道なき未知を拓く者たち⑨ ローリの死から数日が経ち、グループの皆は刑務所の中を生活の場として整える作業に打ち込んでいた。大切な仲間を失った悲しみや寂しさを抱いていても前を向いて動き出している。
カールは寂しげな表情を覗かせる瞬間がありつつも生まれたばかりの妹の世話を熱心に行っていた。可愛くて堪らないといった様子でジュディスを構う姿にリックは胸を撫で下ろしている。そのジュディス本人はとても元気だ。彼女は大声で泣き、たくさんミルクを飲み、そしてよく眠った。その姿にリックが安堵の息を漏らした回数は数え切れない。
リックはジュディスの世話をしながらもリーダーとして全体を見守った。細かな指示を出すだけでなく力仕事も担っているのだが、ジュディスの世話が増えたことにより調達に出る余裕がなくなった。それをフォローして仲間たちが積極的に調達に出かけてくれている。今日はグレンとマギーが調達に行くことになり、リックは二人を見送るためにゲート前に立った。
リックは出発の準備を終えたマギーと「気をつけて行ってきてくれ」「うん、ありがとう」と言葉を交わした後、彼女がベスと抱擁を交わす姿を見守る。
「行ってくるね。父さんが私を心配してソワソワしそうだから気を紛らわせてあげて。」
「うん、任せて。気をつけて行ってきてね、マギー。」
リックは仲睦まじい姉妹に笑みを浮かべた。その次は二人に向けていた視線を車の傍らに立つグレンに移す。
「グレン、二人だけで行かせることになってすまないな。手が足りてないわけじゃないから俺も行けるんだぞ。本当にいいのか?」
「一応は足りてるけどギリギリだろ。それにリックはカールとジュディスの傍にいるべきだ。カールは時々寂しそうにしてるし、ジュディスは目が離せないしね。とにかく、俺たち二人で大丈夫。昼過ぎには戻るから。」
グレンはそう言って微笑み、リックの肩をポンッと叩いた。母を亡くしたばかりの子どもたちを心配してくれるグレンの優しさがリックにはとても嬉しかった。
リックがグレンに「ありがとう」と感謝すると彼は頷いて、リックと共に見送りに来たカールを見る。
「カール、何かリクエストはある?欲しいものがあったら探してきてあげるよ。」
カールは少し考えてから口を開く。
「うーん……やっぱり粉ミルクかな。ジュディスってば信じられないくらいたくさんミルクを飲むんだ。粉ミルクがどれだけあっても足りないよ。」
「わかった。優先して探すよ。」
グレンは微笑ましげな眼差しをカールに向けてから車に乗り込んだ。
グレンとマギーが乗った車のエンジンがかかったので、リックは刑務所と外を繋ぐゲートを開けに向かう。少し離れたフェンスの前ではアクセルが大きな音を出して周辺を彷徨くウォーカーを引き寄せてくれている。リックは周辺にウォーカーがいなくなったのを確認してからゲートを開けて、車が出ていくとすぐに閉めて施錠した。
監房棟に戻るために体ごと振り返ったリックは遠ざかる車を見つめるベスに気づいた。ベスは外に出て調達を行う姉を案じているのだろう。
リックはベスに近づくと顔を覗き込んで目を合わせた。
「ベス、マギーは頼もしいしグレンも一緒だ。昼過ぎには帰ってくる。」
その励ましにベスは穏やかに微笑んで「そうね」と頷いた。
「私たちは私たちの仕事を頑張らないと。戻ってきた二人がびっくりするくらいに片づけを進めておかなくちゃ。」
「ああ、そうだな。俺も頑張るよ。」
リックがそのように答えるとベスは頬を膨らませて睨みつけてくる。予想外の反応にリックは目を瞬かせた。
ベスは両手を腰に当てて「リックは頑張らなくていいの!」と怒る。
「頑張り過ぎなんだから、ほどほどに作業して。こうなったら私が見張らなきゃだめね。父さんにも一緒に見張ってもらわなきゃ!」
ベスはつい頑張り過ぎてしまうリックに対して怒っているようだ。その勢いにたじろぐリックは近くでやり取りを眺めていたカールに視線で助けを求めるが、彼は頷いただけで先に行ってしまった。アクセルも知らぬ間に帰ってしまったらしく姿が見えない。
リックは監房棟までの帰り道、ベスの説教を聞きながら歩くこととなった。
いつもと変わらないはずの日常が狂い始めたのは午後になってから。昼過ぎには調達から戻る予定のグレンとマギーがいつまで経っても帰ってこないのだ。
リックたちは「思ったより時間がかかっているのかもしれない」と思いながらグレンたちの帰りを待っていたものの、三時を大幅に過ぎても戻ってこないことにより二人が何らかのトラブルに巻き込まれたのだと結論付けた。暗くなる前に捜索に向かわなければならないため、リックは捜索隊のメンバーの発表と同時に出かける準備を指示した。
皆が慌ただしく準備をしているところへ外で見張りをしていたカールとソフィアが「知らない人が来てる!」と監房棟に駆け込んできた。その慌てた様子にリックの焦燥感が増す。
「カール、ソフィア、その人はどこにいる?グレンとマギーはいないのか?」
リックは子どもたちの前に膝をついて目線を合わせながら尋ねた。カールはリックの目を見つめ返しながら答える。
「フェンスの前にいる。一人だけで、他には誰もいない。グレンとマギーは戻ってきてないよ。」
その説明を肯定するように頷いたソフィアがカールの説明を補足する。
「その人はスーパーのかごを持ってた。中身がたくさん入ってるみたい。もしかしたら、グレンとマギーが見つけたものかも。」
それを聞き、リックは眉間にしわを寄せた。グレンとマギーが調達に向かった方向にはスーパーマーケットがあるはずだ。フェンスの前にいる人物はグレンとマギーの行方を知っている可能性がある。
リックはカールとソフィアに「二人ともありがとう」と言ってから立ち上がり、ニーガンに顔を向けた。
「ニーガン、俺と一緒に来てくれ。フェンスの前にいる奴に話を聞く。」
ニーガンが「わかった」と頷いたのを見て、リックは他の皆に対して「何人かで周囲を見張ってくれ」と頼むと監房棟の出入り口へ向かった。そして、ホルスターから拳銃を取り出しながら来訪者の元へ急ぐ。
フェンスの近くでは長髪を舞わせながらウォーカーと戦う者がいた。使っている武器は拳銃ではなくサムライが使っていたとされる刀で、初めて見る刀にリックは目を丸くする。距離を縮めていくとその人物が女であることがわかり、隣を歩くニーガンが「サムライガールか」と感心したように呟く声が聞こえた。
女は刀を巧みに使ってウォーカーを倒しているが、時々よろけてしまう。どうやらケガをしているらしく、徐々に動きが鈍くなっているので助けに入らなければウォーカーに食われてしまうだろう。
リックはニーガンに開門を頼んで女の元へ急いだ。こちらに群がろうとするウォーカーの頭を撃ちながら、力尽きて地に伏した女に近づく。
「おい、しっかりしろ!あんたに仲間の行方を聞きたい!早くフェンスの中へ入れ!」
リックがウォーカーを倒しながら呼びかけても女から反応は返ってこなかった。完全に意識を手放してしまったのだ。
リックに追いついたニーガンは気を失った女の体に噛み痕がないかを確認して、問題ないことがわかると女の体を肩に担ぎ上げた。ついでに地面に転がる刀を拾うことも忘れていない。
「リック、俺がこいつを運ぶからお前は援護しろ。ウォーカーどもが集まってきてる、急げ。」
「わかった、行こう。」
リックはニーガンの指示に頷き、近くに放置されていたスーパーマーケットのかごを手に取る。そして、女を連れてゲートを目指すニーガンを守りながら走った。
フェンスの中に入るとすぐにゲートを閉じて施錠し、急ぎ足で監房棟へ戻る。
歩きながら改めて女の状態を確認すると彼女は左脚の太腿を負傷しており、それは噛まれた傷や切られた傷ではなく銃で撃たれたものだった。出血はしているが大量出血ではないようなので死ぬことはないだろう。
女の傷の状態を確認し終わり、次に頭に浮かんだのは先ほどからずっと気になっていることだ。
リックが思わず眉根を寄せるとニーガンから「おい、リック」と呼びかけられた。
「たぶん、俺たちは同じことが気になってて心配してる。とりあえず二つあるはずだが、どうだ?」
その問いにリックは無言で頷いた。リックが頷いたのを見たニーガンはそのまま話を続ける。
「まず一つ目。女が持ってきたかごに粉ミルクが入ってることだ。刑務所に赤ん坊がいることを知ってるとしか思えない。そうなると、この女がグレンとマギーに会ったのは間違いないだろうな。」
ニーガンが指摘した通り、女は刑務所に粉ミルクを必要とする赤ん坊がいることを知っていたと考えられる。それを知るにはグレンとマギーから話を聞くしかないのだが、どういった経緯で二人と出会って話を聞いたのかが気になる。
そして、もう一つの気になっていることが何よりも重要だ。リックはそれを自ら口にする。
「二つ目は女が一人だけで刑務所へ来たこと。グレンとマギーに会ったはずなのに、なぜ二人が一緒じゃないのか?──それが示すのは二人がここに戻ってこられる状態じゃないということだ。」
リックは自ら導き出した結論に胸を締め付けられた。仲間二人の命が危険な状態にある可能性が高いことに不安が膨らみ、二人を失うかもしれないという恐怖が這い寄ってくる。
リックは眉間にしわを刻んだまま唇を強く噛んで「動揺している場合じゃない」と自身を叱咤しながら監房棟に入った。
監房棟の中でリックたちの帰りを待っていた皆は運び込まれてきた見知らぬ女を見て驚いたが、女がケガをしていることに気づくとすぐに治療の準備が行われる。Tドッグとオスカーが荷物を移動させて場所を空けて、そこにベスが毛布を敷いた。その上に女を寝かせればハーシェルがすぐに治療を始める。
ハーシェルは女から視線を外すことなくリックに問う。
「リック、マギーとグレンはいなかったのか?」
その問いにリックは「ああ、姿はなかった」と答えて手に持っていたかごを床に置いた。そして視線をかごから仲間たちに移して状況の説明を始める。
「この女は物資の入ったスーパーマーケットのかごを持っていた。この中には粉ミルクが入っているから、彼女がグレンとマギーに接触して赤ん坊の存在を知ったのは間違いないだろう。それなのに一人で来たということは、グレンとマギーが帰ってこられる状態にないということだ。」
リックが告げた厳しい現実に治療を行うハーシェルの手が一瞬だけ止まり、その横顔が微かに強張る。ベスは顔を真っ青にして口元を両手で覆った。他の仲間たちも悲壮な顔をしたり厳しい表情を浮かべている。
リックは一つ息を吐いて再び口を開く。
「みんな、落ち着いてくれ。まだ二人の状況が全くわからない。まずは彼女から話を聞こう。」
リックがそのように言った時、治療中の女が呻いた。傷への刺激によって意識を取り戻した女は視線をフラフラと彷徨わせていたが、リックが傍らに膝をついて顔を覗き込むと目を瞠り、周囲の床に必死に手を這わせる。何かを探すような仕草から彼女が己の武器を探しているのだと察した。
リックは女の肩を押さえて「落ち着け」と宥める。
「傷の手当てをしているだけだ。悪いが、君の武器は預からせてもらってる。お互いの安全のためだ。理解してくれ。」
リックはそのように説明してから刀を持っているニーガンに顔を向けた。ニーガンは女に刀を見せながらニヤッと笑う。その笑みに彼女は不快感を抱いたらしく、ニーガンに鋭い眼差しを向けた。
