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    霖雨1.

    「色々と考慮した結果、きみたちがこの任務に相応しいとの判断が出た」
     そう口を開いた女はあと数年で五十歳に手が届く年齢だが、その声は落ち着いていながら確かな張りがある。草薙あこや、天照に在籍して三十年近くになる刀遣いである。彼女が上手に座っている会議室の中はしんとしていて、独特の張り詰めた空気がそこにあった。
     そして机の周りには、複数人の刀遣いが座っていた。それぞれに違った表情で彼女を見ている。年齢も外見もばらばらで、更には所属も段位もばらばらであった。
    「先ほど署名してもらった誓約書の通り、仮にこのあと任務を辞退した場合でも守秘義務は発生する。情報を漏洩した場合罰せられることになるので留意してほしい」
     それでは任務内容の説明に入る、とその細い指で資料を捲る草薙に倣うように他の刀遣いも手元に視線を落とした。封をされたフォルダーの上に、数枚の書類が置かれている。「羽津木村における天候異常についての報告」。表題だけ見れば天照管轄の事案であるようには思えないそれに、刀遣いの一人が物言いたげに彼女を見た。
    「羽津木村でここ十日ほど雨が降り続けている」
     机の上で手を組み、語り始める彼女は淡々としているがけして冷たい声ではない。聞き取りやすく、他人の神経を逆撫でしない声と語り口は長年の訓練によるものだ。
    「勿論我々は気象予報士ではないし、晴れ乞いの祈祷師でもない。だが、どんなに晴天の兆候を示す気象でも何故か羽根津木村の周辺でだけ雨が降る、という事態は看過できる問題ではない。雨の勢い自体はごく弱いが、長期間続けば土砂災害などの危険も考えられる。そのため念の為我々も調査することとなり、先日うちから何人か先行調査に向かった」
     とん、とその指がテーブルを叩いた。
    「結果は『妖魔及び門の痕跡あり』。また、実際調査中に妖魔も出現した。その際はなんとか撃退したが、少々問題があったため帰還させたのが今朝のことだ」
     時計はそろそろ昼休みが近いことを示している。
    「きみたちには彼らが持ち帰ったこのデータを元に、事態収拾に向けて動いてもらう。あまり猶予はない。山や川の貯水量も限界に近いとの調査結果も出ている」
     封のされたフォルダーを持ち上げひらりと揺らし、質問は、と告げて刀遣いたちを見回す草薙。そこへ、す、と刀遣いの一人が手を挙げた。一際目立つ和装の青年だ。表情の窺いづらい切れ長の目が、草薙を見た。
    「なんだ、柳見弐段」
    「ここで辞退した場合、人員はどないなるんですか」
     冷たそうな容姿のわりには柔らかな口調である。あこやはその青年……柳見安仁を見返すと、静かな声で答える。
    「きみたちの次の候補から繰り上がりで選ばれることになるな。事態が不明な以上、人数を欠いたまま実行はしない」
    「なるほど……ありがとうございます」
    「他には。……聞こう、葵台弐段」
     次に手を挙げたのは柳見と同じ年頃、三十歳前後に見える地味な顔立ちの青年だ。名を葵台路太というその青年はどこか眠たげな表情で、だがしっかりとした声音で質問をする。
    「妖魔が出現した際の問題というのは」
    「単純に数が多い。また、門の出現条件が特殊で、対応に手間が取られる」
    「特殊」
    「雨の晴れ間にだけ門が出現する。……降り続けているといっても断続的だからな。雨がいつ止むか予想できないため、常に警戒が必要だ」
    「ふうん……ああ、以上です」
    「他には」
     少しの沈黙が部屋に流れた後、ひらりと片手を挙げたのは比較的年上の男だった。どこか覇気のない雰囲気で、後ろに撫で付けた髪から一筋前に垂れてしまっている。
    「小鳥遊肆段、何だ」
    「今回の任務では豊和の使用が指定されてますね。例え固定バディがいようが刀神の随伴は推奨しないと。これはどういう理由で?」
     男、小鳥遊玉緒の質問に、ぴりと空気が震えたのは、その内容はその場にいる全員──草薙を除く──が疑問に思っていたことだからである。刀遣いは妖刀を使い、刀神の加護があるからこそ妖魔と戦えると言ってもよい。人工の妖刀である豊和もあるとはいえ、何らかの事情で刀神と組めないというのでなければわざわざ性能に劣る豊和を使う理由はない。
    「当然の疑問だな。これが誓約書の理由だ、くれぐれも漏らしてくれるなよ。……先行調査で持ち込んだ妖刀の劣化が報告されている」
     さあっと会議室の空気が変わった。声を出す者こそいなかったが、その場にいる全員がことの重大さを理解している。現代においては、妖刀を新しく作る技術も、完全に壊れてしまったものを蘇生させる技術も失われてしまっているのだ。つまり、妖刀の損耗は可能な限り避けなければならない。
    「よって神つきの妖刀は持ち込めず、異能には頼れない。神の加護なしに我々のみでやり遂げねばならない。現地に何があるかは一部しかわかっておらず、恐らく不測の事態も起こるだろう。……辞退するならここが最後のタイミングだ」
     草薙の目は鋭い。小鳥遊は肩を竦めると、草薙の目から逃げるように視線を逸らした。
    「俺は辞退しませんよ、仕事ですしね。俺なりには働かせてもらいます」
    「すみません」
     不意に、今まで黙っていた最後の刀遣いが手を挙げた。整った面差しの……だがその口元をマスクで覆った青年である。どこか冷淡そうな目が草薙を見る。
    「この人員が集められた理由は聞かせてもらえますか?」
     わずかに草薙の目が細められる。
    「最初に言った通り『色々と考慮した結果』だ。それ以上の説明は必要ないと考えている。……きみはどうする、九角弐段」
     少し不満げに眉を寄せた青年──九角富嶽という──だったが、短く息を吐くとこめかみを軽く指で撫でた。
    「やりますよ、特に辞退する理由もありませんしね」
    「葵台弐段」
    「あ、はい。やります」
    「柳見弐段」
    「受けます」
     全員の返答を聞いた草薙は緩く頷くと、改めてフォルダーを手に取りその封を開けた。
    「では続けて報告書の内容に入るが──」


