隷属 天界の片隅にあるその小さなあずまやは、クェイルーヴァという天使が発生した――誕生した――場所である。地上のどこかの空と繋がっている泉からは微かに歌声が聞こえ、クェイルーヴァはその泉に足を浸しながら微睡んでいた。
不意に、翼が空を打つ音が聞こえる。顔を上げたクェイルーヴァは足を泉から上げると周囲を見回し、来訪者の正体に察しがつくと速やかに立ち上がった。
少しして、舞い降りてきたのは一柱の天使だった。輝く金髪と燃える緋色の瞳。曇りのない甲冑と、腰に下げられた剣。
――アクラシエル。そう呼ばれている天使だ。
「ここにいたのですか」
「私をお探しに? 何かご用でしょうか」
表情は変わらないまでも僅かに首を傾げたクェイルーヴァへ、アクラシエルは頷き返す。
「クェイルーヴァ。貴方、私の眷属になる気はありませんか」
その言葉に、クェイルーヴァは二回瞬いた。
「私が……?」
「ええ。貴方の日々の働きには常日頃から感心するものがあります。私の下でその身を磨くというのは悪い話ではないと思いますが」
断られる可能性など考えていない悠然とした態度で述べるアクラシエルを見るクェイルーヴァの表情は、常と変わらず無感動なそれ。ほんの僅かに緊張の色が差したようにも見える。だがその緊張は拒絶というよりも純粋な戸惑いに近いものだった。
「喜んでお受けさせて頂きます」
その証拠に、答える声に否定的な響きは一切含まれていない。アクラシエルは当然のように頷いて、少し思案してから口を開く。
「では明日、正式に儀式を執り行いましょう。日暮れ前に私のところへ」
「はい」
そうして早々にその場を立ち去ったアクラシエルを見送って、クェイルーヴァはほとりと吐息を零した。
……次の日。
天界の中でも特に日差しが真っ直ぐ当たる場所に佇むクェイルーヴァ。そこへアクラシエルが舞い降りる。日暮れ前、西から差す日の光は彼の眼差しに似ていた。
「おや、その格好は珍しいですね」
「失礼のないようにと」
クェイルーヴァは、常の聖職者に似せた上品なカソックの上から純白の薄絹を羽織り、飾り帯を巻いていた。己が誕生した時に身に付けていた、己の理力で編まれたそれ。天使としての正装とも言える。
「剣の用意もあるようですね」
「必要かと思ったので」
腰にさげられているのは一振りの長剣。いかにも上質そうなそれは儀礼用ではあるが刃は潰されておらず、クェイルーヴァが個人的に所持する唯一の武器である――《炎の剣》は天より借り受けているものであるため――。
「……では始めましょうか。跪きなさい」
「はい」
腰から剣を鞘ごと外し、音もなく跪くクェイルーヴァ。差し出された剣をアクラシエルが鞘より抜き放ち、その腹をクェイルーヴァの肩に当てる。
「汝、常に誇り高く叛かず正直であれ。陽光に恥じず立つ戦士であれ」
肩から離れ目前に突き付けられた刃へ、クェイルーヴァはそっと唇を寄せる。それから目を伏せるように顎を引いた。
「この身は天とひとのためにあれど、今この時から貴方のためにもあるでしょう」
頭を垂れたまま静かに宣誓の言葉を口にするクェイルーヴァの前髪に、そっとアクラシエルの指が触れる。髪を横へ除けるようにしてあらわにさせた額へ、その唇が触れた。
「……その献身確かに受け取ろう。クェイルーヴァ、学舎の天使、知恵の使徒。お前のたましいに常に光があるよう」
ゆっくりと顔を上げたクェイルーヴァの視界で、金色の髪が西陽にきらきらと輝く。戦となれば苛烈に燃える目は今は落ち着いて、満足げに細められていた。鞘へと剣をおさめ、こちらへと下げ渡す。
「今後もよく務めるように」
「はい」
両手で捧げ持つように剣を受け取ったクェイルーヴァは、一瞬だけ、どこか誇らしげに目を細めた。