【番外】Hello,shining!13捨て犬(子ども時代の話)
犬を見つけた。茂みの奥に潜んでいた円らな瞳と目が合い、レオは気づいた。
どこかの家から逃げ出したのか、野良なのかはわからない。近所で見かけた覚えはない。首輪がついているから、生まれつき野犬ということはないだろう。レオが近づいても、吠えたり噛みついたりはせず、大人しい犬だった。
「お前、迷子か?」
頭を撫でてやると、犬は目を細めた。
その顔つきは気持ちよさげというより、力なくといった感じだ。
おやと気付く。
首輪がやけに小さい。首元が締まり、肉が盛り上がるほどに。
子犬の頃に首輪をつけたまま捨てられた犬は、成長して身体が大きくなるにつれて苦しい思いをする。そんな話を聞いたことがあるのを思い出した。
「待ってな、外してやるから」
伸びた毛を掻き分け、首輪の金具を探す。指先が探り当てたが、子どもの力では固くて外せない。
「ああ、くそっ」
か細い呼吸を繰り返す犬を見捨てることはできない。なにか首輪を外せる物、切れそうな物。ごめんよ、すぐに戻るから、犬にそう告げてダッシュで家に帰る。
家には誰もいない。今日は母がミシェーラを病院に連れて行っているから。レオは目についた工具箱を手に取って、犬のところへ急いだ。
「わあっ」
犬がいた茂みの向こうから悲鳴が上がる。
ひょいと覗き見ると、青い目とばっちり合った。仰向けに倒れて、その上に犬が被さっている。
近所に住んでる水希だ。どうしたの、そうレオが声をかけるより先に、犬が尻尾を振って顔を舐めまくる。
「うわ、ちょっと、やめ、やめてっ」
犬の下で細い手足がじたばたもがく。レオは慌てて犬に飛びつき、どうにか引きはがした。いったいどこから活力を得たのか、数分前に見た犬と同じとは思えないぐらい元気だ。
その理由は、地面に落ちていた首輪を見てわかった。
「外してくれたのか?」
「まあね……」
ぐったり手足を投げ出して水希が答える。
「よく外せたな、めっちゃ固かったじゃん」
レオなんてわざわざ工具を取りに帰ったのに。見たところ、水希は手ぶらのようだ。
「うん、まあ……力づくで」
裏切り
視界は白くぼやけている。目を開けた水希が最初に感じたのは、身体の重さだ。指一本上げることすら億劫で、起き上がることも出来ずにぼうっと霧に包まれたように霞む視界を眺める。
耳元で誰かが囁いた。
なに? そう聞き返そうとしたが、舌もろくに動かない。呻き声のような呼気が漏れただけに終わる。
視覚は頼りにならないが、触覚は少しマシなようで、手になにかが触れた。温かい。手だ。誰かの手が、水希の手を握っている。
ふうと息を吐く。瞼がまた落ちていく。
自覚する間もなく、意識がまた失われていった。
*
次に覚醒したとき、水希は時間の概念を思い出していた。今は夜だ。部屋は暗く、視覚が回復しているのか判別つかない。
しかし、今いる場所が病室だということはわかった。
水希は入院しているのだ。
時計は見えないが、面談時間をとうに過ぎていると思う。だというのに、ベッドの傍らに誰か立っていた。細身のシルエットが静かに佇んでいる。看護師ではないだろう。なにもせずに水希を見下ろしているだけだから。
「誰?」
答えはない。代わりに、目の上を手が覆った。大きさからして、男性だと見当をつける。けれどそれ以上の特定はできない。
平時なら見知らぬ誰かがベッドわきにいたら警戒してしかるべきだが、水希は大人しく目を閉じた。
ゆっくりと記憶をたどる。
家にいたはずだ。水希は家で、ゲームをしていた。それから先が思い出せない。どうして自分は病院のベッドで横たわっているのか。
気づけばまた眠りに落ちていた。
*
「ああ、おはよう」
上司が見下ろしていた。水希はか細い声で挨拶を返す。
「うん、意識もはっきりしているな」
