おかえりスガナミ最後にスガナミに会ってから、もう3回目の夏。そして、それはモネちゃんにとってもスガナミに会ってない3回目の夏。
モネちゃんがずっと前に教えてくれた。カンセンショーってのがモーイをふるってて、そのビョーキのチリョーができるスガナミはずーっとそのお仕事を東京でしてるんだって。そんで、そのカンセンショーをモネちゃんと島の家族に持ってこないように、ずっとスガナミは気仙沼に来てないし、モネちゃんを東京に行かせない。
モネちゃんがその話を僕にしてくれたのは、スガナミと最後に会った後1回目の春だった。『春にまた来るって言ってたんだよ、先生』ってモネちゃんは最後にポツリと言って、僕のことを目一杯ぎゅってしてた。ね、また来るって言ってたのにね。
モネちゃんはずっと気丈にしてた。スガナミの仕事のことも信じてるし、自分のお仕事もがんばらなきゃって。先生に会った時に、利益出てないって言えないよね、って言いながら。でも、スガナミと電話もできなくなって、カンセンショーでいろんなお仕事の制約が増えて、モネちゃんもお部屋で考え込んでる時間が増えて。
たまに僕を一階に連れて行ってくれた時、やっぱりコージが僕のことをお構いするんだけど、コージは僕にいっつもいうんだ。なぁ、サメ坊主(なぜかコージは僕のことをサメ坊主って呼ぶ)、先生は大丈夫かい?モネにはもうとても俺ぁ聞けなくてなぁ。って。ね。そうやってコージがスガナミのこと気にしてくれてるの、とってもありがたいなって思う。その度に僕は思うんだ。スガナミは絶対ダイジョブ!って。だって、スガナミがモネちゃんを置いてきぼりにするようなことはしないもん。
久しぶりにモネちゃんとスガナミが電話でお話してた時。モネちゃんの空気はとってもとっても緊迫してた。なのに、声は快活ないつものモネちゃんで。「ちゃんと寂しいですよ」「だから待てるし、待ちます」って言い切って。でも、電話を切った途端、両手で顔を覆って、たくさんの何かをぐっと堪えてしばらくそうしてた。どこまでそうやってスガナミのために強くなるんだろ、モネちゃん。だけど、そうやって強くなってるモネちゃんは誰かを頼らなくて大丈夫?それでも、それができるのはスガナミだけ、なんだろな、きっと。僕はそんなモネちゃんを応援することしかできない。
何回か、先生来れるかも、ってモネちゃんが喜んで教えてくれて、やっぱり来れないって、ってモネちゃんが寂しそうに笑いながら教えてくれるのも無くなって。もどかしい季節が何回も巡る。モネちゃんは僕の腹巻きを冬のたんびに新調してくれた。そんで、スガナミのマフラーも一緒に編む。送られてったマフラー、スガナミは使えたかなぁ。
モネちゃんが僕のこと抱っこしたまま、呆然としてた夜もあった。ベッドにごろんってしてるんだけど、寝るでもなくて、泣くでもなくて。寂しいも悲しいも、何の匂いもなくって。そんなときは、僕もとっても不安だった。そんな波も何回もあったけど、モネちゃんは静かに僕を抱っこして、一人で乗り越えてた。
そうやってまた来た夏。僕は腹巻きじゃなくて、アヤコさんが作ってくれた手ぬぐいのハッピを着てる。コージの晩酌で僕が汚れないように、ってアヤコさんのお気遣い。ハッピはスガナミにはいらないよなー、って思ってたら、これはサメ太朗とはお揃いにならないね、ってモネちゃんも笑ってる。ね、これはサメならではだよね!まぁ、スガナミは名誉サメにしてあげてもいいとは思ってるけど。
そんなある夏の日、電話をしてたモネちゃんの声がここ数年で一番弾んだ。
「本当に?先生、本当に?」
うん、うん、ってとってもとーってもうれしそうに何度も頷いて話をして、電話を切ったモネちゃんは、電話が終わった途端、僕をぎゅーって抱きしめた。
「あのね、あのね、サメ太朗、先生が再来週来れるんだって!!これは絶対何があってもなお休みだから、絶対必ず行きますって!!」
もう、ここ数年で、一番弾んだモネちゃんの声。
やったー!スガナミが来る!ってか、本当にその休みは死守しろよ、マジで!これで、また来れなくなったとか、ホント、なしな!サメの顔だって三度までだぞ!!歯は一生生え変わるけども!
