二組のバディ エルジョとノアテオ編 灰色の空が重苦しい。列車から駅のホームへ降り立って正面から風を受け、第一声。
「……寒いな」
青年はコートの前をかき寄せると溜め息をひとつ吐いた。南寄りの中央区で生まれ育った彼には、北方の空気は少々冷たい。隣に立つもう一人は風を抱く淡い色の髪に氷のような目をしていたため、青年の琥珀色の目がそこだけ温かげな色をしていた。
青年の名をジョエル・ランツ、もう一人の名をエルウィン・クライネルトという。二人とも中央軍情報部所属の少尉であり、人材交流の一環として北方軍へ派遣されてきたのだ。通常の研修の他、一ヶ月後に控えた演習へ参加することになっている。
北方はシャデリアとの緊張状態だというのもあり、中央とはまた違う方向での精鋭が集められている。出世欲が旺盛な、軍部の構造改革に手をつけたいとまで思っているジョエルとしてはこの出向は見聞を広めるのにもってこいだった。……つまり、今回の出向は本人のたっての希望でもあったのだ。勉強になるのは勿論だが、最前線における通信設備がどのようなものかにも非常に興味があった。
一方のエルウィンについては、士官学校を卒業してからそれほど経っていない彼に経験を積ませるという上の意図があったが、二人での出向となったのは彼らがバディ関係を結んでいるからである。また、それなりに実務経験の多いジョエルとの出向であれば、より有意義な交流が出来るだろうと判断されたのだ。
「……ジョエル、これを。特に貴方は喉を冷やさない方がいいでしょう」
冷たい風に肩を竦めていたジョエルに、エルウィンが自分の巻いていたマフラーを外して差し出した。少し迷ってからそれを受け取り、まだ残る他人の体温を厭う素振りすら見せずに首へ巻いた彼の琥珀色の目が、ほんの少しだけ細められる。
「悪いな」
「いえ」
行きましょうか、と連れだって歩き出した彼らの密やかな関係を(バディというだけでないそれを)、誰も知らない。
※ ※ ※
「……それでは、一ヶ月という短い期間ではありますがよろしくお願いします」
情報部周りへの挨拶を終え、一旦辞する。廊下を行き交う軍人たちに一人も見知った顔がいないのは不思議な気分だ。次に顔を出すべき場所のことを考えながら周囲を見回すと、この場所においておそらく唯一の顔馴染みである彼を見付けた。
「エルウィン」
呼び掛けると振り返ったエルウィンは、すぐにこちらへと歩み寄ってくる。……そのあおい目を見てなんとなく安心したような気持ちになったのは、無自覚に緊張していたからだろうか。
「挨拶は終わったんですか」
「ああ、……いや、あとは兵士部にも一応顔を出そうと思ってる。そっちは? 中尉には会ったか?」
「ええ、まあ。問題ありません」
この淡々とした喋り口に違和感を覚える人間はいないだろう。本人も態度に出しているつもりはないと思う。が。
歯切れが悪い。
私の相棒は別段人見知りではないし、そもそも個人的な感情で態度を変えるような男ではない。いや、その変わった態度に私だけが気付く程度の些細な変化だから気にするほどのことではないのかもしれないし、単に体調が悪いとか機嫌を損ねているだけかもしれないのだが、後でそれとなく中尉あたりに探りを入れようか。
軽く指でこめかみを掻いてから、エルウィンの様子を窺う。ほとんど表情を変えないまま、少しだけ目を細めてこちらを見ている。
「……お前も来るか? とりあえずは、今度の演習でサポートに入るラーゲルブラード班にだけ挨拶しようと思っているんだが」
「そうですね……はい、ぼくも一緒に行きます」
兵士部は情報部の次に馴染みがある部署だ。特に通信指令班は指令執行班と現場とを繋ぐ糸なのだから、どちらとも良好な関係を築いておかなければならない。……とはいえここは北方であり、同じ兵士部とはいえ中央と雰囲気はまったく違ってどこか居心地が悪かった。
見慣れない顔をちらちらと見られている気がする。囁き交わされる声の中にエルウィンの外見に(平たく言うと、彼が美しいということに)関するものがあって、内心で舌打ちをする。……当の本人は全く気にしていないどころか聞こえてすらいないかもしれないというのに、女々しい自分を殺したくなった。
現場執行班所属、ラーゲルブラード班。彼らがいると教えられた場所へ向かうと、恐らく班長であろう男が、私が彼のテリトリーに踏み込んだらしい瞬間顔を上げてこちらを見た。
青いトルマリン。まず飛び込んできたのはそれだった。その瞳から思わず目を逸らすと、紫がかった夜明けの色をした髪に遮られる。長い足を折りたたむようにして椅子へ腰掛けていた男は、興味無さげに(あるいは面倒くさそうに)ゆっくりと瞬きをした。
「中央軍、情報部通信指令班から派遣されてきました、ジョエル・ランツ少尉です」
