道なき未知を拓く者たち⑧ 長く厳しい冬は春の暖かな日差しと共に終わりを迎える。寒さと戦いながら放浪を続けていたリックたちは全員で春を迎えることができた。
全員が冬を乗り切れたのは協力し合うことができたからだ。他者に頼りきりな者は一人もおらず、まだ子どもであるカールとソフィアでさえ大人と同じように働き、必要であれば勇敢に戦った。「自分がしっかりと動けば仲間を守れる」という意識がグループ全体に根付いたことは大きい。
そして、もうすぐ生まれてくる新たな命も冬を乗り越えることができた。ローリのお腹にいる赤ん坊は過酷な旅に負けることなく順調に育ち、ローリの腹部はとても大きくなっている。大きく重たい腹部のために動きづらそうにするローリを見る度にリックは思う。出産が近づいている、と。
*****
車道の真ん中で停まっている車が三台。そのうちの一台のボンネットに地図を広げて覗き込んでいるのはリックと仲間たちだ。
一時間ほど前、数日ぶりに見つけた民家で休んでいたリックたちは近づいてくるウォーカーの群れを見て急いで家を離れた。久しぶりに車中泊から解放されると思っただけに落胆は大きい。だからといって落ち込んでいるわけにはいかないので、地図を見て次に向かうべき場所を決めようとしているのだ。
マギーは地図を見下ろしながら厳しい表情で意見を述べる。
「今いる場所がここ。群れに挟まれてるせいで西へは行けない。」
マギーの意見を聞き、シェーンが思案するように目を細めた。
「この前見た群れのことか?確かに大きかったな。数としては……百は超えてた。」
それに対してグレンが「先週はね」と返す。
「あの群れを見たのは先週だから、今はもっと増えてるかも。倍になっててもおかしくない。」
グレンの意見にシェーンは深々と頷いた。
この一帯にはウォーカーの群れが複数あり、それらの群れに行く手を阻まれて遠くへ移動できないでいる。群れを避けながら円を描くようにグルグルと移動し続けているのだ。嫌な話だが、群れに囲まれた状態だと言えるだろう。
誰もが難しい顔で考え込む中、ハーシェルが口を開く。
「川で群れの移動速度が遅くなっていれば通り抜けられる可能性がある。ここからなら抜けられるんじゃないか?」
ハーシェルは地図上の一点を指差しながら提案した。だが、その提案にTドッグが「群れがこっちに流れてくるかもしれないぞ」と場所を示しながら返す。
ハーシェルの案の通りにいけば今まで行けなかった場所へ移動できるが、群れの動きがこちらの期待するようなものでなければ時間とガソリンを浪費するだけに終わってしまう。群れを誘導できればいいのだが、そのための手段や道具を持ち合わせていない。
リックは仲間たちの意見を聞いた上で「こうしよう」と提案する。
「国道を戻ってグリーンビル方面へ向かう。どうだ?」
その提案にTドッグが首を捻った。
「待てよ。そっち方面は冬の間中、先へ進めなかったぞ。」
「わかってる。わかってるが、ニューナンから西へは行ったことがない。まだ行ったことがない地域へ行って、何週間か留まれる場所を見つけなきゃならないんだ。移動し続ける生活はもう限界だから。」
リックはそのように言って車の中で待機しているローリに視線を向ける。
赤ん坊が生まれるまで時間がない。そろそろ安全な場所を見つけないとローリは野ざらしで出産することになる。
以前、ハーシェルから「今の状態のローリには移動し続けるのは大きな負担だ」と移動をやめるように諭されたが、リックはそのことだけは承知できなかった。
移動をやめるということは野営をするということであり、出産が終わるまで同じ場所に留まればウォーカーを呼び寄せてしまう。それはローリや赤ん坊だけでなく全員の命を危険に晒すことになる。そのため安全に定住できる場所を早く見つけなければならないのだ。ローリの体に負担をかけてしまうのは心苦しいが、リックにはその選択肢しかなかった。
その思いを感じ取ったのか、Tドッグはそれ以上反対することなく頷く。他の者たちも何も言わずに頷いたので方針は決まった。
Tドッグは皆が同意したのを見た後、「飲み水を汲んでくる」と申し出てくれた。
「煮沸する時間が必要だから、その間は休憩しててくれ。少しでも休まないと。」
Tドッグの気遣いが嬉しく、リックは微笑みながら彼の肩を軽く叩いた。
「ありがとう。頼むぞ。」
「おう。」
Tドッグが水汲み用のポリタンクを取りに向かったのを合図に解散となり、それぞれ見張りや出発の準備のために散っていく。
リックが地図を折りたたんでいるところへニーガンが近づいてきた。
「リック、森の中を探索しようぜ。暖かくなってきたから食料が見つかるかもしれない。」
「そうだな、行こう。」
リックは地図を車にしまってから他の仲間に探索に行くことを告げて、ニーガンと連れ立って森に足を踏み入れる。
食料を探しながら森の中を歩いていた時、リックとニーガンは古い線路を見つけた。風雨に晒されて赤さびだらけの線路はかなり古いもののようだ。リックとニーガンは線路をじっくり観察してから顔を見合わせる。
「こんなところに線路があるなんて……トロッコ用のものだろうか?」
リックの疑問にニーガンからは「だろうな」という答えが返ってきた。
「木を切り出して運ぶのにトロッコを使ってたのかもな。使われなくなってから相当な年数は経ってるみたいだが、何か見つかるかもしれない。行ってみるか?」
「もちろんだ。」
リックは頷いてニーガンと共に線路の上を歩き出す。並んで歩きながら、リックは思わず笑みを零した。
「線路の上を歩くなんて映画のワンシーンみたいだな。」
「『スタンド・バイ・ミー』か?死体探しがしたいなら付き合うぞ。」
「ウォーカーの群れに遭遇しそうで嫌だから遠慮するよ。」
軽口を叩きながら歩くうちに視界の開けた場所に出た。そこから見える景色に二人揃って目を丸くする。
「──刑務所だ。」
思わずといった様子で呟いたニーガンの言葉が示す通り、そこには広大な敷地を有する刑務所があった。
多くの車が停められそうなほど広いグラウンドには草が生い茂り、そのグラウンドの奥にはコンクリート製の大きな建物が見える。そして刑務所を取り囲むのはフェンスだ。グラウンド内を彷徨くウォーカーを一掃すれば安心して過ごすことができるだろう。
リックは刑務所を熱心に観察しながら、久しぶりに期待に胸が高鳴っていることを自覚する。
(ここだ。ここが俺の求めていた安全な場所だ)
頭の中にこれから行うべきことが次々と浮かんでくる。それは簡単なことではないが、仲間たちと協力すれば上手くいくという確信がある。
リックは突如現れた希望を前に笑みを浮かべた。
リックは仲間たちのところへ戻り、刑務所を発見したことを報告してすぐに移動を始める。日没までにグラウンドの安全を確保する必要があるからだ。
刑務所の近くに移動するとグラウンドやその周辺を観察して状況を確認する。
グラウンドと監房棟のあるエリアを隔てるフェンスにはゲートがあり、そこが開け放たれているためウォーカーが自由に出入りできる状態になっていた。そのゲートを封鎖しなければならないが、そこに辿り着くにはグラウンドを突っ切らなければならない。多くのウォーカーが彷徨くグラウンドを移動するにはしっかりとした作戦が必要になる。その作戦はこうだ。
グラウンドを取り囲むように存在する通路に入り、陽動担当が通路の中で声や音を出してウォーカーを引き付けて倒す。その間に封鎖担当はグラウンドに入ってグラウンドと監房棟のエリアを繋ぐゲートを目指し、その援護として狙撃担当が通路の途中に点在する監視塔からグラウンド内のウォーカーを撃つ。全員が己の役割を果たせば成功するはずだ。
リックは仲間たちと作戦内容を練り上げた後、最後にそれぞれの担当を発表する。
「狙撃担当はシェーン、キャロル、ハーシェル、カールに頼みたい。弾の残りが少ないから落ち着いて狙え。陽動担当はグレン、マギー、ベス、Tドッグ、ソフィアだ。遠慮なく騒いでウォーカーを引き付けろ。ニーガンとローリは通路とグラウンドを繋ぐゲートの開閉を頼む。」
そこまで話した時、シェーンが「ちょっと待て」と険しい顔つきで口を挟んだ。
「まさかお前一人で中に突っ込むつもりか?冗談じゃない。それは許さないぞ、リック。」
「大人数で中に入るより陽動と狙撃に人数を割いた方が良い。ニーガンには俺のサポートということでゲートの前に居てもらって、俺が危なくなったら助けに来てもらう。」
「バカ野郎、それじゃ遅い。一人で行くのはだめだ。」
シェーンは怒ったように睨みつけてくる。リック一人でグラウンドに入ることに何が何でも反対のようだ。
一人で入れば素早く動けるのでその方が良いと考えたのだが、仲間たちはそのように考えていないらしく、誰もが渋い表情をしている。
どうしたものかと考えているところへグレンが手を上げた。
「俺も行くよ。俺とリックなら素早く動けるし、お互いにフォローできる。それならいいだろ?」
名乗りを上げたグレンの腕をマギーが掴んで心配そうな顔をしたが、彼は安心させるように優しく微笑む。
リックが「本当にいいのか?」と尋ねるとグレンは「やらせてくれ」と力強く頷いた。心は決まっているようだ。グループ内で最も足の速い彼が一緒であれば心強い。
リックはグレンに向かって感謝の意味を込めて頷き返してから仲間たちを見た。
「グレンは俺と一緒にゲートの封鎖を担当する。ニーガン、さっきも言ったが、俺たちの状況が悪くなったと判断したら援護しに来てほしい。危険なことを任せて申し訳ないが、頼む。」
「俺の判断で構わないんだな?」
その問いにリックは首を縦に振った。援護に入るタイミングまで自分の判断にしては皆が納得しないだろう。それくらいは任せるべきだ。
ニーガンはリックの答えに納得したように頷いて「わかった」と引き受けてくれた。
作戦会議が終わると準備をして刑務所に向かう。刑務所の敷地内だけでなく周辺にもウォーカーが多いため、警戒しながらも速やかにフェンスまで進んだ。無事にフェンス前に到着したリックは手早く金網を切って侵入口を作った。
「急げ!早く!」
リックは仲間たち全員が通路に入るのを見届けてから中に入った。グレンが侵入口を封鎖したと同時にウォーカーが唸り声を上げながら迫ってきたが、フェンスに阻まれてこちらには手が届かない。
グラウンドに併設された通路への侵入に成功したリックたちは息つく暇もなく次の行動に移る。狙撃担当のハーシェルとカールが近くの監視塔、シェーンとキャロルが遠方の監視塔を目指して走り出すと、陽動担当の者たちが指定の位置に着いた。リックは残りの三人と共にグラウンドに出入りするためのゲートの前に移動する。
他の仲間たちは準備ができたようだ。陽動担当は大声でウォーカーを引き付け始めた。後はリックとグレンがグラウンドに入るのみ。
リックは緊張した様子のグレンを振り返って声をかける。
「グレン、一緒にやれば大丈夫だ。何があっても俺が守るから。」
その声かけにグレンが小さく笑みを浮かべた。
「うん。俺もリックを守るよ。」
「よし。……準備はいいな?」
「ああ。やろう。」
グレンの返事を聞き、リックはローリとニーガンに向かって頷いた。
「リック、グレン、気をつけて。無理はしないで。」
「お前たちが危なくなる前に助けにいく。信じろ。」
ローリとニーガンそれぞれから励ましの言葉をかけられた次の瞬間にゲートが開かれた。リックはグレンと共に目的のゲートへ走り出す。
