此方いつかの管制塔 明かりの落ちた劇場を背に、淡い冬の香りが残る夜気の中を崚介とふたり並んで歩き出す。すでに営業時間外となっているショッピングモールはしんと静まり返っていて、防犯上必要な照明がぽつりぽつりと構内を照らしているだけだった。
ジェネシスの日本凱旋公演の開演まで残り一週間。およそ一年ぶりに訪れるアートシアターつばさでの今日の仕事を終え、公演期間中の宿舎として使用しているホテルへ向かう、(正確には敷地外に手配したタクシーへの)その道すがらである。
この景色のなかを彼と隣りあって進むのも、随分と久しぶりだ。施設の営業時間はとうに終了しているが、日を跨ぐほどではない。日本に帰国したばかりのこのタイミングで、日付が変わる前に宿舎でひと息つくことができるなら順調だろう。
二人分の靴音が、知った調子で耳朶を打ち心地好く胸裡を揺らす。
つかの間の息抜きになにか他愛のない話でも、と確かに思考の片隅で思うのに、やわらかく降りた沈黙に身を浸していたくもある。どうしたものかと彼の横顔にそっと目を遣れば、レンズ越しに彼のひとみと視線が噛み合う。かちり。
「どうした」
「……いえ、」
「そうか」
ひそやかなテノールが、うすい笑みの気配を帯びているように感じたのは気のせいではないはずだけれども――それきりまた口を噤んで前を向いた彼も、自身と同じ気持ちでいるのだろうか。
彼のととのった輪郭を、点々とともる街路灯の明かりが茫洋と照らしている。澄んだ外気に滲むあわい光の向こうに、夜の帳のなかを緩やかに上昇していく航空灯が見えた。遠い離陸音。知らず、彼とともにそちらへ意識を向けていた。
自身と彼がこのモールにジェネシスの活動拠点を構えることに決めたのは、新設の劇場で最新設備が整っている点はもちろんながら立地条件も理由のひとつだった。
空港にほど近い大型の商業施設とあって、劇場のそばを行き交う人々の国籍もさまざまだ。プロモーションの打ち方次第では、ブロードウェイやウエストエンドで目を肥やした海外の観客を引き込める可能性もある。この点を特に気に入ったのは崚介で、ここが海の向こうに繋がっていると肌身に感じながら舞台に立つことができる環境は、他の候補地にはない魅力だったろう。
背後で静かに佇む劇場へ、肩越しにわずかに振り返る。アートシアターつばさ。広くはないが隅々まで洗練された佇まいのこの劇場を拠点に選んだとき、――実際のところ、自身はなんの未来も思い描いてはいなかった。後ろ暗い感情をつくりものの笑顔の下に押し隠して、過去を清算したあとのことなどなにも考えていない、はずだった。
「灰羽」
緩慢に足を止めた自身を、彼のテノールが呼ぶ。
過去だけを見ていた自身が目的のために手を取ったときから、彼は、そして彼らはずっと、ひたむきに前だけを向いていた。自分でも気付かぬうちに明日を望んでしまうほどのまばゆい熱は、復讐の念が過ちだったと知った今もなお、変わらず傍らにあり続けている。
かつての日々を知る場所をほんのしばらくのあいだ眺めたあと、ぽつり、呟く。「良かったです」
「ここに、帰ってくることができて」
「……、」
彼がこちらをそっと見上げたことを、頬に向けられた視線で感じる。数瞬のインターバル。
「……そうだな」
遠のいていく銀翼の離陸音に、静かな彼の応えだけが溶けた。
***
20240912Thu.
//HappyBirthday,dearTakuma!!