     説明を終え、刀遣いたちが退室した後の会議室で草薙は回収した誓約書を眺めていた。様々な筆跡で書かれた名前をひとつひとつ眺め、最後のそれを見てじっと動きを止める。
     小鳥遊玉緒。
     この男だけは草薙がピックアップした人間ではない。弐段の三名──葵台路太、九角富嶽、柳見安仁──については実力のバランスや実際に同じ作戦に参加したこともあるということをふまえて草薙が自分の責任の元に選んだが、小鳥遊についてはそうではない。上司の指示である。理由については「幅広い活動内容に慣れている無所属の人員をサポートとして置くべきであるから」と言われたが、それにしても肆段である。弐段に比べると低すぎてバランスが悪い。
    「……」
     とん、とん、と指でリズムを取るように机を叩くのは思考時の癖だ。こういうこと──上司の意向による不審な配置──は、まれではあるがなくはない。その場合大体送られてくる人員は無所属で、パーソナルをチェックしても違和感はないものの“予感”がする。これ以上首を突っ込んではならないという、予感。その予感は長年の積み重ねによってほぼ確信に近い域に達しており、草薙は今回も目を瞑ることにした。



    2.

     羽津木村に到着すると、雨が降っていた。絹糸のように細い、ほとんど音のない雨だ。
     駅前だというのに人気はなく、どこか閑散としている。バスロータリーすらない。ビニール傘が五つ、駅前で戸惑う。草薙が怪訝そうに呟きながら周囲を見回した。
    「迎えが来ている筈なんだが……」
    「ご足労いただきありがとうございます」
     そこに届いたのは低く、憂鬱げな男の声だった。刀遣いたちが振り返ると、一人の男がそこに立っていた。中年を過ぎて老年に手をかける頃合いだろうか、白髪交じりの髪は雨で少し湿っている。片足が不自由なようで杖をついて佇んでいたが、その立ち姿は何故か弱々しくはなかった。
    「……久し振りだな、草薙」
    「ええ、元気そうで何よりです」
     既知らしいやり取りの後、男は残り四人に向かって軽く会釈をした。
    「塚原です、以前は天照で刀遣いをしていました。それもあって、今回貴方がたの対応をすることになりました、よろしくお願いします」
     その立ち姿がどこか油断のない雰囲気なのは、なるほどその経歴のせいなのかもしれない。塚原はちらと空を見上げ、それから改めて刀遣いたちを見た。途中、一度瞬きをした以外はこれといって不審な素振りもなく、傘を握り直す。
    「それで、どうされますか。まずはお部屋に案内しましょうか?」
    「お願いするよ」
     ではこちらへ、と塚原は己が乗ってきたのであろうワゴン車へと刀遣いたちを案内し、その手動運転装置つきの車で彼らと荷物を目的地……小さな民宿へと運んだ。彼らはその民宿の二階を拠点として借り受けており、そこに機材を持ち込み、作戦本部を作り上げていく。
    「私はここで待機して、きみたちの報告を取りまとめる。捜査はある程度フレキシブルにやってくれて構わないが、情報の共有はこまめに行うこと。その他基本的なことについてはきみたちに今更指示するまでもないとは思うが……何か質問は?」
     機材の置かれた長机に凭れながら刀遣いたちを前に腕を組む草薙は堂々としていて、こういったことに慣れているのだろうことが窺えた。濃灰色の目はどこか冷たく、理性的な光が静かに奥底で瞬いている。
    「チーム分けはどうします」
     片手を軽く持ち上げそう問うた小鳥遊に、草薙は少し考えるような仕草をする。それから、手で順々に各々を示した。
    「小鳥遊と葵台、九角と柳見で行ってきてもらおうか。問題は?」
     顔を見合わせ、互いに異論のない様子で頷く四人。捜査において単独行動がご法度なのは天照においても言うまでもない。
     ──勘が鋭く、組織に従順で、何かあれば報告も早いだろう葵台を小鳥遊につける。
     小鳥遊を除いた三人の中で誰が最も他人のフォローが得意で従順かといえば葵台で間違いないのだ、となればこういうチーム分けになるのは必然といえる。草薙は用心深い。三十年近くも緋鍔局に身を置けば当然のことではある。このチーム分けには最も段位が低い小鳥遊をフォローする意図もあるが、監視の意図もあった。
    「では早速捜査に向かってくれ。収穫を期待している」
     それぞれに返事をして部屋を出ていく刀遣いたちを見送って、草薙は溜め息を吐いた。
     ──さて、鬼が出るか蛇が出るか。


    「じゃあ柳見、九角のことは頼んだ」
    「俺はお前とちごて九角のお目付け役ちゃうぞ」
    「俺だって違うけど」
    「二人とも僕のことをなんだと思ってるんですか……」
    「「大型犬」」
     じゃれるようなやり取りの後、葵台は小鳥遊の方へと戻ってくる。眠たげな垂れ目と人懐っこい笑みは普段と変わらない。それを迎える小鳥遊もまた、人の良さそうな笑みを浮かべている……微笑ましげといったほうが適切かもしれない。
    「じゃあ行きますか、小鳥遊さん」
    「おう、よろしく頼む」


     葵台路太と小鳥遊玉緒の二人は、優等生めいた挙動で捜査を開始した。基本的には前線で戦っていることが多い葵台ではあるが基本的な捜査技能は叩き込まれており、基本的な技能しか持ち合わせていないがゆえに突飛な行動はしようとしなかった。一方の小鳥遊もまたその動きは控えめで、年長者であること、元刑事であることから葵台に一言二言アドバイスめいたことをしてはいたが、主導権を握るというほどではない。
     降り続く雨の中では手足も重たく、思考にももやがかかるようだった。常に傘に片手を塞がれているという状況はあまり好ましくなく、機嫌よく働くというわけにはいかなかった。
    「小鳥遊さん」
    「なんだ」
     池にぽつぽつと広がる波紋を見ながら呟いた葵台に、小鳥遊はのんびりと返事をした。
    「鬱陶しいですね、この雨」
    「そうだな」
     普段あまりネガティブな感情を表に出さない葵台にしては珍しい発言に、小鳥遊は気付いているのかいないのか空を見上げた。
    「やんでほしいのはやまやまだが……やんだら“門”が出現するらしいからな」
    「それもなんだかおかしな感じしますよね」
    「うん?」
     湿気でいつもより癖が強い髪を撫で付け、葵台は考えながら喋っているような風情でゆっくりと言葉を選ぶ。
    「ここで起こってる異常事態は“雨”なのに、門が出現するのは、その異常事態がおさまっている時……なんですよね。雨が原因というより、まるで……雨が門を封じてるみたいだ」
    「……」
     小鳥遊はゆるく瞬きをし、そうだなあ、と相槌を打った。何かを考えているような眼差しは一瞬だけで、すぐにそれは気だるげな緞帳の向こうに消える。
    「可能性は無限にあって、面倒な限りだよ。一個ずつ潰していくしかねえなあ……ほら、『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる』ってやつだ」
    「ホームズですか」
    「ま、現実は推理小説みたいにはいかないがね」
     傘を握り直し、歩き出す小鳥遊。少し間を置いて、葵台もその後を追った。雨はまだ降り続いている。


