代理決闘 談話室の一角に小さな人だかりが出来ていた。その中央にはテーブルがあり、そこで二人の男がバックギャモンで対決している。
難しい顔で盤面を見ているのはヘルムート・チェルハ、怒ったところを見たことがある人間などほとんどいないくらいには穏和で人当たりのいい騎士である。また、基本的にはゲームに強い男であり、先日の勝負の際には快勝している。
一方、ゲーム盤を挟んだ向かい側、余裕のある表情でヘルムートの様子を観察しているのはジェラルド・バイロンという騎士だ。顔の左側にある火傷が人相を悪くしているが、気質としてはむしろ平和主義者というか、口さがない者には臆病者と誹られるようなことすらある男だ。ヘルムートを快勝させた──つまり惨敗した──のは彼であったが、今回は明確に有利なゲームを展開している。
「ヒット」
静かな声がそう宣言し、それを聞いたヘルムートは舌打ちをした。己の駒をひとつ取り上げバーの上に置く。これで三度目、いつぞやの展開とまるで同じ──立場は逆──だ。
「チェルハ卿、ブロットを作らないのは基本だったのでは?」
「わかってるよ」
どうも今日は女神様に見放されてるみたいだ、と手の中でダイスを転がしながら愚痴ったヘルムートは、一度それを握り締めてからカップに放る。
「うえ、」
「ダンスですね」
「勘弁してくれよ……」
周囲のギャラリーに囃されながら己の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜたヘルムートは、ふと談話室の入り口の方を見て目を細め、次いでぱっと表情を明るくした。その視線をジェラルドも追う。
「デミトリ! 待て、ちょうどいいところに!」
ちょっと待っててくれと席を立ったヘルムートは、小走りに談話室の入り口へと走ってゆく。その先にいた男はあからさまに面倒そうな顔をして立ち去ろうとしたが、ほとんど無理矢理肩を組まれて連れてこられる。
ディミトリエ・フェニングである。愛想の欠片もない表情のその男はヘルムートと並ぶと余計に陰気に見えた。所属する部隊も気質もまるで違うがヘルムートとはそれなりに付き合いが長い。その背を無理矢理押して椅子へと腰掛けさせると、ヘルムートはジェラルドに笑みを向けた。
「というわけで選手交代だ」
「待て、了承した覚えはないぞ」
「まあまあまあ」
ヘルムートはジェラルドに向かって招くように指を動かしてみせる。ジェラルドは戸惑いながらもダイスを投げ、今度はヒットせず駒を進めるだけにとどまった。それを満足げに見たヘルムートは、ダイスをテーブルから取り上げると無理矢理ディミトリエに握らせた。立ち上がろうとする体を押さえつけ突き返そうとする手を握り込み抵抗を封じながら──こめられている力は本気だ、大人げない──、子供がおもちゃでもねだるようにディミトリエの顔を覗き込む。
「勝ってくれたら、」
それから耳元に口を寄せて何事か囁くと、ディミトリエの眉がぴくりと動く。それから長い溜め息を吐くと、立ち上がろうとするのをやめてジェラルドの方を見た。ディミトリエのその目は紫色をしていて系統としてはヘルムートと似ていたが、彼よりも静かで淡く、深く霧がかるような色をしている。
「よろしいかな、バイロン卿。この男は我輩を戦わせるつもりのようだが」
「……構いませんが」
了承したジェラルドは、だが、背筋がぞわりとするのを感じた。了承するべきではなかったかもしれない。無造作に転がされたダイスを見て、ぐっと眉を寄せる。ぞろ目だ。
「ヘルムート、陣がまるで殲滅戦の後だ」
「まともな目が出なかったんだよ」
ディミトリエは溜め息を吐きながら取り除かれていた駒をすべて盤上に戻す。それに加えて、ヒット、と低く囁くような声に従いジェラルドが己の駒をひとつ取り上げて盤上から除いた。良くない雲行きだ。ディミトリエの登場で少し熱の冷めていたギャラリーが、ひそひそと言葉を交わし始めた。
ディミトリエのダイス目は異常と言っていいほど良かった。先ほどまでの流れが嘘のように変わり、ギャモン勝ち寸前だったジェラルドは徐々に渋い表情になってゆく。……バックギャモンは確かにダイスにも影響されるが、本質的には戦略が重要なゲームだ。だというのにディミトリエのダイスはそれを滅茶苦茶に踏み荒らしてくる。
戦況を見ているヘルムートは機嫌良さそうに口角を上げていた。ヘルムートという男は基本的にとても自分の能力に自信のある男で、それは誰が相手であれ変わらないが、そのヘルムートが素直に負けを認めるのが「ディミトリエ・フェニングの強運」だ。運なんてものは証明不可能であるし信じるのは阿呆のすることだとヘルムートは思っているが、ディミトリエのそれについては信じざるを得なかった。この長い付き合いで、彼の運を信じて負けたことはない。
またディミトリエがダイスを投げる。その出目を見て、ジェラルドが悲鳴とも呻きともつかない声をあげた。