
突然現れたアズールに驚いた二人は飛び上がらんばかりに目をむいてアズールを見て、険しい顔の彼にクエスチョンマークを沢山飛ばしていた。
「ど、どしたのアズール氏こんなところで?」
「お前何怒ってるんだ?」
「何してたんですか二人であんなところに入ってこそこそと!!」
つかつかと歩み寄ってジャミルが着ているパーカーを引っ張ると、それは案外簡単に脱げてしまって、下から現れたジャミルの制服にあれと思う。よく見ると彼の手にはジャケットが掛けられ、パーカーの下から出て来たベストとシャツがびしょ濡れになっていた。
「……どうしたんですかこれ?」
問い掛けはぷいとそっぽを向くことで回答を拒否されてしまった。代わりに、パーカーを貸してあげているせいか、よく見掛ける青と黒のボーダーシャツ姿のイデアが申し訳なさそうに割り込んで来る。あのシャツはルームウェアだと言っていた気がするけれど、パーカーを着ているからと最早その下に制服のシャツすら着ていなかったのかと思う。
「あー……拙者が猫ちゃんにあげる水が欲しいな、って呟いたら、そこにたまたまカリム氏がいてですな……親切心でお水を出してくれまして。咄嗟に猫ちゃんにかからないようにジャミル氏が猫ちゃんを避難させてくれようとして」
「オアシス・メイカーを被ったんですね……」
「大変ご立腹ゆえ、いま寮に返すとカリム氏と喧嘩になるのではないかと」
それはいつもの事なのでは、と思うけれど、自分発端で始まる喧嘩をみすみすスタートさせるわけにはいかないという謎の気遣いが発動していたらしい。アズールが引っ張ったことで脱げてしまったパーカーから袖を引き抜いたジャミルがアズールの腕の中に収まったパーカーを見て、それからアズールの顔を見てにやりと笑った。
「そんなに着てみたかったのか? 悪かったな、俺が先に着ちゃって」
「べ、別に気にしませんけど!? 僕はこの後幾らでも機会がありますから!」
「はいはい。先輩すみません、そいつがそれ放さないんで洗って返せなくて」
「僕のせいにしないでくださいっ」
「あー、全然いいよ」
「ありがとうございました。じゃあ俺、帰ります」
「んー。風邪ひかんようにね」
頭を下げたジャミルが踵を返す瞬間、にやりと意地悪く笑われたことに再び眦を釣り上げながら立ち去る背中を奥歯を噛んだまま見送る。
「ほんで、アズール氏どったの?」
「えっ、いや、その……」
手を振ってジャミルを見送っていたイデアがアズールに視線を移して首を傾げられ、思わずパーカーを抱き締めたまま慌ててしまった。この状況下では、あの練習していたセリフは使えない。かと言って、ジャミルが脱いだばかりのこれを着るのは癪に障る。どうしようかと考えあぐねていると、ふと笑った気配がしてイデアを見た。
「上着、ジャミル氏が着ててずるいって意味わかんないけどなんだったん」
「いや、あれは、」
「パーカー着てみたいなら拙者の部屋に同じやつのストックがたくさんあるゆえ~」
え、と聞き返すよりも早く歩き出した猫背を眺めながら、これは部屋に行ってもいいというお許しであるのかと理解して慌ててその背中に付いて行く。隣に並んで校舎内に入り、明るい所で盗み見たその頬が少し赤くなっているように見えたものだから。わざと肩がぶつかるくらいに距離を縮めてその顔を覗き込んだ。
「知ってます? 相手の洋服借りるのって、『彼シャツ』っていうらしいですよ」
照れる横顔をほんの少し揶揄ってやろうと、彼、という言葉に意味を含ませてそう言うと、笑って細くなった月の瞳がアズールに降ってくる。
「そりゃあ知ってるでござるよ〜。で、この後キミには幾らでも着る機会があるんでしょ? 『彼パーカー』」
意趣返しのように笑ったそれに、今度はアズールが頬が赤くなる番だった。