敬礼をしてから斜め後ろに控えていたエルウィンを見ると、静かに一歩進み出る。
「同じく指令執行班から派遣されてきました、エルウィン・クライネルト少尉です」
私と同じ仕草の筈なのに、敬礼する姿がひどく洗練されて見える。指先まですらりとしていたからかもしれないし、きらきらと髪が揺れたからかもしれない。
「……一ヶ月後の演習でラーゲルブラード班のサポートに入らせて頂きます。ご指導ご鞭撻のほど、」
「ノア・ラーゲルブラード少佐だ。……そういうのはいらねェよ」
ひら、とぞんざいに紙束を振って興味なさげにこちらから目線を外した少佐はもうそれ以上話題を広げるつもりもないらしく、当然エルウィンも名乗り以降黙っており、……ああ、うん。ある意味相性はよさそうだ。
愛想を母親の胎内に置いてきた性質の人間は身近に(というかすぐ隣に)いる。特に何かを思うことも無い。
――ノア・ラーゲルブラード。何年も前に南方から北方へ異動したという話だが、こうして相対してみると冬の風が似合う男に見えた。寒々しく乾いた、肌を切る風。
……これで面通しは済ませたとして問題ないだろう。情報部に戻るべくその場を辞そうとしたところで、一人の青年にぶつかりかけて身を引く。すみません、と言いながら少し上背のある相手を見上げると、胡乱げに見下ろす目とかち合った。
まだ若い。エルウィンと同年代だろうか。まったく見覚えのない相手と相対したせいか、一瞬でその目が警戒の光で塗り潰されたのが見てとれる。……明らかに同じ軍服を着ていて同輩なのはわかるのだから、そこまでの反応をしなくてもよいのではないかと思う。
「……ええと、ラーゲルブラード班のメンバーかな。中央から出向してきたジョエル・ランツ少尉だ、よろしく」
階級章を一瞬確認してから口上を述べ、手を差し出す。ふい、と目を逸らされ、「どうも」と短く返された。この班はこういう輩ばかりなのだろうか。手の行きどころがなくて下ろそうとしたその時、
「挨拶くらいちゃんとする!」
青年の頭へ書類を綴じたファイルが降り下ろされた。面ではなく角だった気がするが見なかったことにしよう。
「ごめんねぇ、こいつ人見知りで。例の人材交流のヒト? あたしはロキシー・ブルーム、よろしくね……えっと……」
「ジョエル・ランツ少尉だ。よろしく」
下ろしかけた手を握られて安堵した。安堵はしたが……落ち着かない。
派手な雰囲気の女性だ。年の頃は私とそう変わらないだろうがヒールのせいで(そう、あくまでヒールのせいで!)ほんの少しだけ見上げなければならず、また、スタイルが良いのと髪色や目の色が明るい美女であるという要素もあって妙に気後れしてしまう。その豊かな胸元へ落ちかける視線を逸らして青年の方を見ると、
「……グラッド。グラッド・ブルーム軍曹、です」
不満げではあるが、こちらにぺこりと頭を下げてそう名乗った。……ブルーム。ロキシー嬢の身内か。夫婦には見えないから兄妹か姉弟だろう。この雰囲気は弟か。
「ああ、うん。短い間だがよろしくな」
「……よろしくお願いします」
判然としない早口で紡がれた言葉に思わず笑みをこぼしそうになったが、それを表に出すと余計に機嫌を損ねさせる気がして唇を引き結び、エルウィンも彼らと軽く挨拶を交わしたのを確認してからその場を後にした。
そして後に資料で改めてラーゲルブラード班のメンバーを確認し、これはまた色々と面倒な部隊だな、という身も蓋もない感想を抱くことになるのだった。
……テオ中尉に初めて会ったとき、初夏の夜を思い出した。春ほど浮わついてはいない、真夏ほど湿ってはいない、初夏。緑色、という目は春を思わせてしかるべきだろうに、何故だか春を思いはしなかった。
初日のエルウィンの態度が気になっていた私は、通信指令班から指令執行班に連絡事項などがあるときは積極的に使いをし、様子を窺うようにしていた。その日も私は書類を綴じたファイルを小脇に指令執行班の会議室へと訪れ、中尉と対面していた。
「中尉、申請頂いた書類です」
「ああ、ありがとう」
中尉は別段癖があったりやりにくかったりするタイプの上司でない、ように見える。私は班が違うから長い時間一緒にいるわけではないが、まあ「普通」の範疇におさまる軍人だと思う。
こんなひとにエルウィンが苦手意識なり悪印象なりを抱くとは思えない。反発するところがあるとすれば少し寛容にすぎるところくらいだが、真面目に淡々と仕事に取り組むタイプの彼は中尉の寛容さに触れることはあるまい。
他の原因があるのだろうか、と周囲を見回すとちょうどエルウィンが仕事をしているところが見えた。数人での作業に見える、が……なんとなく違和感がある。しばらく眺めて、ああ、距離感だ、と思った。
遠巻きにされるというほどではない。攻撃されているわけでもない。ただどことなく浮いているのだ、本人は気にしていないだろうが。
