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    龍の恋


     その襖を開けて来る人を、好きになると決めていた。
     どんな人だっていい。たとえそれが無頼漢であろうと、目も当てられないような醜男であろうと、何だって愛してみせる。その人のことだけを一生。
     ただそのかわりに、自分を傍で生かしておいてくれれば、それでいいのだ。



     馴れ合うつもりはない。けれど自分の役割は知っている。大倶利伽羅は別に、聞き分けのないわけではなかった。とはいえ、適材適所があるといい加減わかってほしい頃合ではあった。
     特にこういう縁談なんて場には、自分は最も向いていないと。
    「まあ、そう言わないでよ伽羅ちゃん。いい子なんだよ」
     紋付袴なんて慣れないものを着せられて、大倶利伽羅は不機嫌に料亭の廊下を歩いていた。後ろからは同様に黒羽二重の正装をした光忠がついて回る。黒い眼帯も合わせて、しっかり決まっていた。今日はいつもの洋装ではない。光忠は場所にあわせることができる男なのだ。
    「……ふん、どうせあんたのことだ。不必要に世話焼きな女だろう」
    「細やかな気遣いのできるいい子って言って」
     燭台切光忠は大倶利伽羅にとって、自分を拾い上げてくれた師匠に当たる。幼いころに光忠に預けられてから、大倶利伽羅はずっと光忠に書を習い続けてきた。諸芸の祖である長船一門、現当主燭台切光忠。その一番弟子が大倶利伽羅である。とはいえ大倶利伽羅がそう言えば、光忠は「僕は伽羅ちゃんのこともう家族だと思ってるんだけどな」なんてぼやくからそう自称はしない。いちいち家族扱いされてはたまらないのだ。
     案内された部屋に入る前に、一度釘をさしておこう。大倶利伽羅は自分より上背のある光忠を見上げた。
    「勘違いするな、あんたには恩がある。だからあんたの顔を立てて引き受けただけだ」
    「うん。伽羅ちゃんはそういうところ優しくて義理堅いよね。ありがとう」
     大倶利伽羅はその言葉にチッと舌打ちをしたが、光忠はまるで気にしてもいなかった。そもそも順当にいけば、光忠のほうが先に縁談でも何でもして身を固めるべきではないのか。なぜ自分にこの見合いを宛がったのだ。
    「……あんたこそ早く、長船一門のためにも結婚でも何でもするべきなんじゃないのか」
    「ううん、僕はまだ未熟の身だから。それより平気かい? 緊張してない? かっこよくいこうね伽羅ちゃん」
    「誰が緊張なんかするか、たかだか女相手に」
     そう、緊張などするはずもない。
     するはずも、なかった。
    「はじめまして、大倶利伽羅様。本日よりよろしくお願いいたします」
     しかし襖が開き、笑ってその女が三つ指を突いて頭を下げたとき。大倶利伽羅は生まれて初めて誰かの目の前から逃げ出したくなったのだった。



     一人で生まれた……わけはもちろんないのだが、一人で生きてきたという自負はある。大倶利伽羅に親はいなかった。
     どういう経緯だったかは知らない。けれど物心ついたときには長船に預けられていた。拾われたというほうが正しいという人もいる。だが真実がどうかとか大倶利伽羅には興味がない。そんなことはどうでもよかった。
     大倶利伽羅にとって重要であることがあるとすれば、長船に預けられてから光忠の指南を受け書の道を究めたこと。そしていずれはそれで大成し、ずっと一人で生きていけるようになること。それだけである。
     否、それだけであったはずなのに。
    「伽羅様、朝ごはんができました。そろそろお目覚めくださいませ」
     鈴を転がすような女の声。
     ぐうと唸って大倶利伽羅はそれに背を向けた。毎朝毎朝飽きもせず、めげもせず。よくやる。というかどうしてこうなった。
     光忠め。心の中であの百二十点満点の笑顔を浮かべる伊達男を恨む。こんなことになったのは全部あの光忠のせいだ。嫌だと言ったのに。けれどここまで無事に育ててもらった恩が頭をよぎり、断りきれなかった。それはある意味で自分の未熟さでもあるので、大倶利伽羅は何も言わない。
     まずあの縁談を引き受けたのが間違いの始まりだった。
     立場としては仲人になる光忠は、あの襖を開けた後欠点など一つも挙げられないにこやかな表情で彼女を手で指し示した。空いた手で彼女の背に手をやり、こちらに一歩進ませることも忘れない。
    「伽羅ちゃん、こちらのお嬢さんはね、僕の……えっと言葉で説明すると面倒くさくなっちゃうな。とにかく僕の知り合い。それでね、こちらは大倶利伽羅。僕の家族みたいなものだから、君も伽羅ちゃんって呼んであげてね」
