【番外】Hello,shining!7夢の話
HLにはとにかく様々な……文字通り様々な生物が存在する。例えば流暢な英語を話す菌類、例えば数時間足らずで人間以上の知能にまで進化する昆虫。そういえば以前、クラウスが人を喰らう異界植物を預かっていたなとレオは思い出す。
おそらく。水希に寄生したという異界植物も、似たようなものなのだろう。
厄介なのは、ザップが喰われたときのように突けば解放されるものではないことだ。医師曰く、魔術的な物質で対象を昏倒させ、動けなくしてから根を張り、じわじわと時間をかけて栄養を吸い取っていく。被捕食者がうっかり目を覚まして逃げないように、夢を見せるんだそうだ。精神さえ蝕む植物故、無理に引っこ抜くと最悪廃人になる。
それじゃ、どうやって植物を取り除くかというと。
方法は至ってシンプル。本人が自発的に起きれば良いらしい。と言っても、そう簡単に自力で目覚めることができないから、口で言うより難しいのだが。
「僕、やります」
クラウスたちと共に治療法を聞いて。レオは進んで名乗り出た。
深い眠りにつく被害者を起こすには、フィジカルな刺激では効果が見込めない。同じ植物に寄生されると被捕食者同士が精神的に繋がるらしく、内面から危機を知らせる他ない。
当然、助けるために寄生されるレオも危険に晒されるわけだが。迷いはない。
クラウスたちも止めなかった。
水希の身体から延びる蔦に触れた途端、一瞬で腕に絡みつき。あっという間に、視界は暗転する。
笑い声がした。
いつの間にか閉じていた目を開けると、見知らぬ家屋の中にいた。廊下だ。突き当たりのドアの隙間から、光が漏れている。声はそこから聞こえた。
現実ならともかく、夢の世界だ。他人の家だろうと気にせず、奥へ進む。
ドアを開けた先は、リビング。食卓を囲み、一家団欒の真っ最中だった。
両親と共に、きょとんとした顔でこちらを見る子どもを見て。レオは言葉が詰まる。
幼い頃の水希だった。
なんて惨い夢を見せるのだろう。
彼女があまり当時の内面を語ることはないが、幼少期にどれほど寂しい思いをしていたか、レオは知っている。親から拒絶された痛みが、今も彼女を苦しめていることも。
現実で叶わなかった願望を、夢で再現し縛り付ける。それがこの植物のやり方なのだ。きっと最初に囚われていたのがレオだったら、目が見えて自由に歩き回れる妹の夢を見ていたに違いない。
「水希」
名前を呼び、手を伸ばす。
「一緒に帰ろう」
手当
慌ただしく事務所に駆け込む足音にデスクから顔を上げると、頬が真っ赤に腫れたレオが飛び込んできた。もはや驚くことはない。ああ今日もか、大変だなあと思うだけだ。
呆れながらも顔を顰める水希はまだ律儀な方である。
「どうした、帰ったんじゃなかったか?」
今日は給料日。さっそく妹へ仕送りに行くと、彼は帰宅したはずだったが。数分足らずで戻ってきたところから察するに、大切な活動費をカツアゲされそうになって逃げ帰ってきたのだろう。
「ちょっと絡まれちゃって……」
苦笑いを浮かべる余裕はあるようだが、片手は腹を抑えたまま。水希との打ち合わせはまだ終わってないが、「手当てしてやれ」と促してやる。一瞬躊躇する様子を見せたが、レオへの心配を隠しきれていなかった彼女は大人しく救急箱を取りに行く。水希がレオの手当てをする光景は、日常になりつつあった。
「自分でやれるって」
「うるさい、さっさと脱いで」
水希は容赦なく服を引っ張る。レオは抵抗を見せたが、スティーブンがわかりやすく生暖かい視線を送ると大人しくなった。
殴られたらしい腹には大きな痣。毒々しい色に水希が舌打ちする。
「財布は無事?」
「そっちはなんとか死守できた……水希、手当上手くなったな」