新鮮な獲物の登場に騒ぎ始めたウォーカーがリックとグレンの方に向かって歩き始めた。そのウォーカーを狙撃担当の仲間たちが次々に撃ち殺していく。それでも接近を許すこともあるが、二人で十分に対処できる数なので問題ない。陽動によって多くのウォーカーが通路の方へ引き付けられているおかげだ。
リックとグレンは仲間たちの援護を受けて、手間取ることなくグラウンドと監房棟側のエリアを繋ぐゲートに辿り着き、急いでゲートの封鎖を始める。グレンが器具を使ってゲートを封じようとする間もウォーカーが寄ってくるので、リックは拳銃を撃ってウォーカーの頭を吹き飛ばした。
しかし、集まってくるウォーカーの数が増えてきた。グラウンドにいるウォーカーの数が多いことや陽動で誘いきれない者が出てきてしまったことが原因だ。それにより二人を包囲する輪が狭まってくる。
「グレン、急げ!」
リックは必死にウォーカーを倒しながらグレンを急がせる。
遠くではニーガンがリックたちの方に来ようとしているが、ウォーカーの集団に阻まれて前に進むことができないでいる。このままではニーガンも危険だ。リックは目の前のウォーカーに対処しながら「ニーガン、無理するな!」と叫ぶ。
その時、背後にいるグレンの方から「よし!」という弾んだ声が聞こえてきた。
「──できた!リック、行こう!」
その知らせにリックは後ろを振り返ってゲートの封鎖を確認する。そしてグレンを連れて近くの監視塔へ急いだ。監視塔のドアを開けると中にウォーカーがいたので撃ち殺してから中に飛び込む。
グレンがドアを閉めた途端にドアに何かが勢い良くぶつかった。二人を追いかけてきたウォーカーだ。
「危なかった……。成功してよかったね、リック。」
グレンは施錠しながら安堵の息を吐いた。その彼にリックは感謝を告げる。
「一緒に来てくれてありがとう。本当に助かった。後もう少し頑張ろう。」
リックはグレンの肩を叩いてから階段を上って上階の外に出た。そして背負っていたライフル銃を構える。
封鎖の完了したグラウンド内にウォーカーがこれ以上増えることはない。後は残りのウォーカーを始末すれば安全な場所を確保できる。
リックは切望していた安住の地を手に入れられる喜びが湧き上がるのを感じながら銃の引き金を引いた。
「広ーい!」
「すごーい!」
カールとソフィアのはしゃぐ声がグラウンドいっぱいに響き渡る。その声を耳にしながら大人たちは笑顔を浮かべた。
安全を確保した刑務所のグラウンドに入ると全身を解放感に包まれる。ウォーカーに襲われる不安を感じずに歩けるのがこんなにも気持ち良いことだとは知らなかった。今までいかに窮屈な思いをしていたのか思い知らされたような気がする。
歓声を上げる者、はしゃいで走り回る者、寝転がって笑う者。喜び方は人それぞれだ。
リックが何となく後方を振り返ってみると、ハーシェルがしゃがみ込んで土を触っていた。何かを確かめるような手付きが気になったので近づいてみる。
「ハーシェル、どうした?何か気になることでもあるのか?」
リックの問いかけにハーシェルはゆっくりと顔を上げた。その顔には嬉しそうな笑みが広がっている。
ハーシェルはすくい上げた土を掌に乗せて差し出してきた。
「良い土だ。野菜の栽培に適している。」
「本当か?」
その答えにリックは目を丸くした。それに対してハーシェルは首を縦に振って肯定を示す。
「ああ。ここでなら畑が作れる。トマトもキュウリも大豆も、他にもいろんな野菜を育てられるだろう。」
「そうか……畑が作れるのか。」
リックはハーシェルの掌の上にある土を見つめながら、胸にじんわりと熱が広がるような感覚を味わう。
グラウンドの土が野菜の栽培に適していると聞き、未来への希望を手にしたように思えたのだ。先の見えない暗闇を走り続けてきた自分たちが喉から手が出るほど欲していたもの。それは未来への希望。その片りんをようやく見つけられた。
感慨に耽るリックの耳にベスのハーシェルを呼ぶ声が届いた。ハーシェルはリックに微笑みかけてから立ち上がり、娘たちの方へ歩いていく。
リックがハーシェルの後ろ姿を見送っているところへニーガンが歩み寄ってきた。
「リック、さっきは悪かったな。大口を叩いたくせに助けに行ってやれなかった。」
謝罪するニーガンは悔しそうに顔を歪めている。リックとグレンが危ない状況に陥っていたのに駆け付けることができなかったことを強く悔いているのだ。
リックは「謝る必要はない」と緩く頭を振った。
「無理をすればニーガンが危なかった。結果として俺もグレンも無事だったんだから、これ以上気に病まないでくれ。作戦の成功を喜ぼう。な?」
「……わかった。お前たちが無事で良かったと、それを喜ぶことにする。」
ニーガンはそのように答えて微笑むとリックの頬に指を滑らせた。それは一瞬のことではあったが、リックの心臓が小さく跳ねた。
そして、ニーガンから「行こうぜ」と促されたので並んで歩き出す。向かう先では仲間たちが笑い合いながら地面に座り込んでいた。
リックはニーガンと共に仲間たちの待つ場所へ行き、皆の輪の中に入って作戦の成功を喜び合った。
*****
刑務所のグラウンドを手に入れた日の夜、リックは焚き火を囲む仲間たちから離れてフェンス越しに巨大な建物を観察する。
この刑務所は早い時期に看守や囚人が転化しており、容易に生存者を寄せ付けなかったと考えられる。そのため建物の中には多くの物資が残されているはず。それを無視することはできない。
それだけでなく、囚人の逃亡や外部からの侵入を防ぐことを目的として建てられた刑務所は非常に安全な家になる。ウォーカーに脅かされることなく暮らせるのだ。
(監房棟を手に入れるべきだ。そうすれば物資も安全な家も手に入る)
リックはフェンス際を何度も往復しながら監房棟を眺めて、監房棟の安全を確保するための作戦を考え続ける。
しばらく考え込んでいると柔らかな歌声が聞こえてきた。リックは仲間たちの方へ視線を向けて、歌声の主がベスなのだと知る。その歌声に誘われるように焚き火のところまで戻り、ローリとカールの間に腰を下ろした。
ベスの歌声は優しくて美しい。心を包み込むような歌声に誰もが聞き入っている。そのうちにマギーも歌い出したので皆の顔に浮かぶ笑みが深くなった。
幸せな夜だ。こんなにも穏やかで幸せな夜は随分と久しぶりだった。それは「ここは安全だ」という認識があるおかげだ。だからこそ監房棟を手に入れたい。
リックは姉妹が歌い終わると「話がある」と切り出した。
「このグラウンドを手に入れたことは俺たちにとって大きな勝利だが、後一つだけ仕事が残ってる。監房棟を手に入れることだ。」
リックの話にニーガン以外の全員が目を瞠った。その次に戸惑った顔をする。ニーガンだけはリックがこの話を切り出すことを予想していたのか、落ち着いた表情でこちらに視線を寄越した。
「この刑務所は早い時期に看守と受刑者が転化している。手付かずの物資が大量にあるはずだ。それは食料や日用品だけじゃない。医務室があるから医薬品も手に入る。」
リックの説明に付け加えるようにシェーンが「武器もある」と続けた。
「刑務所の外に保管してるだろうが、近くにあるはずだ。所長室に行けば場所がわかる。新しい武器が手に入れば心強いのは確かだな。」
シェーンの説明に数人が何度か頷いた。武器や弾薬の少なさに不安を抱いているのだろう。
「その通り。みんな、よく考えてくれ。この刑務所は金鉱だ。物資が手に入るし、中を制圧すれば安全な家になる。安心して眠れるんだ。だから力を貸してほしい。」
リックは仲間たちの顔に順番に視線を送りながら頼んだ。皆の顔を見れば心が揺れているのがわかる。
その時、ハーシェルが真剣な表情で口を開いた。
「全員が長旅で疲れている上に弾の残りも少ない。危険だ。」
「だからこそだ、ハーシェル。俺たちはもっと安心して過ごせる環境で生きるべきだと思う。……疲れてるのはわかっているが、俺たちは今までにも困難を乗り越えてきた。それはみんなで協力し合ってきたからだ。だから今回も上手くいく。」
リックは全員に協力してもらいたくて必死に言葉を紡いだ。
グラウンドの安全は確保したが、何かの弾みでフェンスが倒れる可能性はある。そうなれば武器や弾薬の残りが少ない自分たちは窮地に立たされるだろう。それだけでなくグラウンドには雨風を防ぐことができる場所がなく、車内での寝泊まりになるのは旅の最中と変わらない。やはり監房棟を手に入れるべきだ。
しばらく沈黙が続いた後、キャロルが「やりましょう」と声を上げた。彼女は仲間たちを見つめながら言葉を続ける。
「食料、日用品、武器、薬、安全な家……今の私たちには何もかもが不足してる。それをまとめて解決するには監房棟に入るしかない。それなら早い方がいいわ。」
キャロルに同調するようにカールが「そうだよ、やろうよ」と皆を促す。
「今日だって上手くいったんだよ?みんなでやれば大丈夫。それに、僕たちは前より強くなったじゃないか。そうでしょ、母さん。」
カールは母であるローリに同意を求めた。ローリはたくましく成長した息子の目を見つめ返して「そうね」と頷いた。
「しっかりと作戦を立てて協力し合えばやれないことはないはず。私もできる限りのことはする。」
キャロル、カール、ローリの三人に続いて次々とリックの意見に賛同する者が増えていった。そして、最後に残ったハーシェルも了承を示して頷く。
全員が賛成してくれたことにリックは安堵の笑みを零して「ありがとう」と感謝した。
「じゃあ、明日にでも実行しよう。明日に備えて今日は早く休んでくれ。」
リックがそのように告げるとニーガンが顔をしかめる。
「おい、リック。俺たちは旅の疲れが残ってる。それなのに明日やろうなんてバカのすることだぞ。明日は体を休めることと作戦を練ることに時間を費やすべきだ。実行は明後日に延ばせ。刑務所は逃げやしない。」
ニーガンの口調は厳しかった。それほどに監房棟の制圧を明日行うことに反対なのだ。
常になく厳しい態度のニーガンに狼狽えるリックに向かって今度はシェーンが声を上げる。
「俺もニーガンに賛成だ。疲れが残った状態だと体の動きが鈍くなって危ない。一日ぐらい休んだって問題ないだろ。」
ニーガンだけでなくシェーンにまで反対されては「何が何でも明日にする」とは言えない。全員で行わなければ成功率は低くなる。
リックは「わかった、明後日にしよう」と答えて立ち上がった。
「今夜は俺が見張る。明日はみんなで作戦を練るからよろしく頼む。」
それだけを言い置いて、ゲート付近で横倒しになっている護送車を目指す。車の上に乗れば遠くまで見ることができるので、仲間たちから離れすぎすに見張りをするのに適していた。
リックが護送車に近づいたところで後ろから走ってきたニーガンに「待て」と腕を掴まれる。
「リック、どうしたっ?」
ニーガンが息を切らせながら問いかけてきたことの意味がわからず、リックは首を傾げる。それに苛立ったようにニーガンの眉間にしわが刻まれた。
「俺にはお前が俺たちから逃げたように見えた。俺とシェーンが反対したことが気に入らないのか?」
その言葉を聞いてリックは己の行動を恥じた。自分の意見に反対されたことを怒っているわけではないのに、そのような誤解を与える態度を取った自分が情けなかった。
リックはそうではないのだと示すために首を横に振る。
「ニーガンとシェーンが反対するのは当然だ。だから二人に腹を立てたわけじゃない。みんなのことを考えられなかった自分が情けなくて反省したかったんだ。」
