「あちら」と「こちら」 地に響くような爆音。塹壕の中で待機していたその部隊は、ひとりの少尉に率いられていた。
ジョエル・ランツ少尉。通信指令班所属の、まだ年若い青年である。これといって目覚ましい戦功をあげたという事もなく、頭抜けて優秀というわけでもないが、一定の成果を長時間維持すること、地道で根気のいるような作戦を遂行することには向いていた。よって、今回は他の通信部隊より後方で、前線で使われている最新のものからは一段落ちる型の通信機を配備された状態で支援を行っていた。
その後方まで届いた重低音に、ジョエルは眉を寄せた。
「今のは近かったな……通信状況報告!」
「一番、二番、問題ありません!」
「三番問題ありません、四番若干のノイズ有り」
「五番、……五番不通です、断線の疑い有り!」
ジョエルは報告を受けて舌打ちをし、一瞬考えてから指示を出す。
「五番、二分で予備を繋ぎ直せ。四番は……ニーナ、現場行ってこい。一番二番三番は状況確認はいこちらランツ少尉!」
号令が終わると同時にかかってきた通信を受けたジョエルの顔色が、変わった。
※ ※ ※
「そうだ、貴班としかまともに通信が繋がっていない。今状況を確認させているが、復旧の目処はたっていない」
理知的なあおい目が、机上の地図を見下ろしている。とん、とん、とペンが現在地を叩いている。
「古い機材だったのが逆に良かったのだろう、感度がよいものに強く通信障害が出ているようだ」
淡い色の髪が頭を傾けた拍子に揺れ、きらりと光る。全く弛みのない真剣な表情で、
「……よって、他の班が担当していた指令も貴班に担当してもらう。出来るな」
――ランツ少尉、と呼ばわる声は妙に落ち着いた、不安や疑念の欠片もないものだった。
※ ※ ※
「了解、クライネルト少尉」
通信機の向こうへ応えるジョエルの声もまた落ち着いた、常と同じよく通るものだった。
「……というわけだから、聞いていたな? 今から背負う命の数は倍じゃきかないぞ、腹をくくれ」
動揺が兆し、広がりきる前に、琥珀色の目が緩く細められる。
「お前たちの能力は俺が一番よく知っている。不可能なことをさせたりはしない」
やれるな、なんて確認はしない。やるぞ、と断言する。カリスマ性だのというものには無縁の士官は、だが、だからこそ、普段から周囲の人間との関係を良好に保つ努力を欠かしていない。
部下たちは一瞬怯みはしたものの、ジョエルの言葉に異を唱えたりはしなかった。
※ ※ ※
「A班下ミレー班へ、」
通信の復旧作業が続く中、淡々と発令されるそれは全てがいち部隊によって処理され前線へ送られている。それをわかっていながら、その青年士官の指示は通常どおり畳み掛けるように続く。
「……了解、追って指示をする」
通信機の向こうを気遣う響きはない。信じているのではない、「知っている」のだ、この向こう側にいる人間が何者であるかも、請け負ったことは必ず遂行するということも。
誰よりも知っているのだ。何故ならば相手はジョエル・ランツであり、己の……エルウィン・クライネルトの相棒なのだから。
……なんとか被害は少なく(「不測の事態が起こったわりには」少なく)すんだが、満身創痍ながらも基地へと戻る道中の車内ではジョエルを含む兵隊のほとんどがぐったりと目を閉じていた。
ジョエル下の通信指令班の兵卒はほとんどが耳や喉に疲労を溜めており、その一人一人の様子を確かめてからジョエルもまた気だるげに座り込んだ。
「ジョエル、大丈夫ですか」
「……まだ頭の中でノイズが鳴ってる」
疲弊しきった様子の相棒へ声をかけて水筒を差し出したエルウィンは、どことなく心配げな表情をしている。
「もう帰ったら寝る……飯作る気もしない……」
「……何か差し入れましょうか?」
「お前も疲れてるだろう、今日はゆっくり休め」
少し掠れた声で、時おり眉を寄せ相手の言葉を聞き返す。その様子にとてもではないが放置しかねたのだろう。基地に到着してから、エルウィンはジョエルの固辞を押しきって彼を部屋まで送っていった。
……部屋に着いた瞬間、ジョエルはベッドに座り込んだ。長く溜め息を吐き、頭痛を堪えるようにこめかみあたりを指で押さえる。それから戸口に立っているエルウィンを見て、思い至ったように眉を下げた。
「ああ……悪い、お前も疲れてるのにな。何か飲むか」
「いえ、お構いなく。ぼくがいてはゆっくり休めないでしょうから、失礼します」
「あ」
エルウィンが扉へ手をかけた瞬間、思わず、といった風にジョエルが声をあげた。怪訝そうにそちらを見たエルウィンに、頭を振る。
「いや、なんでもない。おやすみ」
じっとその顔を見詰めたエルウィンは無言で引き返すとジョエルの隣に座った。ほんの少し、もしかしたら気のせいかもしれない、という程度に憮然とした表情をしている。
「貴方はぼくに、もっとわがままでいいと言いますけど。貴方こそ、わがままになるべきだと思います。……帰らないでほしいって顔、してる」
ぐ、と言葉を詰まらせたジョエルは、あちらこちらへ視線を投げてから、誤魔化すことを諦めたのか苦笑した。
「一応、嘘も体面を整えるのも得意なんだが。お前といるときは、嘘が下手になる」
「ぼくに嘘をつく必要はないでしょう?」
「そうだな……じゃあ白状するか」
――もう少し、ここにいてほしい。
その言葉にエルウィンは嬉しそうに目を細め、はい、と甘やかに囁いた。