    「はい」
     紹介を受けた彼女がにこやかに返事をしたものだから、間髪入れずに大倶利伽羅は訂正する。本当に伽羅ちゃんなどと呼ばれたらたまったものではない。
    「大倶利伽羅だ。別に馴れ合うつもりもないし光忠の家族でも身内でもない。あんたとの見合いも、光忠の顔を立てるために引き受けただけだ。進めるとは言っていない」
     すると光忠があからさまに眉を下げてこちらを見る。その顔はやめろ。
    「えぇ、伽羅ちゃん、こんなに可愛い子なのに? 僕、伽羅ちゃんの好みはよく知っているはずなんだけど」
    「俺の好みをあんたに教えたことはない! 可愛い可愛いと言うならあんたが結婚すればいいだろう」
    「だめだよ、伽羅ちゃん。大事な一番弟子が落ち着くまで、師匠の僕が結婚なんて考えられないな。とにかく、見た目は怖いかもしれないし態度は素っ気無いけど、伽羅ちゃんは本当は優しくて情に篤い性格だから。怖がらないでね」
    「はい、燭台切様。……このたびはありがとうございました」
     大倶利伽羅の言など一切無視されているのもだが、彼女が光忠に深々と頭を下げていることも気になった。光忠の知り合いならば、きっと良家の子女であろう。大して大倶利伽羅は光忠の一番弟子といえど素性の知れないただの平民である。縁談をもらってあれほど光忠に感謝する所以はないはずなのだが。
     しかも相手はそれはそれは美しい友禅に身を包んだ女だった。華奢な女、見ただけでこれまでにどんな生活をして、どんな躾を受けて育ってきたかわかる。大倶利伽羅とは真反対で、要は普通にしていれば絶対に出会わないような女だ。
     彼女は再び大倶利伽羅のほうを見ると、赤い紅の引かれた唇でにこりと笑った。ふいと視線を逸らす。女は苦手だ。どんな女も。
    「じゃ、伽羅ちゃん今日から彼女をよろしくね」
    「……待て、どういうことだ」
     話の風向きが急に変わったので大倶利伽羅は目を剥いて光忠を見た。今日からとは何だ。
     しかし光忠ときたら、相変わらずの優しげな表情で彼女の肩を抱きながらはっきりのたまった。
    「今日から彼女、伽羅ちゃんの家に一緒に住むことになったから」
    「待て!」
     何がどうしてそうなる。そもそも見合いだって、さっき言ったように光忠の頼みだから引き受けたのだ。恩義のある光忠が「困ってるんだ、無理じゃなければなんだけど」などと言うから。引き受けるだけだと念を押した。そこから見合いを進める気は一切なければ、今日は最低限の話だけしたら帰るつもりで。
     しかし光忠ときたら、うんうんと頷きながらしたり顔で今度は大倶利伽羅の肩を叩く。
    「伽羅ちゃん、だめだよ。女の子には優しくしないと」
    「優しくも何もあるか。あの女は初対面で俺とは何の関係も因果もない」
    「でも今はもう顔見知りだよ? 僕が紹介したんだから」
     そんなの屁理屈だ。そう反論しようとしたのだが、光忠は大倶利伽羅の体の向きを変え彼女から少し離れると声を潜めて囁いた。
    「あの子ね、伽羅ちゃんと同じなんだ」
    「……何がだ」
    「この間、事故でお父さんとお母さんの両方亡くしてしまってね。兄弟もいないから天涯孤独なんだ」
    「……」
     ちらりと大倶利伽羅は視線だけを彼女のほうにやる。彼女は口元に緩やかな笑みを浮かべながら庭を見つめていた。
    「女の子一人じゃ家のことなんか管理できないし、僕のほうでそっちの処理はしようと思うんだけど。今少し忙しくて時間がかかりそうなんだ」
    「じゃああんたが預かればいいだろう。あの馬鹿みたいに広い長船の家で」
    「でも僕も仕事で家を空けることが多いから。女の子一人をあんなだだっ広い家になんて置いていたら可哀想だよ。ただでさえ家族を亡くしたばかりなのに。ね、お願い。伽羅ちゃんの家、まだ空いている部屋あるよね? 伽羅ちゃん物を持たないし」
     チッと舌打ちをする。おそらく彼女にも聞こえただろうに、彼女は身一つ動かさなかった。というか不機嫌な様子の大倶利伽羅に動じていそうな様子がない。いいのかあれで。
     苛立ちながら大倶利伽羅は光忠を睨む。
    「……いつまでだ」
    「わぁ伽羅ちゃん、やっぱり優しいね。ありがとう、嬉しいよ」
    「だから、いつまでだ!」
     せめて明確な期間を教えろ。そう思ったのに、光忠はくるりと踵を返して彼女のほうに向き直った。人の話を聞け。
    「そういうわけだから君、今日から伽羅ちゃんの家で頑張ってね。困ったことがあればすぐ僕に言って? 伽羅ちゃんはね、目玉焼きには塩でお味噌汁は」
    「はい、かしこまりました」