リックはニーガンを睨む女の注意をこちらへ向けるために「話を聞いてくれ」と声をかけた。
「君を傷つけるつもりはない。ケガの状態が良くなったら出ていってもらっても構わない。食料と水も渡そう。だが、その前に教えてほしいことがある。どうやってこの刑務所のことを知り、なぜ粉ミルクを持ってきたのかが知りたい。」
それに対する答えはすぐには返ってこなかった。女は警戒心を顔に貼り付けたまま押し黙っている。それでもリックは彼女が口を開くのを辛抱強く待った。
息苦しさを感じさせるような沈黙は女の低めの声により破られる。
「──その物資はアジア系の若い男と、その男と同じくらいの年齢の女が落としたものだよ。」
「二人に何があった?」
リックがそのように尋ねると、ハーシェルが「襲われたのか?」と続けた。
女はリックとハーシェルに交互に視線を向けながら答える。
「二人は連行された。私を撃った奴にね。」
女が忌々しげに吐き捨てた言葉に場の空気が凍りつく。これでグレンとマギーが非常に不味い状況に陥ったのだと確定した。
リックが更に質問しようとした時、黙って様子を見守っていたシェーンが女の横にしゃがみ込み、彼女の手首を強く掴んだ。
「私に触るな!」
女が険しい顔で手を振り解こうとしたが、それは無駄だった。シェーンは手首を掴んだまま女を睨む。
「お前が見たのは俺たちの仲間だ。どこへ連れて行かれたのか教えろ。今すぐ。」
地を這うような声で尋問するシェーンは迫力がある。大抵の者はこの迫力に圧倒されて全てを打ち明けるのだ。
しかし女はシェーンの凄みを前にしても動じる様子がなく、それどころか強気に「自分で捜しな」と言い返した。その言葉を受けてシェーンが女の額に拳銃を突きつけたが、顔色一つ変わらない。
額に銃口を押し付けられた状態でも強気に睨み返す女を見て、リックは彼女には「優しい保安官と怖い保安官」が通用しないのだと悟った。保安官時代、温厚そうな顔つきのリックが「優しい保安官」の役割を、強面なシェーンが「怖い保安官」の役割を演じることで情報を聞き出してきたのだが、彼女にはそれが全く効かない。むしろ威圧的な態度は彼女を頑なにさせるだけだろう。
リックはシェーンに顔を向けて「シェーン、銃をしまってくれ」と落ち着いた口調で告げた。そうするとシェーンはあっさりと拳銃をホルスターに収めて立ち上がり、女から距離を置いた。彼もリックと同じ判断をしたのだろう。
あっさりと退いたシェーンに少し困惑した様子の女にリックは「質問を変えよう」と切り出した。
「君はどこから来たんだ?それくらいは答えてもらえないか?」
リックが女を真っ直ぐに見つめながら尋ねると、彼女は少し視線を彷徨わせた末にこちらを見た。
「……ウッドベリーという名前の町がある。私はそこから来た。」
「町?」
「生存者は七十人以上いたと思う。そこは総督と呼ばれる男が仕切ってた。魅力的だけどカルト宗教の教祖みたいな奴だよ。二人はそこに連れて行かれた。」
その言い方から、彼女は「総督」という人物に対して良い印象を持っていないことがわかる。そのような人物の治める町に連れていかれたということは二人を取り戻すのは簡単ではないかもしれない。
「町には兵士がいるのか?」
「民兵気取りの総督の部下が全てのゲートを見張ってる。」
「じゃあ、抜け道を知ってるか?」
「ウォーカーは入り込めなくても私たちなら侵入できる道がある。」
その返事に、リックはウッドベリーという町への侵入を決めた。
侵入方法については後で確認することにして、先ほどは答えてもらえなかった疑問を再度ぶつけてみることにする。
「もう一度聞くが、君はこの場所をどうやって知ったんだ?」
「連行された二人が『刑務所に戻る』と話してるのを聞いただけ。近くにあると言ってた。」
「二人と直接話したわけじゃないんだな?」
その問いに対して女は頷いた。
「そうか。わかった。」
全ての質問を終えたリックは女が刑務所へ来た経緯を推測する。この推測は大きく外れてはいないだろう。
「君の話から推測すると、ウッドベリーを治める総督と君との関係が悪化した。だから君は町を出たが、追ってきた総督の部下に銃撃された。身を隠している最中、俺たちの仲間が君を追ってきた奴らと遭遇して連れ去られる様子を目撃した。君は俺たちの仲間が残していった物資を見て刑務所に赤ん坊がいると知り、赤ん坊のために物資を届けに来た。そういうことでいいな?」
リックの推測を聞いた女は何も言わずに目を逸らした。それは推測が当たっていることを意味するのだと解釈し、リックは小さく頷いた。警戒を解くわけにはいかないが、彼女は悪い人間ではないだろう。
「とにかく今は手当てを受けろ。彼が手当てをしてくれる。」
リックはそう言ってハーシェルに顔を向けた。
「彼はハーシェル。連行された女性の父親だ。」
女はその紹介を聞き、自分を静かに見つめるハーシェルを凝視した。
女にハーシェルを紹介したのはいいが、リック自身は名乗っていないことに今更ながらに気づく。焦っていたとはいえ失礼なことをしてしまった。
己の非礼を恥じたリックは少々の気まずさを感じながら女に謝る。
「すまない、名乗るのを忘れていた。俺はリックだ。君の名前は?」
リックが名乗っても女は口を固く閉じて顔を逸らした。警戒されているので仕方ない。
リックは目も合わせようとしない女の顔を見つめたまま「もう一つ言い忘れてた」と切り出した。
「物資を持ってきてくれてありがとう。粉ミルクは俺の娘に必要なものだったんだ。出産の影響で妻が亡くなったから。」
そのように告げた瞬間に女がこちらに顔を向けた。驚いたように目を丸くした後、痛ましいものを見るように顔が歪む。
女に感謝を告げたリックは救出の準備をするために立ち上がった。その時、女が「ミショーン」と呟く声が耳に届いた。
リックが見下ろすと彼女はこちらを見上げた。
「ミショーン。それが私の名前。」
彼女の心を変えたのは感謝の言葉か、あるいは家族を亡くしたという話か。
リックの放った言葉の何が目の前の彼女に響いたのかはわからない。それでも何かが確実に彼女に響き、頑なだった心を解した。それだけで十分だ。
リックは自分の表情が柔らかくなるのを自覚しながら名前を教えてくれた彼女に声をかける。
「ミショーン……そうか、ミショーンか。」
穏やかに微笑んだつもりだが、ミショーンは顔を逸らしてしまった。少しだけでも歩み寄ってくれたのだから良しとしよう。
リックはもう一度笑みを零してから、救出について話し合うために仲間たちを振り返った。
ミショーンの情報から判断してグレンとマギーは殺される危険性が高いという結論に至ったため、出発の準備ができたら即出発ということに決まった。今からでは敵の拠点に到着する前に太陽が沈んでしまうだろうが、今は一秒でも早く二人を救出することを優先すべきだ。反対する者は一人もいなかった。
敵に気づかれずに侵入しなければならないので救出に向かう人数は限られる。そのため救出に参加するのはリック、ニーガン、シェーン、そしてミショーンの四人に決まった。負傷しているミショーンを連れて行くつもりはなかったが、「町に戻って確かめたいことがある」と本人が強く希望したため手を貸してもらうことになったのだ。
必要な武器を車に全て積み込んだ後はミショーンの治療が終わるのを待つだけとなり、リックはカールと二人で話をする機会を設ける。車の周りに集う仲間たちから少し離れた場所で息子と向かい合ったリックは「すまないな」と謝罪の言葉から始めた。
「お前には心配をかけてばかりだ。本当にすまない。」
父の謝罪にカールは頭を振った。
「謝らなくていいよ。グレンとマギーは仲間だ。助けに行かなきゃ。」
「ああ。……グレンとマギーを助けて、全員で帰ってくる努力は最大限にする。だが、いつまで経っても俺が戻らなかったら──ジュディスを頼むぞ。」
「絶対に戻る」などという不確かな口約束はできなかった。もし約束を守れなかった場合にカールの心の傷が深くなってしまう。この世界は未来について約束することが難しいと思い知らされるばかりだ。
リックの苦しい胸の内を察したようにカールは「わかった」と一言だけ答えて頷いてくれた。
その時、シェーンから「リック、行くぞ!」と呼ばれた。そちらに顔を向ければミショーンが車に乗り込む姿が見える。出発の時間だ。
リックはカールに視線を戻してしっかりと目を合わせる。
「カール、愛してるよ。──行ってくる。」
リックはカールの頬に一瞬だけ触れてから歩き出す。車のところまで来るとハーシェルとベスが近づいてきて、ハーシェルに腕を掴まれた。
「リック、二人を連れ戻してくれ。」
腕を掴む手に込められた力は己の娘とその恋人の無事を願う気持ちの表れだ。この気持ちに応えたい。
リックはハーシェルとベスの顔を交互に見てから深く頷いた。そして車の助手席に乗り込むと運転手のニーガンがエンジンをかけた。
「行くぞ。」
その掛け声と共にニーガンが車を出発させる。
リックは刑務所の外へ続くゲートに着くまでの間に見送りの仲間たちを振り返った。こちらを見つめる者たちの中にカールの姿があり、ジュディスはカールの隣に並ぶキャロルの腕に抱かれている。
リックはカールとジュディスの姿を目に焼き付けながら「絶対に子どもたちのところへ戻る」と自身に誓いを立てた。
*****
リックたちはトラブルに巻き込まれながらもウッドベリーに到着した。途中から徒歩での移動になったため到着した頃には太陽が完全に沈んでいたのだが、町の中に立つ外灯のおかげで町の周辺は明るい。
リックたちは近くに放置されていた車の影に隠れて町の様子を観察する。大きな町全体がしっかりとした壁に囲われているため壁の中の様子を見ることはできないが、今の世界では外灯に明かりが点っていること自体が豊かさの証明になる。ウッドベリーという町は物資や資源が豊富なのだ。
それ以外にも目立つのが壁の上に銃を手にした見張りが何人も立っていること。相手が何者であろうと接近は許さないという強い意思を感じる。
ゲート付近の守りは堅いので侵入するのは難易度が高いが、何としてでも中へ入らなければならない。どうするべきか皆と話し合おうとした時、ミショーンが何も言わずにどこかへ行ってしまう。リックが「待て!」と声を潜めながら呼び止めても無視され、彼女の姿は見えなくなった。思わずニーガンとシェーンに視線を向けても二人とも肩を竦めるだけだった。
リックは再び町の方に視線を戻して町への侵入方法を思案する。
「守りが堅いからここが正面ゲートだと考えて良さそうだな。ただ、この付近からの侵入は難しそうだ。……ゲート以外の場所なら警備が緩いかもしれない。移動しよう。」
リックの提案に対して二人から「そうしよう」という答えが返ってきた。
「決まりだな。それじゃあ、移動する前に荷物をここに置いていこう。身軽じゃないと侵入しにくい。」
リックはそのように言いながら持ってきた武器の一部を車の下に隠した。他の二人も最低限の装備品以外は全てリックと同じように隠す。
三人とも準備が整ったので移動しようとした時、後方から物音が聞こえたので一斉にそちらへ銃を構える。そこには姿を消したはずのミショーンが立っていた。
