拓崚小ネタログ1■140字
意識に心地好く添う、品の良い音楽が流れる店内を、慣れた様子で進む男の隣に並ぶ。
ふと立ち止まり、いささか節ばった指先が、ショーケースに並んだうちのひとつに伸びかけて、――思い直したように戻された。
「どうかしたのか」
「いえ」
頭半分ほど高い横顔を見上げると、レンズ越しのひどく真剣な両目がこちらを見ている。「君にはもっと、」小さく呟く中低音に、目瞬きをひとつした。
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ふたりへのお題ったー
拓真と崚介へのお題:『とっておきの×××』
彼の髪は夜の色をしている。いま、しとりと汗ばんで濡れたそれはひそやかな宵の手触りで、こめかみから耳へなぞるように辿っていくと指先に淡い熱を含ませながらあまく絡んでは吐息のように溶けてゆく。
「なんだ」
耳を掠められたのがむずがゆかったのかわずかに顔をしかめた彼が、腹の上で短く拓真を呼んで問うた。
「いいえ、ただ、触れたかったので」
己れにしては珍しく素直にそう答えれば、ルビーレッドが期待通り物珍しげにまるくまばたく。無防備な双眸に唇だけで笑って、熱くやわらかな夜にもう一度指をくぐらせた。
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(フォロワさんよりお題/「宵」)
■明けに映るは
ふたりぶんの深さのま白い波際にたゆたいながら、たしかな熱を湛えたルビーレッドがこちらを見ていた。
夜色の髪のわずかに張りついた額からすべり、つるりとこめかみへ向かう汗のしずくさえ、彼の双眸が持つあざやかなひかりの輪郭をなぞってうつくしく溶け消える。
身を明け渡してなお揺るぎないかれのひとみを見慣れたものだと言える日が、果たして自分に来るのだろうか。ほんとうにうつくしいものにふれたとき、ひとは言葉をなくすものなのだと、こうして彼にふれるたび思う。
「灰羽」
わずかに掠れた声で名を呼ぶ彼のテノールは、うすく疑問を含んでいた。かちりと視線を合わせたまま、つい動きを止めてしまったのを気取られたらしい。おそらくそれはごく一瞬のことだったはずなのだけれども、その一瞬を分かち合うに足るこの距離がひどくくるおしく心地好い。
「いえ、」
なんでもありません、と口癖のように返しかけたいらえは寸でのところで飲み込んで(とりわけこうしているときの彼はそういった迂遠な言い回しを好まないものだから、)代わりに熱い首筋に唇を寄せる。そのままあまく食んで膚越しに気管の感触をたしかめれば、耳元で彼の呼吸がちいさく揺れた。耳朶を掠める吐息の熱にぞくりとする。
かれ、という男はうつくしい。灼けつくほどにあざやかなステージライトのようなありかたも、そのすがたかたちも、まばたくしぐさのひとつまでもが、情欲の熱に濡れてなおこうもうつくしいというのに――彼は彼そのものであるがゆえに、そのうつくしさを知らぬのだ。どうにかしてそれを彼に教えられないものかと詮無い考えを巡らせるのも、一体これで何度目になるだろう。
「はいば」
ふいにもう一度、低い声に呼ばれて顔を上げる。静かな夜に似た深い声。
寝台にやわく縫いとめていたはずの指先が緩慢な速度で持ち上がって、頬にふれる。互いの乱れた前髪が重なるほど近くで、彼のひとみがこちらを見ていた。凛と透き通るような赤に、自分の顔が映っている。
言葉をなくすほどうつくしいものにふれたとき、それでもひとは、誰かとその情動をわかちあいたいとねがう。この眸に映るかれの姿が彼の目にも映ったことを祈りながら、目を閉じた。
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20190207Thu.
■朝日と檸檬
彼の家で迎える朝。キッチンでは彩りあざやかな朝食が適度な量で取り分けられて、食卓へ運ばれるのを待っている。オーブントースターがトーストを焼き上げる芳ばしい匂いと音を五感の端で拾いつつ、拓真は朝食用のハーブティーを支度している彼の横に立つ。彼の手元のティーポットが湯で満たされてゆくのに合わせて、すっきりとした香りがやわらかに立ちのぼった。
「良い香りがしますね」
「レモングラスだ。今朝はそれにミントも少し混ぜてあるが」
拓真の声に答えながら彼が手元へそそぐ視線はいつものようにいたく真剣で――朝日に透ける瞳をそのままただ眺めていたいような、それでいてわけもなくこちらを向かせたいような、そんな心地がする。
「なんだ」
拓真が横合いからちらと向けた視線を察し取ったのか、手を止めた彼が訝しげに拓真を見上げる。蓋をされたポットが小さく鳴いた。かちゃん。「ああ、いえ、……その」
「そのハーブティーは、しばらく蒸らすのか、と」
「……? そうだな、五分ほどは」
それがどうした、と、彼の赤を問いが掠めたのはほんの一瞬のことだった。
投げかけられた言葉が含んだ意味をすくい上げ、ルビーレッドがまばたく。惹き寄せられるように指先を伸ばして手首にふれると、起き抜けの肌のぬくもりがそこにあった。
「焦げたトーストは遠慮したいところだが、な」
ひどくやわらかなテノールが耳朶をくすぐる。委ねられた温度の心地好さに目を細めて、しなやかな体をもうひとつそばへ引き寄せた。
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(フォロワーさんからお題/「焦」)/20190220Wed.
■雨解け
夜気の温度をうすく纏いつかせたままの男の指先が、玄関先で右の手のひらをつかんだ。
この男の手は、崚介のそれよりもいつも少しだけ冷たい。同じ車に乗り、同じ道を隣りあって帰ってきたというのに自分とは違う温度の手のひらが、どこか不思議に思えるのはなぜだろう。体温を分けるように五指を絡めて返すと、かつり、と硬質な感触が触覚にふれた。
「……ああ、すみません」
「いや、……構わない」
「――外しても?」
時雨のようなひそやかさで降ってきた問いには、視線だけで是を返す。
手元も確かめずに指を絡めたものだから、普段は重ならない指がふれたらしい。
自分のそれよりもいくらか長く節ばった人差し指と親指が、崚介の右手の人差し指に嵌った銀を摘んで慎重な所作で取り払った。
外された指輪を受け取って、自身の上着のポケットへ落とし込む。ポケットの内側に指輪が滑り込んだのと同時、かすかに逸った心臓の音に気が付いた。まばたきをひとつ。それに気付いてか、男の眼鏡越しの青も小さく瞬く。
「なにか?」
「……いや、」
軽く首を横に振って応え、まだほのかに冷たいままの手にもう一度手を伸ばす。いましがた自身がされたように、男の中指をかざる幅の広い指輪に指先でふれた。
大きな手のひらは何を思ってか身動ぎひとつしない。その温度と、手元へ注がれる視線だけを感じながら、膚を傷つけぬよう気を払って指輪を取り去る。
また、かすかに心臓が逸ったのがわかる。ふれたいのだと、言葉にもせず求められたことが心地好かった。
「灰羽」
この男は、違うだろうか。この男にとっても、それは心地好いものだろうか。確かめるために顔を上げて男の名を呼ぶ。
応えの代わりに指輪ごと指先をさらわれて、素のままになった手が重なる。ふたりぶんの手のひらと、掌中にひとつ残った銀が同じ温度に微温んだ。
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20190223Sat.