     一方の九角富嶽と柳見安仁の捜査状況はあまり芳しくなかった。九角は不調を覚え、逆に柳見は妙に思考が晴れているのを感じていた。
    「なんや妙やな」
    「何がです?」
    「この雨や。この雨が異変の大元なんは間違いないのに……嫌な感じがせん」
    「そうですか? 僕は正直調子悪いですけど」
     こめかみを擦りながら空を見上げた九角は、ぱちりと瞬きをした。雲の切れ目が見える。降り続いていた雨が徐々に弱まり、傘を横に退けた九角の顔に最後の一滴が落ちる。
    「……やんだ」
    「“門”が出る。……どこや、はよ見つけんと」
     二人のスマートフォンに受信音。専用アプリを開くと、現在地から数分とかからないだろう場所に門の反応ありと表示されている。普段よりも圧倒的に早い通達は、草薙が何か働いているのだろう。二人は即座に駆け出した。
     門の姿が前方に見えると同時、その奥からぬるりと何かが這い出てくるのがわかる。両生類めいたフォルムの、見たことのない妖魔だ。
    「草薙さん、未確認の妖魔です。体長二メートルほど、中型級ですね。トカゲ……いや、オオサンショウウオに似ています」
     インカムを装着しながら報告した柳見は、同時に速度を上げ一気に妖魔へと距離を詰める。核の位置がわからないため、生物であれば重要器官である頭部を狙う。抜き放たれた刀は一撃で妖魔の頭を跳ね飛ばしたが、まだ妖魔は動いている。
    「核は頭部にはないようです。胴を狙います」
     そう報告しながら柳見の横から飛び出した九角が、上段に振りかぶった刀を凄まじい速度で振り下ろす。妖魔の胴が両断され、その切断面から核が露出した。一瞬きのうちにそれは砕かれ、妖魔は霧散した。それを九角が報告している最中も、門からは妖魔が現れ続けている。
    「なるほど、これは面倒な」
    「は、全部潰したらええ話や」
     口角を上げてみせた柳見に、九角も好戦的な笑みを浮かべる。草薙がこの二人を組ませた理由のひとつに、戦闘における二人の攻撃性──それと対照的な普段の冷静さ──が似通っていることが挙げられる。また、“軽い”柳見と“重い”九角は、組んだ場合の相性も悪くない。
     ぬるり、ずるり、と門を這い出る妖魔たちへ、彼らは躊躇せずその刀を、刀遣いとしての暴力を行使した。



    3.

    「なるほど……それで柳見、未確認の妖魔というのは」
     民宿で夕食を取りながら、五人の刀遣いたちは情報のすり合わせをしていた。中でも未確認妖魔については後々に残さねばならない情報というのもあり、草薙による聞き取りが入念に行われていた。
    「動きは遅かったですね」
    「きみが速すぎるというわけではなく?」
    「ええ、あの遅さは肆段でも対応できる程度でした。何体かで試してみましたが、爆発力もない。装甲も薄かったですし……なあ九角、お前もそう思たやろ?」
     そう呼び掛けた柳見に部屋の流しの方から答える九角の声は少しくぐもって聞こえる。
    「そうですね、二割くらいの力でも問題なく切断出来ましたし……脅威度は低めですかね」
     一方机の上に並ぶのは民宿の心尽くしのご馳走……ではなく、コンビニで買ってきた弁当類だ。食事を用意するという申し出はあったが、丁重に断った。こういったことへの風当たりは厳しい時代だ。
    「あと符を試してみましたけど、水の通りは悪かったですね。土や木もいまいちだったので、そもそも術が通りにくい相手なのかもしれません。注意点はそれくらいでしょうか」
    「ふむ……」
     タブレットに情報を打ち込み随時本部へと送りながら草薙は頷く。その右斜め前には食べかけのサンドイッチがひとつ、ぽつんと置かれている。
    「しかし、こうも雨が降ったりやんだりじゃ調査もままならねえなあ」
     二つ目の弁当に手を伸ばしながら小鳥遊がぼやいた。日中から夕暮れまで、三度雨がやみ三度門が出現していた。大物の妖魔は出現しておらず、民間人が巻き込まれることもなかったのが救いだが、調査についてはあまり捗らなかった。
    「まあ、被害が出てないだけ最悪は免れたってことにしときましょ」
     大盛りのカップ焼きそばをすする葵台は手元にもうひとつカップラーメンを確保している。温め直したかつ丼と牛丼を持って戻ってきた九角は、葵台の横で蓋を開けて食べ始めた。コンビニの丼はやや小ぶりなものだから、みるみるうちにかつ丼が消え、牛丼に手がかかる。
     ふと、葵台が顔を上げた。それに柳見が気付き、インスタントの味噌汁を飲みながらちらと視線を寄越す。
    「……雨の音がしない」
     そう呟いて立ち上がった葵台が窓のカーテンを引くと、大きな月が見えた。よく晴れた夜空だ。……その場にいる全員の背筋を嫌な予感が撫でるのと同時、アラート音が鳴る。本部との通信だ。
    「何だ」
    『門の発生予報が出ました』
     通信に対応しながら草薙が他の四人に目配せをする。
    「わかった、村への通達は」
    『今しています』
    「ではそちらは頼んだ。こちらは四人出動させる」
    『了解。ご武運を』
    「……そういうわけだ、出てくれ。くれぐれも単独行動はしないように」
    「了解」
     机の上に食べかけの夕食を残したまま、四人は部屋を出ていった。一人残った草薙は本部との通信を再開し、モニターと睨み合いながらキーボードを叩き始めた。