ミショーンは銃を構えるリックたちに一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに無表情に戻ると手振りで「付いてこい」との指示を出した。敵ではなかったことに安堵したリックは小さく息を吐いてから彼女の後に続く。
どうやらミショーンは抜け道を確認しに行っていたらしい。それならば「抜け道を確認してくる」と告げてから行ってほしいところだが、信頼関係を築くことができていないので仕方ないと割り切るしかない。
リックたちはミショーンの案内によって全く警備されていない場所から壁の中に侵入し、彼女が最初にウッドベリーに来た時に連れて行かれたという建物に入った。彼女はここで様々な質問をされて、そのまま滞在していたと話した。それならばグレンとマギーも同じ場所にいる可能性があると考えていたのだが、現在は使われていないらしく誰の姿もない。建物内の探索を終えたリック、ニーガン、シェーンは落胆を隠さずにいられなかった。
リックたちが捜索について話し合いを始めた時、窓際に立ったシェーンがカーテンの隙間から外を覗いて表情を曇らせる。続けてミショーンに不信の眼差しを向けた。
「ミショーン、夜は外出禁止になってるんじゃなかったのか?武器を持ってない奴らが彷徨いてるぞ。」
それを聞いてリックとニーガンも外の様子を見てみる。シェーンの言う通り、大通りを多くの住人が歩いていた。丸腰でリラックスした様子から警備のためではなく散歩を楽しんでいるのだとわかる。ミショーンからは夜間の外出は禁じられていると聞いていたのだが、これでは話が違う。
リックがミショーンに顔を向けると彼女はこちらを睨みながら反論する。
「これでも昼間より少ない。規則として定めてあるけど、特にトラブルが起きてないから緩んできてるんだ。」
ミショーンの答えにリックは頭を抱えたくなった。
無駄な戦闘を避けるためには誰にも見つからないようにしなければならないので、こんなにも大勢が彷徨いていると移動が制限されてしまう。だからといって住人が寝静まるのを待っていたらグレンとマギーが殺されてしまうかもしれない。
リックが頭を悩ませているとニーガンがミショーンに「他に思い当たる場所は?」と尋ねた。ミショーンは床に視線を落として思案した後、視線を上げて返答を口にする。
「総督の家かもしれない。あの男は自分の家に何かを隠してる気がする。」
その言葉を聞いてリックは悟った。
「君が確かめたいのは、そのことなんだな?」
リックが問いかけてもミショーンは答えなかった。だが、その無言が答えだ。
ミショーンが総督にどのような疑念を抱いているのかわからないが、総督の家に仲間が監禁されている可能性があるのなら行くしかない。
リックはそのように結論を出して、ニーガンとシェーンの意見を求めて彼らを振り返った。二人はこちらを真っ直ぐに見て深く頷いた。これで総督の家に向かうことが決まった。
目標を総督の家に定めたリックたちが建物から出た時、遠くで銃声が響いた。その途端に大通りの方から悲鳴が聞こえてくる。
ニーガンが銃声の聞こえてきた方向を睨むのでリックも同じ方に顔を向けた。
「ニーガン、今のはグレンとマギーだと思うか?」
「わからん。ただ、あの二人は捕まって泣いてるだけのタマじゃない。そう思わないか?」
「ああ、あの二人なら自力で脱出しようとするだろうな。行ってみよう。」
リックがニーガンにそのように答えた時、後方から「おい、ミショーン」と言うシェーンの焦った声が聞こえた。振り返るとシェーンが苦い表情で誰もいない暗闇を見つめている。ミショーンの姿はどこにもなかった。
「シェーン、彼女はどうした?」
リックが慌てて問うと、シェーンは苛立ったように頭を掻きながら答える。
「何も言わずに行っちまった。どうしても総督の家に行きたいんじゃないか?放っておくしかねぇよ。俺たちはグレンとマギーを助けに来たんだから。」
シェーンの言葉にリックはニーガンと目を合わせてから力なく頷いた。負傷している彼女を一人だけで行動させるのは心配だが追いかける余裕はない。
リックたちは慎重に辺りの様子を窺い、住人たちが家に逃げ帰ったことにより誰もいなくなった大通りを横切った。そして、銃声が聞こえてきた辺りの建物の中から倉庫のような建物を選んで中に入る。その建物だけ他とは様子が違うように見えたからだ。
リックを先頭にしてニーガンとシェーンが後に続き、銃を構えながら進んでいく。心臓が痛くなりそうなほどの緊張感のせいで最悪の展開が頭を過ぎりそうになるが、それを必死に振り払う。
最も奥の部屋の付近まで行くと声が聞こえてきたので立ち止まって様子を探る。耳を澄ませばグレンの震える声とマギーの涙混じりの声が聞こえた。他にも数人の男の「立て」「歩け」などの命令する声も聞こえてくる。グレンとマギーは別の場所へ連れて行かれようとしており、二人を救うチャンスは今しかない。
リックが背後の二人に目で合図を送るとニーガンは銃を構えて、シェーンは発煙弾を取り出した。
やがて部屋の中にいた者たちが出てきたので、リックはそれをニーガンとシェーンに手振りで伝える。そうするとシェーンが敵のいる方へ発煙弾を投げ込んだ。破裂音が響くと同時に煙が溢れ出して相手が激しく咳き込み始めた。
リックたちは速やかにグレンとマギーを煙の中から連れ出して撤退を始める。向こうが発砲してきたので応戦しながら建物を脱出した。外に出ると「侵入者を捜せ!」などの怒鳴り声がどこからか聞こえてくる。侵入者の存在に気づいたウッドベリーの者たちがリックたちを捜し始めたのだ。
リックはどこかに身を隠して脱出方法を話し合った方が良いと判断する。そのため近場の建物に押し入り、誰もいないことを確認してから仲間たちを中に入れた。
マギーとシェーンに体を支えられながら走っていたグレンは床に座り込んでカウンターに背中を預ける。ぐったりとしたグレンの状態を改めて観察してみれば、全身に殴られた痕があった。顔の腫れは特にひどく、彼が激しい拷問を受けたのは明白だ。仲間を痛めつけられた怒りはリックだけでなくニーガンやシェーンの顔にも浮かんでいる。
リックはグレンのケガの状態を確かめながら「走れるか?」と尋ねた。それに対してグレンはしっかりと首を縦に振った。
「大丈夫だ。一応は走れる。」
「町から少し離れた場所に車を停めてある。悪いが、そこまで頑張ってくれ。俺たちがフォローするから。」
「わかった。……リック、ごめん。刑務所のこと、あいつらに話しちまった。本当にごめん。」
リックは悔しそうに顔を歪めるグレンの肩を優しく撫でる。
「グレン、お前は悪くない。生きていてくれて本当に良かった。」
リックの言葉に同意するように頷いたマギーが視線をこちらに向けた。
「ところで、どうして私たちがここにいるってわかったの?」
その質問にマギーと目を合わせながら答える。
「二人が連れ去られるのを目撃した人がいたんだ。会話内容から刑務所のことを知って俺たちに知らせてくれた。」
リックの説明にニーガンが「そいつも一緒に来たんだがな」と付け足す。
「この町で確かめたいことがあるらしくて途中で別行動になっちまった。この状況で放っとくのもかわいそうだが、捜して合流する余裕はない。」
ニーガンの意見にシェーンも頷き、リックも小さく頷いた。グレンは負傷しており、マギーも体力を消耗している。この二人を連れていてはミショーンを捜し回ることはできない。
リックが町からの脱出についてニーガンとシェーンの三人で相談しようと考えた時、グレンがシェーンに顔を向けて「メルルにやられた」と告げた。それはリックが初めて聞く名前で、シェーンを振り返ると彼は驚いたように目を瞠っている。
シェーンは顔に驚きを浮かべたままグレンの近くまで移動してきた。
「ここにメルルがいるのか?ダリルも?」
「ダリルには会ってないけど、ここにいるらしい。とにかく、俺たちを連れ去って尋問したのはメルルだ。」
「あのクソ野郎が……!」
リックは怒りに顔を歪ませるシェーンに「シェーン、どういうことだ?」と尋ねる。
「メルルというのは誰だ?お前たちの知り合いなのか?」
その問いにシェーンは「前に俺たちと一緒にいた奴だ」と苦々しげに答える。
「アトランタでキャンプを張ってた時にいた奴なんだが、はっきり言ってトラブルメーカーだった。乱暴で他人を脅すことに慣れてて、みんなが怖がってた。リック、キャンプがウォーカーの群れに襲われた後にグループが二手に分かれたって話したのを覚えてるか?」
「ああ、覚えてる。」
「メルルはそのどっちにも付いていかなかったんだ。『弱い奴らのお守りはしたくない』と言い捨ててな。メルルにはダリルって名前の弟がいて、奴はそいつを連れてグループを抜けた。」
シェーンがそこまで話したところでグレンが「それで正解だったよ」と吐き捨てた。いつも穏やかなグレンにしては珍しく憎悪を顕にしており、それが彼のメルルに対する怒りの強さを物語っている。
「メルルは俺やTドッグを人種で差別したし、調達の時にあいつの身勝手な行動のせいで死にかけたこともある。今回もあいつのせいで、マギーが──!」
「グレン、やめて!」
怒りのままに拳を床に叩きつけようとしたグレンをマギーが止めた。そして落ち着かせようと彼を抱きしめる。
これ以上グレンを刺激するのは良くないと判断し、リックは窓際に立つニーガンのところまでシェーンと共に移動した。そして顔を寄せ合いながら町からの脱出について話し合いを始める。
「町からどうやって脱出しようか?ここからだと侵入口は遠いから、そこからの脱出は無理だ。」
リックの意見を聞いたシェーンがカーテンの隙間から外の様子を窺い、こちらに顔を戻す。
「ここから正面のゲートが見える。さっきよりも見張りの人数が少ないぞ。俺たちの捜索を優先してるのかもしれない。」
それを受けてニーガンが「正面突破だな」と呟いた。
「守りが薄くなった今なら強引に突破できる。それしかない。おい、グレン。脱出するには正面突破するしかないんだが行けそうか?」
ニーガンの問いにグレンは「全力で走る」と力強く頷いて立ち上がった。マギーもグレンに寄り添いながら同じように頷く。
リックは全員の顔を見回して「よし、行こう」と頷き、グレンとマギーに拳銃を渡した。そして自ら先頭に立って建物を出る。
この近くに人の姿はない。住人は家の中に避難して、戦える者の多くは他の場所で侵入者を捜しているのだろう。
ゲートに近づくと数人の見張りの姿が見えたので発砲する。リックの撃った弾により一人が倒れたが、他の者たちが反撃してきた。リックたちは銃撃戦を行いながらも徐々にゲートへ近づいていく。
そのうちに銃撃戦の音に気づいた者たちが後方から来るのが声や足音でわかった。このままでは挟み撃ちに遭ってしまう。
リックは敵に狙いを定めながら仲間に向けて大声を出す。
「援護するからゲートへ走れ!急げ!」
仲間たちはその指示に瞬時に反応して走り出した。リックはその場に留まって仲間たちを狙う敵への攻撃を続ける。そして、全員が壁の上に上がったのを確認してから自身もゲートに向かって走り出す。
「リック、急いで!あいつらが来る!」
マギーの必死の叫びを受けてリックは足を速めた。その時、少し後ろで銃弾が地面に当たった音が聞こえた。敵が追いついてきたのだ。