    「光忠!」
     なんてことだ。本気なのか。
     だが光忠はあれよあれよという間に話をまとめ、彼女をその日のうちに大倶利伽羅の家に荷物ともども連れてきてしまった。何かの冗談か悪夢かではないかと大倶利伽羅は頭がくらくらしたけれど、どうにも現実らしい。翌朝になっても彼女は家にいた。そして今日に至るまで、変わらず。
    「伽羅様、今日は天気が良うございます。お布団を干してしまいましょう」
     ニコニコとした彼女が起き上がった大倶利伽羅の布団を剥ぎにかかった。大倶利伽羅はぎゅっと自分でそれを奪い返す。毎日本当になぜ飽きも懲りもしないのだ。
    「いい。自分のことは自分でする。俺に構うな」
    「あら、伽羅様はご自分のお仕事がおありでしょう。大丈夫ですよ、わたくしは伽羅様のお布団の下から仮に春本が出てきたとしても驚きはしません。しまっておいて差し上げます」
    「そんなものは出てこない! 誰の入れ知恵だ!」
     いや、聞かなくてもわかるどうせ光忠だ。まったくどいつもこいつも何故自分に構いたがる。大倶利伽羅はため息をついた。大倶利伽羅は可哀想なことに、人間、彼のような人物ほど余計に面倒を見たがることを知らない。
     布団を畳み、大倶利伽羅は部屋から出た。彼女は当然のように後ろからついてくる。指摘しても、彼女は口が立つようでいつも何かしら言い返されてしまう。だから大倶利伽羅はここ数日無言を決め込んでいた。
     大倶利伽羅の住む家は、帝都の中心部から少し離れた場所。長船の邸宅から程近い、和風の一軒家だった。光忠から免許皆伝をもらい、それと同時に長船の屋敷を出ようとしたら、光忠に「弟子が傍にいたほうがやりやすいから」とこの家をあてがわれたのだ。しかしただで与えられるのは癪だったので、大倶利伽羅は月々きちんと光忠に家賃を納めている。物を多く持つ趣味はなく、大倶利伽羅はこの家に最低限の家具と衣服と、書のための道具しか置いていない。それで十分だからだ。だから確かに、部屋は余っていたのだけれど。
    「伽羅様、お櫃のお米がもう空になるのですが。買ってきてもよろしいでしょうか」
    「……」
    「伽羅様、伽羅様。お醤油ももうありませんよ」
    「……好きにしろ」
     頼んでもいないのに、彼女は毎朝大倶利伽羅よりも早く起きて朝食を用意し、洗濯物を干し、家を掃除し、昼と夜は朝同様食事を出してくる。気がついたら風呂まで焚けている始末だ。焚くための薪やらなにやら一体どうしているのだろう。まさか自分でしているのだろうか。
     大倶利伽羅はそこまで考えたが、自分には関係ないことだとやめた。馴れ合うつもりはない。指摘して喧嘩になるのも煩わしい。少しの我慢だ、彼女は基本的にいないものとして扱おう。大倶利伽羅は立ち上がった。そろそろ書を書きたい。すると厨で棚を確認していたらしい彼女がこちらを見る。
    「伽羅様?」
    「あんたがこの家で何をどうしようと勝手だ。好きにすればいい」
     そう、別に大倶利伽羅にこの女と仲良くする義理はない。義理があるのは光忠のほう。
    「俺はあんたを光忠から預かっているだけだ。だが俺には構うな、馴れ合うつもりはない。あんたがあんたの好きにするのは勝手だが、俺の生活に立ち入るな」
     預かることは了承した。しかし一緒に暮らすとは、住むとは言っていない。ましてや、当初の体裁のとおりに見合いを進めることなど決してない。
     大倶利伽羅はここで一人で生き、一人で死ぬ。そう決めたのだ。
     それなのに。
    「伽羅様は優しゅうございますね」
     彼女は相変わらず鈴のような声でそう言った。それには返事をしないで、大倶利伽羅は居間を出る。
     ……訳のわからない女だ。何がどう転んだら自分が優しくなる。



    「ごめんください、伽羅ちゃん、いる?」
     光忠が大倶利伽羅の家に駆け込んできたのは、通り雨の降りそうな日のことだった。吹き込んでも面倒なので雨戸を閉めようと大倶利伽羅が縁側を見たときには、彼女が既にそれを引っ張っている。あの勘のよさはどこから来るのだろうと大倶利伽羅は思った。
    「なんだ」
     玄関まで大倶利伽羅が顔を出せば、光忠が安堵した表情を浮かべる。何事だ。
    「ああよかった、ちょっと仕事頼めるかな。急ぎなんだけど」
    「構わん」
    「助かるよ。屏風に書くんだけどね、歌百首」
     また重たいものをと大倶利伽羅は眉を潜める。急に持ってくる仕事にしてはかなりの重労働だ。だが、大倶利伽羅はどちらかといえばそういうもののをほうを好む。高い壁ほど越え甲斐のあるものだ。