「どっかの誰かさんがしょっちゅう怪我するからね、いい加減慣れたよ」
レオより断然前線向きな水希の方が、怪我の頻度が高くなるはずだが、実際病院のお世話になることが多いのはレオだ。ESPとPKの両方を使い分ける彼女は、レオよりずっと器用にこの街を生き延びている。
「水希、手当上手くなったな」
「どっかの誰かさんがしょっちゅう怪我するからね、いい加減慣れたよ」
ライブラに加入したての頃は、ギルベルトに教わりながら慣れない手つきで包帯を巻いたりしていたものだが、もう彼のレクチャーを必要としていない。いつなにが起きるかわからない職場だから、応急処置の一つや二つ、覚えておいて損はない。彼女の成長に、ギルベルトも微笑ましそうに目を細めている。
「財布は無事?」
「そっちはなんとか死守した。ミシェーラの仕送りもあるし」
活動費を受け取った直後にカツアゲに遭うとは、レオの不運体質も大したものだ。
水希と違って、レオは滅多に義眼を使うことはしない。焦れる水希の気持ちもわかるが、超能力と違って、義眼に殺傷能力はない。使えば必ず危機を脱せるものではなく、悪戯に使えば第三者に義眼の存在を知られることになる。その可能性を考慮すると、無力な一般人に徹する方がリスクが低い。
しかし、パトリックが勧めるように、武器の一つぐらいは帯刀しても良いとは思うのだが。丸腰でも戦える水希ですら、パトリックに押し切られる形だったが、小型の電子銃を携帯している。レオはもう少し器用にこの街を生きれないものか。
「レオナルドさんも災難でしたな」
淹れたてのコーヒーをテーブルに並べるギルベルトに、しかめっ面だった水希の表情が和らぐ。ギルベルトのコーヒーは、彼女も一等気に入っている。
「……ありがとうございます」
彼女も随分とライブラに馴染んできた。最初は必要以上に喋らなかったが、事務所でもレオと軽口を交わす姿を見せるようになり、他の構成員とも話す頻度が増えた。
スマホが着信を告げる。出ると、HLPDからの緊急要請だった。
「血界の眷属だ」
事務所の空気が引き締まる。他の血法使いたちに緊急連絡を送りつつ、レオたちに駐車場へ行くよう促す。
「お嬢さん。奴らと応戦するときの君の役割は?」
「対象の攻撃が届かない位置から後方支援。絶対近づかない」
「よし」
水希が加入してから、ライブラがBBと応戦するのは初めてになるが、接近禁止については常より口を酸っぱくして言い聞かせていた。
体調不良
風が頬を擽り、肩に微かな重みが乗る。キッと甲高い鳴き声が鼓膜を刺した。
「何だソニック、水希のとこ行ってたんじゃないのか?」
レオに一等懐いているソニックだが、四六時中一緒にいるわけじゃない。危険な任務のときはもちろん、バイトで構ってやれないときなんかは、どこかしらで時間を潰している。今日は事務所を出てバイトに行く前に、水希の肩に移ってたはずだが。
ソニックはキィキィ鳴いてはレオの髪を引っ張り、なにかを訴えかけてくる。
「どうした?」
ソニックの眼球が見たものを共有するのは、もう慣れている。人目に触れないよう、安全を確認してから路地裏に入り、義眼を発動する。
洗面所だ。水希が突っ伏している。どうやら吐いているらしい。
「水希、体調悪いのか」
数時間前に事務所で別れたときは、特に異変は感じられなかった。しかしソニックが見た彼女の顔色は青白く、その場に座り込んでしまった。
キッ。ソニックがまた鳴く。
「OK、行こう」
*
インターホンを鳴らすが、応答なし。
「寝てるのかな」
義眼で部屋の中を透視することは可能だが、万が一着替え中なんてことがあったら笑えない。ソニックに窓から様子を見てきてくれとお願いする。
数十秒後。音を立てて鍵が開く。起きていたようだ。