皆が旅の疲れを抱えていることは理解していた。今日一日で疲れは更に増しただろう。それなのにリックは監房棟を一日でも早く手に入れることを優先しようとした。仲間たちの疲労回復を後回しにして、いきなり明日作戦を実行しようとしたのだ。ニーガンとシェーンから反対されなければ作戦の実行日を明日にしたままだろう。
もし疲労のせいで体の動きが鈍り、誰かが命を落とすようなことになれば取り返しがつかない。そのことに思い至ったリックは心の底からゾッとして、それと同時に指摘されなければ気づかなかった自身を情けなく思った。それを反省したくて一人になりたかったのだ。
リックは自分の腕を掴むニーガンの手を見つめながら自嘲気味に笑う。
「みんなが疲れていると知りながら作戦の実行日を明日にしようとした自分は仲間のことを何も考えていないんだと気づいて情けなくて……一人になって反省したかった。だからニーガンは何も悪くない。」
正直に打ち明ければ呆れたような溜め息が降ってきた。
そして次の瞬間、リックは額に衝撃と痛みを感じた。目の前には怒りを湛えたニーガンの顔があり、それによって彼の額をぶつけられたのだと理解する。
ニーガンの顔が離れるとリックは目を丸くしながら己の額を擦った。結構な痛みなのでニーガンも痛いはずだ。それなのに彼は自身の額に触れることもせずにこちらを強く睨みつけてくる。
「リック、お前って奴は本当にバカだ。お前が俺たちのために監房棟を手に入れたがってることはわかってる。誰よりも一番仲間を守ろうとしてるってのもな。だから『自分は仲間のことを何も考えてない』なんてくだらねぇことは考えるな。次にそんなことを口走ったらぶん殴る。」
ニーガンはそのように宣言してから「痛い」と呻いて己の額を撫で始めた。どうやら痩せ我慢をしていたようだ。
リックは痛そうに額を擦るニーガンを見て声を上げて笑う。思いきり笑えば先ほどまで感じていた情けなさが吹き飛んでしまった。
判断を謝ることは誰にでもある。それが致命傷になる前に止めてくれるのが仲間の存在だ。だから一人で抱え込んだり思い詰める必要はない。
そのことを忘れがちなリックにいつも思い出させてくれるのはニーガンだ。それだけしっかり見守ってくれているということなのだろう。
リックは微笑みながらニーガンの顔を覗き込む。
「痩せ我慢なんてしなくていいのに。ほら、見せてくれ。」
そのように呼びかけるとニーガンは額から手を外した。リックはニーガンの額を観察して状態を見る。
「……月明かりだけじゃ難しいな。触るぞ。」
警告してからニーガンの額に触れてみたが、腫れているようには思えなかった。しばらく経てば痛みは引くだろう。
リックはニーガンから手を離して「腫れてなかった」と伝えた。
「痛みが引くまで我慢するしかない。」
「大して痛くないと思ってナメてた。あそこと同じように固さには自信があったんだけどな。」
「こら、ニーガン。……ありがとう。気が楽になった。」
さり気なく感謝を告げるとニーガンは鼻を鳴らした。
「お前の思い詰めやすさには慣れてるさ。見張りはいいから戻るぞ。」
リックはニーガンに肩を抱かれて強引に体の向きを仲間たちの方へ変えられた。肩を抱くニーガンの手の力は強く、少々の抵抗ではビクともしない。そのまま仲間たちのところへ連れ戻されると皆の前に押し出された。
リックを皆の方へ押し出したニーガンはニヤリと笑いながら口を開く。
「自分は仲間のことを何も考えてないって一人で勝手に落ち込んでやがったから連れ戻してきたぞ。」
得意げに言い放つニーガンにリックは抗議しようとしたが、その前に皆から叱られてしまった。「そんな風には誰も思ってない」「一人で思い詰めるな」などと口々に叱られて反省したが、仲間たちの優しさに心が温かくなったことは確かだ。
このように刑務所での最初の夜は過ぎていった。
*****
休日を一日設けて体を休めたリックたちは万全の状態で監房棟の制圧に臨む。
弾薬の在庫数が少ないので銃は使用できない。それにより接近戦を余儀なくされることから、フェンスの向こう側に行く前に可能な限りウォーカーの数を減らすことに決めた。ゲートから離れた場所で大声を出してウォーカーを呼び寄せ、フェンス越しに倒していけばある程度は数を減らせる。
まずは全員でフェンス越しにウォーカーを倒す作業から始めた。集まってきたウォーカーはそれなりの数になったので、中で動く際に多少は楽になるだろう。
ウォーカーの数を減らしたら、いよいよフェンスの向こう側へ突入だ。中に入るのはリック、ニーガン、シェーン、グレン、マギー、Tドッグの六人。他の者たちにはウォーカーを引き付ける陽動を任せた。
リックを先頭にして、中に入る者たちがゲートの前に立つ。そうするとゲートの開閉を行うハーシェルがフェンスに指をかけた。
「準備はいいか?」
その問いに全員がしっかりと頷いた。それを確認したハーシェルが「開けるぞ!」と言ってゲートを開ける。リックは鉈を構えながらゲートを潜り、皆もそれに続いた。
リックたちが中に入れば獲物に気づいたウォーカーが呻き声を上げて近づいてくる。その頭に鉈を叩き込むと一瞬で崩れ落ちた。
リックたちは隊列を崩さないことを心がけて慎重に奥へ進んでいく。その間にもウォーカーが次々と寄ってきた。近づいてくるウォーカーを個人で対処しても「離れるな!」と声をかけ合っているので隊列が崩れることはない。
建物同士を繋ぐ渡り廊下の下まで進んだところで、リックは中庭へ続くゲートの存在に気づいた。運の悪いことにそのゲートは開いており、その付近には数多くのウォーカーが蠢いている。リックは仲間たちにその場で止まるように指示を出した。
どのように対処するか考えようとした時、今度は奥から重装備のウォーカーがフラフラと歩いてくる姿が見えた。見たところ警察の特殊部隊のようだが、防弾チョッキと防弾ヘルメットを被っているのでこちらが不利だ。
(悩んでる暇はない。すぐにゲートを閉じよう)
リックはそのように判断して隠れていた壁から飛び出したが、そこにも重装備のウォーカーが待ち受けていた。
「──っ!ニーガン!」
リックは目の前のウォーカーを突き飛ばして転倒させながら咄嗟にニーガンを呼んだ。そして中庭へ続くゲートに向かって突き進む。
リックがゲートの前に着いてすぐにニーガンとシェーンが駆け付けてくれた。中庭からこちらに来ようとするウォーカーをリックが蹴り飛ばし、すぐさまシェーンがゲートを閉じて封鎖する。その間、近づいてくるウォーカーに対処したのはニーガンだ。
リックたちが重装備のウォーカーに手こずっていると、マギーが「顎の下から狙って!」と叫んだ。フェイスガード付きのヘルメットであっても顎から胸元にかけては空いている。リックが目の前のウォーカーの頭を両手で掴み、動きを止めている間にニーガンが刃の長いナイフを顎の下から突き刺した。その一撃によりウォーカーの動きは一瞬にして止まる。
マギーのアドバイスにより、リックたちは重装備のウォーカーを次々と倒していった。そして遂に一帯の制圧に成功する。
「みんなを呼んでくるよ!」と言って走りかけたグレンをリックは「待て」と呼び止めた。一つ、気がかりなことがある。
制止の呼びかけを受けたグレンが戸惑った様子で戻ってきた。
「どうして?もう安全は確保できただろう?」
首を傾げるグレンにシェーンが「あれを見ろ」と一体のウォーカーを指差した。そのウォーカーは看守や警察官の制服も囚人用の作業服も着ていない。つまり、刑務所の外から来たということだ。
シェーンはそのウォーカーを見つめたまま説明を始める。
「あのウォーカーは刑務所にいた奴じゃない。外から来たんだ。どこかに侵入できる場所がある。安全を確かめるまでグラウンドにいる奴らを入れるな。」
その説明にグレンだけでなく皆の顔にも緊張が走った。
リックは鉈を握り直すと一番近くの監房棟の扉を慎重に開ける。飛び出してくるウォーカーはいないので、ゆっくりと歩みを進めた。
監房棟の中は一つのエリアを鉄格子で仕切ってあった。手前側のエリアは共用スペースになっているらしく、簡素なテーブルと椅子がいくつも並んでいる。その少し奥には室内用の小さな監視塔があった。その監視塔の横を通って鉄格子を潜れば監房が並ぶエリアに入れる。
リックは監視塔の階段を上って警戒しながらドアを開けた。中には看守の死体があり、窓には血液が飛び散っていた。銃によって死んだのだろう。リックは死体を軽く突いて動かないことを確かめてから鍵と拳銃を取り、その場を後にした。
手に入れた鍵を使って監房が並ぶエリアに入り、更に探索を進めていく。監房の多くは開け放たれており、銃殺された死体が転がっているところもあった。物が散乱している様子を見ると混乱状態だったことが窺える。
リックは部屋の奥にあるゲートに鍵が掛かっていることを確かめてから上段にある監房を見に行った。先行するニーガンに続いて階段を上がると奥側の監房から物音が聞こえてきた。足を止めてこちらを振り向いたニーガンに頷き、後ろを付いていく。
物音が聞こえてくる監房に近づいた途端に中から腕が突き出された。その肌は腐敗して黒ずんでいる。やはり音を立てていたのはウォーカーだったのだ。
リックとニーガンはウォーカーに掴まれないように距離を取りながら監房の正面に立ち、こちらに向かって手を伸ばすウォーカーを観察した。監房は施錠されたままで、見た限りでは致命傷になるような傷が見当たらない。それにより、この囚人は餓死か衰弱死した後に転化したのだと推測する。他の監房は鍵が開いていたので、この監房にいた囚人は混乱のせいで取り残されたのかもしれない。
取り残されて生き地獄を味わい、死の恐怖に怯えたであろう囚人に対してリックが哀れみを抱く前に、ニーガンのナイフがウォーカーの頭部に突き刺さった。力なく崩れ落ちたウォーカーは二度と動かなかった。
今いる監房棟の安全を確認したリックたちは外に出て封鎖が完璧に行われたのかもう一度確認し、監房棟内の死体を運び出してからグラウンドで待つ仲間たちを呼び寄せた。
皆は初めて入る刑務所の内部に戸惑っているようだったが、自分の部屋となる監房を選ぶうちに笑顔に変わった。旅の間はプライベートな空間などなかったので一人になれる場所を得られて嬉しいのだろう。特にこれから思春期を迎えるカールとソフィアには個人の部屋が必要だ。
リックは自分の監房を選んで中に入っていく仲間たちを見守りながら棟内の片隅に座り込む。疲れが一気に押し寄せてきたので壁にもたれて座りたかった。
監房棟の中は静かだ。その静かな中でも密やかな話し声や笑い声が漏れ聞こえてきて、リックの顔に笑みが浮かぶ。
この監房棟の安全は確保できたので、ここを拠点に探索を進められる。少しずつ探索して安全なエリアを増やしていけば様々な機能が備わった部屋を利用できる。そうすれば生活水準も格段に上がるはず。これからは希望のある未来を見つめながら生きていけるのだ。大切な仲間たちと一緒に。
リックはその実感と共に目を閉じて深く息を吐き出した。やっと安心して眠れる。
目を閉じると緩やかに眠気が訪れた。自分の監房を決めてベッドで寝るべきだと頭では理解しているが、この心地良い眠気を逃したくない。今だけは睡魔に抗わずに流されてしまおう。
リックは笑みを浮かべたまま穏やかな眠りに入っていった。
*****
「本当に仕方ない奴だな、リック。」
ニーガンは床に座り込んだまま微睡むリックを見つめて笑う。そして、足音を抑えながら移動して彼の隣に腰を下ろした。
