【番外】Hello,shining!14DomSub
『検査結果:ドム』
レオナルドはこの結果を二度見した。横から覗いてきた友達も、誤りではないかと疑った。しかしダイナミクス検査の誤りなんて聞いたことがない。
「……Kneel」
長い膝が折れる。肌寒い納屋の床にぺたんと腰を落とした女の子が、レオを見上げる。レオは曲げた膝を叩いて、ぎこちなく次のコマンドを囁く。
「Come」
這うようにレオに近寄った彼女の頭を引き寄せ、膝に乗せる。寒くないよう、細い肩に毛布をかける。
「よくできたね」
えらい、えらい。はたしてこれでいいのか悩みつつ、そうっと頭を撫でる。レオの癖っ毛と違って直毛の彼女の髪は、すごく指通りが良い。寝癖を直すのも楽なんだろうなと羨ましくなる。
自然豊かな田舎町で、ダイナミクス性を持つ者は一握りしかいない。レオの学年では、ドムのレオと、サブの女の子だけ。それが今目の前にいる、水希だ。
水希は近所に住んでいるから何度も顔を見たことはあるが、話したことはほとんどなかった。むしろ無愛想な彼女に苦手意識があったぐらいだ。ドムに目覚めてからは、彼女から感じるサブの気配に多少気になることはあったけど、親しくない女の子にそのつもりで声をかける度胸はなかったし、彼女からも近寄ってくることはなかった。
それがどうしてプレイをする関係にまで発展したかというと、他に相手がいなかったという実に消極的な理由だ。
レオには、サブではないが足が悪い妹がいる。そんな妹の面倒を見ることで、ドムの欲求が多少満たされていたのだろう。あまり己の欲求を意識することがなかった。しかし水希は可哀想に、かなり重い方だったらしい。数えるほどしかドムのいないこの町で、パートナーなんてできるわけがない。満たされないサブ欲求に体調を崩し、目に見えて衰弱した。
そうなると恥ずかしいとか相性の良し悪しなんて言ってられない。この町で唯一同年代のドムであるレオが見かねて、プレイしないかと誘った。水希も危機感を抱いていたのだろう、レオの提案を受け入れた。
当たり前だが、レオも水希もプレイの経験がない。なにをしたら相手が喜ぶのか皆目見当がつかないし、そもそもお互いの相性が良いのかすら不明だ。どちらかが「苦痛を与えるほどのハードなプレイじゃないと満足しない」と言い出さなかっただけ、最悪ということはなかったが。もし彼女がそんなタイプだったら、レオにはお手上げだった。人を痛めつけるようなこと、レオはしたくない。
*
紳士を自称するつもりはないが、恋人どころか友達ですらなかったサブに「Strip」や「Present」を命じるほど、レオは恥知らずではない。水希に出せるコマンドは、ソフトなものだけだ。性的な接触はなく、簡単なコマンドに従った彼女を「いいこいいこ」と撫でて過ごす。おままごとみたいなプレイ――水希は始終ガチガチに緊張しているし、そんなサブを前にレオも戸惑うばかりで、プレイとして成り立っているか怪しい。それでもやらないよりかはマシらしく、水希の体調は比較的安定した。
プレイもどきであっても、回数を重ねれば嫌でも慣れてくる。いつも身を固くしていた水希は、レオの膝の上で肩の力を抜くようになった。心なしか、いつも攻撃的だった顔つきも柔らかくなった気がする。目に見えた変化があると、レオも気分がいい。野良犬が自分にだけ懐いたようで、なんだか可愛らしく思えてきた。
「水希、甘いものは平気?」
プレイはいつも、水希の家でしている。家と言うか、その隣に建つ納屋だ。水希はいつもそこで寝泊まりしているらしい。祖母と折り合いが悪く、お互い顔を見たくないんだそうだ。
「まあ、食べれるけど」
「妹がアップルパイ焼いたんだ」
パイを詰めたタッパーを見せてやる。蓋を開けると甘くて香ばしい匂いが広がった。
「セーフワードは?」
「〝やめて〟」
日本語でStopの意味だと聞いた。彼女がレオとの会話中にうっかり日本語で喋ることはないし、短くて覚えやすい。
「Kneel」
膝を折った彼女に、パイを一切れ差し出す。
「口開けて」
お互い言葉で確認する事すら避けているが、性的な行為はしない。そうなると二人でできるプレイは限られてくる。ネットで調べた中でこれならできそうだと思い、今日は菓子を持参した。
親が子どもにするような行為だ。水希は躊躇する様子を見せた。それでも「水希?」と呼んで促すと、小さく唇を開く。隙間に差し込むようにパイを入れると、一瞬だけ指先が唇に触れた。柔らかい感触に、どきりとする。
「どう?」
もぐもぐさせながら水希が頷く。