リックは全力で走ってゲートに辿り着くとニーガンの手を借りて壁に上り、飛び降りて町から出た。
先に脱出していたシェーンとグレンが隠しておいた武器を回収してくれたので、すぐにでも出発しようとした時、後方で何者かの気配がした。リックが振り向きざまに銃を構えるとミショーンが立っていた。
リックは一つ息を吐いてから銃を下ろして彼女に近づく。
「──ミショーン!どこに行っていたんだ⁉」
思わず詰め寄ったリックはミショーンの様子がおかしいことに気づく。彼女の表情は強張っており、こちらと視線を合わせようとしない。動揺しているのは明らかだ。新たにケガが増えていることも気になった。
リックはミショーンにそれ以上尋ねるのをやめてグレンとマギーを振り返る。
「彼女はミショーンだ。君たちが連れ去られたことを教えてくれた。……彼女も動揺しているみたいだから、まずは車まで移動しよう。」
グレンとマギーは様子のおかしいミショーンに困惑しているようだったが、とりあえずは頷いてくれた。
リックはミショーンに「一緒に来い」と告げてから皆を連れて走り出した。
リックたちは追手を振り切って車を停めた地点に戻り、一息つく暇もなく刑務所に帰った。刑務所に到着したのは夜が明けて明るくなった頃になってしまい、リックたちの帰りを待ちわびていた仲間たちに心配をかけてしまったことを申し訳なく思った。
監禁されていたグレンとマギー、そして負傷したミショーンの三人は診察と治療を受けてから休んでもらうことになり、ハーシェルの処置が終わってから三人以外の全員で今回の件についての話し合いを行うことに決まった。
話し合いのためにダイニングテーブルの付近に集まっている皆の前に治療を終えたハーシェルが現れた。
「待たせてすまないな。治療は終わった。三人とも寝ているよ。」
その知らせに全員がホッと顔を綻ばせる。
リックは綻んだ顔をすぐに引き締めて「じゃあ、始めよう」と話し始める。
「ウッドベリーのことについては戻ってくる途中で三人から話を聞いた。グレンとマギーは無理やり町に連れて行かれて拠点の場所を話すよう尋問されたそうだ。グレンは拷問も受けた。……悪い知らせだが、向こうに刑務所のことを知られた。厄介なことになると思う。だが、グレンとマギーを責めないでくれ。二人ともぎりぎりまで抵抗してくれたんだ。」
リックの話に皆は不安そうな顔をしたが、怒りを見せたりグレンとマギーを責めるような意見は出てこなかった。
リックは皆がパニックに陥っていないことを確認してから続きを話す。
「ウッドベリーという町について説明すると、ウォーカーが溢れる前の状態をほぼ完璧に保っていると言ってもいい。夜でも住人が気軽に出歩けるくらいだ。武器を携帯してるのはリーダーである総督の部下だけらしいから、町の中は安全なんだろう。ただ、ミショーンの推測ではウッドベリーは略奪で成り立っている可能性が高いということだ。」
物騒な言葉を聞き、数人が「略奪?」と怪訝そうに呟いた。
リックはミショーンから聞いた話を思い出しながら話し続ける。
「重傷を負った軍のパイロットがミショーンと同じ時期に町に迎え入れられた。そのパイロットは拠点に数人の兵士と大量の物資があると話していたらしくて、総督は『兵士を迎えに行く』と言って拠点の位置を聞き出した。だが、総督は兵士たちの車や物資だけを持ち帰った。兵士たちはウォーカーに襲われて既に全滅していた、という説明だったそうだ。」
「それが嘘だったって言うのか?」
Tドッグの問いにリックは「そうだ」と答えた。
「ミショーンは総督が持ち帰った車を調べて、銃弾の痕と血痕を見つけたと言っていた。ウォーカーに襲われたなら車に銃弾が撃ち込まれるはずがない。彼女は総督がコミュニティー外の生存者を殺して物資を奪っていると考えてるんだ。」
そこまで話した時、ニーガンが手を上げて「補足させろ」と言って話し始めた。
「俺たちがミショーンの話を信じるのはウッドベリーが豊か過ぎるっていう理由がある。」
「豊か過ぎる?どういうこと?」
キャロルが問うとニーガンは彼女に顔を向けて説明する。
「あの町は何もかもが整い過ぎてた。パッと見た限りじゃ住人たちが飢えてる様子はない。着てるものもきれいだったし、俺たちが入った建物は物で溢れてた。家にも外灯にもきちんと明かりが点いてたのは燃料も十分にあるって証拠だ。あの町に不足してるものはない。そこがおかしいんだ。今の世界で物が溢れてるなんて有り得ない話だろ?」
「……ええ、おかしいと思う。物資を見つけること自体が難しいし、生存者それぞれが抱え込んでいる分も多いはず。大勢の人間が困らないだけの量を確保するには全員が調達に出ないと無理よ。」
「だが、ミショーンの話だと町の外に出るのは総督の部下だけらしい。そんな状態で七十人以上の人間を養えるわけがない。他の生存者から略奪してくるなら別だけどな。」
ニーガンの話にキャロルが納得したように頷いたところへアクセルが「ちょっと聞きたい」と手を上げた。
「略奪してるなら外部の人間を受け入れないってことなんだよな?それならミショーンやパイロットが受け入れられたのは何でだ?」
その疑問に答えたのはシェーンだ。
「パイロットが受け入れられたのは物資の保管場所を聞き出すため。そのパイロットは総督が兵士を迎えに行く直前に死んだらしい。たぶん、用済みってことで殺されたんだろうさ。ミショーンは腕を見込んで部下にするつもりだったのかもしれないが、後ろ暗いことを探られて邪魔になったから殺そうとした。この予想は全くの見当違いでもないと思うぜ。」
「そ、それじゃあ……ウッドベリーの奴らがここの物資を奪いに来るってことか?俺たちも殺される?」
怯えるアクセルの放った言葉により重い沈黙が落ちる。相棒の失言を咎めるようにオスカーがアクセルを睨み、彼は「ごめん」と消え入りそうな声で謝罪して項垂れた。
しかし、アクセルの言ったことは間近に迫る問題だ。ウッドベリーの者たちがグレンとマギーを尋問して拠点を聞き出そうとしたのは略奪が目的と考えて間違いないだろう。その二人の救出のためにリックたちが町に侵入して総督の部下を撃ち殺したのは事実であり、報復のために攻めてくる可能性は十分にある。目的が略奪であっても報復であっても戦争は避けられそうにない。
リックは眉間にしわが寄るのを自覚しながら皆に呼びかける。
「まずは落ち着いてほしい。向こうの住人の大半は戦えないだろうから、今すぐに大人数で攻め込んでくることはないはずだ。刑務所周辺の見回りを二人一組で定期的に行って、少しずつで構わないから刑務所の防衛体制を整えていこう。いいな?」
その呼びかけに全員が頷いたが、その顔に浮かぶ不安は隠せない。
リックは不安を滲ませながら散っていく仲間たちを見送り、密かに息を吐き出す。
ようやく穏やかな生活を送ることができると思った矢先に大きな問題が出現した。そのことに落胆する自身をどうにもできなかった。
リックは話し合いの後に仮眠を取ったが、精神的に落ち着かないせいなのか眠りと覚醒を繰り返したため、二時間も眠ることなくベッドから離れた。そしてベスからジュディスを引き取って彼女の世話をして過ごした。幼い娘と一緒にいる時間は愛おしく幸せなものだったが、気を抜くとウッドベリーのことが頭を過ぎる。
刑務所はフェンスに囲まれているが、車で突っ込めば壊すのは簡単だ。ウォーカーには有効でも人間相手には頼りない。それ以上に問題なのは圧倒的な戦力差だ。人数でも武器の数でも向こうには負ける。こちらが勝っているとすれば、ほぼ全員が戦力になるという点だけだろう。
リックは自分の腕の中で気持ち良さそうに眠るジュディスの顔を見下ろしながら考える。
(むやみに戦いたくない。できれば向こうと関わらずにいたい。だが、もし攻めてくるなら──)
その時、リックは傍らに気配を感じた。そちらに顔を向けるとニーガンが立っていた。
「これからのことを考えてたのか?」
そのように問いかけてきたニーガンの表情も声もひどく落ち着いていた。その落ち着きがリックに安心感を与えてくれる。
リックはニーガンの目を見つめながら「そうだ」と答えた。
「人数でも武力でも完全に俺たちは負けてる。戦いになれば誰かが死ぬかもしれない。だから、できれば戦いたくない。向こうと関わらずに生きていきたいだけなんだ。……だが、もし向こうから攻めてくるなら俺は全力で迎え撃つ。みんなと、俺たちの家を守るために。」
希望を言うならば、ウッドベリーの人間が刑務所で暮らす者たちの存在を忘れてくれるのが一番良い。互いに干渉せず、それぞれの暮らしを守っていくことがリックの望みだ。
しかし、恐らくそのような展開にはならないだろう。ウッドベリーは攻め込んでくるはず。それならばリックは仲間たちを守るために敵を迎え撃つ。そのように決めた。
リックが決意を告げるとニーガンは「わかった」と言って頷く。
「不干渉が最優先で、ウッドベリーの連中が攻めてきたら迎え撃つ。そう決めたんだな?」
「ああ、そうだ。こちらから仕掛けることはしない。」
そのように答えるとニーガンはニッと笑った。頼もしさを感じさせる笑みに釣られてリックも微笑む。
ニーガンは笑みを浮かべたままリックの頬を撫でた。
「お前が決めたなら俺はお前を支える。だから俺を頼りにしろ、リック。」
自信に溢れたニーガンの声がリックの心を包む。そして心に澱む不安を一瞬にして消し去ってしまうのだ。
リックはニーガンが触れる頬からパワーが流し込まれて、そのパワーが全身に行き渡ったような気がした。例え、どれだけ強い風が吹いたとしても吹き飛ばされない自信がある。相手が誰でも負ける気がしない。──いや、負けるつもりはない。
リックは確かな自信を胸に抱きながらニーガンに微笑んだ。
「ありがとう。頼りにしている。」
「任せとけ。」
頼もしく答えたニーガンがリックから手を離すと、いつの間にか目を覚ましていたジュディスがふにゃふにゃと声を上げた。リックは目覚めたばかりのジュディスに笑いかける。
「おはよう、ジュディス。よく眠れたか?ん?」
リックが話しかけるとジュディスは構われるのが嬉しいらしく、無邪気に笑った。
その時、ニーガンの指がジュディスの柔らかな頬を撫でた。思わず顔を上げれば優しく微笑みながらジュディスを見つめる彼の顔を直視することになった。その表情に見惚れるリックの心臓が高鳴る。
ニーガンは自分の顔を見つめるリックに気づくことなくジュディスに「なあ、スイートハート」と話しかけた。
「何があってもお前のことはパパが守ってくれるぞ。そのパパはニーガンおじさんが守る。絶対にな。約束だ。」
なんて優しい約束だろう。その約束を受け入れるようにジュディスが声を上げて笑う。
リックは目の前に広がる優しくて温かな光景に胸が締め付けられるような心地がした。
この愛しい光景を絶対に失いたくない。心から、そう思った。
グレンとマギーを救出して刑務所に戻った日から防衛体制の強化が始まった。
刑務所に来てからはウォーカーの脅威がないということで夜間の見張りを行わなくなったのだが、それを復活させることになった。それだけでなく昼間も刑務所の周辺を見回ることに決まり、安全を考慮して必ず二人で行うというルールも定めた。フェンスの強化も必要だが、その方法については話し合いを進めている最中だ。
