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    二組のバディ エルジョとノアテオ編 灰色の空が重苦しい。列車から駅のホームへ降り立って正面から風を受け、第一声。
    「……寒いな」
     青年はコートの前をかき寄せると溜め息をひとつ吐いた。南寄りの中央区で生まれ育った彼には、北方の空気は少々冷たい。隣に立つもう一人は風を抱く淡い色の髪に氷のような目をしていたため、青年の琥珀色の目がそこだけ温かげな色をしていた。
     青年の名をジョエル・ランツ、もう一人の名をエルウィン・クライネルトという。二人とも中央軍情報部所属の少尉であり、人材交流の一環として北方軍へ派遣されてきたのだ。通常の研修の他、一ヶ月後に控えた演習へ参加することになっている。
     北方はシャデリアとの緊張状態だというのもあり、中央とはまた違う方向での精鋭が集められている。出世欲が旺盛な、軍部の構造改革に手をつけたいとまで思っているジョエルとしてはこの出向は見聞を広めるのにもってこいだった。……つまり、今回の出向は本人のたっての希望でもあったのだ。勉強になるのは勿論だが、最前線における通信設備がどのようなものかにも非常に興味があった。
     一方のエルウィンについては、士官学校を卒業してからそれほど経っていない彼に経験を積ませるという上の意図があったが、二人での出向となったのは彼らがバディ関係を結んでいるからである。また、それなりに実務経験の多いジョエルとの出向であれば、より有意義な交流が出来るだろうと判断されたのだ。
    「……ジョエル、これを。特に貴方は喉を冷やさない方がいいでしょう」
     冷たい風に肩を竦めていたジョエルに、エルウィンが自分の巻いていたマフラーを外して差し出した。少し迷ってからそれを受け取り、まだ残る他人の体温を厭う素振りすら見せずに首へ巻いた彼の琥珀色の目が、ほんの少しだけ細められる。
    「悪いな」
    「いえ」
     行きましょうか、と連れだって歩き出した彼らの密やかな関係を(バディというだけでないそれを)、誰も知らない。


      ※  ※  ※


    「……それでは、一ヶ月という短い期間ではありますがよろしくお願いします」
     情報部周りへの挨拶を終え、一旦辞する。廊下を行き交う軍人たちに一人も見知った顔がいないのは不思議な気分だ。次に顔を出すべき場所のことを考えながら周囲を見回すと、この場所においておそらく唯一の顔馴染みである彼を見付けた。
    「エルウィン」
     呼び掛けると振り返ったエルウィンは、すぐにこちらへと歩み寄ってくる。……そのあおい目を見てなんとなく安心したような気持ちになったのは、無自覚に緊張していたからだろうか。
    「挨拶は終わったんですか」
    「ああ、……いや、あとは兵士部にも一応顔を出そうと思ってる。そっちは? 中尉には会ったか?」
    「ええ、まあ。問題ありません」
     この淡々とした喋り口に違和感を覚える人間はいないだろう。本人も態度に出しているつもりはないと思う。が。
     歯切れが悪い。
     私の相棒は別段人見知りではないし、そもそも個人的な感情で態度を変えるような男ではない。いや、その変わった態度に私だけが気付く程度の些細な変化だから気にするほどのことではないのかもしれないし、単に体調が悪いとか機嫌を損ねているだけかもしれないのだが、後でそれとなく中尉あたりに探りを入れようか。
     軽く指でこめかみを掻いてから、エルウィンの様子を窺う。ほとんど表情を変えないまま、少しだけ目を細めてこちらを見ている。
    「……お前も来るか? とりあえずは、今度の演習でサポートに入るラーゲルブラード班にだけ挨拶しようと思っているんだが」
    「そうですね……はい、ぼくも一緒に行きます」


