【番外】Hello,shining!4手
一寸先も見えない暗闇の中でも、神々の義眼とやらは通用するらしい。
眼球は普通の人間のものである水希にとっては、手を引くレオナルドの存在だけが頼りだ。
レオナルドの意識に感応すれば水希も視界を共有できるが、レオナルドの視点は低くて歩きづらい。同僚たちの能力のように、使いすぎると失血死……なんてことはないが、超能力とて使いすぎれば体力を消耗する。なにが起こるかわからず、自分以外に己とレオナルドの身を守る人間がいない今、必要以上に超能力を使うのは避けたい。
開いている手を、顔の前で振ってみる。手を動かす感覚はあるはずが、なにも見えない。
こんな光を一切遮断した闇は、そうそうお目にかかれないだろう。
ただ視界が黒いだけなのに、空気が重苦しく感じる。呼吸するたび、闇が身体に浸透してしまいそうだ。
水希は煙草を吸い続けた人間の真っ黒に染まった肺を思い出す。
「まだなにも見えない?」
「うん。誰もいないし、出口らしいものも見当たらない」
地獄のパレードのような街で、裏社会と渡り合う組織に属するだけの度胸は持ち合わせている。それでも闇だけが広がる空間に、何時間も正気でいられる自信はなかった。
自分の姿さえ見ることは叶わず。このまま闇と同化して消えてしまいそうだと、ネガティブなことを考える。バカらしいと思うが、なんでも起こる街なのだから、絶対にないとも言い切れない。
本当に己は存在しているのか?
どこぞの哲学みたいなことまで考える始末だ。
不意に。
レオナルドの手に力がこもる。
いや、違う。先に力を入れたのは水希の方だ。無意識に、握る力が強まっていた。
慌てて緩めるも、むしろレオナルドの手は離さないとばかりに強さを増す。
「良かった」
レオナルドが呟く。なにがと問う。
闇だけが支配するわけのわからない空間に転移され、同僚たちとは連絡もつかない。この状況のなにが良いと言うのか。
「水希が一緒で。俺一人だったら、発狂してた」
返す言葉がなかった。ここでアタシもと言える人間だったら、もっと器用に生きてこれただろう。
視覚が機能しない今、繋いだ手だけが水希の存在が確かなものであることを主張する。
水希と比べて太い指。肉厚で、皮膚が硬い手のひら。高めの体温と、汗ばんだ感覚。水希より小柄な印象が強かったが、手は案外男らしいのだなと場違いなこと思う。
言葉の代わりに、緩めた手の力を戻した。
*
ちょっとした観光気分で立ち寄っただけでも死の危険に遭うのがHL。ましてや世界の均衡のため暗躍する組織に属していれば、頻度は格段に跳ね上がる。厄介な義眼を押し付けられることがなければ、田舎町のモブAとして生涯を送っていただろうレオは、何度死を覚悟する瞬間に立ち会っても、このスリルには慣れる気がしない。武器を向けられる度にビビるし、死ぬ! って思ったときは悲鳴をあげる。痛いのはやだし、死ぬのは怖い。
そして思うのだ。
レオ以上に前線にいることの多い水希は、怖くないんだろうかと。
下手をすればライブラの中でも断トツに強い彼女だが、元々は同じ田舎町で平穏に生きてきた女の子だ。命のやり取りとは無縁で過ごしてきたのに、いきなり裏社会のヤバい連中と渡り合う生活に様変わり。家族にだって話せない環境の変化は、普通なら順応できるものじゃない。
「怖いかって?」
聞いてみたところ、水希はうーんと首を捻った。
「考えたことなかったな。そんな余裕もないっていうか」
そういうこともあるかもしれない。レオだって、妹のために別の義眼保有者に立ち向かったときは、怖いだなんだとか言ってられなかった。ここで踏ん張らなきゃ俺もミシェーラも死ぬ、頭にあったのはそれだけだ。
「……麻痺してるのかも」
それは小さな呟きで、彼女はレオに言ったつもりではないようだった。
暗闇の中、レオはそんな会話をしたことを思い出す。
どこぞのクソッタレな神性存在お手製の義眼ならば、一寸の光が差さない空間でも先を見通せる。しかし肉体は普通の人間である水希はなにも見えない状態だ。
視覚が一切通用しない空間というのはストレスだろう。いつどこから敵が現れて襲ってくるかわからないから、気が抜けない。見えるレオが周りになにもないと言ったって、嫌な想像は湧いてくるものである。
──なんだ、ちゃんと怖いんじゃん。
レオの手を握る強さに、思う。水希の感情は麻痺なんかしていない。怖いときは怖いと感じている。
いつもレオばかりが守られているけれど。今だけでも、少しは彼女が頼れる存在でいれたなら。
頼られたい。そう願い、彼女の手を握り返した。
入れ替わり「レオナルドはどうだろうか」
トイレから事務室に戻ったツェッドに、クラウスが尋ねる。付き添っていたツェッドは「まだ気分が悪いようで……」と答え、ギルベルトから水を受け取り、再びトイレへ姿を消す。
可哀想に、しばらくは吐き通しになりそうだ。
スティーブンはこめかみを揉みつつ、向かいのソファに腰掛ける水希を見やる。
「少年……じゃなかった。お嬢さんは大丈夫なのか」
「ええ、まあ」
そう答える声は、水希の中性的な声ではなく。ソファに収まる体躯は小柄で、瞼に隠された眼がこちらを見つめている。
以前、レオがどこぞの魔術師に身体を乗っ取られた事件を思い出す。
あのときと原因が同じなのかは知れないが、現在、レオと水希の精神が入れ替わるという珍現象が発生していた。
