とある男の誕生日 とん、と、瓦を蹴る。びゅうびゅうと下から上へ空気が頬を撫でていく。外階段の手すりを一度蹴り、踊り場へ転がるように着地して、そこから一気に駆け下りる。腰の刀をひと撫でし、耳元のインカムを軽く押さえた青年はもう一人の作戦参加者に呼び掛けた。
「九角、そっちはどうだ」
向こうにいるのは九角富嶽。青年と同じく弐段、鯉朽隊所属の刀遣いである。通信の向こうから聞こえるのは落ち着いたよく響く声で、ノイズが混じっても聞き取りやすい。
『問題ありません。二体潰しました、そちらは?』
「こっちも二体。きりがないな」
クロイヌの群れ。それに加えて飛行型の妖魔も何体か確認されており、とにかくそれらをこの区画から出さない動きが彼らに要求されている。二人とも優秀な刀遣いであり、実戦経験も豊富で力量も申し分ないが、あくまで人間である。永遠に妖魔を追い続けることは出来ない。
「空の方はさっきのでラストだから、あとは犬だな」
『ではそちらに追い込みますので、葵台くんの方からもこちらに追い込んで下さい』
「はいよ」
軽いやり取り。彼らは自分たちが〝出来る〟ことを正しく知っていて、気負いがない。青年は、迷わない足取りで駆け出した。
……その後無事に任務は終わり、天照本部へと戻った彼らは報告書を提出し、退勤した。ただ妖魔を斬っていればいいというわけではないのが組織勤めの辛いところである。
「あー……もうこんな時間か」
時計を見た青年はげんなりと眉を下げ、隣の富嶽を見上げた。富嶽の方はといえばいつもと同じ澄まし顔で――実際はさておき――疲労の色などまるでない。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
青年は何かに迷うように目を泳がせてから、鞄に手を入れて何かを取り出した。細長い箱である。
「気に入るかわからないけど、これ。誕生日の」
差し出された箱を受け取った富嶽は、ぱちぱちと瞬きをし、それからぱっと表情を明るくした。
「いいんですか?」
「ああ。日付変わっちゃったけど」
「そんなのいいんですよ、本当に嬉しいです」
感激した様子で箱を眺めていた富嶽は、開けてもいいですか、と訊ねる。少し照れくさそうに了承する青年。開いた箱の中には、ネクタイが入っていた。
「趣味に合うかわからないけど……一応そこそこいいやつだから」
まじまじとネクタイを見つめ、嬉しそうに目を細めている富嶽に青年は首のあたりを擦る。気まずいときや落ち着かない時の癖だ。その癖を知っている富嶽は、小さく笑った。
「葵台くんって変なところで自信がないですよね。ばっちり僕の好みじゃないですか」
「ならよかったけど」
大事に使いますね、と微笑んだ富嶽に、青年はようやくほっとしたように表情を緩めた。