    「今日これでもう四回目だぞ、皆大丈夫か?」
    「豊和なのがじわじわ響いとるな、生気の回復がおっつかん」
     苦々しげに言う柳見。“天然”の妖刀に比べて切れ味に劣り燃費も悪い“人口”の妖刀である豊和は、振るうたび生気を雑に吸い上げる。生来生気量が潤沢である葵台ですら憂鬱そうな表情になるくらいである、一般的な生気量であればそろそろ補給が必要だ。
    「大物が出たら俺に回してくれていい。無理するなよ」
    「誰に言うとるんや」
    「その調子なら大丈夫だな」
     軽口を叩く葵台の横にいた九角は、珍しく葵台のことは気にせず別の方向……小鳥遊の方を見ていた。九角は彼のことをよく知らない。葵台の知り合いであり、無所属の肆段だということは知っているが、それだけだ。だが、妙に気にかかる。あの横顔を、知っているような気がする。
    「そろそろだな、どう動く?」
    「草薙さんはまだか?」
     門の出現ポイントに近付いてきた四人のインカムに、ざざ、と通信が入る。
    『……聞こえるか? 今回は四人全員に個別のナビは不可能だ、要所の情報のみ伝えるから各自で判断して動いてくれ』
    「了解」
     いくら草薙がベテランとはいえ、一人で四人のナビは不可能だ。そのため、今回は各自で動ける人員を揃えている。特に揉めることもなく二手に別れることに決めた彼らは、昼間と同じく葵台・小鳥遊組と九角・柳見組に別れて索敵を開始した。


     ……異様な気配が周囲に漂っている。
    『住人の避難は完了しなかった、住宅内には民間人がいる。その点留意してくれ』
     草薙による通達への反応はそれぞれで、溜め息を吐いた者もいれば眉を顰めた者もいたし、何も反応しなかった者もいた。
    「住宅の強度はどうなってます」
    『一般的なものと変わらない。対妖魔結界などももちろん無い』
     ふうん、と緊迫感のない返事をしたのは葵台だ。軽く足の爪先で地面を叩き、それから腕のストレッチをする。ぐ、と伸ばしてから息を吐いた。黒く濡れたような目が夜を見ている。すうと息を吸って、吐く。それから、何の前触れもなく民家の陰から飛び出した。
     もやもやとした人型を模し始めていた妖魔が一撃で胴を切り裂かれ、その返す刃で核を砕かれる。同じタイミングで飛び出していた小鳥遊が別の妖魔を斬り伏せ、葵台の様子を確認した。どうやら、葵台以外に誰も見ていないため特に実力を偽るつもりはないようだった。この状況下、手を抜く利点は特にない。門がかなり近いらしく、湧く妖魔はまだ形を作りきっていないが如何せん数が多かった。
    「“敷居”か、ここで封鎖しきれればいいんだけど」
     門の直近、通称“敷居”では、発生したばかりのまだ形が定まっていない妖魔が現れることがある。それらは儚く、一撃で散るが、散らし損ねれば当然敵となる。二人とも慎重な気質であるため、丁寧にそれらの〝なりかけ〟たちを潰している。元々生気が潤沢である葵台、高い技術でもって生気の消費を最小限にする術を知っている小鳥遊。その動きはぬかりなかった。
    「小鳥遊さん、“キープアウト”出来ます?」
    「おう、やっておく」
     一時戦線を離脱した小鳥遊が、符を取り出す。人避けと妖魔避けを組み合わせた符で、妖魔が出現した際そこから人払いをするために使われる符だ。それをぐるりと一帯を囲むように配置し、間を特殊なテープで繋いでいく。そう時間も経たずあたりは封鎖され、これ以上は外に妖魔は漏れなくなった。大物であればあるいはそれを乗り越えることもあるが、敷居に妖魔が発生した段階で潰していけばそうそうそんなことは起こらない。……ただ、既に外へ出てしまっているものについては、どうしようもないが。
     一方、九角たちである。こちらはまだ門まで距離があった。そのため出くわす妖魔は既にしっかりと形をとっており、二人の行く手を遮っては切り捨てられていた。この二人が二人とも好戦的で突破力に長けることが功を奏している。生気がこころもとないなら、殺すのに時間をかけなければいいとでも言わんばかりだ。
    「活きがええな、活性域か」
    「でしょうね、さっさと敷居まで詰めたいところですが」
     “活性域”、つまりは“門に近いため妖魔がよく湧くが、直近ではないため既に形が出来上がっており動きも活発な状態で交戦することとなる範囲”である。ここを通り抜けられるかどうかが門への対処に影響する。妖魔を処理しながら進んでいた二人は、不意に感じた重たい気配に同時に足を止めた。目配せをする。
     曲がり角の向こうからゆっくりとした動きで現れたのは、三メートルはあろうかという巨体の妖魔であった。二足歩行で、人間めいたフォルムをしてはいるがどこかぶよぶよとしていて肉付きがよく、豊和で切り裂くのは苦労しそうな体躯である。核は大抵中心部にあることを考えるとなおのこと。刀を握り直した柳見は、ちらと九角の方を見た。九角はそちらを見もせず、己の果たすべきこと、己の能力を正確に認識している。即ち、刀を構えると、一気に地面を蹴った。
     “示現流九角富嶽の一太刀目は受けるな”。それを妖魔が知るわけもないが、膨れ上がる殺気と気迫に本能的に察したのか、その丸太のような腕が振り上げられる。が、そこへ富嶽の横をすり抜け跳躍した柳見の放った札が一枚張り付き、着地と同時にその札を中心に稲妻に似た光が周囲へ手を伸ばす。一瞬妖魔の腕が動きを止める。……その一瞬で、十分だった。
     ばっ、とどす黒い液体が散る。分厚い肉をものともせず、妖魔の胴から胸にかけてが大きく切り裂かれる。露出した核は、即座に襲い来た二撃めで打ち砕かれた。
    「……」
     ふ、と短く息を吐いた九角が納刀する。霧散した妖魔の名残を片手で払いながら戻って来た柳見を見て、わずかに目を細める。
    「ナイスフォロー」
    「突っ込む前に言えや」
    「でも問題なかったでしょう?」
     ぐっと眉を寄せた柳見は、こらあいつも苦労するわけやわ、と呆れきった様子で溜め息を吐いた。


     こうして月が中天を通りすぎ傾く頃まで彼らの戦いは続き、ようやく門が閉じた頃、戦いの幕も降りた。



    4.