     光忠が人を使って大倶利伽羅の家にかなり大きい屏風を運び込み始める。百首書くにはちょうどいいだろうが、まあ骨は折れそうだ。
    「急ぎっていつまでだ」
    「それがね……明日なんだけど」
    「……光忠、時計は見たのか」
     今は昼過ぎである。つまり一日の半分が終わっている。それが、明日? 何を思って明日なんだ。しかし大倶利伽羅にはそんな無理なことを頼んでくる相手に一人心当たりがあったので、仕方なしに着ていた上着を脱ぐ。光忠は眉を下げて困った笑いを浮かべながらぼやいた。
    「鶯丸さんがね……」
    「……予想はできていた」
     古備前の鶯丸。長船から見ると、その家は親戚筋にあたる。しかし長船というのは遡れば、もともとその古備前の家を元とするらしく……。正直大倶利伽羅には面倒でよくわからないのだが、とにかく長船一門の当主である光忠であっても決して逆らえない相手が鶯丸なのである。大倶利伽羅も何度か会ったことがあるが、それはわかる。あのなんとも言いようのない押しの強さには否と言えない。
    「明日のお茶会でね、ほしいんだってさ、屏風」
    「……そうか」
    「僕一人でって言われたんだけど流石に無理だから伽羅ちゃんもってことでそこは妥協してもらったよ。えっとその部屋に運んで。ありがとう、今日はもういいよ」
     今更依頼者に文句を言っても仕方がない。しかも相手が相手だ。大倶利伽羅は腹をくくった。百首、夜を徹すれば間に合わないこともないだろう。光忠も上着を脱いで、仕事をする体勢に入る。大倶利伽羅は家財をどかし、光忠が運ばせた大判の屏風を畳の上に寝かせた。
    「半々だ。光忠は右半分。俺は左だ」
    「いいの? 伽羅ちゃん、右利きだし左書きづらいでしょ」
    「ふん、相手にとって不足はない」
     久しぶりにこんな無理難題を押し付けられた気がする。言っては何だが、大倶利伽羅は気が逸るような心地がしていた。最近、大人しい掛け軸だの何だのの依頼ばかりでつまらなくなっていたところだ。丁度いい。鶯丸なら多少豪胆な筆致でもとやかく言うまいし。
     大倶利伽羅が硯を取り出し、戸棚をがたがたとしたときはたと気づいた。まずい、墨が足りない。
    「光忠」
    「なに?」
    「墨が足りない。人を貸せ、買いに出す」
    「えっ」
     大倶利伽羅の上から、光忠が戸棚を覗き込んだ。普通に書を書く分には問題ないのだが、百首この屏風にとなるとやや不安がある。大倶利伽羅は使う墨を一種決めていた、帝都の、長船が経営している文房具屋でしか買わないのだ。だからそこに遣いをやって、用意するしかない。しかし光忠は顔をしかめた。
    「どうしよう、困ったな」
    「あんたのとこには腐るほど使える人間がいるだろう。屏風を持ってきた連中を呼び戻したらどうだ」
    「いや、確かに人はいるんだけど……貸しちゃってね」
    「また鶯丸か」
     ぐうと唸った大倶利伽羅に光忠は焦って両手を振った。
    「鶯丸さんね、あの、奥様にね、お茶会のときお庭見せたいっていうからその手入れに」
    「前にも聞いたぞ、その言い分は」
    「あの鶯丸さんが奥様のために何でもしちゃうんだから、いつまでも仲のいいご夫婦だよね、ね、伽羅ちゃん」
     そんなのどうでもいいが、とにかく人員がいないことはわかった。しかしどうする。ならば墨がない。買いに出てもいいが時間的な余裕があるかどうか。
     するとスッと静かに襖が開いた。湯気の立ち上る湯のみを二つ盆に載せた彼女が微笑んで言う。
    「わたくしが参ります」
    「え、君が?」
    「……」
     ぶつかって倒すことにないように高い位置に盆を置くと、彼女は戸棚の中にある墨を覗き込んで確認した。にこりとして彼女は大倶利伽羅を見上げる。
    「よい墨ですね、伽羅様。どちらで」
    「……あんたに行ってもらう謂れはない」
    「伽羅ちゃん!」
     光忠は焦って言ったけれど、そんなことは関係ない。実際にそうだからそう言ったのだ。雨も降りそうで、ここから距離のある帝都まで彼女を行かせるだけの理由はない。そこまでの関係性は大倶利伽羅と彼女の間にはないし、築く気もない。
     けれど彼女は緩やかに頭を振ると、美しい髪を動きやすいように纏めた。それから着ている着物の裾をたくし上げる。ちらりと覗いた白い足に、大倶利伽羅は眉間にしわを寄せた。
    「これでも女学校では足の速かったほうです。ご心配には及びません」
    「そういう問題じゃない」
    「ですが、ないと伽羅様は困るのでしょう?」
     彼女は穏やかな笑みを崩すことなく、大倶利伽羅のほうを見上げてもう一度言った。