ニーガンが隣に座ってもリックが目覚める気配はない。気持ち良さそうに寝息を立てるだけだ。ニーガンはリックの寝顔を覗き込んで愛しげに目を細める。
「ゆっくり眠れ。頑張ってきたんだから、それぐらい許されるさ。お前が起きるまで傍にいてやる。」
そのように囁くとリックの体が傾いて頭がニーガンの肩に乗った。起きていたのか、と驚いたものの相変わらず寝息が聞こえてくるので眠っているのは間違いない。
眠りながら甘えてくるリックにニーガンは笑いを堪えるのに必死だ。笑ってしまうと振動で起こしてしまうので我慢したいのだが、余りにも面白いので笑ってしまう。
ニーガンはクスクスと笑いながら呟く。
「本当に、お前は俺を飽きさせないな。」
ニーガンはリックの寝顔を見下ろしながら顔を近づける。そして、「これぐらいは許されるだろ」と心の中で呟いてからリックの柔らかな髪にキスを落とした。
眠りから覚めたニーガンは見慣れない室内や、全身を伸ばして横になっている自身に首を傾げて「俺はどこにいるんだった?」と瞬きを繰り返した。とりあえず状況を把握するために周囲を見回してみる。
狭い部屋の中にあるのは良く言えばシンプルなデザインの机と椅子、小さな洗面シンクに簡素なトイレ、お情け程度のウォールシェルフのみ。ニーガンが横になっているベッドも狭くて粗末なものだ。本当に必要最低限のものが揃っただけの部屋であっても今の世界では上等だと称するべきだろう。
室内の様子を見て自分がいる場所を思い出したニーガンは、体を起こして両足をコンクリート製の床に着地させると短く息を吐いた。
「……ここは刑務所。俺たちの愛しい我が家だ。」
小さく呟いてから軽く微笑み、立ち上がって身支度を整え始める。
準備を終えたニーガンが監房から出ると、一部の仲間が室内の片づけを行っていた。
まだ眠っている仲間を起こさないよう静かに作業しているのはリック、ハーシェル、ソフィアの三人。疲れているはずなのに随分と早起きをしたようだ。
三人はニーガンが起きてきたことに気づいて「おはよう」と挨拶をしてくれた。それに対してニーガンは片手を上げて応える。
「よう。三人とも早起きだな。ちゃんと眠れたのか?」
その質問にソフィアが元気良く「うん!」と返事をする。
「昨日は疲れてたからすぐに寝ちゃった。だから早く目が覚めたの。ハーシェルが一番早く起きて、私は二番目。リックが三番目だよ。」
「そうか。早起きして片づけをしてたんだな。偉いぞ、ソフィア。」
頭を撫でてやるとソフィアは嬉しそうに笑った。
ニーガンはソフィアにハーシェルの手伝いをするように促して、それに素直に従った彼女がハーシェルの方へ駆けていく姿を見送ってからリックに近づく。
「リック、今日はどうする?他の監房棟を調べに行くか?」
「ああ、そのつもりだ。ここの安全は確保できたが、どこからウォーカーが入ってきてるのか調べないと。」
「探索に行くメンバーは俺とお前、シェーン、Tドッグ、それからグレンってところか。」
「グレンが行くならマギーも付いてくるだろうな。」
リックはそう答えてハーシェルに視線を向けた。
「マギーが来るとなるとハーシェルが心配して一緒に行くと言い出すかもしれないが、人数が多すぎると狭い通路では身動きが取りづらい。だからグレンは外そうと思う。」
その案にニーガンは思わず呻いた。できればグレンも入れて五人で探索に向かいたいが、彼が加わるとマギーとハーシェルも参加したがる可能性が高い。七人は多すぎだ。戦力ダウンは否めないが、グレン抜きの四人で行くしかないだろう。
ニーガンは「難しい判断だな」と呟きながらも首を縦に振った。
「お前の言う通り、グレン抜きの四人で行こうぜ。主力の四人がいれば何かあっても対応できるさ。」
「ああ、そうだな。」
話がまとまったところで仲間たちが次々と監房から出てきた。ニーガンとリックは眠たげに目を擦る仲間たちに朝の挨拶をしに向かった。
ニーガンたちは全員が起きてから簡単な朝食を済ませると探索に向かうための準備を行った。参加するメンバーはリックと話し合って決めた四人にグレンとマギーを加えた六人になった。
リックが探索のメンバーを発表するとグレンは参加を強く希望した。グレンが参加希望の意思表明をしたことによりマギーも同行を申し出て、ハーシェルも「マギーが参加するなら自分も行く」と言い出した。リックの予想通りの展開になったためニーガンはリックと共に三人を説得して、最終的にハーシェルが残ることに決まった。
リックが拠点に残る者たちに「自分たちが戻るまで絶対に拠点から離れるな。鍵も開けるな」と言い含めてから出発する。
ゲートを通って足を踏み入れた先は真っ暗で、懐中電灯で照らさなければ何も見えない。全員が自分の所持する懐中電灯を点ければ開け放たれた監房と何体もの死体が転がっているのが見えた。不気味な光景であっても引き返すわけにはいかない。帰る時に迷わないようスプレー塗料で壁に目印を描きながら慎重に進んでいく。
ニーガンはゆっくりと歩きながら死体の様子を観察して、どの死体も食い荒らされていることに気づいた。それが示すのはこの先にウォーカーがいるということ。狭くて暗い通路でウォーカーと対峙しなければならないのだと考えるだけで背筋を緊張が走る。
いくつかの曲がり角を通過して先へ進むうちに前方に分かれ道が現れた。ニーガンが右の通路、リックが左の通路をそれぞれに照らしてウォーカーがいないか確認する。どちらの通路にも誰の姿もない。
ニーガンは進路をどちらに向けるのか確かめるためにリックと視線を合わせる。
「──。」
リックは顎で左の通路を示した。ニーガンは了承を示すために頷いて体の向きを変えた。
左の通路を進んでいくと新たな曲がり角が現れたのでリックが懐中電灯で先を照らす。そこには何体ものウォーカーがいた。今まで遭遇しなかったのは運が良かったと言うしかない。
リックが「戻れ!」と鋭い声で叫ぶと同時に皆は来た道を戻り始める。だが、前方からもウォーカーがやって来たので全く別の通路へ逃げ込むことになった。
「急げ!」
「離れるな!」
「こっちだ!」
仲間の声が聞こえても必死に逃げているせいで誰の声なのか判別さえできない。
全員で逃げ回った末に両手開きの扉で行き止まりとなってしまった。その扉は鎖で封じられていたが、Tドッグの持っていた手斧で鎖を切ることができた。そして、後ろに迫るウォーカーに急かされるように部屋の中に飛び込む。
全員が中に入ったのでニーガンはすぐに扉を閉めた。Tドッグと共に扉を背中で押さえながら取手に金属の棒を通して封鎖する。それでも扉の向こう側に集まったウォーカーが勢い良くぶつかってくるので、その場に留まって扉を押さえ続けた。
改めて部屋の中を見てみるとテーブルや椅子などの家具が隅の方に寄せられており、そのために部屋の中央が空いているのだとわかった。壁の一部が金網になっている隣の部屋は厨房のようだ。そうなると自分たちがいるのは食堂だと考えられる。
その時、ニーガンたちが入ってきたところとは別方向から物音が聞こえてきた。皆が一斉に音の方に顔を向ければ金網越しに五人分の人影が見える。ウォーカーがいたのだろうか?
咄嗟に拳銃を向けようとしたニーガンの手は「誰だ?」と問う見知らぬ人間の声によって静止することとなった。
*****
先客はこの刑務所の囚人だった。リーダー格の男がトーマスと名乗り、小柄で最も若く見えるのはアンドリュー、大柄で体格が良いのがビッグ・タイニー、その次に大柄で真面目な印象を受ける男はオスカー、そして髪と髭が長く細身なのがアレックスだと教えられた。
五人の囚人は外部の人間が刑務所にいることに驚いていたので事情を聞くと、十ヶ月近くも食堂に閉じこもっていたと答えた。その経緯をオスカーが困惑した表情で説明する。
「死んだら蘇って食人種になるって噂が流れた。くだらないと笑ってたんだが、看守が俺たちをここに閉じ込めて『外の様子を確認したら戻る』と言って出て行ったきり戻らない。それからずっと閉じこもってる。」
オスカーの説明に付け加えるように、今度はアクセルが口を開いた。
「外に出ようと思ったこともあるが、扉の隙間から様子を窺おうとすると唸り声が聞こえるんだ。怖いから軍が救出に来るのを待ってたんだよ。」
囚人たちの話から判明したことをまとめると「彼らはおよそ十ヶ月の間、食堂から出たことが一度もないので外の様子を知らない」ということになる。ニーガンたちが状況を説明するにつれて彼らの表情はどんどん曇っていき、トーマス以外の者たちは親しい者が既に死んでいるという現実にショックを受けたようだった。
状況を飲み込んだ囚人たちはグループに加わることを望んだが、リックはそれを拒否した。ニーガンはもちろん、他の仲間たちも彼らと共に暮らすのは嫌だった。
言葉を交わした印象ではトーマスは暴力的な考えの持ち主だと感じた。拳銃の存在をチラつかせたり己の仲間を威圧することが度々あり、暴力で他者を支配することに慣れているように見える。保安官として様々なタイプの人間を見てきたシェーンが警戒の眼差しを向けるのが何よりの証拠だろう。そのトーマスに従順な素振りを見せるアンドリューも要注意だ。他の三人の人柄は良さそうに思えるものの、例の二人の仲間なので油断はできない。当然、五人とも受け入れられない。
仲間に加わることを拒否された囚人たちは反発したが、食堂に備蓄してある食料の半分をこちらに引き渡すことを条件に彼ら用の監房棟の制圧に協力するという提案を受け入れた。
ニーガンたちは監房棟の制圧の前に食料を仲間たちのいる監房棟に運び込む。その際に囚人たちのことを皆に話し、グレンとマギーは拠点に留まらせることになった。妊婦、老人、子どもがいるので何かあった時に対処するための人数は多い方が良い。
リック、ニーガン、シェーン、Tドッグの四人は仲間たちに見送られて囚人たちの待つ食堂へ戻った。制圧で使うための武器としてナイフやハンマー、ベースボールバットなどを用意したが囚人たちは不満げな顔をする。
トーマスは自分の拳銃を取り出して睨みつけるようにリックを見た。
「おい、こいつがあるのに何でこんなものを使わなきゃならないんだ?」
誇示するように拳銃を見せつける男にシェーンが冷めた声で理由を説明する。
「通路みたいな狭い場所で発砲したら壁に当たった弾が自分に跳ね返ってくるぞ。それに銃声はウォーカーを呼び寄せる。」
シェーンの説明にリックが頷き、その続きを引き受ける。
「ウォーカーは音に反応するからギリギリの状況になるまで銃は使うな。とにかく頭を狙え。ウォーカーは脳みそを潰せば動かなくなる。痛みを感じないから他の部分を傷つけても怯まない。脳みそを潰すことだけを考えろ。」
リックが言い含めるように話しても不満げな顔をする者がいたので、ニーガンは密かに溜め息を吐いた。恐らく彼らはウォーカーの体を攻撃するだろう。
先が思いやられる、と胸のうちで感想を零したニーガンは黙ったままリックの話に耳を傾ける。
「通路を抜けるまでは基本的に二人並びで進むぞ。隊列を崩したり一人で飛び出すな。互いを守り合わなければ死ぬ。それから何度も言うが、頭を狙うことを忘れるな。わかったな。」
それに対してトーマスが不敵な笑みを返した。
「人殺しの方法なんて教わる必要もないぜ。」
囚人の下卑た笑い方にニーガンは不快感が込み上げた。この男はリックをバカにしているのだ。
ニーガンがトーマスを殴りつけたい衝動を堪える横でTドッグが顔をしかめながら「相手は人間じゃないぞ」と忠告した。こうして、張り詰めた空気のまま目的の監房棟を目指して出発する。
