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    ワンライ「汗」 星降る晩の鏡の前で、ワインと涙とロバの血を硝子の小瓶で混ぜ合わせ──……



     どうやったって飛行術は僕の人生に必要がないものだと思う。だってそもそも移動するなら車や飛行機を使えばいいし、何より転送陣や鏡があるのに何故わざわざこんな不安定な箒なんかに跨って移動しなくてはならないのか。理解できん。
     僕らを照らして来る西陽すら憎らしくて、じわじわと汗をかいた額をジャージの袖で拭う。最近は随分気温が高くなることも増え、屋外の授業中はシャツや体操服がじっとりと汗ばむくらいだ。今日は特に暑く、もう夕方だというのに中々気温が下がらない。
    「あづい……」
     ぽつりと呟いて溜息を吐いた。恐らくあと一度浮遊ができればもう今日はこれで終わりのはず。あと少し、あと少し、と自分を励ましながら、再び滲んだ汗を拭……こうとしたら、顎の辺りで何かにぶつかった。そちらへ目をやると、少し低い所からブルーグレーの瞳がきょとんと僕を見上げている。
    「……何してんの?」
    「いえ、汗をかいていたものですから」
    「え、うん。そうだね」
    「拭いて差し上げようと」
    「タオルもないのに?」
    「はい」
    「その小瓶、何するつもりだったの?」
    「ですから、汗を拭いて差し上げようと」
    「????」
     何を言っているのかよく解らない。
     いや、汗を拭いてくれようとしたのはもう解ったけれど、そう言ったアズール氏の手にはタオルやハンカチ等ではなく、人差し指一本分くらいの大きさの小瓶が摘ままれていて、どうもそれが顎の汗を拭おうとした僕の手にぶつかったものの正体だったらしい。
     それにしても、拭いてあげようと言っているのに小瓶を差し出して来るとは一体。その小瓶の用途はどう考えても、僕の汗を入れようとしたとしか考えられなかった。
    「なに、何なの?」
    「アーシェングロット!」
    「はい!」
     身体を縮こませて怯える僕に何かを言いかけたアズール氏だったけれど、タイミング悪くバルガスに呼ばれてしまったものだから、僕を一瞥もせずに駆け出し、実技をスタートさせる。必死な表情で数十センチだけ浮いた後輩を、訝し気に見詰めた。



     とかいう事があったのが二日前。今日は体感型ゲームの申し入れがあり、卓球やら野球やら、ダンスやらを一通りやらされ、汗だくになった所にまた例の小瓶が登場した。
    「何なの?」
    「汗を拭いて差し上げようかと」
    「いやいいよ、どう考えてもそれ採取じゃん」
    「まあまあ、そう言わず」
    「絶対ろくなことに使われないでござる!」
     どう考えても何かの研究に使うのであろう未来しか見えずに部室から逃げ出し、今ようやく部屋に戻って来たところ。不思議そうなオルトを横目に、汗と体温が篭ったパーカーを脱ぎ捨てた。
    「兄さん随分汗かいてるね」
    「アズール氏が何か変な研究に僕の汗を使おうとしててさあ……」
    「変な研究?」
    「ん~、何だかよくわかんないけど。シャワー浴びるね」
    「行ってらっしゃい」
     首を傾げながら脱ぎ捨てたパーカーを拾い、ランドリーバスケットに入れてくれたオルトに見送られながら、部屋に備え付けられたシャワールームへと入る。
     大体いつもは研究内容をあらかじめ共有してくれたりするのに、今回は珍しく内容を伏せたままあんな凶行に出るものだから、流石に何もわからないままで協力するのは怖かった。彼はあれで毎回ポジティブな調薬だけをするわけではなし、何かネガティブなものである可能性がある以上、説明なしに協力するのは絶対に回避したい。

     部屋に戻り、スピーカーの電源を入れる。このスピーカーに繋がっているのは、学園の敷地内にこっそり設置してあるアンテナから入る音声だ。決して盗聴ではない。単なる傍受だ。ちなみにカメラもいくつか設置してある。これは学園公認のものだ。傍受ではない。
     それはさておき。あちこちチャンネルを切り替えて幾つかの会話を撫でて、ふと手を止める。
    『……シェング……のやつ、成功したのか?』
    『薬はで……たっぽいけど、これか……臨床実……って。もう少し待て……さ』
    『すげ……ぁ、……れ薬も作れ……ろ……』
     随分電波が悪い。どうにか会話を繋ぎ合わせて、浮かび上がったワードにはっとした。これは、ポイントカードを使ってアズール氏に何がしかの薬の調合を頼んだ生徒達の会話ではないだろうか。内容は恐らくこうだ。
     “アーシェングロットに頼んだものが成功したのか?”“できたけれど臨床実験をするから待てと言われた。”どうも、彼らの会話はこんな内容のようだ。では果たして、その薬とは。
    「……惚れ薬?」
     いくらポイントカードでの依頼だからと言って、惚れ薬の開発をしていたとは。なるほど、薬自体はできたから、あとは相手の体液か何かが必要だったのだろう。臨床実験をするための相手の。
    「はー……理解理解。アズール氏友達いないもんねえ……」
    「兄さん?」
     上裸のままゲーミングチェアにどかりと座って、さてどうしたものかと考える。恐らく、双子相手に使う訳には行かず(効果が見えづらいという判断だろう)、第三者でのテストしてみたかった。が、アズール氏が気軽にそれを頼めるような相手が思い当たらず、拙者の所へ来たのだろう。魔法薬の開発をしているならば解除薬も一緒に準備しているだろうから、もし使われたところで問題はないのだろうけれど。
    「……」
     断りもなくそんな事に使われるのは面白くはない。左の指先でむにむにと唇をいじりながら、明日も来るであろうあの小瓶の対策を考えた。



