獅子の騎士まとめP.2 ジェラルド卿に指を献上することになった『皆殺し』
P.3 ウォルター卿に勧誘される『皆殺し』
P.4 ウォルター卿に勧誘される『皆殺し』2
P.5 ウォルター卿に勧誘される『皆殺し』3
■ジェラルド卿に指を献上することになった『皆殺し』
※この話ではサイモン卿@うるいさんも反体制想定
──己の指が、切り飛ばされるのが見えた。その直後に傷口を焼かれるような激痛。
しかし男はまったく怯まず、指が揃っている方の手で相手の喉笛を鷲掴みにした。そのまま思いきり体重をかけて押し倒し後頭部を床へ打ち付け、胸に膝で乗り上げる。
「サイモン、布!」
はっと我に返り駆け寄ってきた青年は取り出した布を男の手へ当てようとしたが、頭を振られる。
「違う、口!」
なにか言いかけるも結局は言わず、青年は布を丸めると朦朧とした様子で床に縫い止められているジェラルド・バイロンの口へとそれを押し込んだ。自決防止だが、あまり必要はないだろう。
ゆっくりジェラルドの胸から降りる男の右手から、指が二本ほど消えている。断面から血は出ていない。その代わり、肉の焦げる臭いがしていた。
「ヘルムート卿、」
ジェラルドを拘束していた青年が、なにか小さな、ウインナーのように見えなくもないものを床からそっと拾い上げる。男は静かに頭を振った。
「傷口を焼かれた、もう無理だろう。捨てておけ」
青年に背を向け、床に転がっている己の戦鎚を拾おうとする男。三本だけの指で持ち上げようとすると手が震え、ある程度持ち上がったところで滑り落ちけたたましい音をたてた。
男はなにも言わなかった。青年もまた。
ただ、大きく深呼吸をした男の唇は、少し震えているようだった。その震えは一瞬で止まったため、恐らく誰にも気付かれることはなかったが。
「だから生かすのは殺すより難しいって言ったんだよ、まったく」
何事もなかったかのように指が全部揃った方の手で戦鎚を拾い上げ、男は笑顔で青年を見た。
「じゃ、そいつ連れてあいつのとこ帰るか」
「はい」
ジェラルドを引っ張り立たせる青年。ようやく意識がはっきりし始めたらしいジェラルドは、男の方を見た。男がそちらを見ることはなかった。
■ウォルター卿に勧誘される『皆殺し』
夜。月は陰り、その野営地はしんと静まり返っていた。見回りの騎士がある天幕の前を通り過ぎていった直後、物陰から現れた人影が音もさせずにその天幕の中へと滑り込んだ。
そこはとある男の天幕であった。ヘルムート・チェルハ。赤子が大人になるくらいの年月を国と民に捧げてきた騎士である。その見た目には厳しさや剣呑さは一切なく、人当たりが良く友人も多い。今は任務で王国を少し離れていたその帰路である。
「御大自らとは俺も偉くなったもんだと感激するべきか、お前の無謀さに呆れるべきか」
そして、特に驚いた様子もなくヘルムートは振り返った。天幕の中に入ってきた人物を見て目を細めるのは、笑みにも見えたし呆れにも見えた。
顔まで隠れるフードつきのローブを羽織ったその人物は、静かにフードを取り払った。現れたのは、本来であれば絶対にこの場にいるべきではない、即座にヘルムートによって捕縛されてもおかしくない顔。ヘルムートよりいくらか年下に見えるその青年は苦笑していた。……そう、笑ってみせたのだ。騎士団、ひいては王国に対する叛意ありとされ追われているその男、ウォルター・ブラッドフォードはこの状況で「皆殺しのヘルムート」を前にして笑ってみせた。
「あんたを口説きに来たんだ、チェルハ卿」
「それはまた物好きな……まあ、久しぶりの後輩との再会だ、これ一杯飲み終えるまでは付き合ってやる」