シェーンを先頭に薄暗い通路を進み、ある程度歩いたところで曲がり角の向こうから影が差した。ゆらゆらと揺れながら近づいてくる影は間違いなくウォーカーのものだ。
シェーンが手振りで止まるように指示を出したので全員が立ち止まり、攻め込むタイミングを計る。ウォーカーが遂に姿を現すと囚人たちから緊張の気配がした。歯を剥き出しにして距離を縮めてくる怪物を見て現実を理解したのかもしれない。
もう少し距離が縮まったらシェーンが合図をするはずだ、とニーガンが身構えた次の瞬間に囚人たちが大声を出しながら突っ込んでいった。突然のことにニーガンだけでなく他の三人も目を丸くして囚人たちを見つめている。
興奮気味にウォーカーの胴体を刺したり殴ったりする男たちは「頭を狙え」というアドバイスのことなど忘れてしまったようだ。彼らは胸や腹ばかり攻撃しているが、それは無駄な労力としか言いようがない。現にウォーカーは重傷レベルの傷を負いながらも怯むことなく暴れている。ニーガンたち四人は顔を見合わせて肩を竦めた。
このままでは先へ進めないと判断したリックが「俺たちのやり方を見ろ」と言って囚人たちを後ろに下がらせてウォーカーを倒し始める。ニーガンたちもそれに続いてウォーカーを始末した。
新たなウォーカーが近づいてくるまでに少しの猶予が生まれたため、隊列を組み直して迎え撃つ準備を整えた。リックは囚人たちに向けて出発前の説明を繰り返す。
「もう一度言うが、脳みそを潰さないと意味がない。とにかく頭を狙え。他は攻撃するだけ無駄だ。──来るぞ。」
リックは警告するように一言付け加えてから手本を示すようにウォーカーの頭に鉈を振り下ろした。それを合図に囚人たちがウォーカーに攻撃を始める。
今度は頭を狙って攻撃するようになったため、押し寄せるウォーカーが次々と床に転がっていく。手際良くウォーカーを倒していく様子を見て「これなら問題ない」とニーガンはリックと視線を合わせて頷き合った。
しかし、ビッグ・タイニーが仲間やニーガンたちから離れて後ろへ下がっていく。強張った表情から察するに、以前の常識から考えれば異様な光景に怖気づいたようだ。彼の動揺に気づいたニーガンは舌打ちをしてから声をかける。
「おい、お前、俺たちから離れるな。」
そのように注意しても耳に届いていないのかビッグ・タイニーは後退を続ける。
ニーガンが無理にでも連れ戻そうと思った途端にビッグ・タイニーの背後にウォーカーが現れた。
「後ろだ!」
ニーガンは警告のために叫んだが間に合わず、ウォーカーの歯がビッグ・タイニーの肩に食い込んだ。仲間の悲鳴に囚人たちがこちらを振り返り、驚愕に目を見開く。
ビッグ・タイニーはウォーカーを振り払ったが、パニック状態に陥って頭ではなく胴体ばかり攻撃する。リックが急いで助けに入ろうとしたところへ銃声が響き、ウォーカーは額を撃ち抜かれて倒れた。発砲したのはトーマスだった。
リックはトーマスを睨むように見つめていたが、やがて視線を外すとビッグ・タイニーに向き直って傷を確認する。
「……肩を噛まれてる。残念だ。」
リックが硬い表情で告げるとビッグ・タイニーが焦った様子で「俺は大丈夫だ!」と言い募る。
「俺は元気だし、何も変わっちゃいない!頼むから連れて行ってくれよ!」
続けてアンドリューも「頼むよ」とリックに懇願した。
「まだ転化してないんだ。何とかならないのか?」
必死に説得を試みるアンドリューに対してリックは首を横に振る。脚や腕であれば切り落とすこともできたが、噛まれたのが肩ではそれもできない。自分たちにできることは何もないのだ。
リックがそのことを説明してもアンドリューは恨みのこもった眼差しを返して「冷たい野郎だ」と吐き捨てた。
ところが突然、黙って話を聞いていたトーマスが自分の持つ工具でビッグ・タイニーの頭を殴り付けた。予想もしていなかった事態に誰もが咄嗟に動けず、トーマスの行動を止められない。床に倒れ込んだ仲間の頭を工具で殴り続けるトーマスの顔に血飛沫が飛ぶ。
やがて、ビッグ・タイニーの頭が見る影もなく潰れた頃にトーマスは手を止めた。そして血塗れの顔をこちらに晒す。その目に宿る狂気に、ニーガンは「トーマスは危険な奴だ」と確信した。
トーマスは先ほどまで仲間だった相手を殺すことに少しの躊躇いもなかった。「人殺しの方法なんて教わる必要もない」という発言を聞いた時から疑っていたが、あの男が服役することになった罪状は殺人と見て間違いない。それを反省していないのは明らかで、それどころか力強さの証明として誇示しているように感じられる。こういったタイプの人間はいずれ暴走するだろう。
そのように結論付けたニーガンはどのようにトーマスを排除するか考えを巡らせ始めた。
トーマスの残忍さを目の当たりにして以降、監房棟の制圧に向かう者たちの間に漂う重苦しさと緊張感が増している。囚人の一人のアクセルは気弱な自身を隠す気がないらしく、時々ニーガンたちに縋るような眼差しを寄越した。仲間を無慈悲に殴り殺す男と一緒にいたくないのだろうが、仲間の問題は自分たちで解決してもらわなくてはならない。
しばらく歩いていると洗濯室に辿り着いたが、その部屋を通り抜けるための扉は施錠されており、扉の向こう側からはウォーカーの声が聞こえてくる。ここを抜けなければ監房棟に行くことはできない。
その時、リックがトーマスの足元に鍵の束を放り投げた。「お前が扉を開けろ」という意味だ。トーマスは鍵の束を見下ろしてからリックを睨む。
「嫌だね。」
拒否の言葉を返されたリックは無表情で「開けるんだ」と促した。
「自分たちの監房棟が欲しいなら扉を開けろ。ただし、開けるのは片側だけだ。両方とも開けるとコントロールできない。」
淡々と命令するリックをトーマスは睨んだが、リックは絶対に譲らない。
トーマスは渋々といった様子で鍵を拾い、無言で扉の前に立つ。その際にアンドリューに意味有りげな視線を向けたことにニーガンは引っかかった。己のボスからの視線を受けたアンドリューは扉の正面から脇へと移動した。奴らは何かを企んでいる、とニーガンは二人への警戒心を強める。
トーマスは鍵を開けて皆に「用意はいいか?」と声をかけた。そして「やるぞ!」と叫ぶと同時に扉を両方とも開け放った。そのせいでウォーカーの集団が一気になだれ込んでくる。
「俺は片側だけ開けろと言ったんだ!」
リックが怒りを顕に怒鳴ったが、トーマスは「仕方ねぇだろ!」と言い返した。
狭い部屋の中にウォーカーが溢れたため乱戦となり、目の前に迫るウォーカーを倒すだけで精いっぱいだ。トーマスとアンドリューを警戒したくともウォーカーが邪魔をする。
ニーガンが歯がゆさを感じながら戦っていた時、トーマスがウォーカーに向けて振り回した工具がリックを掠めた。ウォーカーを攻撃したように見せかけているが、どう考えても狙いはリックだ。トーマスはリックを殺そうとしている。
(あのクソ野郎、殺してやる!)
怒りを燃え上がらせるニーガンの目の前でトーマスは執拗にリックの命を狙う。今度は止めを刺していないウォーカーをリックに向けて突き飛ばしたのだ。ニーガンはウォーカーと共に倒れ込んだリックに急いで近づき、彼の上に乗っているウォーカーを蹴り落とした。そして、すぐにルシールでウォーカーの頭を殴り潰す。
ニーガンはウォーカーの動きが完全に止まったことを確かめてからリックに手を差し出した。
「噛まれてないな⁉」
「ああ、大丈夫だ!」
リックが答えながら手を握り返してきたのでニーガンは彼を一気に引っ張り起こした。リックを助け起こしたニーガンが後ろを振り返ると全てのウォーカーが倒された後だった。
トーマスは平然とした顔でリックに視線を向けるが、その目に宿る殺意は隠せない。ニーガンはルシールでトーマスの頭を殴るタイミングを計るために彼を睨みつける。
リックはトーマスと向かい合い、自分を殺そうとした男を無言で見据えた。その視線に耐えかねたようにトーマスが口を開く。
「ウォーカーが俺に向かってきたから避けようとした。仕方なかった。」
明らかにリックを狙っておいてよく言えたものだ、とニーガンは呆れる。
命を狙われた張本人であるリックは表情を少しも変えることなく「わかってる」と答えた。
「わかってるさ。……仕方なかった。」
その時、リックのまとう空気が変わった。純粋に殺意のみを宿したリックが次に取る行動をニーガンは察した。リックはトーマスを殺すつもりだ。それを止めようとは少しも思わない。
そしてニーガンの予想通り、リックがトーマスの頭に鉈を叩き込んだ。アンドリューが絶叫すると同時にトーマスが間抜けな顔をしながら床に転がる。愚かな男は自分が殺そうとした相手によって命を断たれたのだ。
リックの視線がトーマスからアンドリューに移り、ボスを失った男はリックに向けて振り上げたベースボールバットを投げ捨てて逃げ出した。
「俺が追う。」
それだけを言い残して駆け出したリックの後をニーガンは追いかける。残り二人の囚人はシェーンとTドッグに任せておけばいい。
ニーガンがリックを追いかけて薄暗い廊下を全力疾走した末に辿り着いたのは監房棟の外へ続くゲートであり、そこでは鉄格子越しにリックとアンドリューが向かい合っていた。アンドリューは外に飛び出したものの、多くのウォーカーに怯えて中に戻ろうとしたのだろう。それをリックが阻んでいるのだ。
「中に入れてくれ!頼む!」
必死に懇願するアンドリューの姿は滑稽だ。リックを殺そうとするトーマスを止めることなくその案に乗っかった者を助ける義理はない。相応の報いを受けるべきだ。リックはその方法としてウォーカーの彷徨く外に放り出すことを選んだらしい。
安全な食堂で長期間過ごしてきたアンドリューが一人で外に放り出されたら生き残るのは難しいだろう。ウォーカーに捕まって貪り食われる姿を想像するのは容易だ。それでも恨みを抱いた人間の執念を侮ってはならない。
ニーガンはリックの隣に立つと拳銃を取り出した。その拳銃は助けを求めてこちらを見上げる囚人の額に向けられる。驚愕に見開かれる目を見ても憐れみや罪悪感は欠片も湧かなかった。
引き金を引く手応えと、乾いた銃声が一つ。正確に額を撃ち抜かれた囚人の体が仰向けに倒れて、その姿は群がるウォーカーに覆われて一瞬で見えなくなった。ニーガンは驚いた様子でこちらを見るリックに構わず鉄製の扉を閉めて外界を遮断した。
「リック、戻るぞ。他の囚人をどうするか決めなきゃならない。」
ニーガンはリックに声をかけてから歩き出す。そうすると数秒経ってから足音が付いてきた。
黙り込むリックが気になり、ニーガンは後ろを振り返ってみた。彼は難しい顔で俯き気味に歩いている。ニーガンの予想が正しければ彼は落ち込んでいるはずだ。
ニーガンは苦笑を滲ませながら立ち止まってリックと向かい合う。
「さーて、今は何に落ち込んでるんだ?話してみろ。」
打ち明けるように促せば重い溜め息が返ってきた。
「……あいつを過酷な世界に放り出そうとした俺はとんでもなく冷酷な人間だと思ったんだ。奴は生き残れないから直接手を下す必要はない、と。」
リックはそこで言葉を切ると微かに笑った。それは紛れもなく自嘲の笑みだ。
「トーマスを殺すことにも躊躇いはなかった。俺を殺そうとするなら他のみんなも殺そうとする。それなら仲間を守るために奴を殺すしかない。本気でそう思った。」
「あの野郎がお前を殺そうとした瞬間から俺もあいつを殺すつもりでいた。たぶん、シェーンもだぞ。お前だけじゃない。」
「そうかもしれないが、それでも……」