     兵士部は情報部の次に馴染みがある部署だ。特に通信指令班は指令執行班と現場とを繋ぐ糸なのだから、どちらとも良好な関係を築いておかなければならない。……とはいえここは北方であり、同じ兵士部とはいえ中央と雰囲気はまったく違ってどこか居心地が悪かった。
     見慣れない顔をちらちらと見られている気がする。囁き交わされる声の中にエルウィンの外見に(平たく言うと、彼が美しいということに)関するものがあって、内心で舌打ちをする。……当の本人は全く気にしていないどころか聞こえてすらいないかもしれないというのに、女々しい自分を殺したくなった。
     現場執行班所属、ラーゲルブラード班。彼らがいると教えられた場所へ向かうと、恐らく班長であろう男が、私が彼のテリトリーに踏み込んだらしい瞬間顔を上げてこちらを見た。
     青いトルマリン。まず飛び込んできたのはそれだった。その瞳から思わず目を逸らすと、紫がかった夜明けの色をした髪に遮られる。長い足を折りたたむようにして椅子へ腰掛けていた男は、興味無さげに(あるいは面倒くさそうに)ゆっくりと瞬きをした。
    「中央軍、情報部通信指令班から派遣されてきました、ジョエル・ランツ少尉です」
     敬礼をしてから斜め後ろに控えていたエルウィンを見ると、静かに一歩進み出る。
    「同じく指令執行班から派遣されてきました、エルウィン・クライネルト少尉です」
     私と同じ仕草の筈なのに、敬礼する姿がひどく洗練されて見える。指先まですらりとしていたからかもしれないし、きらきらと髪が揺れたからかもしれない。
    「……一ヶ月後の演習でラーゲルブラード班のサポートに入らせて頂きます。ご指導ご鞭撻のほど、」
    「ノア・ラーゲルブラード少佐だ。……そういうのはいらねェよ」
     ひら、とぞんざいに紙束を振って興味なさげにこちらから目線を外した少佐はもうそれ以上話題を広げるつもりもないらしく、当然エルウィンも名乗り以降黙っており、……ああ、うん。ある意味相性はよさそうだ。
     愛想を母親の胎内に置いてきた性質の人間は身近に(というかすぐ隣に)いる。特に何かを思うことも無い。
     ――ノア・ラーゲルブラード。何年も前に南方から北方へ異動したという話だが、こうして相対してみると冬の風が似合う男に見えた。寒々しく乾いた、肌を切る風。
     ……これで面通しは済ませたとして問題ないだろう。情報部に戻るべくその場を辞そうとしたところで、一人の青年にぶつかりかけて身を引く。すみません、と言いながら少し上背のある相手を見上げると、胡乱げに見下ろす目とかち合った。
     まだ若い。エルウィンと同年代だろうか。まったく見覚えのない相手と相対したせいか、一瞬でその目が警戒の光で塗り潰されたのが見てとれる。……明らかに同じ軍服を着ていて同輩なのはわかるのだから、そこまでの反応をしなくてもよいのではないかと思う。
    「……ええと、ラーゲルブラード班のメンバーかな。中央から出向してきたジョエル・ランツ少尉だ、よろしく」
     階級章を一瞬確認してから口上を述べ、手を差し出す。ふい、と目を逸らされ、「どうも」と短く返された。この班はこういう輩ばかりなのだろうか。手の行きどころがなくて下ろそうとしたその時、
    「挨拶くらいちゃんとする!」
     青年の頭へ書類を綴じたファイルが降り下ろされた。面ではなく角だった気がするが見なかったことにしよう。
    「ごめんねぇ、こいつ人見知りで。例の人材交流のヒト? あたしはロキシー・ブルーム、よろしくね……えっと……」
    「ジョエル・ランツ少尉だ。よろしく」
     下ろしかけた手を握られて安堵した。安堵はしたが……落ち着かない。
     派手な雰囲気の女性だ。年の頃は私とそう変わらないだろうがヒールのせいで(そう、あくまでヒールのせいで!)ほんの少しだけ見上げなければならず、また、スタイルが良いのと髪色や目の色が明るい美女であるという要素もあって妙に気後れしてしまう。その豊かな胸元へ落ちかける視線を逸らして青年の方を見ると、
    「……グラッド。グラッド・ブルーム軍曹、です」
     不満げではあるが、こちらにぺこりと頭を下げてそう名乗った。……ブルーム。ロキシー嬢の身内か。夫婦には見えないから兄妹か姉弟だろう。この雰囲気は弟か。
    「ああ、うん。短い間だがよろしくな」
    「……よろしくお願いします」
     判然としない早口で紡がれた言葉に思わず笑みをこぼしそうになったが、それを表に出すと余計に機嫌を損ねさせる気がして唇を引き結び、エルウィンも彼らと軽く挨拶を交わしたのを確認してからその場を後にした。
     そして後に資料で改めてラーゲルブラード班のメンバーを確認し、これはまた色々と面倒な部隊だな、という身も蓋もない感想を抱くことになるのだった。




