先輩と後輩 エレイーネには騎士団がある。国の誉れ、民の憧れ、剣であり盾である彼らは日々任務に殉じ、鍛錬に励んでいる。宿舎にほど近い鍛錬場では今日も騎士たちが剣を交え槍を振っている。
その鍛錬場で、黒々とした葡萄酒のような色をした目が二人の若者の手合わせを見ている。感情と呼べるものは奥深くに隠れ、遠見の水晶に似た冷静さがそこにあった。
葡萄酒色の目、褪せた茶髪、ヘルムート・チェルハは騎士である。二十年以上国のために働いてきた黒騎士である。彼の本質はどうあれ、周囲は彼のことを「面倒見が良く」「情深い」「頼れる先輩」であると認識している……本質は、どうあれ。
手合わせをしている若者は、彼の後輩たちであった。サイモン・リドフォールとルーカス・バイロン。前者は既に十年近く騎士として働いており、ヘルムートもその優秀さを認めている美貌の青年である。後者はまだ見習いではあるがヘルムートが気にかけており、将来有望であると目していた。
サイモンとルーカスには厳然たる実力の差がある。騎士として過ごしてきた年月が違う、当然のことである。だがルーカスはサイモンになんとか食らい付いており、その身のこなしは同年代の騎士たちの中でも高水準に達しているとヘルムートは評価していた。
体格はサイモンの方が勝っている。若い──幼いと言っていい──頃からサイモンを知っているヘルムートはその成長を近くで見ていたが、今となっては己よりも上背があるこの青年の姿に感慨深ささえ感じた。……とはいえルーカスもけして華奢というわけではなく、むしろ同年代の平均よりは体格に恵まれている。そのうちこの少年も己を追い越すだろう、などと考えながらもヘルムートは油断なく二人の戦いを観察していた。
サイモンの一撃一撃は巧みで鋭い。相手が攻撃されたくない場所を正確に狙ってくる。その重い打撃を受けてしまいたまらず地面に転がったその勢いのまましなやかな金属のように跳ね起きたルーカスの放った蹴りがサイモンの鼻先を掠めた。
戦いにおいては戦意の維持が重要だ。たとえ実力差があろうが、戦意を失わなければ戦闘は維持できる。賢い生き物は諦めを知っているし、諦めを知らない者は早死にするが、諦めを濫用するのもまた寿命を縮める。ヘルムートは彼らに諦めの適切な扱い方を覚えてほしいと思っており、そのためには「諦めない」経験が重要だと考えていた。特に見習いにはより多くの経験を積ませ、意思と力を育みたかった。ヘルムートは彼の仲間(かぞく)である騎士たちを愛しているから、彼らが命を落とすことに耐えられないから、己の自由時間のほとんどを彼らへの奉仕──それは指導であったり育成であったりあるいは間接的な支援であったりした──に費やしていた。
──持久力についてはルーカスの方に見所がある、とヘルムートは考えている。
何度も食らい付いてくるルーカスに対応すれば、流石にサイモンであっても消耗するだろう。彼は元々持久戦向きではない。これは殺し合いではなく終わりがない、相手の戦意を折るか時間切れを待つしかないのだが、さて。ヘルムートは二人の邪魔をしない程度にゆっくり彼らとの距離を縮めていった。
サイモン・リドフォールという青年には冷静な印象があるし実際任務中の判断は信用出来るが、実のところ年齢相応に若い。泥沼の展開に持ち込んでお流れにするのを望むような気質ではないという判断のもと、ヘルムートは「それ」のタイミングをうかがっている。
「……そこまでだ!」
そしてサイモンがルーカスに戦意喪失レベルの一撃を入れる寸前、ヘルムートが制止した。表情をほとんど変えずにぴたりと動きを止めたサイモンとは違い、ルーカスはどこか不本意げな顔でヘルムートを見上げる。
「まだいけます」
「いけるかもしれんがこれ以上は明日に残る。お開きだ」
頭を振るヘルムートになにか言いかけて結局やめたルーカスは、サイモンへと向き直ると真面目な顔で一礼した。サイモンもまた軽く頷く。こうして強制終了させられた手合わせであったが、これでおしまいではない。彼らは単なる勝負をしていたのではなく、訓練をしていたのだ。反省や改善点なども突き詰めてこそ意味がある。ヘルムートは二人を呼び寄せ、一言二言何かを言いつけてからその場を後にした。残された二人はそれぞれに体をほぐす動きなどを始め、しばらくしてから訓練場を出る。向かうのはヘルムートから指定のあった会議室で、二人は緊張した様子で部屋の扉を開いた。
……サイモンは相変わらず安定してるな、見ていて不安にならない。長期戦に持ち込むのを避けようとしたのも判断としては正解だ。……まあお前は「正解」しか選ばないが。正確に成功し続けるのはお前の美点だ、だがこの「美点」の意味がわかるな? うん、わかるな、ならいい。ルーク、お前は課題が沢山あるぞ。……課題が沢山あるということは伸びしろがあるということだ、怒っているわけじゃないし責めてもいない。サイモンに勝てないのは当たり前だし、むしろ勝てたら俺はサイモンを殴るしお前を叱り飛ばすことになる。……サイモンなんだその顔、例えばの話だろう。拗ねてるのか? はは、……ええ、お前俺に冷たくない……? いいけどさあ……。ああそうそう、ルーク、今度は俺としような。……うん? 俺の組み手は優しいと評判だぞ……こらサイモン笑うな、おい、こういう時だけ……。
「……将来有望な後輩たちがいて俺は幸せ者だ。安心して引退出来そうだな」
あれやこれやと話した末、そうこぼしたヘルムートに、
「まだまだ引退する気なんてないでしょうに」
などとサイモンが軽口を叩き、
「僕にもまだ貴方に教わりたいことが沢山ありますよ」
とルーカスが付け加える。
二人の言葉を聞いてぱちぱちと瞬きをしたヘルムートは、緩く眉を下げて笑った。