モネちゃんは僕を抱っこしたまま、とたとたーって一階まで走って降りて、アヤコさんに「あのね、再来週先生来れるって!再来週、客間使ってるよね?私の部屋に泊まってもらうでいいかな、あ、あと仕事の調整もしなきゃだ。えっと、後、えっと…」ってわわわーと話して、アヤコさんに背中ぽんぽんってされてた。
「モーネ、落ち着いて。先生来れるの、よかったわねぇ。うん、今は客間も子供たちの道具多いし、モネの部屋に泊まってもらうのでいいんじゃない。もうお父さんも何も言わないわよ。仕事の調整は、自分で考えて、いいように、ね」
穏やかに、でも嬉しそうにアヤコさんがゆっくり話してくれて、モネちゃんも一息ついて、大きく嬉しそうにうんって頷いて。
楽しみだねぇ、って何回も言いながら、モネちゃんはお仕事の調整をして。明後日にスガナミが来るって日には、スガナミ用のお布団を干してた。僕も一階に連れられて、モネちゃんがお布団干す様子を見てたら、オジーチャンがなんか大きい入れ物を持って、お庭にやってきた。
「ねぇ、モネちゃん、菅波先生はサメお好きなんだよね」
モネちゃんはちらっと僕に目をやって、うん、って頷く。
「これ、高橋さんとこの網に混ざってたんだけど、先生見たら喜ぶかな」
モネちゃんがオジーチャンの持ってる箱覗き込んで、わぁ!って歓声をあげる。
「かなり小さいけど、ドチザメ?」
え、サメ?!見たい、見たい!
心の胸ビレをぱたぱたしてたら、モネちゃんが気づいてくれたのか、縁側にいた僕を抱っこして、一緒にオジーチャンが地面に置いた水の入った箱を覗き込む。
ホントだー!メジロザメ目ドチザメ科ドチザメだ!50センチぐらい?まだこども!かわいい。
「うん、先生喜ぶと思う。でも、このままってわけにはいかないよね?」
「そうだねぇ、牡蠣棚の横に、ちっさい生簀作っとこう。三浦さんとこが水槽畳むって言ってたのどうなったか、聞いとくかねぇ」
「おじいちゃん、ありがとう」
「なんの。モネちゃんの大事な人が、ずっと頑張ってきてくれたんだ。おじいちゃんができることなんてこれぐらいだよ」
オジーチャン、かっこいい!ホント、優しいんだよな〜。コージの新しい仕事のお師匠さんらしくて、そんときは厳しいお話もしてるとこが、またかっこいい。
ドチザメの子供を連れてくオジーチャンを見送って、お部屋に入リながら、モネちゃんが僕に嬉しそうにお話してくれる。
「先生、サメ見たら喜ぶねぇ。でも、サメがどうなるか分かんないから、来てから言わなきゃね」
そだねぇ。オジーチャンがイケス作ってくれるから、元気にしてくれるといいね。
干してふかふかになったお布団をお部屋に持ってったモネちゃんは、お布団をぽんぽんってして、明日はお昼に雨だから、今日干せてよかった、ってとっても嬉しそう。ちょっとでもできることがあるのがうれしいんだろうな。
明日、スガナミが来るって日は、もうモネちゃんはわくわくしてて。もー、ホント、これで明日来れないとか、絶対ナシだぜ、スガナミィ!寝る時も、僕のこと抱っこしてたんだけど、今までの寂しくっての抱っこじゃなくて、わくわくが漏れちゃうのをぎゅっとこらえる抱っこなのがよく分かる。ね!僕もスガナミに会えるの楽しみ!