     ……テオ中尉に初めて会ったとき、初夏の夜を思い出した。春ほど浮わついてはいない、真夏ほど湿ってはいない、初夏。緑色、という目は春を思わせてしかるべきだろうに、何故だか春を思いはしなかった。
     初日のエルウィンの態度が気になっていた私は、通信指令班から指令執行班に連絡事項などがあるときは積極的に使いをし、様子を窺うようにしていた。その日も私は書類を綴じたファイルを小脇に指令執行班の会議室へと訪れ、中尉と対面していた。
    「中尉、申請頂いた書類です」
    「ああ、ありがとう」
     中尉は別段癖があったりやりにくかったりするタイプの上司でない、ように見える。私は班が違うから長い時間一緒にいるわけではないが、まあ「普通」の範疇におさまる軍人だと思う。
     こんなひとにエルウィンが苦手意識なり悪印象なりを抱くとは思えない。反発するところがあるとすれば少し寛容にすぎるところくらいだが、真面目に淡々と仕事に取り組むタイプの彼は中尉の寛容さに触れることはあるまい。
     他の原因があるのだろうか、と周囲を見回すとちょうどエルウィンが仕事をしているところが見えた。数人での作業に見える、が……なんとなく違和感がある。しばらく眺めて、ああ、距離感だ、と思った。
     遠巻きにされるというほどではない。攻撃されているわけでもない。ただどことなく浮いているのだ、本人は気にしていないだろうが。
     ……中央からの出向なんて、印象としては査察に等しい。しかも来たのはいち兵卒ではなく士官である、若いとはいえ。恐らくはこれが――「中央から派遣されてきた士官殿」への隔意が――エルウィンの覚えた違和感で、初日の態度の理由だろう。
     更に加えてエルウィンには愛想がなく、恐らく周囲と積極的に親交を深めようとはしていないだろうし、仕事についても忌憚のない突っ込みを入れている筈だから、いまだに打ち解けられていないのだろう。
     エルウィンは必要がないと思ったことをばっさりと切り捨て無視するだけであって、無神経でも愚鈍でもない。周囲から浮いていることを気にしてはいなくても自覚はしているだろうし、対処するべきかどうかは考えている筈だ。
     しかしこれは私が口を出すべき問題ではない。なにか理不尽な理由でもめていたりしたなら便宜をはかろうと思っていたが、これはエルウィン自身が、まだ若い彼が学ぶべきことである。
     わざとゆっくり整理していた書類を手に、中尉に一声かけてからその場を辞する。……今度エルウィンを食事にでも連れ出すか、ああでもこの辺りの店はわからないな、などと考えながら。