「レオナルド?」
ソニックを肩に乗せて出てきた水希の顔色は青白く、一目で不調だとわかる。
「ソニックから、君が具合悪くしたって聞いて。大丈夫?」
「ちょっと……気分悪くなっただけ」
「食欲とか、どう? ゼリー買ってきたけど」
「わざわざ?」
「うん」
「お節介」
「君も大概だろ」
いつもレオの方が助けられてるのだから。一人暮らし同士、こういうときは助け合いだ。
水希にはベッドで寝るよう促して、冷蔵庫にゼリーを並べておく。水希に食欲があるようだったら代わりに夕飯を作ろうと思っていたが、ゼリーすら今は無理そうだ。
「熱は?」
「ない……そういうのじゃないから」
顔を上げる。彼女は気分が悪そうにこめかみを押さえている。
「この街を歩いてると偶に……えぐいの拾うから」
以前、彼女が肉を食べれなくなった話をしていたのを思い出す。
少しだけ躊躇い。つぶやくように水希が言う。
「レイプされてた」
息を呑む。
もちろん、水希が被害に遭ったわけじゃない。しかし被害を受けた誰かの痛みを感応してしまったのだろう。ザップの爛れた思考にも臆さない彼女でも、ショックが大きかったようだ。
途端に落ち着かなくなった。現在、一人暮らしの女の子の家に二人きりでいる状態だ。平素ならともかく、今レオが家に上がるのは軽率だったのでは。
水希が笑う。
「そんなこと、しようと思ってもできないでしょ、アンタは」
レオの動揺を察知したらしい。こっちの心配など意にも介さない。
「そりゃ俺が君をどうこうなんて無理だけどさ」
レオに限らず、どんな暴漢でも水希なら返り討ちだ。
「……そういうわけじゃないけどね」
「え?」
「なんでもない」
悪夢
血飛沫が舞う。
スローモーションで再生しているかのように血の一滴一滴を見止め、瞬く。頬に飛んだそれは温かく、鉄の匂いが鼻を刺激した。
目の前で、首から血を噴き出しながら、小さな体躯が傾ぐ。
「レオナルド!」
必死に伸ばした手で受け止めた身体は重く、支えきれずに一緒に地面に転がってしまう。急いで跳ね起き、噴水のように血が湧く傷口を両手で押さえる。どんなに力を込めても、指の隙間から血は流れ続けた。
「しっかりしろ!」
薄っすら開いた瞼の間からのぞく義眼を見つめる。しかし無機質な光を放つそれは、水希を見返してくれなかった。機能はしているのに、どこも見ていない。視神経で接続された脳が、認識しないのだ。
嗚呼。喘ぐ。
どうするんだ、アンタ、こんなところで。妹の眼はどうするんだ。アンタ意外に、誰が妹の目を取り戻すって言うんだ。何のためにこの街に来たんだよ。投げ出すつもりか。
「起きろ、馬鹿」
血は止まらない。叫ぶ唇が震えてきた。
「ねえ」
喉の奥が閊える。
「レオナルド……」
お願い、死なないで。
*
ドクッ。一際大きな鼓動に、目を覚ます。
思わず両手を見たが、汗で湿っているだけ。暗い室内でも血が付いていないことは明らかで、息をつく。
なんつー夢だ。
本当にアイツが死んだかと思った。……いや、
「夢だよね……?」
超能力者だからか、水希はやけに勘が働くことが多い。虫の知らせとでも言うのか、時折なにかしら察知することがある。まさかとは思いたいが、今の夢はなにか悪いことの知らせなのでは。
考え過ぎだろうと一笑したいのに、そのまさかを拭いきれない。それぐらい、酷い夢だった。
ついスマホに手を伸ばすが、電話するには非常識な時間だった。水希相手に怒りはしないだろうが、悪夢を見ただけで電話なんて。ガキじゃあるまいし。
でもこのままでは、水希が眠れる気がしない。
「……行くか」
寝付けないなら、家の近くまで散歩にでも出かけて無事を確かめよう。夢は夢だと安心して、朝までぐっすり眠るのだ。