「アタシ――」
「君は爆発に巻き込まれたんだよ」
言われてもピンとこなかった。水希の家は無事だろうか。どこかの誰かさんみたいに、家ごと吹っ飛ばされたかもしれない。
「すみません……こんな時期に」
病院に担ぎ込まれて何日経ったのかは知らないが、まだ魔の十四日間は終わっていないはずだ。その証拠に、上司の隈が濃くなっている。ただでさえリーダーとその護衛で戦力が減っているのに、残っていた戦闘員が負傷したのだ。少ない人数で仕事を回さねばならなくなる。
「気にしなくていい。回復したらバリバリ働いてもらうぜ」
(君が狙われたことで、裏切り者の可能性に気づけた)
超能力も回復の傾向にあるらしい。上司の胸の内が聞こえた。
裏切り者。
世界の均衡を掲げるライブラだって、人が集まる組織だ。時にはそんなこともあるだろう。
そういった存在にとって、心を読める水希は脅威だ。うっかり脳内を覗かれたら、目論見がバレる。それを防ぐには、徹底的に水希を避けるか、排除するしかない。
どちらにせよ、行動に移せば綻びが生まれる。それを見逃す上司ではない。
「今は回復に専念してくれ」
上司が病室から出て行く。閉じたドアの向こうから、レオナルドの声が聞こえた。たった今出てきた上司から水希の目覚めを聞いて、弾んだ声になる。
対照的に、上司の〝声〟は沈んでいた。
花吐き病(IF)
「花吐き病、ですか」
「通称ね。言葉通り、花を吐くのが症状よ」
あらゆる意味で奇跡が起こる街HLでは、日々どこかしらで奇病が生まれては住民を悩ませる。即死を招く恐ろしいものもあれば、致死性がなければ生活に害も及ばない奇怪なものまで。
レオが罹患してしまった花吐き病も、その一つだ。罹患者が吐いた花に触れると感染する。上司と共にルシアナ医師の話を聞きながら、慎重に袋の中へ花を吐きだす。
さすがHL発祥の病と言うべきか、人体の身体から多種多様な花が出てくるなんて、ありえない症状だ。いったいどんな原理で生成されているのか、想像もつかない。
「感染しても、条件を満たさなければ潜伏するだけなんだけどね」
「条件?」
「有り体に言うと、片思いを拗らせた人間が発症する」
げぇっほ、ごっほ。思わず咽ると、口からぼろぼろと花弁がこぼれ落ちた。
「なるほど。それで、治療法は?」
ザップならここぞとばかりに弄り倒してきただろう。ツッコミどころ満載な発症条件を流す上司の冷淡さがとてもありがたい。
「残念ながら、医療による治療法はないわ。ただ――」
「ただ?」
「両想いになれば完治する」
レオはもはや花を吐く元気すら失せた。
*
『嘔吐中枢花被性疾患』と書かれた診断書を手にうなだれる。そんなレオを指差し爆笑するザップは一定の距離を保っており、その間がよりいっそう彼の薄情さを際立たせている。
通称、花吐き病だと診断したルシアナ医師は言っていた。言葉通り花を吐く症状が特徴の、HLに蔓延る奇病の一つである。
色鮮やかな花弁が溢れる光景はメルヘンチックだが、発症条件と治療法もぶっ飛んでいる。感染者が片思いをしていると花を吐き出し、両想いになれば完治するんだそうだ。それを聞いたとき、レオは神を呪った。ルシアナ医師の診断結果は、つまり、レオナルド・ウォッチは絶賛片思い中ですよと言ってるようなものである。
――先生、例えばですけど、実質両想いのような状況だとどうなりますか。
恥を忍んで尋ねたレオに、医師はにべもなく答えた。
だったら想いを伝えに行けばいいと。
「イイ機会じゃねえか、こんなことでも起きなきゃジジババになってもそのままだろオメーら」
意中の相手が誰なのか一人として疑問にしないどころか、完治できるよねという空気になってるのがまた居たたまれない。
「……死にそうだから言うってどうなんですか?」