つい先日まで存在していた平穏な日常は遠くへ行ってしまった。ニーガンはそのことを腹立たしく思いながら、今はTドッグと共に刑務所周辺の見回りを行っている。
敵の姿が見えはしないかと周囲へ視線を巡らせていた時、ニーガンは森の木々の間に人影を見た。ほんの一瞬だったので人間なのかウォーカーなのか判別できないが、森の中に何者かがいるのは確かだ。
ニーガンはそのことをTドッグには話さないまま人影のあった辺りを通り過ぎる。そして、その地点から十分に離れた場所で森に入った。
突然の進路変更に慌てたTドッグが急いで追いかけてくる。
「待てよ、ニーガン。森に何かあるのか?」
ニーガンは困惑しているTドッグに「静かにしろ」と言ってから説明を始める。
「森の中に誰かいるのを見た。」
「えっ!」
思わず声を上げてしまったTドッグはハッとしたように片手で自分の口を塞いだ。その動きにニーガンは微かに笑みを浮かべたが、それを一瞬で消した。
「正体を確かめに行くぞ。気づかれたくないから足音を抑えろ。」
それに対してTドッグはブンブンと勢い良く首を縦に振った。
Tドッグへの説明を終えたニーガンは足音を立てないように気をつけながら、何者かが潜んでいる方向へ歩いていく。
ある程度の距離を進んだところで足を止めて双眼鏡を覗いてみた。双眼鏡を向けた先にはノースリーブのジャケットを着た男がいて、男は姿勢を低くして双眼鏡で刑務所を観察している。どう考えてもウッドベリーから偵察に来た人間だ。
ニーガンはTドッグに双眼鏡を渡しながら「あの男に見覚えはあるか?」と尋ねた。Tドッグは双眼鏡を受け取るとニーガンと同じ方向を見る。
「……あっ!あいつはダリルだ。メルルの弟のダリル。……こんなところで会うなんてな。」
Tドッグは顔から双眼鏡を外して複雑そうに呟いた。
かつてグループに属していたメルルとダリルがウッドベリーにいることは皆に説明済みだ。話をした時、その二人を知る者たちは複雑そうに顔を曇らせた。
ニーガンはTドッグから双眼鏡を受け取り、ダリルという男について尋ねる。
「T、ダリルってのはどんな人間だ?メルルみたいに暴力的な奴か?」
「そんなことはない……と思う。言っちゃ悪いが、印象としては薄いんだよ。メルルが強烈すぎてさ。俺のイメージだと兄貴に逆らえないって感じだ。メルルよりは話が通じそうな気がする。」
「大人しいとまではいかなくても兄貴よりはマシみたいだな。捕まえて話を聞くぞ。」
「捕まえるって、どうやって?二人だけじゃ難しくないか?」
怪訝そうなTドッグにニーガンはニヤリと笑う。
「お前が囮になれ。奴の視界に入る場所まで行って見回ってる振りをしろ。奴の注意がお前に向いてる間に俺が後ろを取る。やれるな?」
Tドッグは少し不安そうな顔をしながらも「任せてくれ」と頷いた。
Tドッグが森を出ていくのと同時にニーガンも行動を開始する。ダリルに気づかれないよう距離を取りながら移動して、相手の背中が真正面に見える位置まで来た。そして足音を立てないようにゆっくりと距離を縮めていく。ダリルはTドッグに気を取られているためニーガンに気づいた様子が全くない。
ニーガンはダリルまでの距離が五歩ほどになったところで拳銃を彼の頭に向けて構えた。そこまで近づけば流石にダリルもニーガンの存在に気づき、舌打ちと共にこちらに顔を向ける。
ニーガンは心の中だけで「目付きの悪い男だな」という感想を漏らしながら薄く笑みを浮かべた。
「覗きはしちゃだめだって教わらなかったか?悪い子にはお仕置きだぞ。とりあえず武器を捨てて両手を上げろ。」
ニーガンが命令するとダリルはこちらを向いて立ち上がり、足下に置いていたクロスボウをこちらに向かって蹴り飛ばした後、腰に下げている拳銃とナイフを投げ捨てて両手を上げた。すぐさまTドッグが他に武器を隠し持っていないか確認して、それが終わると彼もダリルに向けて拳銃を構える。
ニーガンはこちらを睨むダリルに挑発的な笑みを浮かべた。
「偵察に来たみたいだが、お前一人か?もしかして友だちの少ないタイプ?」
からかうように尋ねてもダリルは口を閉じたままだ。話すつもりはないらしい。
ニーガンは軽く肩を竦めるとダリルの武器を回収し、彼に「刑務所に向かえ」と命令した。
「お前には聞きたいことがたくさんある。特別に俺たちの家に招待してやるから俺たちの前を歩け。妙な動きをしたら頭を吹き飛ばすぞ。」
その脅しにダリルは鋭い眼差しを寄越したが、特に何も言わずに歩き出した。
ニーガンは自分たちの前を歩くダリルを監視しながらも周囲へ警戒の眼差しを向ける。偵察に来たのが一人だけとは限らないので油断してはだめだ。
ニーガンとTドッグは緊張感を保ったまま敵を連れて刑務所に戻った。
三人で刑務所に戻ったニーガンはTドッグとダリルを監房棟の出入り口付近に残し、先に建物の中に入って「ウッドベリーから偵察に来ていたダリルを捕まえた」と皆に知らせた。その一報に仲間たちが動揺したのも一瞬のことで、すぐに子どもたちを監房の中に隠れさせたり荷物を奥に片づけるなどの対応を行った。
準備が整ったところでニーガンは外で待たせているダリルの両手を縄を使って後ろで縛り、彼を監房棟の中に入れてダイニング用の椅子に座らせる。これで監房棟の共用スペースにいるのはグループの大人たちと敵であるダリルだけとなり、尋問の用意が整った。
皆が距離を置いて見つめる中、ニーガンはリックと共にダリルの正面に立つ。尋問をメインで行うのはリックであり、ニーガンは彼の補佐役だ。
リックはダリルを見下ろしながら落ち着いた口調で尋問を始める。
「俺はリック。隣にいるのはニーガンだ。俺たちはお前がグループを離れた後に合流したから『初めまして』ということになる。まあ、それは今はどうでもいい。お前がここに来たのは総督の命令か?」
ダリルは質問に対して何も答えないままリックを睨みつけた。ダリルの眼差しに鋭さが増すとなかなかに迫力があるが、その程度で怯むリックではない。リックは自分を睨む男を冷静な表情で見つめ返した。
やがてダリルが溜め息を吐き、根負けしたように「あんたの言う通りだ」と返事をした。
「刑務所を偵察してこいと言われた。命令されたのは俺だけだから他には誰もいない。……殺すなら早く殺せ。俺が死んだところで総督は何とも思わないぜ。」
ダリルは吐き捨てるように言いながら嘲笑を浮かべる。それはリックに向けられたものではなくダリル自身に向けたものだとニーガンは察した。
所詮、自分は使い捨ての駒。死んだとしても誰も気に留めない道端の石ころのような存在だ。ダリルの笑みは確かにそのように言っている。
ニーガンがダリルからリックに視線を移すと、彼は相変わらず目の前の敵を真っ直ぐに見つめていた。
「──殺さない。お前を殺せばウッドベリーに対して宣戦布告することになる。俺たちは戦いを望んでいない。それと、総督はどうだか知らないが、お前の兄貴はお前が死んだら悲しむだろう。そんな言い方はしない方がいい。」
その言葉にダリルの目が微かに見開かれた。リックの返した言葉は彼にとって意外なものだったようだ。
そんなダリルを気にすることなくリックは質問を続ける。
「他にも聞きたい。総督の狙いは刑務所にある物資か?」
それに対してダリルは「それだけじゃない」と首を横に振った。
「物資の略奪も目的の一つだが、一番は報復だ。あんたらは町に侵入して奴の部下を殺した。あの男は他の住人に示しをつけるためにも報復したがってる。」
「言わせてもらうが、俺たちが町に侵入したのは誘拐された仲間を救出するためだ。メルルがグレンとマギーを誘拐しなければ今回の問題は起きなかった。二人を誘拐した上に拷問までして、先に仕掛けてきたのはそちらだ。違うか?」
リックの手厳しい反論にダリルは何も言い返せずに顔を逸らして黙り込む。自分の兄が発端となっているのであれば尚更だろう。
ダリルは難しい顔をして考え込んでいたが、やがて顔をリックの方に戻して話し始める。
「先に攻撃したのはこっちだが、総督はそんなことを気にしてない。何が何でもあんたらを潰すつもりでいる。あんたらは優秀すぎたんだ。」
その言葉の意味が理解できず、ニーガンは眉を寄せた。リックも同じように訝しげな顔をしている。
「どういう意味だ?」
リックが問えば、ダリルは「あんたらは脅威だ」と答えた。
「この刑務所はウォーカーが多すぎて誰も手を出せなかった。それなのに、あんたらはウォーカーを一掃して刑務所を手に入れちまった。それに加えてウッドベリーにもあっさり侵入した。総督があんたらを脅威だと思うのは当然だ。だから全員殺したいと思ってる。」
「総督は俺たちがウッドベリーを襲って乗っ取るとでも考えてるのか?」
「そこまで考えてるのか俺は知らねぇ。だが、あんたらは逃げた方が良い。実力があるのは認めるが、人数も武器の数もこっちの方が多い。あの男が部下を引き連れて来る前に逃げろ。」
「安全に暮らせる場所を捨てろと言うのか?お前たちの方から仕掛けてきたのに理不尽だ。」
リックが苛立ち混じりに言葉をぶつけてもダリルは怯むことなく意見を述べる。
「理不尽だろうが何だろうが、総督が追いかけられない場所まで逃げるべきだ。……あいつは異常だぞ。自分の部屋にウォーカーや殺した人間の頭を保管してるような奴だ。」
それは余りにも衝撃的な内容だった。信じがたい話を耳にしたニーガンは思わずリックと顔を見合わせる。彼は顔を強張らせていた。
ニーガンはダリルに視線を戻して疑問をぶつけてみる。
「おい、お前は何でそんな頭のおかしい奴に従ってるんだ?」
その問いにダリルが心外だと言いたげに顔をしかめた。
「俺もあんたらの侵入があって初めて知ったんだ。あの時、総督の部屋がミショーンに荒らされた。それで奴の部屋に生首があることがわかったんだよ。イカれた男だと知ってたら従うわけないだろ。」
初めて知る事実に全員がミショーンに視線を向けた。当の本人は居心地悪そうに腕組みをして「本当の話だよ」と言ったきり黙り込んだ。
ミショーンもダリルの話を肯定したため、敵対するコミュニティーのリーダーが異常な人間であると確定してしまった。それは自分たちにとって良い話ではない。相手がどのような恐ろしい手段を使ってくるのか考えるだけで憂鬱になりそうだ。
重苦しい空気が流れる中、ダリルの「悪いことは言わない」という落ち着いた声が響いた。
「総督が攻めてくる前に逃げろ。あんたらのグループとは付き合いは短かったし良い関係だったとも思わないが、顔見知りが悲惨な殺され方をするのは見たくない。」
ダリルは全員の顔を見ながらそのように告げた。それは彼の心からの思いなのだろう。
「リックはどうするつもりなのか」とニーガンがリックを見ると、彼は軽く息を吐いてから「気持ちはありがたい」とダリルに語りかけた。
「俺たちのことを考えて言ってくれているのはわかった。だが、俺たちには他に行く場所がない。過酷な旅をして、ようやく手に入れた家なんだ。やっと安心して暮らせる場所に来られたのに……手放すなんて考えられない。」
リックの声には切実な響きがあった。
この刑務所は辛いことや苦しいことを乗り越えて辿り着いた安全な家だ。仲間を一人も死なせたくないと必死だった旅のことを思い出せば、絶対にこの場所を手放したくないと思う。