そんでそんで、やーっとやっとスガナミが来た日!
一階がしばらくわちゃわちゃしてて、あー、スガナミが来たんだなーって分かる。僕も、早く会いたいけど、モネちゃんのお部屋で待ってる。今日も明日もその次も、このお部屋に泊まるんだもんね。気はせくけど、二年半待ったんだ。後少し待つぐらいどってことないよ。
夕方、やっとスガナミがモネちゃんとお部屋に上がってきた。見慣れないキャリーケース持って、やっぱり、おじゃましまーす、って言いながら。あぁあ!スガナミだー!なんかちょっとおじさんになってるけど、間違いなく!スガナミ!あー、涙出る。サメだから涙腺ないけど。
二年半前と同じようにそっとお部屋の中を見渡したスガナミと目が合う。やっほぅ!
ふっとスガナミの顔が和らぐのを見て、モネちゃんが僕をスガナミのとこに連れてってくれた。スガナミが僕をそっと抱っこする。
何も言えない様子のスガナミの手をとって、モネちゃんがそっとスガナミをベッドに座らせる。僕を抱っこしたままのスガナミをじっと立ったまま見つめてたモネちゃんが、急に目にいっぱい涙を溜めてスガナミのことを僕ごとぎゅーって抱きしめた。スガナミもモネちゃんに腕をまわして。しばらくそうしてたら、モネちゃんの啜り泣きが聞こえてきて。スガナミも泣いてる。
「会いたかった。寂しかった。会いに行きたかった。ずっと、ずーっと心配だった」
モネちゃんの泣きながらの一言ひとことに、スガナミも泣きながらうん、うん、って頷いてる。ね、会いたかったし、寂しかったし、会いに行きたかったし、ずっとずーっと心配してたよね。二人の涙がぽとりぽとりと僕の背中に落ちる。こうやって二人の涙を受け止められる僕でよかった。モネちゃんをずっとこの日まで守れて、スガナミと会えて、よかった。
じっと抱き合ってた二人が、ぽふりとベッドに倒れ込む。スガナミの頬を両手で覆ったモネちゃんが、スガナミの涙を親指で拭って、スガナミの左手がそっとモネちゃんの涙を拭う。スガナミの右手にいた僕は枕みたいになっちゃった。
涙を拭いあった二人は額を寄せ合って、お互いの熱をそっと感じてる。じっとそうしてたかと思ったら、くすくすって忍び笑いして。
「ほんとに先生だ」
「ほんとに百音さんだ」
ね、ほんとのほんとーに、今二人でいるんだもんね。すごいね。
距離も時間も乗り越えたね。
そうやってたら、お互いの体温に安心しきっちゃったのか、どちらともなく、静かな寝息が聞こえてきて。モネちゃんはスガナミの顔に手を添えたまま。スガナミはモネちゃんの腰に手をまわして、僕を枕にしたまんま。いーよいーよ、今日は僕のおなかぐらい、いくらでも貸すよ。とっても素敵な二人の時間だもの。お役に立てることはなんでも。
って、コージ来たぁ!おいー、モネ!って起こしかけて、追いかけてきたアヤコさんにしーっ!ってたしなめられてる。アヤコさんえらい!正しい!はい、コージは下に行く!アヤコさん、よろしく!
日が暮れた頃、目を覚ましたモネちゃんが、すうすう寝てるスガナミをとろけそうな顔で見て、そっとスガナミにキスした。そのキスで目を開けたスガナミが、とびきりの優しい笑顔でモネちゃんにキスを返した。
「先生、おかえりなさい」
モネちゃんのその言葉に、スガナミがうん、ってまた頷く。
そうだよなー、スガナミの帰るところはモネちゃんで、モネちゃんの帰るところがスガナミなんだよなー。つまり、僕は二人の真ん中にいるってことだ。これからもきっとそうだといいな。
でも、まずは。
おかえり、スガナミ!