      ※  ※  ※


    「クライネルト少尉」
     退勤しようとしていたエルウィン少尉にかけられた声は、彼からすればごく最近耳にするようになったまだ耳慣れないそれである。
    「どうかされましたか、中尉」
     表情を変えないままそちらへ向けられた眼差しの先で、緑色の目が……テオ中尉が柔らかく目を細めていた。小脇になにか木製の板を二つ折りにした薄い箱のようなものを抱えている。
    「時間あるなら付き合わないか」
     とん、と指で叩いて示したものがチェス盤であることに気付いた少尉はわずかに首を傾げた。
    「いえ、ぼくは……」
     そして、そう断りかけたところでふと口ごもり、
    「……嗜む程度ですが、それでよければお付き合いします」
     続けたのは承諾の言葉で、その返答に中尉は少しだけ笑った。そして近くの机を引き寄せ、チェス盤を広げて駒を並べ始める。少尉は椅子をもう一脚よそから移動させ、机を挟んで向かい合うように置いた。
     そして駒を並べ終わり、二人ともが席につき一度視線を交わしてから、ごく自然な仕草で中尉が白と黒のポーンを手中に握り込み一度背後へ回してからまた前へ差し出した。一拍置いて、少尉が指差した方の手から現れたのは白のポーン。
    「先攻いただきます」
    「お手柔らかに」
     ……軍人である、役者のように白く細いそれではないしっかりとした男の指が、思いの外繊細な仕草で駒を動かす。
    「……」
     特に会話をするでもなく対局が進むのは元々口数の少ない少尉にとってはさほど苦ではないだろうが、しかし、何故こうしてわざわざ呼び出したのかが不明瞭だ。
    「中尉。……何かお話があったのでは」
     遅すぎるタイミングではあるが(10分ほど無言で対局していたのだから!)少尉が口火を切ると、中尉はどこか楽しげに目を細めた。
    「お前さん、ずいぶん気が長いな。前の奴は三手目で音をあげたぞ」
     何かを返そうとした少尉は、中尉が駒を動かしたのを見て盤面へ視線を落とした。それから再び顔を上げて中尉を見る。緑と、青。
    「あまり喋るのが得意ではないので。なにか問題が?」
    「いいや。……ああ、というか自覚しているんだろう? もうお前さんがこちらへ来てから二週間だ、っと」
     動かされた駒を見て言葉を切る中尉。指で己の髪をくるりと巻いてから、目前の若者の瞳を覗き込んだ。その視線を受け、僅かに細められる目。
    「申し訳ありません。やはり何かしらの対処をした方がよいでしょうか」
    「ん?」
    「……同僚と親密になれという指示では?」
     一瞬黙った後、中尉は声をあげて笑った。笑いながら手を伸ばして駒を進める。それから指で目元を押さえ、なんとか笑いを噛み殺した。
    「そんな指示わざわざ出さんよ、仕事に支障が出てるわけじゃなし。本人がやりにくくないんならそれでいい」
     それにしても、と、中尉は盤面を真面目な顔で眺める少尉を見遣った。俯いているため前髪が顔にかかり、そのあおい目は少し陰っている。
    「お前さんのバディ……ランツ少尉か、彼は……」
     その言葉を聞いて上げられた視線。青い、碧い、あおい目が真っ直ぐ中尉を見る。なにか、と問う声は平易で表情もまったく動いていないというのに、目だけが光を孕んでいる。その視線を受け止めた中尉は、気を取り直すようにこめかみを指で揉んでから、再び口を開いた。
    「彼はどういう男だ? 演習では密に連絡を取り合うことになるだろうからな、お前さんの正直な、忌憚のない評価が聞きたい」
     少尉は、いちどゆっくりと瞬きをしてから、その問いに答えた。