ヘルムートは机の上に置いてあった杯に酒をなみなみと注ぎ、それからウォルターを見た。……元々男前ではあったが、より精悍な顔立ちになっているように見えた。その全身を眺めていたヘルムートは、杯を手にしたまま顎をしゃくった。
「お前、剣どうした」
「あんたを口説くのに剣は邪魔だ」
「その心は」
「……持ってたところであんたはおれを殺せる」
小さく声を出さずに笑ったヘルムートは杯に口をつけ、一口飲んだ。
「お前の度胸には毎度々々感心するよ。それで? どう俺を口説いてくれるんだ?」
口ぶりこそ軽薄で緊張感の欠片もないが、ヘルムートという男が酷薄で理性的かつ国家への忠誠心強き「黒騎士」であることをウォルターはよく知っている。であるから、余計な手練手管は無駄であろうことも。
「あんたが欲しい」
直裁で単純な言葉だった。ヘルムートが杯を傾ける手を止め、静かな目でそちらを見る。
「あんたの知恵が、力が欲しい」
杯の中身は減らない。
「ヘルムート・チェルハが欲しいんだよ、俺は」
輝く金色の目が真っ直ぐにヘルムートを見ていた。ヘルムートは少しも目を逸らさずにそれを見返していた。ふっと表情を和らげ、また杯を傾ける。
「随分熱烈に口説いてくれるじゃあないか、俺のことが苦手なんじゃなかったのか?」
「今でも苦手だよ、でもそれはそれとしてあんたが必要だ」
「……ふ、」
はは、とヘルムートは笑った。手にした杯が揺れる。一度机へ杯を置き、指で眉間を揉んでからヘルムートは顔を上げウォルターの方を見た。困ったような笑みを浮かべているが、それが本気なのか演技なのかはひどくわかりにくかった。
「ウォルター、俺は夢を見ない」
「だから?」
「……お前ねえ空気読みなさいよ、だから俺はお前と一緒のものは見られないんだって」
ぐっと一気に杯を干そうとしたヘルムートにウォルターが一気に距離を詰め、その腕を掴んだ。天幕の下の温度が数度、下がったような錯覚。
「黒騎士に近付くのは自殺行為だって教えなかったか?」
「殺すつもりならとっくにやれてる筈だろう」
上背のある相手に迫られると視界がほぼ塞がれる。ヘルムートは溜め息を吐くとなにか言おうとしたが、その寸前にぱっとウォルターが身を翻した。
また来ます、とだけ言って天幕から立ち去った相手の残していった足跡をさりげなく靴で消しながら、ヘルムートはまた杯に口をつけた。
「失礼します」
「ああ、どうした?」
若い騎士が天幕へと入ってきたのはその直後で、ヘルムートは顔色一つ変えずその報告を聞きながら杯を空にした。
■ウォルター卿に勧誘される『皆殺し』2
城下からは少し離れた宿の一室。月は薄い雲に隠れ、人々の眠りを見守ってはいない。寝台でぐっすり眠っているように見えた男が、不意に目を開けた。
こん、と小さい音がする。窓の方からだ。
寝起きとは思えない滑らかな動きで寝台から降りた男は、窓に己の姿を晒さないようにしながらそちらへと向かう。そしてそっとカーテンの陰から外の様子を窺い、ぎょっとした様子ですぐさま窓を開けた。
「お前何やってんだ早く入れ……!」
手を差し伸べ迎え入れたのは一人の青年である。迎え入れるやすぐに窓とカーテンを閉め、部屋の扉の鍵を確認すると、男は改めて青年を見た。
ウォルター・ブラッドフォード。元々は聖騎士、今は王国に牙をむく獅子となった男。金色の目が面白そうに男を見ている。
「あんたが慌てるところは初めて見た」
「お前ねえ……」
呆れたように溜め息を吐いた男は、指を鳴らしてランプに火を入れた。少しだけ明るくなった室内で対峙する二人は本来であればこうしてのんびり同じ部屋にいるべきではなく、男はウォルターを捕らえるべき立場の人間であった。
