麺×$ にゅーいやー!リドル、カリム、アズールからなるユニットは地下アイドルではトップクラス。最近は地上波バラエティ(と言ってもド深夜の視聴率1%にも満たないような番組だ)の仕事も少しずつ増え、じわじわと支持を増やし、夏を迎えた頃に出した新曲が奇跡のヒットを飛ばした。
活動五年目にして初めてオファーが来た年末の大型音楽番組「赤白音楽祭」へは満を持しての出演だった。とは言え、毎年用意されている話題の新人枠としてほぼみそっかすのような扱いだ。失敗したところで赤組の痛手にはならないし、誰からも何とも言われず、ただ、「さすが地下アイドル」と冷笑を浴びせられるだけだろう。
それでも、平均視聴率が20%を越える番組はここ最近は他にないし、オタク以外に存在を知らしめるいいチャンス。
「いつものオタク相手のパフォーマンスではなく、一般ウケを意識しましょう」
「例えば?」
「媚びすぎない、ダンスはキレよく、歌も完璧に」
「さすがリドルさん」
出演時間帯の視聴層や傾向、相手のチームの前後出演者、流れや司会の好み、その他諸々。予め対策できる事は総てやった。地下アイドルの現場に通うようなオタクだけでなく、もっとライトな層へのアプローチをし、認知され且つ応援してもらわねば成功の道はない。三人は頷きあって、作戦会議を続けた。
問題があるとしたらひとつ。
アズールはお手洗の個室で手早くスマホを操作した。受信していたメッセージを表示させ、僅かに表情を曇らせる。
『前後らしいですぞ〜』
主語がなくても何を指しているのかはすぐに分かった。例の音楽祭の件だ。
送信者は、イデア・シュラウド。三年前から毎年このイベントに出演している、売れっ子バンドのメンバー。であり、アズールの恋人だ。
万が一のことを考えて出演順は遠い方が良かったのだけれど、まさか前後とは。とは言え、関係が気付かれるようなヘマは絶対にしない。ここまで積み上げたものをふいにするわけにはいかないのだ。一度深呼吸をして、決意を固めたメッセージを彼宛に送信する。
『赤白が終わるまで連絡を取るのはやめましょう』
送り終えたそのまま、イデアの連絡先をブロックした。これでいい。今は恋愛なんかにうつつを抜かしている場合ではない。僅かなチャンスを掴むか失くすかの二択勝負に負けるつもりはさらさらなかった。
メッセージを読んだあとにブロックされたと気付いたイデアは、自室でスマホを眺めながら苦笑する。何となくそう来るだろうと思っていた。如何せん彼女は潔癖なのだ。お付き合いだって、散々ごねられてごねられて、ようやくウンと言わせたのに、そんな彼女がこの大舞台を前に余裕でイデアに構っていられるとは思っていない。
「は〜、拙者って健気〜」
くつくつと笑いながらスマホを放り投げ、ギターを抱えた。こう言う事があると曲のヒントになるんだよね。なんて即興曲を口ずさみながら、がんばってを音符に乗せた。
迎えた当日。アズール達のパフォーマンスは完璧だった。ゼェゼェと肩で息をしながら袖に引っ込む。MC席では学生時代の先輩であるヴィルがアズール達のユニットを褒めてくれていた。
「ヴィルが褒めてくれるなんて珍しいな……」
一番体力のあるカリムですら、やや息が上がっている。そうだねと頷いたリドルが酸素吸入をしながらヴィルの様子をモニターで眺めていた。早く楽屋に戻ってSNSの反応をチェックせねば。それから直後のレポートとして写真のアップと、コメント動画と。今の内にやらなくてはならないことがあるはずなのに、酸素の足りない頭がついて行かない。スプレー缶から酸素を思い切り吸い込むと、にわかに楽屋口が騒がしくなった。
「通ります!」
ADが声を上げ、足元を照らす。MC席まで誘導するスタッフに気を取られていると、ふわりと香水が香った。それに呼ばれるように顔を上げると、バッチリメイクにフル衣装のイデアが今まさに目の前を通り過ぎようとしていたところで。僅かに下げられた目線がぶつかった。
青紫のシャドウに彩られた色白の顔がふと和らぎ、微かな声で「おつかれさま」と囁かれる。それは絶対にアズールにしか聞こえていなくて、アズールにしか見えない顔。そのままスタスタとステージに向かい、袖から出た瞬間に大きな黄色い歓声に包まれる。
正直、アズール達の時とは声の大きさが全然違うけれど。先刻の労いにきゅうと締め付けられた胸が未だどきどきしていた。
「アズール、戻るよ」
リドルの声がアズールを呼び、急激に現実に引き戻される。そうだ。まだこれからやらなくてはいけない試作がある。慌てて楽屋に向かって駆け出した。