もし刑務所を捨てて旅に出たとしても、ここのように土地に根ざして生活できる場所は見つけられないかもしれない。あるいは安全な場所に辿り着くまでに全滅する可能性もある。刑務所を捨てて旅に出たところで死が迫ってくるのは同じなのだ。
仲間たちがリックの思いに同意を示すように頷く中で、彼は更に言葉を続ける。
「俺たちはウッドベリーとこれ以上関わるつもりはない。乗っ取るなんて考えたこともない。自分たちの暮らしを守りたいだけなんだ。どちらにとっても利益になるのは互いに干渉しないこと。だから俺たちのことは放っておいてほしい。それを総督に伝えてくれ。」
リックはそのように頼んでからダリルの背後に回り、両手を拘束している縄を外した。ダリルは己の手首を擦りながら目を丸くしてリックを見上げる。
ニーガンはリックの行動に驚き、思わず「いいのか?」と尋ねた。それに対してリックはしっかりと頷いた。
「さっきも言ったが、ダリルを殺したり痛めつけたりすればウッドベリーへの宣戦布告になってしまう。拘束し続けるのも攻撃の口実を与えることになるからだめだ。彼はこのまま帰らせる。これも戦う気がないことの証明になるだろう。」
「それは言えてるな。無傷で帰らせて俺たちの意思を伝えさせる方が良い。……まあ、このタイミングで拘束を解くのには驚かされたがな。」
ニーガンが苦笑するとリックは首を傾げた。
普通ならば刑務所の敷地から出すまで拘束を解くことはない。こちらの方が人数が多いとはいえ、相手は敵対するコミュニティーの人間なのだから警戒を続けるのが普通だ。
しかし、リックは拠点内で拘束を解いた。それは相手を害する気がないことを示すためでもあるだろうが、一番の理由は「ダリルはむやみに暴力を振るう人間ではない」と信用したからなのだろう。リックは相手を一度信用すると底なしに信用するところがあり、今回もそれが発揮されたというわけだ。
リックの人の良さにニーガンは未だに驚かされる。ただ、彼のそういった部分は嫌いではない。
ニーガンは苦笑いを引っ込めると仲間たちを見ながら呼びかける。
「俺はリックの意見は悪くないと思う。俺たちは無駄な戦いをしたいわけじゃなくて平穏に暮らしたいだけだ。そうだろ?それならダリルをこのまま無傷で帰らせた方が良い。どうだ?」
ニーガンの呼びかけに皆は頷き、その次にグレンへ視線を向けた。今回のことで最も腹を立てているのがグレンだと誰もが知っているからだ。
グレンは難しい顔でダリルを見つめていたが、やがて首を縦に振って微笑む。
「ダリルにはこのまま帰ってもらおう。それが一番いい。」
全員の了解が得られたのでニーガンはリックと笑みを向け合った。
リックがダリルを外に連れて行くために「ダリル、立ってくれ」と声をかけたところへ赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。そちらに顔を向ければ、カールに抱かれたジュディスが顔をクシャクシャにして泣いている。カールの隣にはソフィアもいた。
ジュディスをあやすカールの代わりにソフィアが一歩前に出て「勝手に出てきてごめんなさい」と大人たちに向けて謝った。
「ジュディスが泣き止まないの。おむつを替えて、私とカールがたくさん構ってもだめだった。お腹が空いてるかもしれないからミルクを飲ませてあげてもいい?」
ソフィアはこちらの様子を窺うように上目遣いで尋ねた。カールもチラチラとリックを見ている。
話が終わるまで隠れているように言いつけられていた子どもたちは、泣き出したジュディスを宥めようと努力したのだろう。それでも泣き止まないので言いつけを破って監房から出てきたのだ。それを責めることはできない。
キャロルが子どもたちに向けていた視線をリックに向けて、「ジュディスにミルクを飲ませてもいいか?」と目で尋ねた。リックはその無言の問いに対して首を縦に振る。それを見たキャロルはソフィアとカールに「ミルクを作りに行きましょう」と声をかけ、子どもたちを連れて皆から離れていく。
ニーガンがキャロルと子どもたちに向けていた視線をダリルに戻すと、彼は食い入るようにキャロルたちの方を見つめていた。それにリックも気づき、ダリルに「どうした?」と尋ねた。
ダリルはリックを見て、少し躊躇った後に口を開く。
「……俺がグループにいた頃は赤ん坊なんていなかった。」
「ああ、そうだよな。カールの母親のローリを覚えてるか?彼女は俺の妻で、この刑務所で赤ん坊──ジュディスを出産した。」
「大して関わったわけじゃねぇが、覚えてる。ローリは?」
「出産して数日後に亡くなったよ。ここに辿り着くまで俺たちは長く放浪していたから、体が弱っていたんだ。」
リックの返答を聞いたダリルは痛ましそうに顔を歪める。生まれたばかりの我が子を残して死んだローリと、残された家族のことを思って胸を痛めているのだろう。それをリックも察したようで、彼はダリルの肩を軽く叩いてから「外へ行こう」と穏やかな声で言った。
そしてリックは仲間たちの方へ振り返って「ダリルを近くまで送ってくる」と告げた。
「ついでに周りをもう一度見回ってくる。後は頼む。」
そのまま監房棟から出ていこうとするリックを引き止めるために、ニーガンは急いで彼に近づいて肩を掴んだ。そして振り向いた彼に向かって敢えて顔をしかめる。
「こいつは敵対してるコミュニティーの人間だぞ。そんな奴と二人っきりで行かせられるわけないだろうが。見回りもするなら尚更だぞ。俺も一緒に行く。……本当にお前は自分の守りを疎かにするよな。もっと気をつけろ。」
「すまない。」
リックは申し訳なさそうに眉尻を下げて、ダリルを先に外へ出してから自分がその後に続いた。そのリックの後ろをニーガンが歩く。
ニーガンとリックはダリルに自分たちの前を歩かせながら周囲を警戒した。ダリルは一人で来たと言っていたが、他にも同じような命令を受けた者がいないとは限らない。総督がこちらに敵意を抱いているとハッキリした今、警戒し過ぎるということはないのだ。
しばらく無言で歩いていると、ダリルが歩きながらチラッとこちらを見た。
「あんたらのリーダーはリックでいいんだよな?」
意図の掴めない質問にニーガンは思わずリックと顔を見合わせた。
リックは首を傾げながらもダリルの質問に答える。
「そうだ、俺がリーダーだ。それが何か?」
「いや、意外だと思っただけだ。あんたより体格の良い奴が何人もいて、クセの強そうな奴もいるってのに、そんな奴らを従えてるんだから大したもんだ。」
ダリルは「クセの強そうな奴」と言った時に一瞬だけニーガンを見た。要するに「クセの強そうな奴」とはニーガンのことを指しているのだ。
失礼な野郎だな、とニーガンが呆れているとリックの方から怒りの気配がした。何事かと思ってリックに顔を向ければ、彼は眉根を寄せてダリルを睨んでいた。リックは明らかに怒っている。
リックがダリルに対して怒っていることは理解できるが、その理由がわからない。ニーガンは黙って成り行きを見守ることに決めた。
リックはダリルを睨んだまま話し始める。
「俺は仲間を従えてなんかいない。みんなは俺の部下じゃなく家族だ。俺はリーダーとして指示を出すことはあるが、仲間を部下だと思ったことは一度もない。だから、みんなを俺の部下のように扱うのはやめてくれ。」
リックの言葉を聞き、ダリルだけでなくニーガンも驚愕に目を見開いた。
リックはダリルがグループの皆を「リックの部下」として扱ったことに怒っている。リックにとって仲間は家族であり、部下として扱うのは不当だと考えているのだろう。
ニーガンは自分がニヤけていることを自覚したが、それを隠そうとは思わない。リックにとって自分は家族なのだと思うだけで喜びが込み上げてくる。これは後で他の仲間たちにも教えてやらなければいけない。
一方、ダリルはリックから視線を逸らして「悪かった」と小さな声で謝罪した。それからは顔を前方に向けたまま無言で歩き続ける。
やがて、刑務所から少し離れた場所にある茂みの前でダリルは立ち止まり、葉の茂った枝を取り除いていく。そうすると一台のバイクが姿を現した。彼はこのバイクでここまで来たようだ。
茂みからバイクを出したダリルがそれに跨ったので、ニーガンは彼から取り上げていた武器を返してやった。
ニーガンから武器を受け取ったダリルはリックに顔を向ける。
「じゃあ、本当に行くぞ。いいんだな?」
リックは問いかけてきたダリルにしっかりと頷いた。
「ああ、構わない。この辺りはウォーカーが少なくないから気をつけて帰れ。」
リックがそのように告げるとダリルは目を瞠り、その次には眩しいものを見るように目を細めた。その目には確かにリックへの憧憬が滲んでいる。
「──あんたがもっと早くグループに合流してたら……」
ダリルの呟きを耳にしたニーガンは思わず舌打ちをしたくなった。
恐らくダリルは「リックがもっと早くグループに合流していれば自分はグループを抜けなかった」と思っているのだろう。薄々気づいていたが、ダリルはリックの人柄に惹かれている。グループを抜けたことを後悔しているに違いない。
(人たらしもいい加減にしてほしいもんだな)
ニーガンがこっそりと溜め息を吐く傍らで、リックはダリルが何を言おうとしたのかが理解できずに不思議そうに目を瞬かせた。
ダリルはリックに「何でもない」と言って頭を振り、改めてリックを真っ直ぐに見て告げる。
「あんたらの意思は総督に必ず伝える。約束する。」
「よろしく頼む。」
「じゃあな。──無事でいろよ。」
ダリルは別れの言葉を告げてから勢い良く走り去っていった。
ニーガンは遠ざかるバイクを見つめるリックの肩を抱く。
「ダリルは俺たちと戦いたがらないだろうが、ウッドベリーと戦うことになる可能性の方が高い。そうなれば奴と戦うのは避けられない。リック、覚悟はしておけ。」
ニーガンの忠告にリックは表情を曇らせながらも深々と頷いた。
ウッドベリーと戦うことになればダリルとも戦うことになる。その際、ダリルに親しみを抱いたリックは葛藤するだろう。彼に対して攻撃することを躊躇うかもしれない。
しかし、そのせいでリックが死んではならない。家族である仲間を守りたければ彼は生き残らなければならないのだ。そのためには葛藤を乗り越える必要がある。
もちろん、ニーガンには葛藤も躊躇いもない。リックを生かすためなら相手が誰であっても殺すことを躊躇ったりはしない。
敵でありながらリックの信頼を得た男が乗ったバイクは、いつの間にか見えなくなった。
偵察に来たダリルと話してから二日が経った。その間にウッドベリーからの攻撃や接触はなかったが、リックたちは警戒を続けている。
リックは身を守るための防御壁を設置する作業の合間に双眼鏡を使って周辺の監視も行う。定期的な見回りを行っていても隙間となる時間が発生してしまうのは避けられない。それを少しでも補うために個人での監視は欠かせなかった。
渡り廊下に鉄板を運んだリックは定められた位置にそれを置いてから双眼鏡を使って森を観察する。少しの異変も見落としたくはない。
双眼鏡を覗き込みながら視界を移動させていると、森の中で何かが動いたような気がした。動きのあった辺りを集中的に観察してみるが、他には何の異変も見当たらない。気のせいだったのだろうか?