二人の身体に宿るのがライブラ部外者でないだけマシだが、厄介なことに変わりはない。水希はまだ落ち着いているが、レオの方が水希の身体に馴染めず、トイレに篭りっぱなしだ。彼女の超能力は、彼女の身体に隷属したものらしい。心を読む力を抑える術を知らないレオは、勝手に流れ込んでくる情報量の多さに参ってしまった。
「義眼は?」
「アイツの思考を通して使い方は多少知ってましたから」
なるほど、最悪BBが出現しても、彼女が諱名を読めそうだ。その点についてだけは安心できる。
水希の悲鳴が──正確には、悲鳴を上げているのはレオだ──トイレから響き渡る。
「なんだ?」
意外と長い睫毛に縁どられた瞼が開き、義眼がトイレの方を向く。試しに透視能力を使ってみたのだろう。
「念力で便器を割りましたね」
溜息。
精神感応力も念力も、味方につければ非常に心強いが、コントロールを失えば脅威でしかない。
「使いこなすのは難しいよなあ」
水希はともかく、いつ超能力を暴発してもおかしくないレオはどうしたものか。
「戻るまで意識刈り取るしかないんじゃないですか」
「……それは最終手段な」
超能力を封じるには気絶させるのが手っ取り早いのは否定しないが。自分の身体なのだから、もう少し優しい提案をしたって良いだろうに。
*
吐き通しだった水希(inレオナルド)の横でレオナルド(in水希)もぐったりとソファに身体を預ける。
会場の事務室では、上司たちが今後について検討している。水希たちが階下の空き室に追いやられたのは、うっかりザップの思考を読んだレオナルドが念力を暴発させてしまったからだ。愛人を何人も抱える先輩の思考は、童貞にはさぞかし刺激が強かったのだろう。ザップが吹き飛ばされるわ、周囲の物が室内を飛び交うわで大変な騒ぎになった。さっそく恐れていた超能力の暴走に、レオナルドは物の少ない空き室での待機を命じられ、ついでに水希も付き添いを指示された。正直、今のレオナルドと一緒にいたら水希の思考が読まれるので嫌だったが、「お前がいつもやってることだろう」とその場にいた全員に言われてしまえば、反論のしようもない。
「ちょっとは落ち着いた?」
水希の思考を通して、超能力の制御の仕方が多少はわかったようだ。レオナルドは「なんとか」と力なく頷く。
気弱な表情をする自分を見るのは、変な感じだ。
「水希、いつもあんなの読んでたのか……?」
答えたくない。が、なにか言うより先に水希の考えていることがわかったようで、「嘘だろ」とレオナルドが顔を覆う。読むなよと言いたいが、言える立場じゃない。
「外歩けば似たようなのいくらでもいるよ」
「うわ……うっわー……俺、外歩ける気しねえ」
「まあ戻るまで事務所に篭るのが一番じゃないの」
まず上司たちが許可しないだろう。入れ替わってから一時間足らずで、もう念力の事故を起こしているのだから。下手したら死人が出かねない。
「バイト……」
「諦めな」
出るとしても、水希がレオナルド・ウォッチとして出勤することになる。しかし超能力を使えない肉体でHLを歩きたくない。レオナルドはよく義眼もなるべく使わずに出歩けるものだと、いっそ感嘆してしまう。水希には無理だ。
おもむろに。立ち上がる水希を、レオナルドがきょとんと見上げる。
「どっか行くの?」
「トイレ」
すかさずガバっと細い腕が腰に絡みついた。
「待て待て待て待て!!」
「諦めてよ、漏らすよりマシでしょ」
単純にフィジカルな強さで言うと、レオナルドの身体の方が上だ。必死に縋りつく自分の身体を引きずり、ドアへと進む。やけに低い視点と足の短さに苛立ちながら、自分にも言い聞かせるように。
どれだけ嫌でも、こればかりは諦めるしかない。
本誌ネタ(妄想) 開いた口が塞がらないとは、まさにこのこと。
錆びたブリキ人形のようにぎこちなく首を回し、横に立つ男を――たった今、一千万ゼーロの値がつけられたレオナルドを見下ろす。顎が外れるぐらい口を開けていたレオナルドも、遅れて水希を見上げた。
次いで、彼が抱える〝壺の中身〟を見る。
水希の視線に気づいて、レオナルドは〝中身〟を守るように抱きしめた。
「ま、待って……!」
この期に及んでまだ庇うか。
使い道によっては簡単にウン百人の命を奪えるものだと言うのに、彼からすれば呪われた可哀想な子どもたちらしい。水希だって同情しないわけではないが、んなもの捨てちまえという気持ちが九割を占めている。
(賞金一千万ゼーロ)(どこだ)(俺のもんだ)(一千万)(金金金金)
堪らず水希は叫ぶ。
「ふっざけんなよ! ほんっと……なんでこういうことになるわけ!?」
頼れるボスはパンドラムにぶち込まれ、上司たち年長者はライゼズで治療中、先輩二人はBBの足止めで別行動。この場にいるのは水希とレオナルドに、サトウとブリゲイド。この中で一番戦闘力が高いのは水希になる。
水希一人で、金に眩んだHLの厄介共からレオナルドを守り抜かねばならない。
「いたぞ! 一千万!」
「邪魔だどけーッ! 俺のもんだあーッ!」
超能力は意志の力だ。
怒りはそのままエネルギーへ。
拳を振り下ろすように、乱暴者たちを地へ叩きつける。あたり一帯で悲鳴が響き渡るが、今は手加減する余裕がない。賞金目当てに突撃する輩は、最大出力で迎え撃つ。
「……どうにもならなくなったら、名前も知らないどっかのガキより、アンタを優先するから」
レオナルドがどれだけ子どもを守りたくても、水希だって譲れない一線がある。
それと、と続ける。
「絶対にアタシから離れるな」