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     出向の終わる三日前、の朝。戦場に部隊が配置される。私は通信班のひとつを任され、機材のチェックを行わせていた。
    「1番、問題ありません」
    「同じく、2番問題ありません」
     班員は若い(まだ幼さすら感じる)新兵たちであり、ベテランをもう一人配属してくれと言っても却下されたことに作為を感じる。私でもまだ若手に含まれるというのにこれは「期待」が重い、と少し笑えた。
     幸いなのは私が、作為の主はさておき、ある程度距離の近しい人間に対しては信頼を得る努力をしていたことだ。……一月で完全な信頼を得るなどということは不可能だが、信頼を得ようとしていると感じさせることは可能である。しばしばそれは、きちんと信頼を得た場合よりも効果的に働くこともある。
    「少尉、本部からの通信です」
     証拠に、こちらへ受話器を差し出す兵士の表情は落ち着いており、浮わついてはいない。
    「ああ。……こちらジョエル・ランツ少尉」
    「五分後に作戦を開始する。くれぐれも気を抜かないよう」
    「了解」
     時計を確認し、ひとつ深呼吸をする。
     五。
     四。
     三。
     二。
     一。
     作戦が、開始した。


     そうして作戦開始から数時間。中央での作戦行動とは勝手が違うが、今のところ大過は無い。班員たちは素直に動いてくれているし、通信状態にも問題はなく、戦況も安定している。
    「テスラ班はどうなってる」
    「指示に従っています」
     各自に割り当てた部隊の状況を確認しつつ、己の担当も忘れずにチェックする。……ラーゲルブラード班。班長はノア・ラーゲルブラード少佐。一月の付き合いで信頼関係を築くまではゆかずとも、意思疎通の速度は問題無いレベルに達していた。
    「少佐、報告をお願いします」
    「……あァ、問題ない。作戦の……」
     不意に。ぶつん、と、音声に混じって異音がした。それから少佐の声が聞こえなくなる。
    「……少佐? ラーゲルブラード班、応答を」
     通信機の向こうは完全に無音。ノイズすら聞こえない。舌打ちをしてから別の受話器を手に取った。
    「こちらランツ少尉。本部、聞こえるか」
    「こちら本部、どうした」
    「ラーゲルブラード班と通信が途絶。班長権限をランツ少尉からオールドマン軍曹へ委譲、その後、復帰のためランツ少尉が離脱する許可を」
    「……少尉自ら?」
    「機材の都合上私しか対応が出来ない」
     一瞬通信機の向こうで声が遠ざかり、それからまた戻ってくる。
    「許可が出た。そのように」
    「了解、ラーゲルブラード班と合流後にまた報告する」
     通信を終了してから部下の顔を見回す。一ヶ月では信頼関係などうわべだけしか築けていない、どこか不安げ……というより不信げな表情をしている者が多いようだ。
    「聞いていたな。オールドマン軍曹、後は任せる」
    「待って下さい、少尉自ら行かれるんですか? 俺たちの誰かに任せてくれれば、」
     腰に巻いているツールポーチを確認し、軽機関銃を掴んで振り返る。明らかに納得していない様子に、そりゃそうだよなあ、とぼんやり思う。お前たちに非常時の仕事は任せられないと言っているようなものだ。
    「今回ラーゲルブラード班に配備されている通信機、あれは標準装備の三世代前のものだ。お前たち、若いだろう。現地で自分一人で対処できるか?」
     先日確認したときに気になってはいたが、今回の作戦において重要なのは機材の仕様ではなく人間同士の連携なのだろうと思い、放置した。判断は間違っていなかったと思っている。そもそも、私以外にベテランを一人配置してくれれば何事もなく済ませられていたのだ。
    「行ってくる。報告は私から直接本部へ入れるし、戻る余裕は恐らくないだろうから、今後の判断はすべてオールドマン軍曹に任せる。お前たちが誇りに忠実であることを祈るよ」


