ナイン・メンズ・モリス 騎士団寮の一室、妙に生活感の無い殺風景な部屋に、さほど年齢の変わらないように見える壮年の男が二人テーブルを挟んで席についていた。片方は人懐こそうな、穏和そうな顔立ちをした葡萄酒色の目をした男。もう片方は幽鬼のような仏頂面の、白髪の男である。それぞれ名をヘルムート・チェルハ、ディミトリエ・フェニングといった。
二人は先ほどまでカードゲームで対戦していたのだが、今まさに、ヘルムートが大敗を喫したところだった。
「お前と運で勝負して勝てるわけないだろ!」
カードをテーブルの上に放り投げてヘルムートが嘆く。対するディミトリエはすまし顔でカードを回収しシャッフルし直していた。
「まだやるか?」
ぐう、と唸ったヘルムートは少し考えてから席を立つ。棚から何やら遊戯盤のようなものを取り出して戻ってくると、
「別のゲームで勝負だ」
と告げ遊戯盤と石をテーブルに置きながら椅子を引いた。ディミトリエは手を伸ばして遊戯盤をテーブルの中央へ動かし、確認する。二十四の点を持つ格子、白と黒に塗り分けられた丸い石が十八。ナイン・メンズ・モリスだ。
「これなら五分だろ」
「成る程」
鷹揚に頷いたディミトリエは石を白と黒に選り分け、白を手元に引き寄せる。ヘルムートは黒を取り上げ自分の側へ寄せると、コインを一枚取り出して投げる。
「どっちだ?」
「表」
出たのはやはり表で、不服げに眉を寄せたヘルムートをよそにディミトリエは先行を選んだ。そして盤の点の上に石を置く。……ナイン・メンズ・モリスは、盤上に自分の石を縦または横に三つ並べて「ミル」を完成させることによって相手の石を盤上から取り除いてゆくゲームだ。まずはこうして盤上に交互に石を並べてゆくのが第一段階である。
……石を持つ二人の指は似ているようで違う。どちらも武器を握る手ではあるが、ヘルムートの手が胼胝でごつごつとしているのに対し、ディミトリエの手は火傷の跡でぼろぼろである。彼らが扱っているものの違いが如実にあらわれている。その手が小さな石をつまんでは盤上へ置いてゆくのは、妙に不釣り合いでおかしかった。
この第一段階が終わった時点でミルが出来ていることはまずないが、ここでの配置が次の第二段階に響く。第二段階では置いた石を移動させることによって、ミルの成立を目指すのだ。隣の点が空いていればそこへ石を移動させることができ、他の石を飛び越えたりすることは出来ない。
盤の上の石を動かす彼らはほとんど迷わず、喋ることもなかった。ふうん、だとか、あー、だとか言葉になっていない声は出したものの、それはほとんどがヘルムートのもので、ディミトリエは静かなものだった。
盤面が進むにつれ石は取り除かれてゆき、ヘルムートが劣勢に追い込まれていた。黒の石は残り三つまで減っていたが、しかし、石が三つまで減ったプレイヤーには特殊なルールが付与される。
「フライだ」
ヘルムートが石をその隣の点ではなく、離れた点へと移動させる。ミルが完成し、ディミトリエの石が一つ盤上から取り除かれた。……「フライング」。石が三つまで減ったプレイヤーは、空いている点のどこにでも石を移動させることが出来るようになるのだ。ディミトリエは少し眉を寄せた。
「田舎のルールだ」
「ここは俺の部屋だからな、お上品なフェニングの家とは違うんだよ」
不敵に笑うヘルムートに、ディミトリエは特に表情を変えずに己の石を動かす。フライングにより今までとは違う流れになり、石の動かし方も変則的になっている。勝負の決着は先送りされ、ディミトリエが石をつまみ上げるのを見ながらヘルムートは椅子へと深く腰掛け直すと、長い足を持て余すように組み直した。
とはいえ、である。ヘルムートが瀬戸際であることに変わりはない。手を伸ばした杯の中がもう空であることに気付き、瓶から新しい
蜂蜜酒を注ぐと舐めるように飲む。少し酔いが回ってきたのか、血色が良くなっているのが見て取れる。知人から貰った上等な品であり、飲みやすいが強い酒だ。割って飲むための氷水は少し前に尽きている。
ディミトリエもまた蜂蜜酒に口をつけているが、あまり量を口にしてはいないようで酔いは見えない。迷いのない所作で石を動かしている。ヘルムートはどこか楽しげにそれを眺めていた。
「デミトリ」
「なんだ」
石を置いてから顔を上げたディミトリエは、機嫌良さそうに口角を上げているヘルムートを見てぐっと眉間に皺を寄せた。
「楽しいなあ」
気の抜けたような声に、ディミトリエは少し虚を突かれた様子で瞬きをした。少し間を空けて、ふ、と笑いとも呆れともつかない吐息を零す。
「そうだな」
淡々とした声には楽しそうな色などまるで含まれていなかったが、ヘルムートは満足げに目を細めた。