     そろそろ昼時という頃合い、他の四人はまだ捜査へ出ており、草薙一人が部屋に残って様々な情報の処理をしていた。静かな雨音と、タイピング音が室内を支配している。そこへ近付いてくる、とん、とん、という音。それから部屋の前で立ち止まる気配。
    「塚原です。入っていいですか」
    「どうぞ」
     襖を引き、塚原が部屋へと足を踏み入れる。相変わらず爽やかさとは無縁な雰囲気のその男は、重たい声で「お疲れ様」と言いながら足を進めた。とん、とん、と杖が床を叩く音がする。机まで歩み寄って、片手に提げていた袋をその上に置いた。
    「これくらいなら問題ないだろう」
     袋の中を覗いた草薙は――栄養ドリンクだ――、少し笑うと礼の言葉を述べた。さりげなくノートパソコンを閉じ、塚原へと向き直る。今は民間人とはいえ元々刀遣いであるその男はすべて察した上で適切な距離を取り、かつての後輩を眺めた。前髪が一筋零れて目元にかかったのを、鬱陶しげに顔を動かして除ける。
    「結婚したのか」
     草薙に対する塚原の口調は他の刀遣いへのそれより砕けている。その視線が己の手元に向けられているのを見て、草薙は少しはにかむように笑った。そっと指輪に触れる。
    「まだ籍は入れてませんが」
    「そうか……おめでとう」
     眩しげに目を細める男の表情にどこか違和感を覚えた草薙は指摘するべきか迷い、口を開いたところでスマートフォンにメッセージが届き一瞬そちらへ目線を落とした。その目の色がやわらいだことには気付かずとも、話題を切り替えるには十分な間だった。
    「昨日は大変だったようだな」
    「ええ……住人に被害が出なくてよかったです」
     昨晩の戦闘は大きな被害を出さずに終わった。四人の刀遣いは滞りなく任務を達成し、出た被害はブロック塀の一部と自転車がひとつだけだった。出現した妖魔の数に対してかなり被害は抑えられており、刀遣いたちの優秀さがうかがえる。
    「皆に代わって私からも礼を言うよ、ありがとう」
    「私より彼らに言ってやって下さい、直接戦ったのは彼らだ」
     ふ、とわずかに笑みをこぼした塚原は、机の上に置いた袋に触れた。
    「君から伝えておいてくれ。邪魔をしても悪いからな、私はそろそろ帰るよ」
    「そうですか、わざわざ差し入れありがとうございました」
     とん、とん、と音をたて、去って行く塚原。草薙はそれを途中まで目で追ってから、再びノートパソコンを開いて作業を始めた。彼女は外を歩くことこそないものの、やることは山ほどあるのだ。だから。
     襖を閉めるその時、塚原の憂鬱げな目が彼女を値踏みするように見たことには気付かなかった。 


     一方その頃、捜査の進捗はあまり芳しくなかった。どうも塚原が住人たちの人望を集めているらしく、刀遣いへの態度は友好的かつ協力的だったが、それでもこの降り続く雨の理由になりうるものはわからなかった。
     ――最近変わったことはなかったか。
     その問いにかろうじて返ってきたのは、村の北側にある山の斜面が小規模な土砂崩れを起こしたということくらいだった。刀遣いたちは、念の為その様子を確認しに行くことにした。
     土砂崩れは本当に小規模なものだった。山の斜面がほんの少し剥がれ落ち、土が露出している。例えば周囲に祠があって土砂崩れによって壊れた!だとか、大規模に大地が動くことによって地脈が乱れた!だとか、そういった様子はない。カラーコーンが並べられ、立ち入り禁止という表示はされているが、村の外れであり元々誰も近付かないということもあってかその張り紙はひらひらと風に揺れ今にも剥がれそうな簡易さだ。
     ひょいとカラーコーンの間に渡されたバーを乗り越え、斜面へと近付く。思い思いに周囲を調べる刀遣いたちであったが、おかしな気配もなければおかしな物もない。誰からともなく顔を見合わせる中、葵台が斜面をじっと見上げていた。
    「どうしました」
     九角が呼び掛けると、葵台は斜面の一箇所を指差した。草木の根が露出している。うねるそれは蛇か川のうねりのようだ。
    「なんかあの辺、変じゃないか?」
    「変?」
    「具体的に何が変かはわからないんだけど……」
     九角は葵台が示す先を見たが、葵台の違和感の理由には思い至らなかったらしく首を捻った。残りの二人もそちらを眺め、少し間を空けてから柳見が口を開く。
    「根が重力に逆らっとる」
     柳見がすうと空中で指を横に滑らせる。太い根が、ただ下へ下へと向かうのではなく途中で横へ伸びた後にまた下へと向かっている。
    「植物の根は障害物を避けて伸びるからな。石か何かが地中にあったとみるのが妥当だが……」
     斜面の下に落ちているのは土砂ばかりで、大きな石などは見当たらない。小鳥遊は何かを考えるように己の顎に触れた。
    「根が避けるような何かが……土の中にあった?」
    「ふうん……?」
     葵台の呟きに九角は曖昧に相槌を打ち、じっと斜面を見た。湿った土は何も語らない。これ以上の収穫はないと判断した彼らは、日が暮れてきたというのもあり、一旦民宿へと戻ることにした。
    「ちょっと先に戻っておいてくれ、煙草買ってくる」
     そう言いふらりと離れた小鳥遊を除いた三人は旅館に戻り、草薙に捜査結果を報告した。土砂崩れの件を聞いた草薙はわずかに眉を寄せ、タブレットを操作するととある資料を開いた。
     ……この資料は、先日殉職した刀遣いがまとめたものだ。まだ若く、草薙の子供であってもおかしくない年齢だったが、優秀だった。ばっさりと胸から胴にかけてを切り裂かれて絶命していた彼女の姿を思い出し、草薙は一度だけ瞬きをした。その遺体には生気枯渇の痕跡があり、妖魔相手に最後まで奮戦したことが見て取れた。
     閑話休題、その資料にはこの地域における古い人工物――寺社仏閣から石碑などの些細なものまで――の存在記録がまとめられていた。“存在”の記録であるため、今は移転したものや存在していないものも記録されている。それを覗き込み、九角は溜め息を吐いた。
    「何もないですね」
     土砂崩れがあった地点には特に何があったという記録もない。少し苛ついた様子で視線を上げた九角をよそに、葵台が手持ち無沙汰に指をすいすいと動かして表示されているマップの縮尺を変えている。拡大縮小を繰り返すマップを何気なく見下ろした草薙は、不意になにかに気付くと声をあげた。
    「待て葵台、……縮尺を一番小さくしろ」
     言われるまま葵台はタブレットを操作し限界までマップの縮尺を小さくし、広い範囲を画面に表示する。点々とマーカーが表示されているその地図には何らおかしいところはないように見える。
    「密度だ」
    「密度?」
     ぴんときていない様子の彼らに、草薙はノートパソコンに別の資料を表示した。別の地域の存在記録地図だ。その縮尺をタブレットに表示しているものと合わせ、並べる。マーカー表示をオンにすると、その差は歴然だった。……この村の周辺に表示されているマーカーと、別の地域のマーカー、その数にかなりの差がある。前者の方がかなり多い。
    「こういったものが特定の地域内でここまで多いということは、この地域では祈らなければならないような事態が多く起こってきたということだ」
    「ふうん、案外根深いのかもしれねえなあ」
     不意に降ってきた声に草薙が顔を上げると、片手に煙草の箱を持った小鳥遊がモニターを覗き込んでいる。
    「雨が降り始めたのは十日前……いや正確には十二日前か、だとしても、原因が十二日前に発生したとは限らない。長年抱えていた問題が、何かのきっかけで表出したのが十二日前だったというのも考えられるわけか」
    「だがそうなると調査に時間がかかりそうだな……緋鍔から何人か寄越させるか、あまり長引かせるわけにもいかない」
     降り続く雨が大きな災害を呼ぶまで、そう猶予はない。草薙は本部へと連絡を入れ、返答を待つことにした。その間、他の四人は休憩に入ることにし、彼らは一時解散、それぞれ食事や仮眠を済ませることとなった。


