Lavender【舞台の裏側-Side:L&J】■Lの場合
代わり映えのしないいつもの仕事部屋、しんとした空気を筆記の音だけが揺らす。近しい人間には「読みづらい」と不評な僕の字だが、筆記速度を重視してしまいどうしても直らない。
書架の前では僕の相棒が資料の整理をしていて、それをなんとなく眺めていると、ふと、言っていなかったことを思い出した。
「中央での舞踏会ね、参加することになったから」
そう言えば彼が振り返り、不思議そうに瞬きをする。
「見送るって言ってませんでしたっけ」
「用事ができたから。君の分の休暇申請も出しといたし、衣装も用意したから安心して」
ひら、と片手に持った書類を振れば彼は素直に了承し、また資料の整理に戻る。……現場執行班の通常業務が終わってから無給で(何度か払うとは言ったのに固辞されたからであって僕が吝嗇というわけではない!)付き合わされているというのに、文句ひとつ言わないどころか、微妙に嬉しそうにすらしている彼は、本当に得難くかわいらしい僕の犬(バディ)だ。
……のろけはともかくとして、舞踏会である。本来別の機会を使ってとある二人をお見合いさせる予定だったのだが、舞踏会にその二人が元々参加予定だったこととから、ついでにそちらで済ませてしまおうという話になったのだ。警備だって厳重だろうからちょうどいいだろう、と。
しかし、「ついで」、という言いぐさはあまり好きではない。本来用意されていた舞台を降り別の舞台へ間借りするという行為はよろしくない。とても、よろしくない。大体、僕がどれだけ周到に草を抜いて地ならしをしたと思っているのか。使った経費を返してほしい。
「……大佐?」
「ああ、なんでもないよ」
……まあ、些事だろう。もし何か問題があっても切って捨てる準備は常に出来ているし、それ以外の、例えば物理的な命の危機があったとしても、彼を連れている限り僕が損なわれることはない。彼は何があっても僕を守るだろう、最悪その身を投げ出してでも。
「コナーくん」
「はい」
手招きをすると素直に寄ってくる彼の目を覗き込む。緑色。怪物の色である、彼がその怪物を飼っているかは別にして、僕はこの色が嫌いではない。
「当日は頼りにしてるからね」
「……はい」
お任せ下さい、と、彼はどこか誇らしげに目を細めた。
……のが、二月ほど前の話である。
社交界のきらめきは子供の頃から身近で、立ち居振舞いは祖父から叩き込まれている(うちは代々続く貴族でもなんでもない成金だから、品格は自ら作らなければならないのである)。幸いなことに僕はそこそこ見映えのするルックスに生まれついたため、めかし込んでも浮きはしない。
とはいえ今回はお仕事だ。僕の顔の上半分を覆った仮面はどこか猛禽類を思わせるフォルムだが、シンプルなもの。服装は黒のタキシードとグレーのベストと無難なもので、ネクタイだけが鮮やかな赤である。「趣味の悪い真っ赤なネクタイをつけた男」、それが今日の僕だ。それ以外の印象は必要ない。
一方彼の装いは僕が頭の先から爪先まで見立てたもので、ワインレッドのベスト等すこし派手なのではないかと本人には言われたが、若いのだから派手なくらいで丁度いい。本当は髪も弄りたかったのだが、あのマーサ(僕が実家から連れてきたメイドだ、いまだに僕を坊ちゃんと呼ぶのはやめてほしい)にやらせてもうまく決まらなかったので諦めた。
そしてそんな僕たちがエスコートする「お客様」は腰回りに重りを沢山抱えておられる紳士で、見た目は(失礼ながら!)冴えない中年男性ではあるが面白い方で、歓談しながらのエスコートに苦痛はさほどない。いつベルトが弾け飛ぶだろうとはらはらするが。
お見合いに向けて精神状態を誘導するべく会話している最中、そっと近寄ってきたスタッフに耳打ちをされた僕は一旦その場を離れ、壁際で声をひそめた。
「到着が遅れてる、だって?」
はい、と頷くスタッフの表情はお世辞にも明るくはない。お見合いの予定時刻にはまだ時間はあるが、僕は待ち合わせ時間ぴったりに来るタイプの相手とはデートしたくない、これ見よがしに懐中時計を確認して大きく溜め息を吐く。
「余裕をもったスケジューリングは基本中の基本でしょ、どういうことなの」
「約束の時間には必ず間に合わせますので」
――僕は戦場以外で軍人が言うことは信用しないことにしている。
何か問題が起こったなら仲介である僕に報告するのが筋というものではないだろうか。とはいえ、暑くもないのに頻繁に顔の汗をハンカチで拭っている相手を、これ以上問い詰めたって無駄だろう。あわれな中間管理職。
「それならいいけど。お客様のおもてなしは?」
「それは……その……」
「僕にしろって?」
