おねこさまのはなし ときどき、ごしゅじんはわたしを置いてどこかに出かける。朝がきて、夜がきて、また朝がきて、それを何回か繰り返したあと、ごしゅじんはわたしのことを迎えにくるのだ。そして、そんなふうにごしゅじんが出かけるとき、だいたいわたしは「じょうがさきくん」のところに連れていかれる。
「じょうがさきくん」はどうやらごしゅじんの知り合いで、わたしがもっとずっと小さかったころにも「じょうがさきくん」の家で少しのあいだ暮らしていた。「じょうがさきくん」はごしゅじんよりも大きくてちょっとだけうるさくて、でもわたしとよく遊んでくれる人間だった。
たくさん遊んで、ごはんを食べて、また遊んで、おやつを食べて、眠くなったら「じょうがさきくん」の膝や体の上で寝る。「じょうがさきくん」の体はいつもぽかぽかしていて、寝心地がいい。腹や胸に乗ると「こら、苦しいぞー」なんて笑いながら言ってくることもあるけれど、大きくてあたたかい手はわたしを撫でるだけで、そこから降ろされたことはない。「じょうがさきくん」が忙しそうに動きまわっているところに枕になれと言っているわけではないのだし、あたりまえである。わたしはできる猫なのだ。
そんな「じょうがさきくん」が、今日初めてこの家に見知らぬ人間を連れてきた。
「じょうがさきくん」が「カイトさん」と呼んだその人間は、「じょうがさきくん」と同じくらいの大きさで、あと、なんだかつくりものみたいなつんとしたにおいがした。この感じはもしかすると、コウスイ、というやつかもしれない(ごしゅじんも似たようなものをときどきつけているから、なんとなくわかる)。初めて見る人間だったし、なるべく遠くから様子を見ていたら、なんだか少しさみしそうな顔をされた。よくわからない。
「じょうがさきくん」と話しながら「カイトさん」はちらちらわたしのほうを見ていたけれど、毛づくろいをしているうちに部屋からいなくなっていて、ひとりになった「じょうがさきくん」はベッドに座ってわたしを呼んだ。
わたしとしてはお気に入りの膝があいたわけだから、呼ばれなくても行くに決まっている。ぽかぽかした膝にひょいと跳び乗って丸くなると、大きな手のひらがゆっくりとわたしの体を撫でた。気持ちよくて、喉が鳴る。ごろごろ。
「カイトさん、キミと遊びたいんだって」
「なあん」
「いま、オレが『香水がダメなんじゃないですか?』って言ったから、カイトさんお風呂行っちゃったんだよ」
「……なあん」
お風呂。なるほど、だから向こうのほうでザアザア水の音がするわけだ。
「今日はオレもあんまりキミと遊んであげられてないし、カイトさんがお風呂から上がってきたら、一緒に遊ぼうな」
「にいあ」
「あはは、サンキュ」
そんなことを言いながら、わたしを抱きかかえた「じょうがさきくん」がぽふんとベッドに寝転がる。顔を舐めるとくすくす笑い声がした。
「……うー、でも、ホント、乗っかられるとあったかくて眠くなる……」
「…………なあん?」
なんだ、眠いのか。遊ぼうって言ったばかりのくせに、しかたがないやつだ。
「…………ごめん、カイトさんが来たら、起こして、な?」
「なあん」
眠いなら寝ればいいのに。眠りたいときに眠れないなんて、人間というのはあいかわらず不便な生きものだ。わたしを体の上に乗せたまますうすうと寝息を立てはじめた「じょうがさきくん」に少しだけ首をかしげてから、わたしも目を閉じた。
――それから、どれくらい寝ていたかはわからない。
物音と、慣れないにおいがしたのに目がさめて、鼻先を上げるとすぐ近くに「カイトさん」がいた。
「じょうがさきくん」はあいかわらず眠っていて、「カイトさん」はベッドには座らずに床に座ってわたしたちのほうを見ている。
「なあん」
「…………、あー……」
「……?」
「じょうがさきくん」は「カイトさん」が戻ってきたら起こして、と言っていたのに、わたしの声を聞いた「カイトさん」はなんだかくやしそうな顔をして口の前で指を一本立ててみせる。
「……しぃ、って、わかるか?おまえ」
その動きは知っている。「静かに」という意味だ。いちおう繰り返すが、わたしはできる猫なのである。
返事の代わりに上げていた鼻先を下げると、機嫌よさげに笑った「カイトさん」がわたしにそっとさわる。大きな手のひらは、わたしが思ったよりもずっとやさしくわたしを撫でた。
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20180925Tue.