    「わたくしに行かせてくださいませ。ご安心ください。このことで伽羅様に恩を着せたりなど致しません。わたくしが、伽羅様が困るのが嫌で勝手に行くだけでございます」
     大倶利伽羅が黙りこくっていると、光忠がおずおずと声をかけてくる。諭すように光忠は言った。
    「お願いしようよ、伽羅ちゃん。困っているのは確かだし、きっとちゃんと買ってきてくれるよ」
     一瞬だけ大倶利伽羅は外に目をやり、それから舌打ちして傍にあった懐紙に墨の銘柄を書き付ける。彼女の細く柔らかい手にそれを押し付けると、はっきりと低い声で言った。
    「帝都の、長船のやっている文房具屋へ行け。店頭には並んでない、店主にこの懐紙を見せろ。そうしたら出してくる」
    「はい、伽羅様。行ってまいります」
     彼女はそれを懐に忍ばせるとパッと踵を返して行ってしまった。空腹前の狼のような唸り声を上げ、大倶利伽羅は今ある墨を擦り始める。まったく、どいつもこいつも。
     スーッスーッという硯と墨の擦れる音を立てていると、光忠が傍に座って微笑んだ。何も言うな、今は何も言ってくれるな。ごりごりとやや強く手に力をこめる。少し濃く擦っておかねば、屏風に書いたときに薄くなる。
    「優しいね、伽羅ちゃん」
    「……何がだ」
    「だって行かせないって言ったとき、雨が降らないか確認したでしょ?」
     立ち上がり、大倶利伽羅は戸棚から数本筆を出した。机の上にいくつか並べる。光忠も好きに使えばいい。何も言わず、大倶利伽羅はただ屏風の左半分に歌を書きつけ始めた。
     大倶利伽羅の住む家からは、帝都まで往復で二時間はかかってしまう。車があればもっと早いのだろうが、大倶利伽羅の家にはない。一応乗り合いバスなんかの移動手段はある。家の傍にも停まるから、彼女もそれを使うはずだが。大倶利伽羅は時計を見た。隣では光忠も黙って、ただ歌を書き付けている。失敗したら大事だから、集中しなくてはならない。だが……。
    「……遅い」
     カンと遂に大倶利伽羅は筆を置いた。これ以上文字など書けない。
     出て行ってからもう二時間は優に越えている。一体どこで何が起きているやら。舌打ちをした大倶利伽羅を見て、苦笑しながら光忠も屏風から体を起こす。
    「この家、電話引いてたよね」
    「あんたが引いた」
    「じゃあ大般若くんのところに僕が電話をかけるよ。確かに時間がかかりすぎてるから、心配だ」
    「……」
     先ほどから雨の音がしている。帝都はここより東にある。だから、ここで雨が降っているならきっと帝都もそうなはずで。光忠が立ち上がって、玄関先にある電話をかけに行った。
     まだ小雨、今のうちに帰ってくれば大して濡れも汚れもしていないだろう。彼女はいつも、美しい着物を纏っていた。おそらく家から持ってきたものだろう。あれはきっと水を吸ったら重くなるに決まっている。長船の家にいた分、目は肥えているつもりだ。あんないい着物にいつも襷をかけて、慣れないことなどするものではないのに。
     大倶利伽羅が窓の外の強くなる雨脚を睨んでいると、バタバタと焦った光忠の足音が戻ってきた。
    「伽羅ちゃん、どうしよう」
    「なんだ」
    「大般若くんに聞いたんだけど、もう随分前に店を出たって」
    「……おかしいだろう、じゃあなぜ帰っていない」
     聞けば彼女はちゃんと墨を買い、大般若の店をもう一時間以上前に発っているらしい。ならばもう戻っていなければおかしい。大倶利伽羅は立ち上がった。
    「どこ行くの、伽羅ちゃん」
    「あんな目立つ着物でいるからだ。誰ぞに絡まれても文句は言えん」
    「当てもないのに」
     どっちにしろこのままでは進む仕事も進まない。上着を引っつかみ、大倶利伽羅は玄関へ向かった。
    「僕も長船に連絡してくる、人探しなら数が多い方がいいし」
    「そうしろ」
    「でも探すって伽羅ちゃんどこを」
     光忠がそこまで大倶利伽羅に聞いたとき、ガラガラッと玄関の引き戸が開く音がした。大倶利伽羅と光忠は顔を見合わせて廊下を駆け出す。たたきには、頭からつま先までびしょびしょの彼女が立っていた。
    「……あんた」
    「……っ、申し訳ありません、伽羅様、帰りが遅れました」
     肩を揺らした彼女は、笑顔で顔を上げた。一体どこから雨に降られたのだろう。白い足袋は泥まみれになって、着物の裾も酷い有様だ。しかし彼女は大事そうに懐から、紙の包みを大倶利伽羅に差し出す。
    「無事です、無事ですよ、伽羅様。墨は無事です。お店の方に雨が降りそうだとお伝えして、油紙に包んでいただきましたから。申し訳ありません、丁度いい乗り合いバスがなく、走ったほうが早かったのです」
