加護 早朝、教会内の祭壇前で祈りを捧げる青年が一人。目を閉じて俯き加減に立つその青年の、明るい金色の髪が朝日にきらきらと輝いている。
不意に、ふ、と日がかげった。
目を開け顔を上げた青年の目前へ、一柱の天使が舞い降りた。光輪に照らされた夜のように黒く長い髪がひとまとめにされて尻尾のように揺れている。大きな白い翼が二対、風を抱いていた。
その天使は名をクェイルーヴァといい、知恵を美徳とし、ひとを愛するが故に、地上に降りることが多い天使だった。
クェイルーヴァがこの教会を訪れるのは初めてではなく、この青年に会うのも初めてではない。顔馴染みと言ってもよい。証拠に、青年がこの天使の足元へ口付ける所作は丁寧だが淀みなく、手慣れている。
その礼節へこたえるべく青年の額へ口付けたクェイルーヴァは、相変わらず作り物めいた無表情に近い顔のまま僅かに目を細め――微笑みと形容出来なくもない――口を開いた。
「ジーフリート、今日は貴方に加護を与えようと思います」
「はい、……うん?」
思わずまじまじとクェイルーヴァを見た青年の視界で、ふわりと夜のような髪が揺れた。彼の濃い紫紺の目は感情の動きの読めない色をしている。
「跪きなさい」
淡々としたほぼ命令に近いような言い草に、青年は何がなんだかといった様子のまま従った。青年の前の床に降り立ち、大きな翼を折り畳んでから、クェイルーヴァは何かを呟き始める。
「 」
天使語だ。人間には発音出来ない、地上では聞こえなくなって久しい言葉。
――この者をまもりたまえ。我が愛よ常にここにあれ。
「……ッ!」
穏やかな、歌うような天使の声をよそに、小さく青年が呻いた。片手の拳が握られ、僅かに震える。
「……印が浮く際に少し痛むかもしれませんが、すぐにおさまりますので」
祈りを終えた後、クェイルーヴァはそっと膝を折ると青年の手を――聖なるしるしが顕れるだろう場所を――取り、労るように撫でる。
「これで貴方は私の加護を受けることになります。生半な呪いでは貴方を傷付けることは出来ないし、私を呼ぶ貴方の声はたとえ雷が鳴り響いても私に届くでしょう」
「ありがとう、ございます」
困惑した様子のまま天使を見ていた青年は、徐々に状況を理解したらしく表情を硬くした。聖職者にとって天使の加護は誉れであるが、同時に重くもある。
「……貴方の信仰が貴方の意思によらないもので傷付かぬように。貴方の信仰が正しくあれるように」
「私などにそこまで……天使様のご意思を裏切らぬよう、これからも誠心誠意務めます」
「ええ、期待していますよ、ジーフリート」
鷹揚に頷くとクェイルーヴァは立ち上がり、伸びをするように翼を大きく広げた。
「それでは私は一度帰ります」
「はい、お気を付けて」
翼の一打ちで一気に天井まで飛び上がり、そのまま溶けるように天使は姿を消した。それを見送りしばらくその方向を見上げ続けていた青年は、ほとりと息を吐いてから目線を落とす。
「……いや、ええ……加護……?」
実感のわかない様子で、うっすらと赤くなり何かの図を浮かび上がらせようとしている手の甲を眺める。ちり、と時折走る痛みは火傷のそれに似ていた。
――天使の、加護。
青年は目を閉じると、祈るようにその手を額に押し付けた。