リックは苦しそうに眉根を寄せる。
「自分が変化していくのを感じる。どんどん冷酷で残忍な人間になって、そのうちに俺自身が消えてなくなりそうな気がする。」
リックが吐露した苦しみは仲間を守ろうとするからこそ生まれる苦しみだ。以前の自分のままでは大切な人を守れないのは誰にでも共通することだが、リックは周りの者を守ろうとする気持ちが人一倍強い。だからこそ非情な決断をすることになるのだが、それは元々の彼の人間性を考えると受け入れ難いものだろう。
だが、リックの心にある一番大切なものは何も変わっていない。そのことを理解してほしい。
ニーガンはリックの頬に触れて「聞け」と話し始める。
「お前の心の根っこには『誰かを守りたい』って気持ちがある。それは今でも消えてない。何も変わっちゃいない。その気持ちがある限りお前は消えてなくなったりしない。」
「ニーガン……」
「それにな、俺があいつを殺したのは慈悲でも哀れみでもない。あいつが生き延びた場合に俺たちへの復讐を考えるかもしれないと思ったからだ。要するに問題の芽を摘んでおいたってことさ。」
ニーガンの言葉にリックは瞬きを繰り返した。アンドリューが生き延びた場合に自分たちへの復讐を企てることなど掠めもしなかったらしい。復讐が思い浮かばないのだから、やはりリックという人間の根本は変わっていないのだ。
ニーガンはリックの大切なものが変わっていないことを嬉しく思いながら彼の頬を軽く叩いて体の向きを変える。「行くぞ」と言って歩き出せばリックはすぐに隣に並んだ。今度は俯かずに真っ直ぐ前を向いている。
「ニーガン、ありがとう。」
リックはたった一言、感謝を告げて口を閉じた。
ニーガンはしばらくリックの横顔を眺めていたが、彼の横顔に悲壮感や落ち込んだ様子がないことから視線を正面に戻す。
完璧な善人などいない。もし完璧な善人がいるとすれば、その人間は他者が何らかの形で犠牲になっていることを知らない愚か者だ。そのような者は必要ない。悩み苦しみながらも他者を守るために必死に立ち上がり続ける者。そのような人間こそ好ましい。
ニーガンは自然と上がる口角をそのままに歩き続けた。
リックがニーガンと共に洗濯室の付近まで戻ると「仲間に入れてほしい」と必死に頼む囚人二人の声が聞こえてきた。揉めているのではないかと思い、リックは急いで部屋の中に入る。
リックとニーガンが戻ってきたことに気づいた皆は一斉にこちらに顔を向けた。そして囚人の一人のアクセルが「なあ、頼むよ」と悲壮な顔で近づいてくる。
「俺たちはあいつらとは違う。偶然一緒に閉じこもってただけで元々の付き合いはない。だから仲間に入れてくれ。」
そのアクセルの肩をシェーンが掴んで「いい加減にしろ」と引き戻した。
「あいつらと一緒にいた奴を信用できるわけないだろ。追い出すとは言ってないんだ、受け入れろ。」
「だけど、俺たちだけなんて無理だ!どうせ監房棟にも怪物どもがいるんだろ⁉そんなところで暮らすなんて……!」
「だから制圧するのを手伝ってやるって言ってるだろうが。」
シェーンが呆れ混じりに言ってもアクセルは頭を振って「無理だ」と繰り返す。
「制圧しても、その後は?知ってる奴らの死体が転がる場所で暮らせって?そんなひどいこと言わないでくれよ!頼む、仲間に入れてくれたら何でもするから!」
アクセルはパニックに陥ったように叫んだ。そんな彼を見て、シェーンの次はTドッグが溜め息を吐いた。
「死体を外に運び出して焼けばいい。そうすれば安心して寝られるだろ。」
そのアドバイスにもアクセルは拒むように首を横に振った。ウォーカーの脅威を肌で感じたことや仲間が死んだことにより不安が膨れ上がってしまったようで、すっかりパニックになっている。
リックたちが困惑しながら互いの顔を見ていると、黙って成り行きを見守っていたオスカーが「聞いてくれ」と声を上げた。
「あんたらからすれば囚人なんてどいつも同じに見えるだろう。だが、俺たちの仲間は良い奴ばかりだった。トーマスやアンドリューみたいなクズとは距離を置いてた。トーマスに殺されたビッグ・タイニーも良い奴だったんだよ。」
真摯に語るオスカーは真っ直ぐにリックを見つめている。その目はトーマスのものとは違い、誠実さに溢れていた。
「あんたたちが俺たちを受け入れられない理由はわかる。犯罪者が近くにいたら怖いよな。それは当然だと思う。俺たちが罪を犯した事実は消えないが、信じてほしい。俺もアクセルも絶対にあんたたちを傷つけない。」
オスカーの話を聞き、リックは自分の心が揺れていることを自覚した。
何らかの罪を犯したからといって全員が極悪人なわけではない。善良さを持ちながらも時と場合によっては犯罪者となってしまうこともある。だが、涙を流して反省の言葉を述べておきながら再び凶悪犯罪を引き起こす人間がいることも事実なのだ。だから簡単に彼らを受け入れることができない。
リックは囚人たちに「話し合う時間をくれ」と言って、仲間たちと相談することにした。二人から少し離れた場所でニーガン、シェーン、Tドッグと声量を落としながら話し合う。
「彼らを悪い奴だと思えない。だが、完全に信用していいのか迷うんだ。みんなはどう考える?」
そのように問いかけるとシェーンが「リックと同じだ」と答えた。
「あの二人はトーマスやアンドリューとは違う。根は良い奴だろうな。信用したい気持ちがないわけじゃないが……残してきた仲間のことを考えると躊躇う。Tはどうだ?」
「俺は仲間に加えてもいいんじゃないかと思う。演技してるようには見えないし、オスカーの話を聞くと受け入れてやりたくなる。……囚人ってだけで差別されるのは辛いと思うからさ。」
気まずそうに頭を掻くTドッグを見て、リックはデールから聞いた「Tドッグはグループにいる黒人が自分だけだということに不安を抱いている」という話を思い出した。Tドッグは一時期、「黒人である自分は危機的状況では見捨てられるのではないか?」という不安に苛まれていたそうだ。差別を経験してきた彼にとってオスカーの話は他人事ではないのだろう。
リックはTドッグに「お前の意見はわかった」と頷き、ニーガンに顔を向けた。彼の意見も聞きたかった。
「ニーガンはどう思ってる?」
「俺もお前たちと同じだな。信じてやりたいが、踏ん切りがつかない。そこでだ。俺たちだけで決めるんじゃなくて他の奴らの意見も聞いたらどうだ?」
「拠点にいるみんなに会わせるってことか?」
その問いにニーガンは迷うことなく頷いた。
「実際に会わないと判断できないだろ。それに、これは俺たち四人だけの問題じゃない。全員の問題だ。四人だけで決めるべきじゃないと思うね。」
その指摘に反論はできない。囚人を仲間として受け入れるかという問題は全員に関係することだ。全員が納得しなければグループ内に亀裂が走る原因となるだろう。ニーガンの提案通り、拠点に残る仲間に囚人を会わせて人柄を判断してもらい、それから受け入れについて話し合った方が良い。
リックは自分の中での考えが固まったので三人にそれを伝える。
「俺たち全員が迷ってる。だからニーガンが提案してくれたように他のみんなの意見を聞こう。拠点に連れて行くのは不安かもしれないが、しっかり見張ればいい。どうだ?」
三人はリックの意見に同意して頷いてくれた。これで方針は定まった。
リックは落ち着かない様子で話し合いが終わるのを待つオスカーとアクセルに近づいて結果を伝える。
「二人には拠点にいる俺たちの仲間に会ってもらう。その上で二人を受け入れるか話し合う。全員が納得しなければ受け入れられないから、それは理解してくれ。」
その話に囚人二人は「わかった」と返した。緊張しているのは変わらないが、希望があることに少しホッとしていることがわかる。
六人で拠点に戻ることになったため、先頭にはリックとニーガン、最後尾にはシェーンとTドッグが並び、囚人たちを挟んで歩き出した。
拠点のゲートが近づいたところでリックは他の五人を待機させて先に戻り、拠点に残っていた皆に事情を説明する。探索に向かった先で起きた出来事に仲間たちは顔を強張らせたが、囚人たちに会うと言ってくれた。そのためリックは拠点付近で待つ五人を呼びに戻った。
「妙な動きをしたら叩き出すからな。」
拠点である監房棟に入る直前にリックが警告すると、オスカーとアクセルは黙って頷いた。
そして二人を連れて監房棟に足を踏み入れる。中で待っていた皆の顔には緊張が見えた。囚人という存在に会うのが初めてだからだろう。
リックは仲間にオスカーとアクセルを紹介しようと振り返る。二人の顔には驚愕が浮かび、どちらもゲート近くで立ち止まっていた。
様子のおかしい二人にリックは首を傾げる。
「二人とも、どうした?もう少し前に来ても構わない。」
リックがそのように呼びかけても二人はその場から動かず、オスカーが「もういい」と頭を振った。
「俺たちは戻る。無理を言って悪かった。ここには近づかない。」
仲間に加えてほしいと強く望んでいたオスカーの突然の心変わりにリックだけでなく他の仲間たちも戸惑っている。リックはオスカーに理由を尋ねることにした。
「なぜだ?あんなに必死だったじゃないか。」
その問いにオスカーは項垂れながら答える。
「まさか老人や子どもがいるとは思ってなかったんだ。しかも妊婦までいるなんて……囚人と一緒に暮らすのを拒んで当たり前だ。安全を考えたらそうなる。だから俺たちは別の棟で暮らす。それでいいだろう、アクセル。」
オスカーの呼びかけにアクセルはしょんぼりと肩を落としながら頷いた。その姿は哀れみを誘う。
「本当は俺たちを受け入れてほしいけど……オスカーの言うことが正しい。俺たちがいたら安心できないよな。最初の計画通りに別の棟で暮らすよ。」
リックは二人の意見を聞き、彼らが善良な心の持ち主であると確信した。他者を思いやることができる人間であれば仲間になれる。オスカーとアクセルなら自分たちと一緒に生きていけると信じられる。
その確信を抱いたリックは仲間一人ひとりの顔を見つめた。皆もリックを見つめ返してきて、誰もが「オスカーとアクセルを仲間として受け入れたい」と思っていることが伝わってくる。
リックは深呼吸をしてから「みんなに聞きたい」と切り出した。
「俺はオスカーとアクセルを仲間として迎えたいと思う。みんなはどうだ?」
その言葉に驚いているのは名前を出された二人だけ。他の皆は穏やかに微笑んでいる。
真っ先に声を上げたのはハーシェルだ。
「私も二人を受け入れたい。彼らとなら一緒にやっていけると思った。」
ハーシェルが賛成すると、ベスが「私もよ」とハーシェルに抱きつきながら笑顔を見せた。
「私たちのことを思いやってくれる人となら仲間になれる。だから受け入れたい。みんなも同じ気持ちだと思うわ。」
ベスの言葉に皆が頷いた。これで決まりだ。
リックはベスに微笑んでから、先ほどから驚いて硬直したままの囚人たちを振り返る。
「俺たちはお前たちを仲間として受け入れることに決めた。さあ、どうする?これを蹴って別の棟で暮らすか?」
そのように尋ねるとオスカーとアクセルは笑みを浮かべながら互いの顔を見た。そして、すぐにリックに顔を向けて「ぜひ仲間になりたい」と答えた。
アクセルは興奮を隠さずにこちらに勢い良く近づいてくる。
「ありがとう!本当にありがとう!どんな仕事でもやるよ!きっと役に立つぞ!」
笑顔で向かってくるアクセルの勢いに押されてリックが一歩後退ると、オスカーが苦笑しながらアクセルの肩を掴んだ。
「アクセル、気持ちはわかるが落ち着けよ。」