    「……」
     受け取ったときに触れた手が異様に冷たく、大倶利伽羅はぎょっとした。墨を光忠に押し付けると、彼女の手首を掴み家に引っ張り上げる。カランと彼女の足から脱げた下駄が音を立てた。
    「伽羅様?」
    「光忠、墨を擦っておけ。あんたは風呂だ」
     廊下を彼女の濡れた足袋が歩く音が響いた。脱衣所に彼女を放り込むと、大倶利伽羅はぴしゃりと扉を閉める。
    「伽羅様、お風呂はわたくしが」
    「そんな様子でか。やめろ、これ以上家を汚すな」
     彼女の水浸しの足跡を見て、ふんと大倶利伽羅は鼻を鳴らした。風呂釜に火をやらなくてはと大倶利伽羅は踵を返す。すると扉の向こうから微かな笑い声が聞こえてきた。
    「……伽羅様はお優しゅう、ございますね」
     ぐっと拳を握り締めたが、大倶利伽羅は何も言わずに立ち去った。風呂釜に火をつけて屏風の部屋に戻ると、光忠が非常に生暖かい目でこちらを見ながら微笑んでいる。その目をやめろ。大倶利伽羅はただ再び筆を取った。
    「伽羅ちゃん」
    「なんだ」
    「暖かいスープでも用意しておいてあげたら、あの子風邪を引かずに済むんじゃないかな」
    「……そんな暇ないだろう」
     そうは言いつつも、大倶利伽羅はやかんを火に掛けた。湯さえ沸いていれば、温かい茶くらいは飲めるはずだ。
     その日二人は夜通し歌を屏風に書き付けた。夜半に締め切っていた部屋の襖を開けると、外に握り飯と茶が置いてあり彼女がそうしたのだろうと大倶利伽羅は思った。そんなことをしていないで、風邪を引かぬよう寝ていろ。そう言おうか迷い、やめる。差し入れは光忠と二人で食べた。
     明け方になってやっと、屏風は仕上がった。屏風はそのまま鶯丸の元に届けると光忠が持っていく。大倶利伽羅はそれを見送ってから部屋に戻ろうとした。流石に疲れた、いい加減眠りたい、頭がぼんやりとする。だが風呂ぐらい入るべきだろうか。靄のかかったような思考で考えながら廊下を歩き、大倶利伽羅ははたと雨戸が閉まりっぱなしなことに気がついた。大倶利伽羅が何もしなかったのもあるが、大抵こういうことは大倶利伽羅が気づく前に彼女がしている。……ということは。
    「おい、あんた」
     彼女の部屋の襖の向こうから大倶利伽羅は声をかけた。返事がない。悪い予感は的中したのかもしれない、大倶利伽羅は一瞬だけ躊躇った後に襖を横に滑らせた。
    「おい、しっかりしろ。熱だな」
     案の定である。彼女はぐったりとして布団に臥していた。起き上がって着替えようとしたのか、手には襦袢を結ぶための紐が握られているし化粧もしている。何を考えているんだ、こんな体温で。僅かに開いた目がうろうろとして大倶利伽羅を捕らえる。けれどうまく見えているか定かではない。かなりぼんやりとした瞳だった。
    「からさま、……あさごはん」
    「医者が先だ。呼ぶから待っていろ」
     大倶利伽羅は玄関に蜻蛉返りして受話器を取った。近くの医者……と思ったが一体どこだ。大倶利伽羅は自分が病気をしたことがないばっかりに、番号も見当もつかなかった。
     舌打ちをして大倶利伽羅は受話器を叩きつけるようにして戻す。住所録なんてものは大倶利伽羅の家にはない。引っ越したときに挨拶もしていないから、周囲の家に誰が住んでいるか把握していないのだ。大倶利伽羅は再び彼女の部屋に戻った。途中自分の部屋で羽織を引っつかむ。
    「体を起こせ」
     彼女の脇に腕を差し込み、大倶利伽羅は上体を起こさせた。それから上に自分の羽織を着させて彼女を背負う。傍にあった襦袢用の紐で、体をくくりつけた。軽い上に熱い。やはり昨日風呂上りで差し入れなど作ったのが悪かったのか。
    「伽羅様……」
    「喋るな、舌を噛むぞ」
     玄関の戸は足で閉めた。少なくとも帝都の方角を目指せば医者のひとつくらいあるはず。そこでいいだろう。走る揺れは彼女の体に響くかどうか考え、大倶利伽羅は早歩きで道を進み始めた。まだ朝は早いが、仕方ない。開けてもらって診てもらう。下駄では歩きづらかろうと履いた洋靴が土煙を上げた。
    「おや、君は」
     曲がり角に差し掛かったとき、ちょうどその家の住人の男が掃除でもするのか顔を出す。今誰かと話している余裕はない。大倶利伽羅は適当に会釈だけして通り過ぎようとしたが、その男は大倶利伽羅の前に立った。にこりと穏やかな笑みを浮かべ、大倶利伽羅に礼をする。
    「向こうの家に住む大倶利伽羅さんだね、おはよう」
    「……悪いが、先を急ぐ。退いてくれ」
    「後ろのお嬢さんは風邪かな」