……そう、結局のところ尻拭いは僕の仕事なんだから、状況くらい教えてくれたっていいだろう! お待ち頂いていたお客様の元へ戻り、にこにこしすぎない笑みを浮かべる。
「軽く食事でもしましょうか。今回参加しているシェフは僕も知っている人物です、腕は確かですよ」
もう少しその胴回りに肉がついたって構うまい、誤差の範囲だ。お客様をテーブルへ誘導しながら彼へ目配せをすると、僕の相棒(いぬ)は軽く頷いてから人の波へと消えた。
――教えるつもりが無いなら、こちらで調べるまでだ。
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■Jの場合
正装については一応それなりのものを持ち合わせていた。黒のタキシードにネイビーのベストというシンプルで捻りのないものだが、俺が派手に着飾っても似合わないだろう。品自体は良いものなのだから問題ない。そして、もう二度と使わない気がするもの……つまるところ仮面についてはわざわざ用意するのは面倒で、結局支給されたものをそのまま使うことにした。
……と、いうわけで、舞踏会当日である。
笑いさざめく華やかな衣裳の紳士淑女たち、豪華な食事に洒落たカクテル……虚飾だ、こんなものは。陛下の祝ぎだとか慰労の意味もそりゃああるだろうが、他の思惑もありったけ乗っているに決まっている。
本来なら来る予定ではなかった。コネクションを作るのに仮面舞踏会は向いていない、相手のことは誰だかわからないという体になっているのだから、ここで得た繋がりを外へ持ち出すのは無粋だ。
だというのに何故俺がこんな場違いなものに参加しているかというと、部下たちの「息抜きしてきてください」「仕事なら俺たちに任せて」という説得に折れたからだ。この催しが息抜きになるかはともかく、部下にそこまで言わせておいて仕事なんてしたら気を使わせてしまうし、何より気持ちが嬉しかったからだ。
……しかし、俺にとってこの仮面舞踏会というものについては風情もへったくれもない。俺に限った話ではないと思うが、通信兵が相手を認識するにあたって重視されるのは「声」だ。仮面なんて何の意味もない、別段親しくない相手であってもすぐにその正体がわかってしまう。
「少尉」
つまり、呼ばわる声が誰のものかなんて確認するまでもない。振り返るとそこには俺の相棒の姿があった。
「階級呼びは無粋じゃないか」
「名前で呼ぶ方がもっと無粋でしょう」
彼が纏う衣装は古典的な、彼自身にはこだわりはあまり無いのだろうなと思わせるものだったが、仕立ては良いように見えた。というか彼は元がいいから、無理に流行のものを着るより、王道を攻めた方が見映えが良い。そこそこのものを無難に着て誤魔化す俺とはそもそもスペックが違うのだ。ちくしょう美形め、仮面をつけていても美形オーラが消えないとはどういうことだ。
「……?」
まじまじと見詰めていることに気付いたのか、彼が俺の目を見た。なんでもない、と誤魔化しながら傍のテーブルへ手を伸ばし、華奢なグラスを取り上げる。
「こんな良い酒しょっちゅうは飲めないからな、ほら」
――お前の目と同じ色だ、とグラスを渡すと、彼は一度は受け取ったもののまた私に突き返してきた。
「自分の目を飲むのは少し。貴方がどうぞ」
「……そういう言い方をされると俺も飲みづらいんだが」
グラスに口を付けると、そのあおいカクテルは見た目より甘く、強かった。俺が沈黙したのが気になったのか、彼が僅かに首を傾げる。
「甘いし、強い。女を持ち帰るのに使うようなカクテルだ」
――少なくともこんな場所で出すものではない。
「おかしいですね、そんな品の悪いものを出すような未熟な酒係が参加しているなんて」
「美味いには美味いんだが……」
俺は極端に酒に弱いわけではないし、量も少なかったためすぐにグラスは空になった。つまみのオリーブとチーズが気になったが、両手を塞ぐのも見苦しい。空いたグラスを持ったまま周囲を見回すと、丁度ウェイターがトレーを持って歩いてくるところだった。軽く会釈をして、グラスを預ける。
「お疲れ様」
「ありがとうございます、楽しんでいって下さい」
何気ないやり取りだった。が、俺は違和感を覚え、遠ざかるウェイターの背を見た。
「どうしました?」
「いや、珍しいなと思って。下町訛りだ」
「……言われてみればそうですね」
こんな場に駆り出されるのは、大体が中央育ちの上品で家柄の良い人間だ。なにせ王家に関わる行事なのだから、万に一つも間違いがあってはならない。……俺自身がお世辞にも育ちの良い人間ではないのだからこんなこと言えた義理ではないし、普段ならむしろ、下町育ちがこの場に立てるほどの努力をしたのかと頭が下がる思いだっただろう。それなのに。
――なにかがおかしい気がする。
耳に感じたその不自然なざらつきに、俺は妙な胸騒ぎを覚えた。