(気のせいかもしれないが、そうじゃなかったら?……様子を見に行ってみよう)
様子を確認しに行くことに決めたリックは自身の装備品を確認する。背中にはサブマシンガンを背負い、腰には愛用の拳銃があった。とりあえずはこの装備品で問題ないだろう。
森を目指して走り出したリックの胸は焦燥感でいっぱいだった。先ほどから妙に胸騒ぎがするのだ。そのせいで仲間たちに異変を知らせるのを忘れてしまっているのだが、それに思い至ることなくフェンスの外に飛び出す。
間もなく目的地に到着し、誰かがいた痕跡を見つけるために調査を始める。茂みを探ったり地面の様子を観察して調査を続けていると、ハーシェルの「リック!」と呼ぶ声が耳に届いた。その声に反応して振り返れば、グラウンドにいるハーシェルがフェンス越しにこちらを見つめている。
リックは調査をやめてフェンスに近づき、ハーシェルと向かい合った。向かい合う彼の表情は厳しい。
「リック、一人だけで外に出るなんてどうした?何かあったのか?」
「森の中に誰かがいたような気がしたから調べに来たんだ。すまない、焦ってしまった。」
ハーシェルはフーッと息を吐き出してから口を開く。
「とにかく、中に戻りなさい。ただでさえ外は危険なんだ。特に今はな。一人で外に出てはいけない。」
ハーシェルの忠告にリックは頷き、ゲートに向けて歩き出そうとした。
しかし、その瞬間に銃声が響き渡った。銃声は途切れることなく続き、リックの周辺にも銃弾が飛んでくる。リックはハーシェルに向かって「伏せろ!」と叫びながら自身も地面に伏せて身を守った。
銃撃は森の中から行われているようだ。飛んでくる銃弾は多すぎて数え切れず、その多さから襲撃者が複数人で来ていることがわかる。それがウッドベリーの人間であることは間違いない。
リックは背中からサブマシンガンを外して応戦できるように備えた。そして、一瞬の隙を突いて襲撃者がいるであろう方向に向かって乱射する。
しかし、リックの撃った弾は敵に当たらなかったらしく、こちらへの銃撃が再開されたため再び体を伏せた。
敵からの攻撃に耐えるリックの耳は刑務所から聞こえてくる銃声を拾い、それによりリックの胸に不安が押し寄せる。方角から考えれば銃撃が行われているのは監房棟の辺りだろう。それは監房棟付近にまで敵が入り込んでいる可能性が高いことを示し、仲間の身に危険が迫っている証でもあるのだ。そのような状況だと理解しながらも自身も銃撃されていて身動きが取れない。リックは仲間の救援に向かうことができない歯がゆさに唇を噛む。
その後もリックは反撃と防御を繰り返した。長引く銃撃戦によりサブマシンガンの弾薬が尽きたため腰に下げている拳銃を取り出す。ところが、不意に敵からの銃撃が止まった。様子を窺うために隠れたまま耳を澄ませてみたが、銃撃が再開される気配はない。
リックが伏せていた体を慎重に起こして周囲を観察すると、ゲートから近い場所に見慣れない車が停まっているのが見えた。恐らくウッドベリーの者たちの車だろう。
そのまま視線を動かしていった時、リックの目は奇妙なものを捉えた。
「──何だ、あれは。」
リックが目撃したのは刑務所のゲートに向かって突っ込んでくる一台の車だった。
それは家畜などの動物を移動させるために使う車で、車はフェンスを跳ね飛ばしながらグラウンドの中央で停車した。そして後ろの扉が開いてスロープのようになる。それにより、車から何かが出てくるのだと直感した。
固唾を飲んで見守ることしかできないリックの前で車から大量のウォーカーが降りてくる。それだけでなくフェンスが破壊されたことにより刑務所周辺にいたウォーカーまでもがグラウンドに入り込んできた。仲間たちと協力してウォーカーを一掃したグラウンドに再びウォーカーが溢れてしまった。
リックはグラウンドにウォーカーが溢れたのを見て、ハーシェルに「逃げろ!」と叫んだ。そしてグラウンドの中に戻るために走り出そうとしたものの、前方から歩いてくるウォーカーに行く手を塞がれる。銃声を聞きつけたウォーカーが集まってきたのだ。ウォーカーのせいでゲートへの最短ルートを進めなくなったリックは別ルートへの切り替えを余儀なくされる。
しかし、進路を変えようと振り返った先にもウォーカーが立ち塞がり、リックは自分が完全にウォーカーに囲まれたのだと理解した。
「くそっ!邪魔だ!」
リックはウォーカーの頭を撃って倒していくが、銃弾はすぐに尽きてしまった。ナイフを使おうと咄嗟に腰に手を伸ばしてもそこには何もない。拳銃とサブマシンガンがあれば問題ないと考えてナイフを置いてきたのが失敗だった。
リックは焦りを感じながら拳銃でウォーカーの頭を殴りつける。一応はウォーカーを倒せるものの、何度も殴りつける必要があるため効率が悪い。一体を相手にする間に他のウォーカーに接近されてしまう。
次第にリックはフェンス際に追い込まれ、遂に二体のウォーカーによって体をフェンスに押し付けられた。両手はウォーカーを押し返すだけで精いっぱいで反撃できない。このままでは食い殺される。
リックが迫りくる死の恐怖に顔を強張らせた瞬間、正面のウォーカーの頭に矢が突き刺さった。そのウォーカーが崩れ落ちると、もう一体のウォーカーの頭が銃撃によって吹き飛ばされる。
何が起きたのか理解が追いつかずに呆然とするリックの肩を誰かが揺さぶった。それによりハッとしたリックの目の前にはダリルの焦りに満ちた顔がある。
「リック、大丈夫か⁉噛まれたのか⁉」
それに対してリックは首を横に振って「噛まれてない」と答えた。
リックの返事を聞いて安心したように頷くダリルに対して、リックは何も言えずに見つめることしかできない。まだ頭が混乱している。予想もできなかった事態の連続に頭が混乱しているが、確かなのはダリルに命を救われたということだ。
少しずつ思考が回り始めたリックがダリルに「なぜここに来たんだ?」と尋ねようとした時、発砲音の後にしゃがれた声が響く。
「感動の再会は後にしろ!今は腐れ野郎どもを片づけねぇと頭から齧られちまうぜ!」
声の主は大柄な男で、ウォーカーと対峙しながらもニヤニヤと笑っている。初めて見る顔だ。
リックは初めて会う男に戸惑いながらもダリルと頷き合い、集まってきたウォーカーに立ち向かう。
もう一度、ウォーカーから刑務所を取り戻さなければ。
グラウンド内外のウォーカーを片づけてゲートの応急処置をした後、刑務所の状況を把握したリックは怒りと悲しみに顔を歪めた。アクセルが襲撃によって死んだのだ。
アクセルはキャロルと共にグラウンド付近のフェンスの前に立ち、談笑を楽しみながらも周辺を監視していたという。そこに銃撃を受けて、頭を撃たれた彼は即死した。その体を支えようとしたキャロルは支えきれずに共に倒れ込み、皮肉なことにアクセルの遺体が盾となって彼女の命は助かった。大切な仲間の死を誰もが嘆き、仲間を殺した襲撃者への怒りを燃え上がらせる。
しかし、いつまでもアクセルの死を嘆いているわけにはいかない。今は目の前に横たわる問題を優先して考えなければならない。とりあえずの問題はダリルと、彼と一緒に来た男──メルル・ディクソンの処遇についてだ。
メルルはダリルの兄であり、リックとニーガンが合流する前のグループでは要注意人物と見做されていた男である。しかもグレンとマギーを誘拐した張本人だ。誘拐の被害に遭った二人だけでなく他の者たちも「メルルを刑務所に居させたくない」という気持ちが強い。
リックはダリルとメルルの処遇については後で話し合うことにして、先にアクセルの葬儀を行うことに決めた。皆の気持ちの整理をするためにも彼をきちんと埋葬すべきだと思ったのだ。もちろん、ディクソン兄弟は葬儀が終わるまでグループが使っていない監房棟で待機してもらう。リックの命を救ったとはいえ彼らは敵側の人間だからだ。
アクセルの墓はローリの墓の近くに作られた。このような形で墓標が増えることになるとは思わず、リックは己の不甲斐なさに唇を噛む。
皆でアクセルの墓を見つめる中、オスカーがポツリポツリと話す。
「あいつは臆病だが良い奴だった。このグループに仲間として受け入れられたことを本当に喜んでた。ここでの暮らしを良いものにしようと張り切ってたのに……悔しいな。」
そのように呟いて肩を落とすオスカーの背中をキャロルとTドッグが撫でた。
アクセルの葬儀が終わり、次はダリルとメルルについての話し合いだ。今回は子どもたちが話し合いへの参加を強く希望したため、全員で話し合いを行うことになった。
監房棟の共用スペースでダリルとメルルの到着を待っていると、シェーンとオスカーに連れられて二人がやって来た。
メルルは監房棟に足を踏み入れた途端にニヤニヤと笑いながら皆の顔を見回した。
「なんだよ、全員でお出迎えしてくれたのか?熱烈な歓迎だな。熱いキスで応えるべきか?ん?」
メルルのふざけた態度に多くの者が眉をひそめる。それを察したダリルが「兄貴は黙ってろ」と注意した。
兄弟が部屋の中央で立ち止まるとリックは二人に近づいて話を始める。
「まず、俺の命を救ってくれたことに感謝したい。二人が来てくれなければ死んでいたと思う。本当にありがとう。」
リックが感謝を告げるとメルルがニヤけた笑みを浮かべたまま口を開こうとしたが、ダリルが肘でメルルの脇腹を突いて黙らせた。
ダリルは気を取り直すように咳払いをしてからリックの顔を見る。
「もっと早く来たかったが、なかなか町を抜け出す隙がなかった。間に合わなくて悪かった。」
「謝らないでくれ。それより、二人は総督とは手を切ったということでいいのか?」
リックが尋ねるとダリルは「そうだ」と頷いた。
「総督にはあんたらの意思を伝えて関わらないように説得もした。だが、奴の考えは変わらなかった。前からあの男のやり方には不満があったから今回のことで見切りを付けた。俺はあんたらに協力する。」
「ありがとう。とても助かる。……メルルはどうなんだ?」
リックがメルルに顔を向けると彼は無遠慮にじろじろと見つめてきた。その視線に居心地の悪さを感じたが、目を逸らさずに見つめ返す。
やがて、メルルは楽しげな笑みを浮かべながらリックの顎を掴んだ。
「バカな弟が『リックを助けるんだ!』とか言って突っ走るから、兄貴としては放っておけないだろ。俺もお前たちに協力してやる。まったく、お前みたいな野郎に誑かされるとはねぇ。」
いつまでも手を離そうとしないメルルにリックが抗議しようとした時、背後から伸びてきた手がメルルの手を叩き落とした。そして、その手がリックの肩を掴んで体を後ろに引く。背中にぶつかった胸板の厚さはリックにとって馴染みの相手のものだ。
「ニーガン?」
リックは自分の肩を掴んだままのニーガンを振り返った。彼は不機嫌さを隠そうともせずにメルルを睨んでいる。
「今度からリックに触る時は俺の許可を取れ。許可なしに触ったらお前の両手を叩き潰すぞ。」
ニーガンの脅しにメルルは「おお、怖い」と戯けたように言いながら後ろに下がった。
ダリルはメルルに呆れの眼差しを向けて溜め息を吐き、改めてリックに向かい合った。
「リック、悪い。このバカには後で言い聞かせておく。兄貴のことはいいとして、問題は総督だ。襲撃は今回だけで終わらないはずだ。」
「今回は襲撃だけだったが、今度こそ物資を奪いに来るのか?」
「ここには大量の物資があるとわかってるから諦めないだろうな。ウッドベリーは略奪で成り立ってる町だ。今までも他のコミュニティーの人間を殺して物資を奪ってきた。町の奴らには探索して見つけたものだと嘘を吐いてる。」
ダリルの話を聞き、ハーシェルが短く唸った。
「ミショーンの予想は正しかったということか。」
その呟きにミショーンは頷き、驚くべきことを話し始める。
