ある男の誕生日とその幸福の話 その日は一日忙しかった。急遽分析しなければならないデータが回ってきたり、機材が不調だったりと、トラブル続きで主に精神的に疲労困憊して帰宅した私は、「おかえり」と微笑む容とその口付けで簡単に元気を取り戻した。我ながら容易すぎて笑ってしまう。食事とシャワーを済ませる頃にはすっかり完調で、ちらりとカレンダーを確認してからそっと自室へ向かいあるものを取ってくる。
「容」
そしてソファに腰掛けていた容へ呼び掛け、顔をあげたところでキスをした。そのあおい目が、愛おしげに私を見てくれるのが嬉しくて胸が締め付けられる。堪らなくなっていくつもキスを降らせ、下唇を食むように愛でると、するりと腰に手が回り膝の上に座らされた。向かい合わせになって改めて口付けられ、主導権を奪われる寸前、そっと相手の胸に手を置く。
「待って、容……」
そうして、後ろ手に持っていた箱を目の前に差し出した。
「誕生日、おめでとう」
容は一度瞬きをしてから、柔らかく目を細めて礼の言葉を述べると箱を受け取った。ブランドロゴが控えめに配置された、シンプルな化粧箱である。
「開けても?」
「ああ」
箱を開ければ、中に納められているのは一本の万年筆とペンポーチである。貴金属仕上げのボディは美しさのみならず握りやすさも計算されており、キャップを外せばペン先に施されたスペードのエースも美しい。
「素敵な贈り物だ、ありがとうあこや。大事に使うよ」
私を引き寄せ頬に口付ける仕草が優しくて、贈った側である私が満たされる。ネクタイでもピアスでもなく万年筆を贈った意図に、きっと彼は気付くだろう。……ノーネクタイの日も多く、ファッションによっては常に同じピアスをつけるというわけにもいかない、その中において万年筆はいつだって彼の仕事を手伝えるし、その指に触れることが出来るのだ。
「……私の傍にいてくれてありがとう、容。大好きだ」
その頬に触れ、唇へ口付ける。テーブルに手を伸ばして箱を置いた容が、私の腰をしっかりと抱いて唇を食んでくる。
「私も君のことが大好きだよ。……君がこうして私の腕の中にいる、こんな得難い幸福は他にない」
優しく、時間をかけたキス。幸せで、幸せで幸せで息が出来なくなりそうだ。唇を解放されてもふわふわした余韻は続き、彼の首に腕を回してすがり付くと頭を撫でられた。
「あこや」
耳元で囁かれると髭の感触がくすぐったくて肩が跳ねる。容は小さく笑い、私の背に手を添えると猫でも愛でるように丁重に腰まで撫で下ろした。くすぐったい、のとは少し違う感覚に思わず目を伏せるとそれを阻むようにおとがいを指で擽られた。
「……私の愛。こっちを見て。君のことを愛してる」
恐る恐る目線を上げる。あおい。叡知の煌めきだと常日頃感じているその色が、こういう時は違う輝きを孕む。おそろしいくらいに鮮烈で、眩しい。目が離せなくなって、また寄せられる唇を受け入れた。
「容、……きみは、幸せか?」
口付けの合間にそう囁くと、一度瞬きをした彼がほんとうに柔らかく、美しく、微笑むから。もう何も聞かなくたってわかるから、何か言いかけた容の吐息ごと飲み込むみたいにキスをした。