あちらの気難しさを思うと、よけい尻込みしてしまう。これでレオが完治すれば「二人はそういう関係になった」と結社中に知れ渡るわけだ。彼女はそういうのを嫌がりそうである。
「命には代えられんだろう。今日明日とは言わないが、手遅れになる前に完治させておけよ、少年」
レオの不幸に胃を痛めるリーダーの傍らで、副官が無慈悲な指示を下す。「ちなみに彼女、今日は非番だから家にいるんじゃないか」と余計な情報も加えて。
やっと笑いの波が過ぎたらしいザップが今度は神妙な顔をし、レオの手を取りなにかを乗せる。
「腹を括って男を見せて来い。これは先輩からのありがたーい餞別だ」
手に乗せられたそれを見て――レオはざけんなと床に投げ捨てる。
べシャリと間抜けな音を立てて、コンドームが床に貼りついた。
「職場になんてもの持ってきてんのよ銀猿」
いつから事務所にいたのか、ザップの頭上からチェインが現れて踏みつける。
げほ。ザップに怒鳴ったことで喉が刺激されたのか、また咳と一緒に花弁がこぼれ出た。この病気は、罹患者が吐いた花弁に触れることで感染する。結社内で哀れな被害者が増えないよう、慌てて拾い、ビニール袋に入れた。ついでにザップに渡されたコンドームも一緒に詰める。まさか事務所の床に放置するわけにもいかない。
「あー、待て、レオ。その花、ドアの前に置いとけ」
「え? でも……」
「いいから」
上司命令なら仕方ない。指示されるまま、事務所の出入り口の手前に一枚落とす。
バン。
乱暴にドアを開けて、水希が現れた。急いで事務所に来たのか、息が荒い。
「水希?」
慌てて花弁とコンドーム入りのビニール袋を背中に隠す。明らかに不審な行動だったが、水希は息を整えるのに必死そうだった。
「今日休みじゃなかった?」
「アンタが……やばいウイルスに感染したって……大丈夫なの?」
「え、あ、うん。それ、誰から聞いた?」
「チェインさん……」
思わず顔を向けると、ザップの頭頂部にしゃがんだままチェインがサムズアップした。いつもいがみ合ってる二人のくせして、こういうときに限って似たような行動するのだからわけがわからない。
不意に背中に回していたビニール袋を奪われて驚いた。振り返ると、知らぬ間にスティーブンがすぐ背後にいた。気配でも消していたのだろうか、まったく気づかなかった。
「お嬢さん、それ拾ってくれるか」
「なんです、これ……花?」
レオは思った。鬼だ。完全に逃げ道を塞ぎにきた。
止める間もなく、水希はレオが吐いた花を摘まんでしまった。スティーブンが広げた袋の口に入れるまで、レオは絶句して見届ける。
「それで、レオが感染した病気なんだが――」
己がどれほど非情なことをしたのかおくびにも出さず、レオに袋を返却する。
「花吐き病と言うらしい」
「花? じゃあ、今拾ったのって……」
「そう。症状は可愛らしいものだが、いずれは衰弱死する。と言っても、完治法はわかってるんだがね」
いくら鬼でも、完治法を告げるのは躊躇いがあるのだろう。少しだけ間が空いた。
次の残酷な現実が告げられるより先に、ソファがひっくり返った。座っていたザップが床に転がり、チェインは華麗に着地する。
「な……」
言うより先に読み取ってしまったらしい。水希は顔を真っ赤にして唇をわなわなと震わせる。
あわやポルターガイストが起きるかも。そう誰もが身構えたが、被害はソファだけで済んだ。
水希はこれみよがしに深い溜息を吐き、レオに背を向ける。
「帰る」
予想はしていたが、こうもあっさり見捨てようとするとは。しかし悲しんでもいられない。レオは慌てて水希に縋りつく。
「後生だから! 俺を助けると思って!」
「ふっざけんな! なんで! よりによってそんなものに罹った!」
「俺だって罹りたくて罹ったんじゃねーよ!」
職場にも拘らず、放送禁止用語を吐く水希の怒りを止めれる者はいなかった。