男の名はヘルムート、……「塩撒く」ヘルムート。見た目こそ無害そうな壮年の男であるが、その実従順で苛烈で冷酷な黒騎士とされているその彼が、武器を構えるでもなく眉を下げて目の前の反乱分子を見ている。
「見られたら俺も詰むんだぞ。内通してると思われたらどうしてくれる」
「そうしたらあんたはおれのところに来るしかなくなるな」
「たちの悪い冗談だな。それで? 今日は何だ、出頭しにきたわけじゃないんだろ」
ウォルターはゆるく口角を持ち上げ、ヘルムートはなんとなく察したように顔をしかめると寝台へと無造作に腰かけた。
「あんたを口説きに来た」
ウォルターは勝手に椅子を引くとそこへ逆向きに腰掛け、背もたれに腕を乗せ上半身を預けた状態でヘルムートを見た。子供のような仕草のくせ、表情と眼差しは子供のそれではない。
「しつこい男は嫌われるぞ、お前さんの先輩も言ってなかったか?」
「生憎とおれは諦めの悪さだけでここまで来たんでね」
不敵な笑みさえ浮かべてそう言うウォルターに、虚勢や緊張のたぐいは見えない。自信が、自負が、彼の足をしっかり支えている。
ヘルムートは一瞬目を細めた。若者を見るときによくする仕草だ。眩しげに、いとおしげに、あるいは寂しげに。
「……ウォルター……お前今年で何歳になった」
「三十かな」
三十、三十か、と言いながらヘルムートは目元を擦った。それから静かに首を降る。
「俺が三十の時にはもう後輩が大勢いて、夢を見るのはとっくにやめてた。ただあいつらを死なせたくなくて、そのために出来ることはなんでもやった……今でもやってるが」
「知ってるさ、だからあんたが欲しいんだ」
「……俺を評価してくれるのは嬉しいがね」
先程から、ヘルムートは相手の目を見ようとしない。それに気付かないウォルターではないが、あえて指摘はしなかった。
「チェルハ卿……おれのところに来てくれ。途中でも間違っていると思ったらおれを殺してくれても構わん。だが、あんたを後悔させるつもりは毛頭ない」
堂々とした、落ち着いた響きの声。ヘルムートはそれに対してどこか諦めに似た溜め息を、細く長い溜め息を吐いたが、首を縦に振ることはなかった。
「……こんな生ぬるい状況はいつまでも続かないぞ。今はまだ俺に直接命令が下っていないからこうして甘やかせるわけだが、明日もまだそうだとは限らない、……」
不意に言葉を途切れさせ、ヘルムートは己の髪を乱暴にかきあげた。
「もうお前の『家』はこっちじゃないし、お前は俺の『家族』じゃない」
ヘルムートは立ち上がって窓へと向かうと、外の様子を確認する。それからカーテンと窓を開けてからウォルターを見た。その表情は揺れるランプの灯りではよく見えない。
「お前の仲間のところに戻るんだ、ウォルター」
ウォルターは素直に窓へと向かったが、窓枠を乗り越える瞬間、ちらりとヘルムートの方を見た。
「また来る」
「来なくていい」
短いやり取りを最後に、ウォルターの姿は夜の闇へと消えた。ヘルムートはしばらく窓を開けたまま立ち尽くしていたが、そのうち窓を閉めてカーテンを引く。少しして、ふっ、とランプの火が消えた。
■ウォルター卿に勧誘される『皆殺し』3
キャンプ地から少し離れ、ひとり火をおこして眺めている男がいる。ヘルムート・チェルハ、壮年の黒騎士だ。眠たげな垂れ目が炎を眺めていて、そうして、振り返りもせずに口を開いた。
「来ると思ったよ」
さくさくと草を踏んで近付いてくる足音。炎が照らす範囲に足を踏み入れた青年に、ようやくヘルムートは視線を寄越した。
そこにいたのはウォルター・ブラッドフォード。元聖騎士で、今は……国を乱す大罪人。金色の目が炎を映して燃えるように輝いている。
