【Joyeux huit Mers号の口福】クェイルーヴァ編◆第一話
◇調査@客室 & 聞き込み@イグネイシャス
「……特に閉鎖はされていないようですね」
ひょい、ととある客室を覗き込んだのは一人の若者だった。艶やかな長い黒髪が一本にまとめられ、尻尾のように揺れている。その若者に続いて、金髪の青年も部屋を覗いた。こちらは眼帯で片目を覆った物々しい雰囲気の人物であったが、その眼差しは気遣わしげに若者を見ていた。
天使クェイルーヴァとその加護対象ジーフリートである。翼や光輪を消し人間のように振る舞っているクェイルーヴァはいつもの聖職者の格好ではなく、上品ではあるがシンプルなシャツとスラックスに大きな鞄を肩からかけた学生のような格好をしている。
「クェイルーヴァ様、おみ足は大丈夫ですか」
……大抵クェイルーヴァはその翼によって浮かんだ状態で移動している。慣れない徒歩がその足に負担をかけていることにジーフリートは気付いていた。
「今は大丈夫です」
涼しい顔で部屋の中へと足を踏み入れたクェイルーヴァは入り口付近からぐるりと部屋全体を眺め、対角へ移動するとまたぐるりと見回した。それから少し首を傾げて思案するような仕草をした後、ジーフリートの方を見た。
「ジーフリート、人が来ないか外を見張っていてください」
「わかりました」
その指示の意味も問わず、ジーフリートは部屋の入り口を押さえると外の様子をうかがう。それを見送ってから、クェイルーヴァは目を閉じた。
少しの間をあけて、額中央に切れ目が入り、ぱっくりと開く。薄く煙のかかったような紫の目がそこにあらわれた。ぎょろぎょろと動くその目で部屋を観察し、しばらくしてからクェイルーヴァが目を開けると額の目は閉じられ跡形もなく消えた。
「もういいですよ、ジーフリート。……次は貨物室へ行きます」
戻ってきたジーフリートに、クェイルーヴァはそっと両腕を伸ばす。瞬きをしたジーフリートは、その意図にすぐ思い至ると自分の服の埃を払った。
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貨物室への階段を下る足音がする。「犯人」として捕らわれていた男は顔を上げ、階段から現れた姿を見ると怪訝そうに眉を寄せた。
「……クェイルーヴァ君? 君も乗っていたのか……だがその格好はどうした」
「足を痛めてしまったので」
……クェイルーヴァは、ジーフリートに抱き上げられた状態で現れたのだ。そしてそっと床に降ろされ少し足元を気にする様子を見せた後、静かに男へと一礼をする。
「こんにちは、イグネイシャス師。少しお話をうかがいに参りました」
犯人ということにされている男、イグネイシャスはクェイルーヴァの知古の天使である。捕らわれていること自体は不本意ではあるだろうが、それでも拗ねて口を閉ざすだなんてことはしないだろうとクェイルーヴァはふんでいた。
「ああ、こんにちはクェイルーヴァ君。構わないが……ジーフリート君も、久し振りだな」
「お久し振りです、イグネイシャス様。このような状況でお目もじするとは思ってもいませんでした」
「私もだ」
丁寧な礼をしたジーフリートに頷き返し、改めてクェイルーヴァへと目をやったイグネイシャスは思いの外落ち着いた様子で、少なくともクェイルーヴァにはいつもと同じように見えた。クェイルーヴァもまたいつもと同じような、授業で質問をする生徒のような態度である。
「今回の事件についてうかがいたいのです。ひとがひとの力でもってひとに犯した罪であれば我々が手を出すべき問題ではありませんし、ひとの罪はひとによって裁かれるべきですが……どうにも様子がおかしい」
「なるほど、では君はどう考えている?」
「単純に考えるならジョン青年がミアプラキトス様の部屋を訪ねてミアプラキトス様を刺したと考えるのが妥当です。……けれど本人があの有り様ですからそんな簡単な話では終わらないでしょう。凶器が穢れているのも気になります、まるで天使だとわかっていて狙ったみたいで」
――刺されたのが私ならそのまま死んでいたかもしれませんし、と言うクェイルーヴァは特に感慨もなさげに淡々とした口調だったが、隣でそれを聞いていたジーフリートはほんの僅かに眉を動かした。
「……そう、それでジョン青年についてなのですが、なにかご存知ではありませんか? ミアプラキトス様と以前から知り合いだった、あるいはこの船で知り合った……事件より前に話していただとか、そういったことは?」
クェイルーヴァの目は真っ直ぐイグネイシャスの黎明を覗いている。それは森の湖畔で授業をするときのそれと同じ種類の眼差しだった。