SNSへの写真投稿、テキストも適宜。それから別のプラットフォームにショート動画。この本番が終わった後にでも、三十分だけ生配信を予定しているので、その告知。仕込んだあれこれをこなし終えたところで、番組の終了時間があと15分となり、グランドフィナーレのためにスタッフが楽屋に呼びに来た。メイク直しと衣装直しをしてもらって、慌ただしい廊下をスタッフと共に駆け抜ける。今正に大トリである大物歌手が豪華なオーケストラを引き連れてサビを歌い上げているところだった。
「……かっこいいなあ」
「いずれあんな風になれるといいね」
カリムとリドルが袖から大物歌手を見詰めている間、アズールはとにかく次のアクションを考える。立ち位置はもう決められていて、アズール達のような新人アイドルは一番後ろの雛壇にすらなっていないような場所。近くには実力派女性シンガーや、アイドル上がりのソロダンサー。衣装の系統はかぶっていない。ならばこのレースをあしらった黒いミニスカートドレスに首に巻いたお揃いの赤いリボンは絶対に目立つ。華やかな衣装が多い中で敢えて黒系を選んでよかった。
「ステージ開けます!」
大物歌手が歌っているステージとは真反対のステージでフィナーレの準備を進める。誘導されるままに立ち位置まで移動して、顔を上げた。メインステージで行われている圧倒的なショーに、客はみんな釘付けになっている。
いつか、なんて曖昧な未来ではなく、絶対にああなってやる。アズールは薄いピンクの唇をきりりと噛んで、ライトに包まれた主役を睨み付けた。
「抜かれるでござるよ〜」
ふと、背後から聞き覚えのある話し方がして、慌てて振り向く。ぱちりと目が合ったのは声の主ではなく、イデアのバンドのヴォーカルだ。頭に着けた角の飾りがいかつい。
険しい表情をしていてカメラに抜かれては大変だと、アズールの後ろを通り過ぎたイデアは指摘したのだろう。
「失礼」
柔らかな声がして思わず飛び退いた。アズール達は確かに赤組の最後列の端で、すぐ右隣は白組のアーティストだったはずだけれど、名前も知らない駆け出しアイドルグループだったはずだ。それが何故。
「隣、マレウスさんでしたっけ?」
「代わってもらった。前の方は眩しくて」
そんな。身勝手な理由に呆れていると、大物歌手の歌唱が終わり、いよいよこちらのステージの照明が焚かれた。急な眩しさに思わず目を閉じかけるけれど、どうにか堪える。プロのアイドルたるもの、照明に負ける訳にはいかない。
「まぶし……」
「焚き過ぎでは〜?」
思わず隣を盗み見ると、堂々と両目をつぶっているマレウスと、その向こうに顰めっ面のイデアが目に入って、思わず笑ってしまった。つられたリドルとカリムもアズール越しに2人の様子を見てクスクスと笑う。
ステージ前方では総合司会が台本の通りに場を進め、MC達が相槌を打ち、大団円の空気が作り出された。
いよいよ最後だ。出演直後のSNSの反応は悪くなかった。同性からの支持も多かったし、動画の再生数もそこそこ。これをフックに絶対にのし上がってやる。持ち上げた目線の先には、いくつもの照明と、客席に輝く数多のペンライト。
『今年の優勝は、赤組!』
総合司会の声にわっと会場が沸き立った。カリムは心底嬉しそうに飛び跳ね、リドルはほっと胸を撫で下ろしている。そもそも今年は女性アーティスト飛躍の年であったから、赤組優勝は間違いなかっただろうに、なんて可愛くないことを考えつつも、カリムに倣って嬉しそうに跳ねてみた。こう言う素直なリアクションのお手本が近くにいるのはとても助かる。
『それではカウントダウン! 10! 9!』
新年を迎えるためのカウントダウンが開始された。アーティストがそれぞれ手で数字を作ったり手拍子をしたりして新年への旅立ちの支度をする。
『8! 7! 6!』
アズールは胸の前で手を叩き、この光景を強く記憶に刻み付けていた。今年だけで終わってなるものか。来年も、そのまた次も、女性アイドル最多出演を狙ってやる。手拍子をやめ、野心を秘めた胸に左の掌を当てて誓うように深呼吸をした。
『5! 4!』
ふと。右の袖をくんと引かれ、思わず腕を下ろす。後ろはもうタテ壁で、スタッフも人の出入りもなかった。顔を逸らさずに目だけで確認した指の先。
『3! 2! 1!』
マレウスの背中を通ってアズールの指先を捕まえていたのは、骨ばった白い指先。ギターを奏でる大きな手。目線を上げれば、気だるそうな表情のまま、カメラから視線を外してはいなかった。
『ハッピーニューイヤー!!』
ドン、と爆発音とともに発射された金銀のテープの中、いつの間にかアズールの右手はイデアの左手に捕えられる。離すまいとするように。きつく交差した指に力を込めた。二人とも決してカメラから視線を外さず、けれども新年を迎えたその瞬間。
互いの利き手は互いの手の中に。今年も誰も知らないところで、ずっと手を繋いでいられますように。
ॱ॰*❅HAPPY NEW YEAR❅*॰ॱ