「町のことを嗅ぎ回る私が邪魔になった総督はメルルに私を殺させようとした。そんな総督の側近をここに置いておくのはどうかと思うよ。」
ミショーンの発言に皆が目を見開き、その次に恐ろしいものを見るような眼差しをメルルに向けた。当の本人は「勘弁しろよ」と苦笑いを浮かべ、芝居がかった動きで両腕を広げる。
「俺たち兄弟をあっさり放り出したお前たちと違って、放浪で疲れきった俺たちを拾ったのは総督なんだぜ?他に行く当てのない俺たちが生きていくには奴に従うしかない。それぐらい大目に見てくれてもいいだろ?」
そのメルルの発言がグレンの怒りに火をつけた。「ふざけるな!」と怒鳴ってメルルに殴りかかろうとするグレンをマギーとシェーンが体を張って止める。
「グレン、落ち着いて!あいつを殴っても仕方ないでしょ⁉」
「そうだぞ!あいつの挑発に乗るな!」
マギーとシェーンが必死にグレンを押し止めているが、グレンの目はメルルしか映していない。その目に宿る怒りに炙られてもメルルは涼しい顔だ。それが余計にグレンの怒りを煽る。
「力で押さえつけようとするお前を怖がるのは当然だろ!それに出ていったのはお前の勝手じゃないか!それだけじゃなく、俺とマギーを誘拐して……!彼女がどんな目に遭ったと──!」
「グレン!もうやめて!」
マギーが悲鳴にも似た声を上げたことによりグレンはようやく冷静さを取り戻す。一瞬で怒りの引いたグレンが小さな声で「ごめん」と謝ると、マギーとシェーンは彼を押さえる手を離した。
メルルはグレンの方に向けていた顔をリックに向ける。その顔には笑みがなかった。
「俺とこいつらの関係を今更ゴチャゴチャ言ってもどうにもならねぇよ。今は総督が問題だ。──総督って男は得体が知れねぇ。だがな、断言できることはあるぜ。奴は刑務所の人間全員を殺すことを諦めやしない。」
それに同意するようにダリルが頷いた。
「リック、一人でも多く戦力がいるのはわかってるだろ?兄貴はクソ野郎だが、戦いに関しては頼りになる。不安なのはわかってるから俺がしっかり監視する。だから俺たち二人とも受け入れてくれ。……頼む。」
リックは必死に頼むダリルから視線を外した。
仲間たちのメルルに対する恐怖心や反発心は無視できるものではなく、彼の存在はグループに混乱をもたらすかもしれない。だが、リックの命がメルルに救われたことも事実なのだ。そして、ウッドベリーからの攻撃に対処するには一人でも多くの仲間が必要だということも。
リックは息を吐いてから仲間たちに視線を向ける。
「これまでの経緯を考えればメルルに対して不安を抱くのは無理もないと思う。だが、俺を救ってくれたことや戦力になる人間が必要だということは無視できない。俺たちには一人でも多くの仲間が必要だ。俺は条件付きで彼らを受け入れようと思う。」
リックはそこで言葉を切ってメルルを見た。彼は真っ直ぐにこちらを見ている。
「二人にはしばらくの間、俺たちとは別の監房棟で暮らしてもらう。もちろん武器はこちらで預かる。悪いが、消灯時間には行き来ができないように施錠させてもらうぞ。俺たちが二人のことを問題ないと判断したら武器は返すし、同じ棟で暮らそう。その条件を受け入れるなら仲間として迎えたい。どうだ?」
ダリルとメルルには厳しい条件だということはリックも承知している。それでも条件を受け入れてくれなければ彼らを仲間として迎えることはできない。彼らの処遇についてグループ内で揉めるのは絶対に避けたかった。
その厳しい条件であってもダリルは迷う素振りもなく「受け入れる」と頷いた。メルルはダリルにチラッと視線を向けたが、すぐにリックを見て「わかった」と答えた。当人たちが条件を受け入れたならば今度はこちらが彼らを受け入れると示さなければならない。
リックは仲間たちの意思を確認するために皆を見た。
「二人は条件を飲んでくれた。だから、みんなも彼らを受け入れてやってくれ。お願いだ。」
これについては即答というわけにはいかなかった。誰もが各々の胸に複雑な思いを抱いており、自身の感情を消化するのは簡単ではない。それでも最終的には全員が「二人を受け入れる」と首を縦に振ってくれた。
リックは仲間たちに向けて「ありがとう」と心からの感謝を伝えた。
「じゃあ、早速二人を案内してくる。みんなは襲撃への備えを頼む。」
リックがそのように言うと、ダリルが「待て」と止めた。
「まだ話がある。ウッドベリーにアンドレアがいる。」
ダリルからもたらされた情報にリックたちは目を丸くした。行方不明になっている仲間の名前が出てくるとは思いもしなかったからだ。
リックは動揺したままダリルに「彼女は無事なのか?」と問う。
「ああ、元気だ。アンドレアはミショーンと一緒にウッドベリーに来て、そのまま町に留まってる。」
「ミショーンと?」
リックがミショーンを振り返ると、彼女は顔を強張らせながらダリルを見ていた。
「ミショーン、アンドレアとはどこで知り合ったんだ?」
その問いにミショーンは「森の中」と声を絞り出した。
「彼女が一人で彷徨ってたから助けた。それからは二人で旅をしてたんだ。あなたたちと知り合いだなんて知らなかった。」
「俺たちはハーシェルの農場で暮らしていたんだが、ウォーカーの群れに襲われてバラバラで逃げることになったんだ。その時にアンドレアだけはぐれてしまって……無事だったんだな。よかった。」
「だけど、彼女は私たちの敵だよ。」
ミショーンは忌々しげに吐き捨てて床を睨み、それきり口を閉ざした。そのミショーンの代わりに彼女の言葉の意味を説明してくれたのはメルルだ。
「お前たちにとっちゃ残念な話だが、アンドレアは総督に骨抜きだ。今じゃ奴の恋人も同然だな。しょっちゅう奴の部屋に出入りしてる。」
「アンドレアはそんなにも総督と親しいのか?」
「一応な。ただ、完全にあの野郎から信頼されてるかっていうと怪しい。アンドレアがグレンとマギーの話を知ったのはダリルが偵察から戻ってきた時だしな。お前たちのことを知って動揺してたぞ、すごーく。」
「……そうか。」
返す言葉はそれだけしか浮かばなかった。
ずっと行方のわからなかったアンドレアが無事でいてくれたことは素直に嬉しい。彼女を守れなかったという後悔はグループの誰の胸にもあったのだから。
しかし、彼女は自分たちが敵対しているコミュニティーの一員になってしまった。よりによって、そこのリーダーと親密な関係を築いている。彼女との対立は避けられない可能性が高い。
ウッドベリーとの対立だけでなく仲間との対立も覚悟しなければならない状況にリックは溜め息を吐きたくなったが、「仲間たちを不安にさせてはいけない」と出かかった溜め息を無理やり飲み込んだ。
*****
ダリルとメルルを彼ら用の監房棟に案内したリックは、再びの襲撃に備えて防御を強化する皆を手伝うために自分たちの監房棟へ戻ろうとした。その途中、監房棟へ続く廊下に佇むニーガンを見つけた。その表情に浮かぶ感情は怒りだ。それも嘗てないほどに激しい。
リックはニーガンの怒りの原因が自分にあるのだと察した。つい先日、自分の守りを疎かにすることへの苦言を受けたばかりだというのに、今日の己の行動はそれを無視したようなものだ。彼が怒るのは当然と言える。
リックは後ろめたさを感じながらゆっくりとニーガンとの距離を縮めていった。
「ニーガン。……俺を、待っていたのか?」
恐る恐る声をかければ怒りに満ちた眼差しが寄こされた。
ニーガンは荒々しい足取りで近づいてくるとリックの体を壁に向かって突き飛ばし、背中を打った痛みに呻くリックの顔の隣に拳を叩きつけた。そして怒りが剥き出しの顔を近づけてくる。
リックは間近に迫るニーガンの顔を見て泣きたくなった。それほどに怒りを募らせたニーガンが恐ろしく、ここまで彼を怒らせてしまったことへの後悔が押し寄せたからだ。
殺気すら感じるほどの怒りを纏うニーガンが「いい加減にしろよ」と言い放った。
「どうして一人で外へ出た?俺たちが置かれてる状況をわかってるのか?いつ襲撃されてもおかしくないってのに一人で外へ出て、お前は死ぬつもりだったのか?答えろよ、リック。」
リックは頭を振って否定した。死ぬつもりなどない。それでも一人でフェンスの外へ行ったのは消しようがない事実だ。
無言で答えを示したリックにニーガンが嘲笑を浮かべる。
「死ぬつもりがないってことは、お前の頭はお飾りってことだな。俺が何回言っても一人で動きやがる。俺たちのことは絶対に死なせたくないくせに、自分が死ぬ可能性なんて考えもしない。俺がどれだけ必死にお前を守ろうとしても──」
ニーガンはそこで言葉を切った。その瞬間に彼の顔から一切の感情が消える。
「──お前はそれを踏みつける。いっそのこと両脚を折ってやりたいくらいだ。そうすりゃお前はどこにも行けない。」
リックは嘲笑も感情も消したニーガンの顔にゾッとするのと同時に、彼をここまで追い詰めた自身の無神経さに強い嫌悪感を抱いた。
ニーガンはいつだってリックを守ろうとしてくれた。仲間のために己の身を投げ出そうとするリックを引き戻して、「お前の命も大事だ」と示してくれる。彼はいつもリックを生かそうと必死だった。
では、リックの行動はどうだ?必死にリックの命を守ろうとするニーガンの気持ちを蔑ろにしてばかりだったではないか。彼の優しさに甘えて、自分を大切に思ってくれている彼の気持ちを無視してきた。リックの行いはニーガンに対して酷なものだ。
リックは震える声でニーガンの名を呼びながら彼の頬に触れた。その途端にニーガンの顔が苦悩に歪む。
ニーガンは自分の頬に触れるリックの手に触れながら思いを吐き出す。
「今日の襲撃で、俺はお前が死んだかもしれないと思った。あれだけの銃撃戦の最前線にいたら死んでもおかしくない。だろ?今度こそ、俺は……リックを失ったのかもしれないと、そう思ったんだ。」
ニーガンは決して涙を流しているわけではない。だが、彼の心は泣いている。リックにはそう思えた。
リックはニーガンと額を触れ合わせながら「すまなかった」と詫びる。
「俺は本当に無神経だ。あんたの優しさに甘えて、あんたがどんな思いで俺を守ろうとしてきたのか省みようとしなかった。こんな自分が嫌になる。……許してほしい、とは言わない。あんたの思いを踏みにじってきた俺を許すな、ニーガン。」
その言葉にニーガンの目が微かに見開かれた。リックはその目を見つめながら言葉を続ける。
「俺を許さないまま傍にいてくれ。そして、俺が自分のことも大切にしながら仲間を守る姿を見ていてほしい。もし俺が自分の命を軽く扱おうとしたら遠慮なく殴れ。殴ってでも俺を止めてほしい。きっと、あんたにしかできないことだ。」
「……両脚を折っても文句は言わないな?」
ニーガンは少し笑いながら言ったが、その笑みはどこかぎこちない。まだ普段の彼らしく笑うことはできないのだろう。
リックはクスッと笑ってから「言わない」と返した。
「両脚が折れても、生きていれば仲間を守ることはできる。そうだろう?」
それに対する答えはニーガンの笑顔だった。
リックは笑顔を浮かべたままのニーガンに体を抱き込まれた。少し痛いくらいの抱擁は彼の情の深さの証だ。
リックはニーガンの温もりに包まれながら誓いの言葉を口にする。
「ニーガン、俺はあんたを置いて逝かない。誓うよ。」
囁くように誓いを立てればニーガンの腕の力が強くなった。
「俺も誓うさ。お前を絶対に置いて逝かない。」
「ああ、信じてる。それと、俺のことも信じてほしい。今度こそ裏切らないから。」
それからしばらく、リックはニーガンと抱き合ったままでいた。この温もりを己に刻みつけたいと思ったのだ。
もし再び自分の命を軽く扱うような行動を取ろうとしても、この温もりを思い出せば思い留まることができる。そんな気がした。
To be continued.