……中央からの出向なんて、印象としては査察に等しい。しかも来たのはいち兵卒ではなく士官である、若いとはいえ。恐らくはこれが――「中央から派遣されてきた士官殿」への隔意が――エルウィンの覚えた違和感で、初日の態度の理由だろう。
更に加えてエルウィンには愛想がなく、恐らく周囲と積極的に親交を深めようとはしていないだろうし、仕事についても忌憚のない突っ込みを入れている筈だから、いまだに打ち解けられていないのだろう。
エルウィンは必要がないと思ったことをばっさりと切り捨て無視するだけであって、無神経でも愚鈍でもない。周囲から浮いていることを気にしてはいなくても自覚はしているだろうし、対処するべきかどうかは考えている筈だ。
しかしこれは私が口を出すべき問題ではない。なにか理不尽な理由でもめていたりしたなら便宜をはかろうと思っていたが、これはエルウィン自身が、まだ若い彼が学ぶべきことである。
わざとゆっくり整理していた書類を手に、中尉に一声かけてからその場を辞する。……今度エルウィンを食事にでも連れ出すか、ああでもこの辺りの店はわからないな、などと考えながら。
※ ※ ※
「クライネルト少尉」
退勤しようとしていたエルウィン少尉にかけられた声は、彼からすればごく最近耳にするようになったまだ耳慣れないそれである。
「どうかされましたか、中尉」
表情を変えないままそちらへ向けられた眼差しの先で、緑色の目が……テオ中尉が柔らかく目を細めていた。小脇になにか木製の板を二つ折りにした薄い箱のようなものを抱えている。
「時間あるなら付き合わないか」
とん、と指で叩いて示したものがチェス盤であることに気付いた少尉はわずかに首を傾げた。
「いえ、ぼくは……」
そして、そう断りかけたところでふと口ごもり、
「……嗜む程度ですが、それでよければお付き合いします」
続けたのは承諾の言葉で、その返答に中尉は少しだけ笑った。そして近くの机を引き寄せ、チェス盤を広げて駒を並べ始める。少尉は椅子をもう一脚よそから移動させ、机を挟んで向かい合うように置いた。
そして駒を並べ終わり、二人ともが席につき一度視線を交わしてから、ごく自然な仕草で中尉が白と黒のポーンを手中に握り込み一度背後へ回してからまた前へ差し出した。一拍置いて、少尉が指差した方の手から現れたのは白のポーン。
「先攻いただきます」
「お手柔らかに」
……軍人である、役者のように白く細いそれではないしっかりとした男の指が、思いの外繊細な仕草で駒を動かす。
「……」
特に会話をするでもなく対局が進むのは元々口数の少ない少尉にとってはさほど苦ではないだろうが、しかし、何故こうしてわざわざ呼び出したのかが不明瞭だ。
「中尉。……何かお話があったのでは」
遅すぎるタイミングではあるが(10分ほど無言で対局していたのだから!)少尉が口火を切ると、中尉はどこか楽しげに目を細めた。
「お前さん、ずいぶん気が長いな。前の奴は三手目で音をあげたぞ」
何かを返そうとした少尉は、中尉が駒を動かしたのを見て盤面へ視線を落とした。それから再び顔を上げて中尉を見る。緑と、青。
「あまり喋るのが得意ではないので。なにか問題が?」
「いいや。……ああ、というか自覚しているんだろう? もうお前さんがこちらへ来てから二週間だ、っと」
動かされた駒を見て言葉を切る中尉。指で己の髪をくるりと巻いてから、目前の若者の瞳を覗き込んだ。その視線を受け、僅かに細められる目。
「申し訳ありません。やはり何かしらの対処をした方がよいでしょうか」
「ん?」
「……同僚と親密になれという指示では?」
一瞬黙った後、中尉は声をあげて笑った。笑いながら手を伸ばして駒を進める。それから指で目元を押さえ、なんとか笑いを噛み殺した。
「そんな指示わざわざ出さんよ、仕事に支障が出てるわけじゃなし。本人がやりにくくないんならそれでいい」
それにしても、と、中尉は盤面を真面目な顔で眺める少尉を見遣った。俯いているため前髪が顔にかかり、そのあおい目は少し陰っている。
「お前さんのバディ……ランツ少尉か、彼は……」
その言葉を聞いて上げられた視線。青い、碧い、あおい目が真っ直ぐ中尉を見る。なにか、と問う声は平易で表情もまったく動いていないというのに、目だけが光を孕んでいる。その視線を受け止めた中尉は、気を取り直すようにこめかみを指で揉んでから、再び口を開いた。
「彼はどういう男だ? 演習では密に連絡を取り合うことになるだろうからな、お前さんの正直な、忌憚のない評価が聞きたい」
少尉は、いちどゆっくりと瞬きをしてから、その問いに答えた。
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