      ※  ※  ※


    「こちらランツ少尉。本部、聞こえるか」
    「こちら本部、どうした」
     本部への入電を受けたのは、エルウィン・クライネルト少尉だった。
    「ラーゲルブラード班と通信が途絶。班長権限をランツ少尉からオールドマン軍曹へ委譲、その後、復帰のためランツ少尉が離脱する許可を」
     その内容は少尉の相棒による不測の事態を報せるものだったが、彼は少し目を細めただけで顔色ひとつ変えずに応答していた。
    「……少尉自ら?」
    「機材の都合上私しか対応が出来ない」
     きらめくあおの瞳が通信機から周囲へと向けられ、そして片手に受話器を持ったまま大きく一歩左へ踏み出し上官……つまりはテオ・アロンソ中尉へ向かって声をあげた。
    「アロンソ中尉! ラーゲルブラード班と通信途絶、それにともないランツ少尉の他班員への班長権限の譲渡、及び班を離脱し復旧へ向かう許可を!」
    「許可する! やらせろ!」
     迷いの無い指示に、少尉はすぐに通信機の向こうへと答えることが出来た。すなわちそれは、
    「許可が出た。そのように」
    「了解、ラーゲルブラード班と合流後にまた報告する」
     ……ジョエル・ランツ少尉を単身飛び出させることに、なる。
     他の部下への指示がひと段落ついたらしい中尉は少尉へ近寄り、地図を見下ろして何やら考え込んでいる彼へと声をかけた。
    「心配か?」
    「まさか」
     とん、と指で地図を突いて、そこから線を引くように滑らせてから納得したように頷く。聡明なあおは憂慮や焦燥の色を宿してはいない。
    「本人が言い出したことです、不手際のある筈がありません。ラーゲルブラード班の声と耳を、少尉は必ず取り戻しますよ」
     ――彼はそういうひとです。
     静かに呟かれた言葉は、例えば、鳥は空を飛ぶものだと言うかのように淡々としていた。


      ※  ※  ※


     なるべく姿を隠しながら、だが出来る限り急いで作戦区域内を走る。この規模の戦場であれば、完全不通は三十分で復帰させたいところである。本来の私の部隊ではなく、一ヶ月しか仕事を共にしていない部隊であるということを加味しても四十五分か。とはいえ、徒歩ではかろうじて間に合うか否か。
     私はあくまで(軍人としては)標準的な身体能力しか持ち合わせていない。極端にひ弱でも、極端に頑強でもない。それが求められる立場ではないからだ。私「たち」がするべきことは、聞き分けること、伝えること、聞き分け伝えるための状況を整えること。そのために班員を率いるのが私の仕事で……ああ、だがやっぱりもう一人くらいベテランが欲しかった。そうすれば私はこうやって走り回る必要もなく、残って伝達に集中出来たのに。
     ふと、エンジンの音が聞こえた。四輪ではない、恐らく二輪だ。そっと木の陰からそちらを覗けば見覚えのある後姿が今まさにバイクをスタートさせようとしていた。これは日頃の行いが良い私に対する天の助けだとばかりにそちらへ向かって走り寄りながら声を張り上げる。
    「軍曹! 後ろ乗せろ!」
    「は……? ていうかアンタなんでこんなところにいるんすか!」
     いささかぎょっとした様子でこちらを見た青年、グラッド軍曹に反論を許さないように一気に捲し立てる。そもそも上下関係を考えればこちらが主導権を握ってしかるべきなのだ、強く出るための隙を与えなければいい。
    「班長のところに行くんだろ、俺の足じゃ追い付けない」
    「今日は物資運搬用のであって二人乗り用のじゃないんすけど。アンタ見た感じ5、60キロはありますよね?」
    「『物資』を運ぶのがお前の仕事だろう、今の俺は修理用の工具みたいなものだ。10分で届けろ」
     じっと睨むように見つめ合う相手の瞳が、こうして改めて覗くと自分と同系色であることに気付いた。私より幾分赤みがかったアンバーは、飴や蜜の色ではない。
    「……ああもうわかりましたよ! 落ちても回収しませんからね!」
     ――よし、押し切った!
     荷物をいくつか降ろして荷台部分に無理矢理乗った私をちらりと見てから、軍曹はバイクを駆った。