「ちゃんと言えって」
「……美味い」
「よし」
レオも一切れ自分の口に放り込む。妹はまた腕を上げたらしい。程よい酸味と甘みに、頬が緩んだ。
*
本来なら、地面に広がる赤黒い液体や、鼻を突く鉄臭さに気を取られるところだ。しかしレオの意識は、ほぼ騒ぎの中心で力なく座り込んでいるサブだけに集中していた。
パートナーでなくとも、何度も欲求を満たし合えば情が湧き、愛着を覚える。
サブドロップに陥った水希を前に、レオの中のドムは思った。
俺のサブが傷つけられたと。
「水希!」
野次馬をかき分け、水希に駆け寄る。肩を掴んで顔をのぞき込むが、彼女の眼はどこも見ていなかった。
「水希」
うつろな表情を浮かべる顔に生気はなく、それが恐ろしくて堪らない。
「Look」
俺を見て。ちゃんと聞き取れるように、ゆっくりコマンドを告げる。
水希とは、ここ最近プレイをしていない。レオが奇怪な義眼を埋め込まれ、誰よりも大切な妹が盲人になったからだ。水希と今後どう接するべきか。どれほどの距離感を保つべきか。この目のことを隠し通せるのか、それともいっそ話してしまうか。悩み、考えている間は、触れ合うことなんてできなかった。
しかし今は緊急事態だ。
経緯は不明だが、彼女は激しく傷つけられている。彼女を救えるのはレオだけだ。
「水希」
僅かに、だが。視線が揺らいだように見えた。
「Lookだ、水希」
繰り返す。ようやく水希と目が合った。
「俺がわかる?」
「レオ、ナルド……」
「そう、正解」
よくできました。少しでも血の巡りが良くなるよう頬を撫で、しっかり褒める。
少しでも彼女の意識を引き戻せたことで、レオもようやく周囲の状況が見えてきた。血と、男性だったモノ。息を呑み、目を逸らす。吐き気がこみ上げてきたが、耐えた。
こんな近くで死体を見たのは初めてだ。
「アイツ――」
水希の唇が震える。
「アイツ、あの野郎が、アタシ、アタシに――」
「水希」
「言ったんだ、あのクソが……」
「落ち着いて――」
「Kneelって」
もう男を見なくていいように、胸に抱き寄せる。他のドムの存在を、彼女に認知させたくない。
救急車のサイレンが聞こえてきた。
*
レオは己のドム欲求は弱いものだと思っていた。
実際、そうだったと記憶しているし、他者の心を読める水希も同意していた。
そのはずだったのに。
「レオ? どうかした?」
水希が怪訝そうな顔で見上げている。
HLへ移住する少し前。故郷にいた別のドムが、若いサブに無理に手を出そうとして命を落とした。レオはそのとき、彼女の最大の秘密を教えてもらった。
レオについてくるように、水希もHLへ引っ越した。危険だから止めるべきかと思ったが、秘密を知ったレオ以外のドムに自分の支配権を預けるなんてできないと言われてしまった。それは確かにそうだろう。レオも秘密を抱えている。案外お似合いかもしれないと、HLでも関係は続いていた。
異常が常に隣り合わせのこの街は、水希にとって馴染みやすかったらしい。持て余していた力を活かせる職場にも恵まれて、人と接することに怯えなくなった。
それは本来喜ばしいことだ。
なのに比例するようにレオの中のドムが飢えていく。
自分以外の誰かの前で、表情が柔らかく、声が穏やかになっていくにつれて。それは今まではレオの前だけで見れる水希だったのにと。
君は俺のサブだろう。
本能が傲慢にも疼くのだ。
「水希。立って」
引っ越してから、彼女とするプレイは少しだけ踏み込んだものになった。と言っても、レオの膝の上に座らせたり、抱きしめたりする程度だが。プレイは甘やかすだけではだめだと聞いてお仕置きらしいことも試したが、台本を読み上げてるようで、どうもしっくりこなかった。
「Strip」
「え……」
初めて発するコマンドに、水希は目を瞬かせた。冗談だろう、という風に片頬だけ持ち上がる。
「Stripだ」
繰り返すと、見る間に水希の顔が強張っていった。
「できない?」
セーフワードが出るかも。頭の片隅に残った理性が臆している。手が震えないように握りしめ、水希の顔を見上げ続ける。
「で……できる、よ」
震える指先が、上着にかかった。最初にジャケット。次にシャツ。眩しいほどに白い肌と、シンプルな下着が現れる。すぐに隠すように腕が交差したが、細い腕じゃ隠しきれない。
――許してくれるんだ……。
今まで保っていた距離を飛び越えて、急に服を脱げなんて命令したのに。
応じてくれた。
「Good girl」
最大級の誉め言葉を送ると、彼女もほっとしたように息をついた。