     案の定やって来た小瓶は、今日もアズール氏の手袋の手に摘ままれている。最早隠す気はないらしく、にこにこしながら中庭の陰にあるネコチャンスポットまでやって来た。
    「こんにちはイデアさん。今日も暑いですね」
    「うん……まあ、」
    「汗はかいていませんか?」
     もう面倒になったのか、随分ダイレクトに投げて来たその質問に苦笑して、開き直るように地べたに座り、校舎の壁に寄りかかってアズール氏を見上げる。
    「魔法薬の開発ですか~。ていうか、説明もなしに協力させるのは非常識なのでは~?」
    「おやバレてしまいましたか。だって説明したら貴方協力してくれないでしょう」
    「開き直るのが早い。まあしませんけど」
    「どうしてです? 解除薬もありますし、一時的なものです」
     数日前アズール氏が図書館で調べていた内容を、昨夜カメラの映像を使って調べてみた。するとそれは、薬の中に相手の体液を混ぜて飲み込めば、相手はたちまち薬を飲んだ人間に惚れてしまう、という代物だった。治験をしなければという事であれば、僕の汗が含まれたその試験薬を誰かが飲むということ。
    「そもそも拙者の汗なんか取って、誰がその薬飲むわけ?」
     まさかと思うけれど、自分で飲んで試すつもりなのだろうか。挑発するようにそう問うと、きょとんとしたブルーグレーが僕をじっと見下ろした。
    「僕が飲みますが?」
    「あ~~~はいキタコレ残念~~~じゃあそれはテストにならんでござる~~」
    「は?」
     そもそもキミが誰かのために惚れ薬なんて下賤なものを作って、それが完成したらもしかしてキミがどこぞで使う可能性もあるわけで、そんな可能性に協力なんて絶対にしたくない。まあそれはそうだし、そもそも。
    「拙者の汗を採取してキミが薬に入れて飲んだところで、効果は出ないでござるよ~」
    「どういう事ですか?」
    「だって惚れ薬デショ? 元からキミの事が好きな僕に使っても効果は出ないじゃん」
     残念でしたプププ、と言わんばかりにそう告げて立ち上がる。ネコチャン達にもご飯はあげたし、協力はしない。協力もしないし、他の人と試すなんて事があったら全力をもって邪魔してやるという強い意志と共に、小瓶に視線を落としたアズール氏のつむじを見詰めた。
    「……」
     ん。なんか。あれ? これでよかったんだっけ。拙者いま何か、大事な事を勢いに任せて口走ってしまったような。
     俯いたアズール氏は何だかとても居心地が悪そうにもじもじと指先を動かして、それまでの声量とは全然違うそれで呟いた。
    「僕が作っていたのは、知識増加の薬です」
    「ん?」
    「ですから。知識増加の薬です。体液を混ぜた薬を飲むと、対象の人間の持つ一定ジャンルの知識が一時的に共有できるようになるものです。ですから、イデアさんの汗を頂いて薬を作って僕が飲むことで検証をしようと、思ったんですけど……」
     尻すぼみになるアズール氏の声と連動するように僕の頭のてっぺんからもさあと血の気が引いて行く。代わりに噴き出した冷汗に、先刻までの自分の行動をひどく後悔した。
     え、じゃあ、何? 僕は勝手にアズール氏が惚れ薬を作ってると思い込んで、自爆しただけの間抜け野郎ってこと? い、いやでも、数日前アズール氏が図書館で調べていたページの内容も確認したし、魔法薬生成の時の防犯カメラで詠唱も確認した。間違いなく、惚れ薬だったはず。
    「な、んで、だって、図書館G-3、白耳族の秘伝魔法だよね? 詠唱だって、」
    「白耳族に伝わる魔法は総て同じ詠唱です」
     ページを見間違えたということか。同じ詠唱と、ターゲットの体液を使う魔法薬調合が別にも載っていて、それがその知識増加の薬だったと。
    「………」
    「あの、イデアさん」
    「はい……」
    「僕の事好きって……本当ですか」
     手袋の指先は相変わらずもじもじと小瓶を動かして、ちらと持ち上がった目尻が赤くなっている。その内じわりと耳の先まで赤くなり、思わず僕はごくりと喉を鳴らした。あれ、この反応ってもしかして。アズール氏も満更じゃなかったりして……?
     ばくんばくんと大きく音を立てる心臓をどうにか宥め透かしながら、一度大きく息を吸い込んで、見上げて来る蒼い瞳に改めて恋をした。



     アズール氏はあの後無事に納品を終えたそうだ。
     例の生徒たちの会話は「知識増加薬が作れるなら、惚れ薬とかも作れたりして」という冗談の会話だったらしい。会話を分析したオルトが後で言っていた。最初からオルトに聞いておけばよかった。いや、聞かなくてよかったのかもな。
    KazRyusaki Link Message Mute
    2021/06/22 22:35:54

    ワンライ「汗」

    ##ワンライ

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