オスカーはアクセルを落ち着かせてから改めてリックに視線を寄越した。その顔には安堵から来る笑みが浮かんでいる。
「受け入れてくれてありがとう。力仕事でも何でも任せてくれ。」
「ああ、頼りにさせてもらう。それじゃあ、まずは……自分たちの監房を決めるという仕事をやってもらおう。とても大事な仕事だ。」
リックが冗談混じりに告げれば全員が楽しそうな笑い声を上げた。
オスカーとアクセルも笑い声を上げたが、それが治まるとアクセルがしみじみと呟く。
「今回は自分の好きな場所を選べるんだなぁ。」
その呟きに同意するようにオスカーが微笑したまま頷く。
オスカーとアクセルはもう囚人ではない。リックたちグループの一員として生きていくのだ。だから彼らには選択する自由と権利がある。
感慨深げにしているオスカーとアクセルをグレンとマギーが「監房を選びにいこう」と促したので彼らは監房の方へ歩いていった。その姿を見届けながら、リックは安堵の息を漏らす。
(仲間は誰も傷つかなかった。信頼できる仲間が二人も増えた。本当によかった)
今日も一昨日も誰かが負傷したり命を落とす可能性があった。「作戦は必ず成功する」と信じていたが、それでも仲間を失う可能性はゼロではなかったのだ。だからこそ誰一人失わずに済んだことが何よりも嬉しい。
リックは一昨日から背負い続けてきた重たい荷物が消え失せたような感覚を味わい、もう一度深く息を吐き出した。
新たな仲間が加わり、刑務所での暮らしが本格的に始まった。
手始めに制圧の完了したエリアからウォーカーの死体を運び出す。土壌汚染が心配なので死体は埋めるのではなく焼却することにした。この作業にはハーシェルとローリ以外の大人全員が参加したが、それでも二日間という時間を要した。
それが済めば清掃作業だ。刑務所の至るところに血液がこびり付いており、これは不気味というだけでなく衛生的にも問題がある。皆で手分けして刑務所中を掃除し終わったのは刑務所を手に入れた日から一週間も経過してからだった。
ようやく刑務所がきれいになると荷物や物資を整理して生活の基盤を整えていく。この頃にはベビー用品を探す余裕も出てきたので、ベビーベッドや赤ん坊用の衣服などが調達されてきた。カールとソフィアによって飾り付けられたベビーベッドは皆の目を楽しませる役割も果たしてくれている。
生活の拠点を整えていく中でオスカーとアクセルは大いに貢献してくれた。オスカーは体格の良さを活かして力仕事を率先して引き受けていた。ウォーカーへの対応も申し分なく、調達にも参加している。真面目で穏やかな彼に誰もが好感を抱いた。
そしてアクセルもすぐにグループに馴染んだ。お調子者なところはあるが、仕事をサボったり手を抜くことなくきちんと働いてくれる。それ以外に子どもたちの話し相手も務めてくれるので助かっている。
片づけるべき仕事はたくさんあるが、皆の顔には笑みが絶えない。「我が家」と呼べる場所を手に入れて、ウォーカーを気にすることなく安心して眠れて、そして落ち着いて生活することができる喜びが自然と笑みを浮かべさせるのだ。
自分たちは幸せになれる。その希望を信じる気持ちが誰の心にも生まれていた。
*****
リックたちが刑務所で暮らし始めて半月ほどが過ぎた頃、遂にその日がやって来る。ローリが破水したのだ。医務室は事前に準備を整えておいたので彼女は速やかに医務室へ移動した。
分娩に携わるのはハーシェル、キャロル、マギー、ベスの四人。リックとカール、そしてシェーンの三人は医務室の前の廊下に椅子を置いて赤ん坊が生まれるのを待った。
ローリが医務室に入ってから三十分ほど経つと、ハーシェルが出てきて難しい表情で口を開く。
「赤ん坊の頭が出てこないから通常の分娩はできない。帝王切開に切り替えようと思う。リック、その許可を貰いたい。」
覚悟していたとはいえ、その言葉にリックだけでなくカールとシェーンの顔も強張った。
今のままでは母子ともに危険なので帝王切開すべきなのだと理解しているが、きちんとした病院ではない場所での手術はリスクが大きい。さすがに即答はできなかった。
リックはカールの顔を見る。カールは泣き出すこともなくしっかりと父を見つめ返してきた。
「カール、手術しないと母さんも赤ん坊も助からない。だからハーシェルに手術をお願いしようと思う。いいな?」
カールはそれに対して「いいよ」と深く頷いた。
カールの許可を得たリックは視線をシェーンに移す。自分がお腹の子どもの父親になると宣言したが、彼の意見は聞いておくべきだと思ったのだ。そのシェーンは無言で頷いて手術を行うことを許した。これで二人の承諾を得たことになる。
リックは改めてハーシェルに向き直り、「ハーシェル、頼む」と言った。
「ローリと子どもを助けてほしい。……手術をしてくれ。」
リックは声を絞り出すように頼んだ。そうするとハーシェルはゆっくりと瞬きをしてから返事をする。
「最善を尽くそう。」
その一言だけを残してハーシェルは再び医務室の中に入っていった。
リックは医務室の扉が閉まると祈るように両手を胸の前で組み合わせる。
(無事に終わってくれ……!)
神を信じていなくとも必死に祈る。誰に対してというわけではなく「ローリと赤ん坊が無事であるように」と祈り続けた。
手術が始まってからの体感時間は恐ろしく長かった。腕時計を確認しても針はなかなか進んでくれない。
不安と焦燥感に苛まれるリックたち三人にとっての救いは他の仲間たちの存在だ。交代でこちらの様子を見に来ては「ローリたちは大丈夫だ」と励ましてくれることがありがたく、温かい飲み物の差し入れも心を落ち着かせてくれた。苦しい時にいつも支えてくれる仲間たちに改めて感謝の気持ちが込み上げる。
そしてローリが医務室に入ってから数時間が経ち、待ち望んだ産声が聞こえてきた。勢いの良い赤ん坊の泣き声に三人揃って立ち上がった。
「──生まれた!」
リックは自分の顔に笑みが広がるのを自覚しながら声を震わせた。「やった!やったね!」と歓声を上げて抱きついてくるカールの体を抱きしめ返し、シェーンと目を合わせて頷き合う。シェーンの目は微かに潤んでいた。
シェーンは嬉しそうに微笑みながらリックの肩に手を置く。
「おめでとう、リック。本当によかった。」
祝福の言葉を述べたシェーンの表情は晴ればれとしている。そこにあるのは純粋な祝福だけだ。
リックはシェーンの目を真っ直ぐに見つめ返しながら「ありがとう」と心からの感謝の言葉を紡ぐ。リックがローリのお腹の子の父親になることを受け入れて友人として支えてきてくれたこと、そして友人として子どもの誕生を祝福してくれたこと。それらに対する深い感謝を込めて告げた「ありがとう」はしっかりと届き、シェーンは目を細めて笑いながら頷いてくれた。
三人で喜びを分かち合っていると医務室の扉が開いてベスが出てきた。その腕には生まれたばかりの赤ん坊が抱かれている。
「無事に生まれてきてくれたわ。すごく元気な女の子。リック、抱っこしてあげて。」
ベスから促されたリックは恐る恐る小さな娘を受け取る。初めてカールを抱き上げた時も壊れ物を扱うように接したものだ。その時の記憶が甦り、自然と笑みが浮かぶ。
リックは腕に抱いた赤ん坊の顔を覗き込んだ。そうすると言葉にならない愛しさが胸に押し寄せた。その愛しさに身を任せて生まれたばかりの娘に挨拶する。
「初めまして。俺が父さんだよ。これから先、何があっても俺が守る。絶対に幸せにする。……愛してるよ。」
リックはありったけの愛情を込めた言葉と共に額へのキスを贈った。
次は兄であるカールが挨拶する番だ。リックはカールの正面に移動すると腰を低くした。
「カール、お前の妹だ。挨拶してあげてくれ。」
その言葉にカールはコクンと頷き、目を輝かせながら妹に顔を近づける。
「僕はカール。君のお兄ちゃんだよ。たくさん遊んであげるし、守ってあげるからね。」
カールは妹に声をかけながら、ふっくらとした頬を指で突っついた。「可愛い」と笑うカールの後ろからシェーンが身を乗り出して覗き込み、小さな命に優しい眼差しを注ぐ。
「カールもこんなに小さかったんだぞ。リックから『抱っこしてあげてくれ』って言われた時は潰しちまいそうで怖かった。」
「あの時のお前は面白かったな。動きがぎこちないし、顔も強張ってた。録画しておけばよかったって思ったよ。」
「本当に良い性格してるよな、お前。」
リックはシェーンと笑い合ってから立ち上がり、傍で見ていたベスに顔を向ける。
「ベス、この子は俺が世話をするからハーシェルを手伝ってくれ。……ローリの状態は?」
「今は切った箇所を縫合してる。体力を消耗してるから、どれだけ早く体力回復できるかが問題だと思う。」
そのように説明したベスの表情は曇っていた。それがローリの状態が良くないことを示している。ローリは妊娠期間中、その大半を旅をして過ごした。その間にかかった体への負担が出産にも大きく影響したのだろう。今は彼女の生命力を信じるしかない。
ベスは気を取り直すように微笑んで「大丈夫よ」と言った。
「彼女は強いから大丈夫。ほら、みんなに赤ちゃんを紹介してきて。処置が済んだら呼びに行くから。」
「ああ、頼む。」
それに頷いてから医務室に戻るベスを見送ると、リックはカールとシェーンを振り返って「戻ろう」と呼びかけた。ベスの言う通り、心配して待っている皆に新しい仲間を紹介すべきだ。それに肌寒い廊下にいるのは新生児にとって良くない。
リックは拠点に向けて歩きながら、振り返って医務室の方を確認したい気持ちをグッと我慢した。
苦しい時期を乗り越えて誕生した娘はジュディスと名付けられた。名付けたのは兄であるカールで、誰もが「良い名前だ」と笑顔を浮かべた。
ジュディスは元気いっぱいで食欲もあり、彼女がミルクをたくさん飲む様子を見てリックは安堵した。
一方、ローリの体調は良くない。出産した翌日に意識を取り戻したものの顔色は悪く、長く目覚めていることができなかった。想像以上に体力を消耗しているようだ。
眠りと覚醒を繰り返してベッドから離れられないローリの看病は交代で行っている。ローリの看病とジュディスの世話を全員で行っている状況にリックはありがたさと申し訳なさの両方を感じているが、嫌な顔一つせず手助けしてくれる仲間たちには謝罪ではなく感謝を伝えるようにしている。
ローリの体調に関して油断できない日々が続いたある日、リックが看病のためにローリの監房で過ごしているとカールがジュディスと共に姿を見せた。妹を抱っこする姿がすっかり馴染んだ息子を見てリックは思わず顔を綻ばせる。
カールは椅子に座るリックの隣に立ってローリの寝顔を眺めた。
「母さんの調子はどう?一回は起きた?」
「俺が交代してからは目覚めてない。母さんに用があるのか?」
「ううん、特に用事があるわけじゃないけど……なんとなく。」
そのように答えてカールは黙り込んだ。リックはローリを見つめるカールの横顔を眺めながら、我が子を安心させる言葉を言ってやれないもどかしさを感じる。
ローリは日を追うごとに意識を保っていられる時間が短くなっており、食事を取ることもできないほどに弱っていた。顔色については真っ白という表現が相応しい。ハーシェルは何も言わないが、彼女の命が長くないことは素人のリックにもわかる。
結局、リックは何も言えずに黙ってカールの背中を撫でた。
その時、ローリの目蓋がピクッと動いた。そしてゆっくり目を開けて、視線をこちらに向けると嬉しそうに微笑んだ。
「三人とも、ここに居てくれたのね。」