     三部屋――草薙が一人部屋、葵台と九角が同室、小鳥遊と柳見が同室――に分かれた彼らであったが、ふと、仮眠していた柳見の睡魔が去った。黒々とした目が宿の天井を眺め、それから窓の方へと逸れる。起き上がったその姿は寝間着ではなく、いつでも出られる格好である。そのまま窓へと向かい、障子を開けた柳見を月明かりが照らす。細く溜め息を吐いた柳見は布団の傍に置いていた豊和を手に取り、小鳥遊を起こすべく口を開いたが、その瞬間スマートフォンが一斉にアラート音をあげる。緊急呼び出しの音である。
    「……はい、こちら柳見」
    『“門”が出現した、出動だ』
    「了解」
     受け答えをしている間に小鳥遊も起き、豊和を片手に立ち上がる。やはりこちらも寝間着ではないが、シャツとスラックスだけの簡素な格好である。
    「二日連続で夜の晴れ間か、厄介やな」
    「ま、やるべきことをやろうぜ」
     それぞれに上着を羽織り、部屋を出る小鳥遊と柳見。廊下で葵台、九角と合流し、作戦室で草薙と顔を合わせる。
    「門の規模は昨日と同程度。だが油断しないように」
     装備の確認、そして、出動。夜へ飛び出してゆく四人の刀遣い。始まる交戦。その最中、一人がすっと姿を消したことに気付いた者はいなかった。



    5.