無防備に近付いてくる彼を出迎えるべく立ち上がったヘルムートは手に持っていた細い枝をへし折ってから焚き火へと放り込み、一瞬後には相手の目前まで距離を詰めてその体を地面へ突き倒すと馬乗りになりその首をとらえていた。勿論ウォルターも無抵抗だったわけではない。だが、体術においてヘルムートと彼とでは圧倒的な経験の差があった。月でさえその攻防を追えなかった。
胸の上に乗り上げられ、首を掴まれ、それでもウォルターはヘルムートから目を逸らさない。下手に暴れもしない。ヘルムートが低く囁くように降らせる言葉をただ聞いていた。
「ついに俺にも命令が来たぞウォルター、ウォルター・ブラッドフォード。王国に弓引く愚か者を捕らえよと」
「……そうか」
ウォルターの喉を掴んでいるヘルムートの手は猛禽の足に似ている。ウォルターが喋る度てのひらに伝わる振動を、その体温を、確かに感じている。
「おれを捕らえるべきだと思ったならそうすればいい。殺して連れて行っても多分問題はない筈だ。あんたはそのどちらだって簡単に出来るだろうに、こうしておれの喉を可愛がるだけで、っ」
ほんのわずかにヘルムートの手に力がこめられただけでウォルターの言葉は途切れる。気道が狭まる。苦しげにもがく体はヘルムートにしっかり押さえ込まれていて、逃れることは出来そうにない。
「ウォルター……その通り、俺はお前を殺せる。『皆殺し』として、騎士として、お前の命を奪うことは正しい。……正しい、が」
そっとウォルターの喉が解放された。ひとしきり咳き込んだウォルターはヘルムートの顔を見上げ、ぱちぱちと瞬きをした。
ヘルムートは笑っていた。苦笑ではなく、自嘲でもなく、普段の、いつもの彼の顔で笑っていた。
「お前がしつこく誘ってくるからさ、悪いことしちゃおうかなって思っちゃったんだよね。責任取ってもらわないとなあ」
言葉の意味を理解したウォルターは、一瞬驚いたような表情をしたあと、じわじわと喜色をその顔に浮かべた。
「ありがとうおじさん! それはそれとして、そろそろ退いてくれないか」
「なかなかいい眺めなんだけどなあ」
ウォルターの上から降りたヘルムートは、片手を相手に差し伸べた。それを掴んで起き上がったウォルターはどこか上機嫌である。
「あんたがいてくれれば百人力だ、よろしくな」
「ま、百人は無理でも並の奴らの五人分くらいは働いてやるよ、任せとけ」
ヘルムートは不敵に笑い、それからキャンプ地の方へ顔を向けた。
「……そういうわけだから悪いな、俺はここで離脱する」
闇の中から現れたのは若い騎士だった。腰の剣に手をかけているのを見て、ヘルムートはゆるく頭を振る。
「やめておけ、お前じゃ俺には勝てない。敵う見込みのない相手に剣を抜くのは馬鹿のすることだって教えなかったか?」
その騎士はどこか悔しげに剣の柄から手を離すと、ヘルムートとウォルターを交互に見て、それから改めてヘルムートを見る。若々しいまっすぐな目。ヘルムートは眩しげに目を細めた。
「その男につくんですね」
「ああ」
短いやり取り。若き騎士は諦めたように溜め息を吐き、深く一礼すると踵を返しキャンプ地の方へ戻っていった。
「……さて、追っ手が来る前に移動するか」
物言いたげにこちらを見ているウォルターに気付いたヘルムートは、軽く肩を竦める。
「お前につくってことはこういうことだ、ちゃんとわかってる」
ほら、早く行くぞ、と促されてウォルターはヘルムートを案内するべく先に歩き出す。その後に続くヘルムートの足取りは散歩にでも行くかのように自然だ。
後に残されたのは揺れる焚き火の炎だけで、ぱちん、と小枝のはぜる音がした。