少し掠れているが穏やかな声音だったのでリックは嬉しくなり、「ああ、そうだ」と笑みを返した。
カールは目を覚ました母に一歩近づいて声をかける。
「母さん、苦しくない?大丈夫?」
「大丈夫。少し眠いだけ。ジュディスも来てくれるなんて……嬉しい。」
ローリは兄に抱かれてぐっすり眠るジュディスを微笑ましげに見た。やがて、その視線がカールに移る。
「カール、少し外で待っててくれる?お父さんと話したいの。」
ローリの頼みにカールは「わかった」と頷いて監房の外へ出ていった。
リックはカールの後ろ姿を見送ってからローリの方に顔を戻した。
「ローリ、眠いなら眠った方がいい。話なら後で──」
「お願い、聞いて。」
落ち着いた口調ながらも強い意思を感じて、リックは「わかった、聞く」と答えた。
ローリは「ありがとう」と微かに頷き、笑みと共に真っ直ぐに視線を寄越した。
「ねえ、リック。私たち、いろんなことがあったわね。あなたをたくさん傷つけて、今は夫婦という形ではなくなってしまったけど……あなたを大切に思う気持ちは変わってない。愛してる。あなたに出会えて、家族になれて、本当によかった。私に大切なものをたくさんくれてありがとう。」
穏やかに微笑みながら紡がれるローリの言葉によってリックは悟った。彼女の命の炎はもうすぐ消える。残された時間は少ないのだ。その事実にリックは胸が苦しくなった。悲しくて辛くて、目から涙が溢れ出た。
リックは頬を濡らす涙を拭うこともせず必死に思いを伝える。
「感謝してるのは俺の方だ。俺と家族になってくれて、子どもたちを授けてくれてありがとう。今でも君は俺の大事な人だ。愛してる。ローリ、君を心から愛してる。」
リックはローリの手を握った。その手は普段より冷たく、今にも彼女から温もりが消えてしまいそうで恐ろしい。
本当は「逝かないでくれ」と縋りたかった。「ずっと自分たちと一緒に生きてほしい」と声に出して伝えたかった。だが、それを誰よりも望んでいるのはローリ本人だ。それは叶わないのだと本人が理解しているのだから彼女以外の人間がその望みを口にしてはいけない。
リックは胸が苦しくてそれ以上は言葉が出てこなかった。溢れる涙を瞬きで散らすだけで精いっぱいだ。そんなリックを見てローリが小さく笑った。
「やっぱり泣き虫ね、リック。泣き虫でも構わないから子どもたちの標になってあげて。でも、自分一人で抱え込まないで。あなたには助け合える人たちがいるんだから。」
付け加えるように「お願いね」と言われ、リックは何度も首を縦に振った。
「リック、カールを呼んで。あの子にも伝えたいことがあるの。」
リックは「わかった」と声を絞り出してからローリの手を離し、袖で涙を拭いながら監房を出た。
カールはローリの監房から少し離れた場所で待っており、泣き晴らした顔のリックを見て何かを堪えるように唇を噛む。その表情を見て、リックは慰めたい気持ちからカールの頭を撫でた。
「カール、母さんが呼んでる。伝えたいことがあるそうだ。ジュディスは俺が預かるから行っておいで。」
「……うん。」
リックはカールからジュディスを受け取り、監房に入っていく小さな背中を見送った。そして母と息子の二人だけになった監房を微動だにせず見つめ続ける。
愛した人がもうすぐこの世を去るのだという現実を受け止めるのは難しかった。頭では理解できても心が追いつかない。
しかし、時間をかけてでも受け入れなければ前に進めない。立ち止まっている暇もない。この腕の中にある命は弱くて幼くて、守ってやらなければ簡単に散ってしまう。リックは小さくて重い命を守っていかなければならないのだ。
リックは静かに涙を流しながらジュディスを見下ろす。いつの間にか目を覚ましていた我が子は真っ直ぐに父親を見上げてくる。その目は美しく、心から愛しいと思った。
「誓うよ。」
リックは呟いて、ジュディスに優しい眼差しを注ぐ。
「母さんの分もお前とカールを愛する。そして命に替えても守る。絶対だ。」
この世を去るローリに対してリックができるのは彼女の分も子どもたちを愛して守ることだけだ。この誓いは絶対に違えない。
誓いを受け取った幼い娘は全てを理解したようにゆっくりと瞬きをした。
ローリはカールとの話が終わった後、微笑を浮かべたまま眠りについた。そして彼女が再び目覚めることはなく、静かにあの世へと旅立っていった。
*****
ローリの葬儀は雲一つない晴天の下で行われた。晴れやかな笑顔が魅力的な彼女によく似合う青空だった。
ローリはグラウンドの片隅に埋葬された。埋葬する前に彼女が転化しないよう頭をナイフで刺す必要があったので、仲間のうち数人から「リックの代わりに処置をする」との申し出があった。
しかし、リックはその申し出を「彼女の夫である自分の務めだ」と断り、涙を堪えて転化を防ぐための処置に臨んだ。その際、ナイフを構えるリックの手に優しく手を添えたのがカールだった。リックがカールの手助けを受け入れたことにより、ローリは愛する家族による処置を受けたのだ。
葬儀の間、アトランタから共に旅をしてきた仲間たち全員が泣いていた。グリーン姉妹は抱き合いながら涙を流し、ハーシェルは少し声を震わせながら別れの言葉を紡いだ。ニーガンは沈痛な表情で墓を見つめて、オスカーとアクセルは悲しそうに俯いていた。カールは静かに涙を流しながらも俯くことは一度もなく、リックはその姿に息子の成長を感じた。
リックは葬儀の最中も終わった後も泣かなかった。皆が悲しみに打ちひしがれている状況で泣くわけにはいかない。我が子たちだけでなく、仲間のためにもしっかりと立っていなければならないと思ったからだ。
そして、皆から「少し休んだ方がいい」と心配されても精力的に動いた。その方が寂しさに囚われなくて済んだ。
とにかくローリを亡くした寂しさから逃れたい。それだけだった。
リックは皆が寝静まった深夜にベッドを抜け出した。寝ようとしてもローリとの思い出ばかりが頭に浮かんで眠れそうになかった。妻を亡くしたばかりのリックを気遣ったキャロルがジュディスを預かってくれたので、こうして気分転換に行くことができる。
寝ている仲間を起こさないよう慎重に歩いて監房棟から出ると夜空に月が浮かんでいた。美しくも寂しげな月に少しだけ親近感を抱く。
リックが佇んだまま月を見上げていた時、後方で扉の開閉音が響いた。振り返ればニーガンがこちらを見て微笑んでいる。
「やっぱり眠れないのか?」
ニーガンは尋ねながら近づいてきた。その問いに対してリックは「そうなんだ」と頷く。
「ローリのことばかり思い浮かんで、寂しくて……悲しくて眠れない。彼女が死んでしまって悲しい。すごく悲しいんだ。」
本音が零れて、涙が溢れた。
リックは泣き顔を見られたくなくてニーガンに背を向ける。涙は簡単に止まるとは思えず、みっともない顔を晒したくなかった。
俯くとコンクリートの床に涙が落ちる。止まることなく落ちる涙の雫が跡を作り、それは涙が落ちる度に大きくなっていった。
リックは涙の跡を見下ろしながら思いを吐き出していく。
「関係性が変わっても彼女を愛してる。ローリという一人の人間を愛してるんだ。……大事な人だった。」
関係性が夫婦から友人へと変わってもローリはリックの大事な人だ。これから先も一緒に生きていきたいと望み、そうあるのだと信じていた。だが、彼女はこの世から去ってしまった。
「誰が何と言おうとローリは俺にとって女神だった。それはずっと変わらない。」
すれ違って、傷つけ合って、それでも支え合って生きてきた人。苦しい状況を乗り越えてこられたのはローリの支えも大きい。出会った瞬間から最期の時まで、彼女はずっとリックの女神だった。
かけがえのない存在を失った喪失感が心を埋め尽くして苦しい。時が経っても和らぐことはないのではないだろうか?そんな疑問を抱くほど胸が苦しくて仕方なかった。
リックが泣き続けていると、不意に体が温もりに包まれる。ニーガンに後ろから抱きしめられたのだ。
リックが驚いて顔を向けると「俺の妻の話をしよう」と囁かれた。
「ガンで死んだって話しただろ。診断を受けた時点で末期だったからどうしようもなくてな。それでも俺は諦められなくて、医者を怒鳴りつけたこともある。どうにもならない現実に腹を立てたんだろうな。」
そのように語るニーガンは自嘲気味に笑った。過去の自分を愚かだと思っているのだろうが、リックはそうは思わなかった。彼の怒りや辛さはとてもよく理解できる。
「彼女が死んで、転化して、俺は何もせずに病室を出た。臆病だったのさ。自分の大切な人間が怪物になっちまったってのに救ってやれなくて……偶然出会った他人に後を任せるしかなかった。俺は最低な夫だ。」
自身を「最低な夫」と吐き捨てたニーガンからは強い後悔が伝わってくる。妻の最期を他人に任せたことをずっと悔やみ続けてきたのだろう。リックは後悔を胸に抱きながら生きてきたニーガンの心境を思い、胸が苦しくなった。
ニーガンは少し沈黙した後に話を再開する。
「今でも彼女を忘れられない。だからバットに彼女の名前を付けた。」
その告白にリックは驚き、思わず「ルシール?」と呟いた。目を丸くしたリックにニーガンが苦笑を見せる。
「驚いたろ?ルシールは死んだ妻の名前だ。……ルシールを握ると彼女が一緒にいてくれる気がして力が湧く。あのバットは単なる武器じゃないんだ。」
自分の身を守るための武器に亡くなった妻の名前を付けたことには驚かされたが、それほどに喪失感が強いのだと察した。ニーガンは今でも妻を失った悲しみを背負い続けている。
一人で悲しみを抱えていたニーガンは孤独だったのではないだろうか?仲間を得ても悲しみや喪失感に囚われる瞬間、彼は孤独を感じていたのではないだろうか?
そう考えると堪らなくなり、リックは自分を抱きしめるニーガンの腕に触れた。そして労るように優しく撫でる。少しでも彼を慰めたかった。
リックが腕を撫でるとニーガンは目を瞠ったが、穏やかな笑みを浮かべて「なあ、リック」と呼びかけてきた。
「大事な人間を亡くした悲しみだとか寂しさってのは薄れることはあっても消えることはない。それでも俺たちは生きていかなきゃならない。だから時々、こうやって二人で慰め合わないか?ローリやルシールの思い出話をしよう。どうだ?」
リックはニーガンの言葉をゆっくりと頭に染み込ませていく。
愛する人を失った悲しみや寂しさは薄れたとしても消えることはない。それはニーガンの実感であり、事実でもある。リックはそれをこれから思い知ることになる。
だが、慰め合う相手がいるならば少しは楽になるだろう。思い出を懐かしんで語ることは心の慰めにもなるはず。
リックは「そうしよう」と答えて頷き、ニーガンの提案を受け入れることを示した。それに対してニーガンから笑顔が返ってきた。
リックはニーガンの笑顔を見つめながら望みを口にする。
「ニーガン、もう少しだけ、こうしていてくれないか?まだ離れたくないんだ。」
いつの間にか涙は止まっていた。ニーガンのおかげで悲しみと寂しさは和らいでいる。それでも温もりを手放したくないと思った。
リックの望みをニーガンは快く受け入れると抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
リックは「ありがとう」と感謝を告げて顔を正面に戻す。そして、もう一度空に浮かぶ月を見上げてみた。
夜空に佇む月は先ほどまでと変わらず美しい。だが、今度は寂しそうには見えなかった。
To be continued.