     煌々と月が輝く夜の中、小鳥遊玉緒はある場所へ向かっていた。滑るように走るその速度は、異常だ。途中出くわした妖魔──一体のオチムシャだ──を瞬く間に切り捨てる身のこなしも、尋常なものではない。
     そう時間をかけず、ある屋敷に小鳥遊は到着する。玄関からではなく、裏手に回って庭から敷地内へと侵入し、目的の部屋へと向かおうとして足を止めた。その目が、静かに前を見ている。
    「やはり来たか」
     塚原がそこにいた。縁側に腰掛け、真っ直ぐ小鳥遊を見ていた。その手は杖ではなく、一振りの刀を握っていた。小鳥遊はそこでようやく、事前に得ていた情報について納得した。塚原一刀、元刀遣いであり、……“元刃佩流”。つまりは、“ひとを斬ってきた”刀遣い。最初の対面以降その情報と本人の印象とが一致せずにいたが、今の塚原にはなるほど独特の空気がある。
    「おれが来る意味を知っているのか」
     小鳥遊の声は静かだ。小鳥遊玉緒……ほんとうの名を玉比良鷹八尋という男は、現役の刃佩流、つまり“ひとを斬る”刀遣いであった。無所属の顔をしてこの任務に参加していたこの男にはその実、別の命令が下っていたのだ。
    「かつての私が出向く時と同じだろう」
     塚原の座り姿に隙はない。老い、足を不自由にしてなお、その振舞いは剣士のそれであった。ただただ倦怠と憂鬱がその身に纏わりついていることを除いて。
    「あんたは……“優秀”だったと聞いている。怪我で引退するまで一度も私情で任務を違えたことはないと。無辜のひとびとのため、どうしようもないものだけを殺してきたと」
    「どうだったかな」
     塚原は憂鬱げな表情で溜め息を吐いた。傍らに立て掛けられた杖には目もくれず、その手に握った刀を地面に突き立ち上がる。
    「妖刀の隠匿、及び私的利用は許されない。それがわからないあんたではないだろう」
    「“私的利用”。私的利用ね……一体どこからが私的にあたるのか、わからなくなったよ」
     鍔鳴りの音。小鳥遊はまだ刀に手をかけていない。その音は、塚原が持っている刀が小刻みに震える音だった。塚原の手が震えているのではない。刀が、騒いでいる。
    「千と百一年」
    「なに?」
    「千と百一年、これは地中深く封印されていた。そうしなければならない理由があったからだが……それでも長い。人ならざる身にも……長すぎる」
     塚原は疲労の色濃い目で相対する男を見た。
    「この妖刀は、在るだけで門を呼ぶ」
     だから封じられていたと囁くように述べた塚原を、小鳥遊……玉比良は動揺もせずただじっと見た。
     “門”の発生については未だにわからないことも多い。発生してから破壊する、発生場所を予測することは出来ても、そもそも発生しないようにするということは未だ出来ない。そこにおいて、“門を呼ぶ”というのはかなり重要度の高い対応事案だ。
    「ただ、生気を吸わせ、雨を降らせている間だけ門を遠ざけることが出来る。とはいえ老いた私では安定した生気の供給は出来ない」
    「だから身内に手を出したのか」
     塚原は細く息を吐いた。玉比良は構わず言葉を続ける。
    「刀遣いが刀遣いを殺すとき、それを隠さなければならないとき、その場には他に刀遣いを殺しうる刀が必要だ。……オチムシャやツジギリといった、刀を使う妖魔を“森”とするのが定番だが」
     二人は互いに間合いを保ったまま、どちらの領域にも踏み込んでいない。
    「あんたは……それを、実行してしまった。遺体に生気枯渇の所見がみられたのは、妖魔との交戦が長引いたことによるものだと推測されていたが……あんたが殺す前に生気を根こそぎ持っていったんだな」
    「……そろそろ彼らの生気も使いきる」
     重たい声は悲嘆によるものか憂鬱によるものかわからなかったが、少なくとも後悔ではない。玉比良は塚原の本意を掴むべく目を凝らし、同時に、斬り込む場所を探している。
    「そこまでして、どうしてその刀を起こしているんだ。天照に引き渡して、また眠らせるなり封じるなりは出来た筈だろう」
     そこでようやく、塚原の“何か”が揺れた。節くれだった手が刀の柄を撫でる。その手付きは妙に優しく、玉比良ははたと思い至った。“それ”を、彼はよく知っている。塚原の目。ああ、これは。
    「……恋をしているのか、あんた」
     塚原はその問いには答えず、かすかに笑った。玉比良は腹の奥に冷たいものを感じた。恋だとか、愛だとか、そういったものが人を非合理に走らせることはままある。あるが、こんな無茶苦茶な話があるだろうか。人を殺し、災害を招き、それでも手放せないなどと。果たしてそれは本当に恋慕か。妖刀に惑わされているだけなのではないか。
    「それは……許されない。許されないんだよ、塚原。あんたが戻れないのはよくわかった、おれがここに寄越された理由もな」
     ぴん、と空気が張りつめた。
    「あんたの恋はここで終わる。その刀は封印、もしくは破壊措置だ」
     憂鬱な目が、一度、伏せられる。次に開いた時、その目は月のように炯々と光り玉比良を見ていた。
    「私の目が黒いうちは、これを持っていかせるわけにはいかない。破壊措置ならまだいい、これはそれを望んでいる節があるから……、……だが、もし研究目的に永らえさせられたなら? 己が門を呼ぶことを誰より嘆き、その雨が他の妖刀を傷つけるほどの悲しみを孕んでしまっているこれが、眠ることも許されず永らえさせられるようなことになったら?」
     ゆっくりと刀を握る塚原の目は、こわいくらいに輝いている。
    「どうしてもというなら私を殺して持っていけ」
     どちらかの足元で、じゃり、と庭の砂が鳴る。それが合図だった。
     刀を構えた状態で飛び出す塚原の速さは足が不自由な老人のそれではない。足が地面に光で軌跡を描いている。恐らくその妖刀に宿る刀神の異能だ。とはいえ、玉比良に追えぬ速度では、ない。刀遣いを引退して長い塚原の剣では、いかに異能の加護を得たとて、“壱段”玉比良鷹八尋には届かない。
     数合も打ち合えば、玉比良の力量は知れた。塚原は己では勝てないと察しただろうが、それでも引き下がらなかった。玉比良は“斬る”際は苦しめないことを常としていたが、塚原が足掻き続けたためなかなかそれが出来ずにいた。
     だが、決する時は来る。異能の行使が限界に達したのか、わずかに塚原の足元が揺れたのを見逃す玉比良ではない。その刀の切っ先が、とん、とあやまたず塚原の心臓を貫いた。
     崩れ落ちる塚原。玉比良はそれを静かな目で見ていた。それからその黒々とした目が、塚原の愛した妖刀へと向けられる。
    「ころして」
     不意に響いたのは男とも女ともつかない声である。
    「このひとのいないところでまたいきていくのは、いや」
     玉比良は、事切れた男の手に握られたままの刀を見下ろした。……美しいとは言えない、保存状態の悪さを感じさせる刀身である。
    「……お前さん、塚原とは出会ったばかりじゃあないか。どうしてそこまで」
    「じかんのもんだいではないの」
     震える声。もう姿を現すちからも残っていない神が、ただ必死に訴えている。
    「わたしのたましいにふれて、なげきにふれて、あいしてくれたのはこのひとだけ」
     もう動くことのない手に握られている刀が、震えている。
    「わたしを、ころして」
     泣いていた。雨は降っていないが、確かにその刀は泣いていた。
     ……今なら豊和でも破壊できる。刀神自身に“そう望まれている”からだ。玉比良は細く息を吐き、そっと己の刀に手をかけた。
     そこへ、アラート音が響き渡る。玉比良が携帯していた通信機の出している音だ。……刃佩流は独立した極秘部署であり、こういった機材から己の位置情報を隠す術は持っており実際今も使ってはいたが、もし“通常の”任務の方で非常事態が起こった場合に対応できなくなっては──特に今回のような民間人に危険が及ぶ可能性のある状況では──まずいため、通信機の機能自体は切らずにいたのである。
    「はい、こちら小鳥遊」
    「小鳥遊肆段、速やかに妖刀を回収しろ」
     通信機を取り上げた玉比良……小鳥遊の耳を打つ声。
    「きみがどこで何をしているかについては問わない。後で報告してくれればいい。だが、そこにあるものは回収しろ」
     草薙あこやの声である。低く、張りのある、揺るぎない自負のある声。小鳥遊が沈黙していると、更にその声は続ける。
    「きみ自身の位置については把握できていないが、きみの周囲数メートル以内に妖刀の反応があるのはこちらでも確認している」
     刀遣いが持たされる接触型通信機は、位置情報送信やバイタルチェック機能のみならず、周囲のデータ収集機能も備えている。破壊した場合の罰則は妖刀の次に重いとも揶揄される、峰柄や緋鍔の技術の結晶だ。
    緋鍔局われわれは、あらゆる部署に寄り添う部署だ。凪鞘班のように死を見、峰柄衆のように刀を見る。あらゆる場所に目をやり、あまねく情報を回収し、分配する。よって、きみには何度でもこう命令するよ、小鳥遊玉緒。『妖刀を回収しろ』」
     小鳥遊はその声を聞きながら足元の刀を見下ろし、それから空を見上げた。
     月が、美しかった。



    6.