     大柄なその男は大倶利伽羅の背にいる彼女を覗き込んだ。ぐいと彼女を背負いなおすようにして大倶利伽羅はその男から距離をとる。
    「どこの医者へ?」
    「あんたに関係ないだろう」
    「ここの傍に以前妻を診せた医者が住んでいる。彼ならすぐに診てくれるよ。呼んで差し上げよう」
    「……は?」
     男はこちらへと手招きをした。大倶利伽羅は戸惑って立ち尽くす。ついて行ってもいいものだろうか。男は来ない大倶利伽羅を不審に思ったのか、振り返って首を傾げた。それから合点がいったようにぽんと手を打つ。
    「ああ、すまないね。名乗るのを忘れていた。私は三条の石切丸。距離はあるけれど、ご近所さんということになるから今後よろしく頼むよ」
    「……三条?」
     三条といえば華族の名門だ。それがなぜこんな帝都から離れたところに。いやだがそんなこと言っている場合ではない。身元が割れたのだからと大倶利伽羅は唇をかみ締め、石切丸に付き従った。背の彼女の呼吸がだいぶ荒い。このまま大倶利伽羅が背負って歩くよりいいだろう。
     カラカラと石切丸が玄関を開くと、奥から小柄な女が赤子を抱いて顔を出す。大倶利伽羅を見てその女は「おや」という顔をした。
    「石切丸?」
    「ああ、突然すまないね。打ち水に出たら向こうの家の大倶利伽羅さんが通りかかって。辛そうだからうちに医者を呼ぶよ、支度をして差し上げてくれるかな。ちい姫は私が見よう」
    「わかりました。大倶利伽羅さん、どうぞ奥へ」
     女は赤子を石切丸に任せるとパタパタ小走りで消えていった。大倶利伽羅は注意深く周囲を見る。そんな様子に石切丸はくすりと笑った。
    「そんなに警戒せずとも君たちを取って食ったりしないよ。妻が布団を敷くから、お嬢さんを寝かせて差し上げなさい」
    「……」
     石切丸はそのまま赤子を右腕に抱くと電話を手に取る。大倶利伽羅はたたきでに靴を落とした。奥の間には布団が敷かれ、石切丸の妻が氷枕まで用意してくれている。大倶利伽羅は彼女と自分とを繋いでいた紐を解き、彼女を寝かせた。彼女の額に手をやった石切丸の妻は、彼女の髪を整えてやってから大倶利伽羅を振り返る。
    「熱が高いようですね。巴先生、きっとすぐにいらしてくれますよ」
    「……ああ」
    「……あら、ふふ、大倶利伽羅さん、よろしければお着物を叩きましょうか? 白粉が」
    「?」
     大倶利伽羅は不審に思って傍にあった鏡に背を向けた。すると彼女を背負っていたからか、着物の背に白粉がついてしまっている。眉間にしわを寄せた後、大倶利伽羅は首を振る。別に後でいい。
     人の家でうろつくわけにも行かず、大倶利伽羅は彼女の布団の傍に座っていた。白粉のせいもあるのかもしれないが、いつも以上に顔の白い彼女を見つめる。彼女はゼイゼイと荒い息をして胸を上下させていた。何度か閉じられた部屋の襖に視線をやっても、開く気配はない。医者はこの近くに住んでいるのではなかったか。焦れて大倶利伽羅が腰を上げかけたとき、やっと身を屈めて大柄な誰かが姿を現した。
    「医師の巴形だ。その娘が俺の患者か」
    「……そうだ」
     妻を見せたと石切丸が言うからには女の医師かと思ったが違ったらしい。いや、顔立ちは整って一見したら凛とした女に見えなくもないのだが背があまりに高すぎるし何より声が低い。
     白衣を着て、髪まで真っ白なその医者は彼女の枕上に座ると鞄からなにやら様々な器具を取り出す。まず巴形は彼女の口に水銀体温計を咥えさせる。それから聴診器を耳に嵌め、躊躇いなく彼女の着物の襟に手をかけたので大倶利伽羅は目を剥いてその腕をつかんだ。
    「待て」
    「なんだ」
    「何してる」
    「心音を聞く」
     それはそうかもしれないが、いきなり女の胸元を開こうとするな。大倶利伽羅が口を開こうとすると、先に巴が答えた。
    「ああ、案ずることはない。俺は女性をよく診る。女の胸など見慣れているゆえ、心配には及ばない」
    「……」
    「お前が気になるのなら背を向けていろ。俺は患者に無体はせぬ」
     淡々と巴が言うものだから、大倶利伽羅は黙って巴の手を離した。そのまま布団に背を向ける。ごそごそと衣服のすれる音がするのを落ち着かない気持ちで聞きながら、大倶利伽羅は部屋の襖を睨んだ。聴覚というのは厄介だ。見えない分だけ意識が持っていかれる。しかも今は寝不足でかなり思考回路が乱れに乱れまくっていた。
     おそらく五分十分だったと思うのだが、三時間くらいに感じる診療時間が終わると再び衣擦れの音がして「終わったぞ」と声をかけられる。大倶利伽羅が体の向きを戻したときには、彼女は襟を正され巴に布団をかけてもらっていた。大きな体躯の割に丁寧な手つきで、巴は彼女の肩までしっかりと掛け布団を直している。