     ……体感的には十分弱ほどの後、一時停車しているジープの元へと私は「配達」された。
    「班長、お届け物です」
    「あ? そんな予定、」
     振り返ったノア少佐は、私を見て一瞬口ごもった。
    「なんでこんなところにいるんだ、少尉」
    「通信機を」
    「は?」
    「通信機、不通になってるでしょう。確認に来ましたので渡して下さい」
     差し出された通信機をなかばひったくるように受けとり、電源を入れ直したり耳を当てたりした後、ドライバーを腰のポーチから取り出してネジを外す。露出した中身を確認するとやはり完全に断線しており、応急処置でどうにかなるレベルではない(直せなくはないが時間がかかる)。そのスクラップを放り投げ、自分の通信機で本部へと呼び掛けた。
    「こちらランツ少尉、ラーゲルブラード班と合流」
    「……こちら本部、現状報告」
    「通信機の修理は不可能、私の通信機を譲渡する」
    「……、……許可が出た。そのように」
    「……状態が悪いな……少しこのまま通信を続行してくれ、調整する」
    「了解」
     十秒と少しで調整を終えた後、ノア少佐へ通信機を渡す。
    「今後はこれで。先程まで使っていたものとは少し癖が違うので、意識してはっきり喋るようにして下さい」
    「ああ」
     少佐がそれを受け取り指示をあおぎ始めたのを見て、ふう、と息を吐く。時計を確認して目標時間には間に合ったことに気付き、ほっと息を吐いてから額に貼り付いた前髪を除けた。
    「……ああ、グラッド軍曹。感謝する……8分か、素晴らしい」
    「あ、はい」
     少し戸惑った様子で会釈した軍曹は、私と宙とに彷徨わせた視線を少佐へ向けて、
    「……班長、荷物一部置いてきてるんで、回収してきます」
    「おう」
     短いやり取りだけを残し、またバイクへと跨って去っていった。


      ※  ※  ※


     ジョエル・ランツ少尉がラーゲルブラード班と合流してから一時間ほど経った頃、作戦は終了した。
     本部にて他の通信兵から報告を受け、エルウィン・クライネルト少尉は静かにファイルを閉じる。
    「ラーゲルブラード班が帰還したようですね」
     つまり、そこと合流していたジョエルも帰還しているということである。少尉は部隊が帰還するだろう位置へ向かい、……絶句した。
    「あー……面目ない」
     少尉の相棒であり、けして粗忽というわけではない男が、……上半身を鮮やかな蛍光グリーンに染めていた。明らかにペイント弾が直撃した様相であり、つまるところ演習においての「KIA」、戦死相当である。
    「じ、……ランツ少尉。どういうことだ」
    「ラーゲルブラード班と合流した後、敵部隊と交戦状態になった」
     元々鋭い少尉の目つきが、厳しい表情が、どんどん険しさを増す。あおい瞳の奥でゆらりと揺れた炎に、ジョエルは指先から焼けるような心持ちになった。なにかを言おうとして開かれた口は、少し迷った末に閉ざされる。
    「……後で報告書をあげるように」
    「ああ」
     あくまで職務としての言葉だけが交わされ、労りも慰めもない。勿論、拳を合わせたり、抱擁を交わしたりもしない。相棒であるようにはとても見えない距離感で、私的なやり取りもなく、そのまま二人は別れる。
     ……だが少尉はジョエルの隣を通り抜ける瞬間、低く囁くように、相手にだけ聞こえる程度のボリュームで言葉を降らせた。
    「今夜、部屋に伺います」
     その声はひどく淡白な色をしていた。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2019/01/01 16:36:08

    二組のバディ エルジョとノアテオ編

    #小説 #Twitter企画 ##企画_ペルピス
    エルウィン少尉、ノア少佐、テオ中尉と。
    北方への出向にて、いつもと違う面子でのお仕事。

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