     かくして五人の刀遣いたちは羽津木村から帰還した。


    「帰ったで」
     柳見がそう告げたのは自宅の玄関、ではなく、天照本部の妖刀貸出口だった。係の人間から短刀を受け取りそう告げると、ふわ、と宙に少女が現れた。
    「おかえりなさい、やなみ!」
     愛らしいがどこか浮世離れした、鈴を転がすような雰囲気の娘である。柳見安仁の本来使うべき妖刀、金花。任務中家に放っておくわけにもいかないため、一時的に天照預かりとなっていたのだ。
    「私退屈だったのよ、ひどいわ、こんなところへ預けていくなんて」
    「お前一人で留守番なんかさせられんやろ」
    「そんなことないわ、私だってお留守番くらいできるもの」
     頬を膨らませながらもどこかご機嫌、という不思議な雰囲気を纏ったまま少女は──神は──柳見の肩のあたりに浮かぶと駄々を捏ねるようにのたまう。
    「お腹がすいたわ、やなみ」
    「生気の供給はされとる筈やろ」
    「金花様が気が進まないと仰ったので」
     横合いから告げられた言葉に、柳見はぐっと眉を寄せた。蒲公英のような笑顔が己の顔を覗き込むのを見返して、それから横の職員を追い払うようにひらひらと手を振る。職員はよく心得ていたので、小さく苦笑すると二人に背を向けた。

     …………

    「お疲れ~」
     居酒屋の個室で、まるで普通の会社員のようなのんびりした労いの言葉を吐いてからハイボールのグラスを持ち上げる葵台。向かいに座る九角のグラスと軽くぶつけて、一口流し込む。それから焼き鳥を手に取り、にっと口角を上げると九角を指し示した。
    「今回も暴れたなあ」
    「葵台くんだって人のこと言えないでしょう」
     呆れたように言いながらも、九角の表情は柔らかい。獰猛な獣のように妖魔を殺す様や、淡々と任務をこなす様から受ける印象とは少々違う。任務外だからか、親しい友人といるからか、それともその両方だろうか。
    「あ、これ美味しいですよ、葵台くん」
    「うん? あ、ほんとだ、うまい」
     相手の頼んだ小鉢をすすめられ、遠慮なく食べる葵台。それを見ている九角はどこか微笑ましげに目を細めており、怪訝そうに見返してきた葵台になんでもないと頭を振った。
     ともあれ、無事に任務は終わり、彼らは生きて戻った。それが得難い幸運であることを、彼らはよく知っている。

     …………

     夜の空気に濡れる庭を眺めているその男は、艶やかな長い黒髪を流れるがままにし、今時そう見る機会のないような上等な和装に身を包み、そして、額に立派な箆鹿のような角を戴いていた。太く長い竜のような尻尾が床を撫でている。ひとではない。刀神である。
     その美しい神の隣で、小鳥遊玉緒が杯を傾けている。庭を眺め、それから神を眺め、目を細める。
     ──ああ、きれいだ。
     今回の任務には思うところも多かった──思うところのない任務などないが──。……神と人の恋。彼の愚かさを嗤う資格など誰にもなく、ましてや小鳥遊にあるわけがなかった。
    「いい夜だな」
    「うむ……」
     月に照らされる神のかんばせは輝くようで、薄い唇が杯に触れる様に生々しさはない。通常のいきものでは、ないのだ。
     だがそれを眺める小鳥遊の眼差しはとても穏やかで、慈愛に満ちていて、まるで月のようだった。

     …………

     そして、事件の後処理は緋鍔局の領分である。


    > 羽津木村における人的被害は一名、妖魔による直接的殺傷で村の元刀遣い塚原一刀が死亡。
    > また、今回の異変の原因とおぼしき妖刀を一振り発見、回収。“門”が発生させるものと似た波動が確認されたため実戦使用は保留、凍結処置の後峰柄衆による研究対象に指定するものとする。
    > 事件を担当した刀遣いについては出張手当、交戦手当、最大三日の休暇権を付与──


     キーボードの上を白い指が踊る。濃灰色の目は瞬きもせずモニターを眺めていたが、ふとその光が弱まり目線が逸れた。溜め息がひとつこぼれ落ちる。
     被害者は、一人。出てしまったのだ。命の重さに差はないが、古い知り合いが暴力的な死を迎えたことはことさらに草薙の気分を沈ませた。三十年近くも天照で働いているのだ、同期や後輩ですら少しずつ減っていく中、先輩というのは貴重な存在だった。ただ、彼の死に顔は思いのほか穏やかで、いつか忘れることは出来そうだった。
     ぱち、ぱち、と再びダンスが再開する。特に滞ることもなく報告書は出来上がっていき、定時とほぼ同時に送信が完了した。
     目頭を指で揉みほぐし、軽く伸びをしてから帰り支度をする。他の同僚たちの仕事の進み具合を一通り眺め、問題がないことを確認してから挨拶をしその場を後にする草薙。ロッカールームでスマートフォンを確認すると一件メッセージが入っており、その内容を見て目を細めた。
     本部の玄関を出た草薙は、敷地の外ではなく駐車場の方へと向かった。一台の車の横に立っている背の高い影に、ひらりと片手を挙げる。仕事中にはほとんど見せることのないような柔らかな表情でその男へ歩み寄り、スマートな所作で助手席へと招き入れられた。
    「お疲れ様」
    「お疲れ様。今日は早いな」
     車の中へ入ってから男は少し身を乗り出し草薙の頬へと唇を寄せ、草薙は拒む様子もなくそれを受け入れる。くすぐったげに笑う様は若い娘のようである。
    「どこかで食べて帰るかい」
    「ん……今日は家がいい」
     男はその大きな手で労うように草薙の髪を撫でてから、車のエンジンをかけた。滑るように駐車場を出て行く車は、真っ直ぐ二人の家へと向かう。
     それを照らす夕陽は鮮やかで、恐らく明日は晴れるだろう。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2021/11/06 17:47:51

    霖雨

    #小説 #Twitter企画 ##企画_刀神
    雨がやまない村を訪れる五人の刀遣いたち。

    葵台路太@自分
    草薙あこや@自分
    九角富嶽@孔明さん
    小鳥遊玉緒@無限さん
    柳見安仁@ちゅんさん

    エピローグのみ
    金花@さんかくさん
    芹賀谷容@ちゅんさん
    鳳雷切@佐古さん

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