    「どうなんだ」
    「ただの風邪のようだ。しかし体が冷えたせいか、放っておけば肺炎になるところであった。石切丸に礼を言うといい、お前がふらふらと背負ったまま出歩けばそうなった」
    「……」
    「熱冷ましの薬湯を飲ませた。いくらかお前にも渡しておく。熱が明日になっても下がらなければもう一度俺を呼べ。目を覚ましたら厚着をさせて家に帰ってもいい」
    「わかった」
     巴は大倶利伽羅に自分の連絡先を書いた懐紙を渡し、立ち上がった。そのまま行かせるのでは礼を欠くと思ったので、大倶利伽羅も腰を上げる。しかしそこで財布も持たずに来たことに気づいた。大倶利伽羅が懐を押さえた動作でそれがわかったのか、部屋を出た巴が先に言う。
    「代金など後で良い」
    「……後で必ず払いに行く」
    「ああ、そうだ。あとお前、娘に何をさせている」
    「なんだ?」
     何とは何だ。怪訝そうな顔を大倶利伽羅がすれば、巴が上からこちらを見下ろしながらぱっと手を開く。
    「手だ。娘の手、あかぎれにささくればかりであった。年頃の娘の手ではない」
    「……」
    「髪も細い。日ごろから気を張っている証だ。少し休ませることだな、治るものも治らぬぞ。俺の見送りなど良い、娘についていろ」
     気を、張っている。大倶利伽羅は部屋を振り返った。彼女は薬を飲んだおかげか、先ほどより呼吸が和らいでいる。石切丸がもう一度大倶利伽羅のところにやってきて、巴から事情を聴いたのか彼女が目を覚ますまでは家にいるといいと言った。それに礼を言って後ろ手に襖を閉め、大倶利伽羅は再び彼女の布団の傍に座った。
     初めて彼女を見た日のことを、思い出す。まごうことなく、彼女は良家のお嬢様であった。友禅の着物に細い首筋。紅を引いた唇の赤さまで覚えている。だが今の彼女は、どうであろう。こうまじまじと顔を見る機会などほぼなかった。大倶利伽羅は、意図して彼女から目を逸らしていたのだ。
     いくらか疲れた顔をしていると思った。目元のあたり、頬のあたり。少し線が細くなったような。それによく眠っている。彼女が寝ているところは、今まで見たことがない。どれだけ早く起きても、彼女はいつも必ず大倶利伽羅より先に目を覚まして厨に立っていたからだ。
     しばらくすると青白い頬に僅かに赤みが差し、睫が震える。ゆっくりと、彼女が目を開けた。
    「……伽羅様」
     こんなときまで一番にこちらを気遣う必要などないというのに。大倶利伽羅はふんと鼻を鳴らして顔を逸らした。
    「……具合はどうだ」
    「……少し、ましに。ここは一体、あの、申し訳ございません、わたくし」
    「俺は眠い」
     彼女が謝る前に少し離れ、大倶利伽羅は壁に背を預ける。胡坐をかき、腕を組んで目を閉じた。
    「少し寝る。だからまだあんたも寝ていろ」
    「……伽羅様」
    「日が落ちる前には帰る。家をそのままにしてきた」
     大倶利伽羅がそう言って黙ると、ごそごそと布団を擦る音が聞こえた。それから大倶利伽羅の膝の辺りに何かが掛けられる。目を開ければ彼女が自分の布団を一枚大倶利伽羅に被せていた。
    「何やってるんだあんた」
    「伽羅様も風邪を召されます」
    「風邪を引いてる張本人が何言ってる。大人しく寝ろ」
    「ではもう少しお傍へ」
     ぎょっとして大倶利伽羅は壁から体を起こした。何を言っている。
    「そのように端に寄られますと布団が届きません」
    「あんたが使え、俺には構うな」
    「そうは参りません。でしたら私もここで休みます」
    「……っ」
     なんて厄介な女だ。大倶利伽羅はバッと彼女の手から布団を奪うと、そのまま彼女を引っ張り布団に戻した。上からもう一度布団を直してやる。巴は肩まで掛けてやっていたので、同じようにした。そしてぎりぎりまで距離をとり、布団ではなく畳の上で背を向けて横になる。
    「これで満足か、さっさと寝ろ」
    「……ふふ」
    「なんだ!」
     愉快げに笑う声がして、大倶利伽羅は振り返らずに言う。そっと大倶利伽羅の背に、細い指が触れた。
    「伽羅様は本当に、お優しゅうございますね」
    「……どこがだ」
     指が、あかぎれだらけだったという巴の言葉を思い出す。今自分の背にあるものも、そうなのだろうか。
    「存じております。お風呂の薪を先に割っていてくださること」
    「……」
    「お米も、私が買うより先にお櫃に入れておいてくださいましたね。存じております、全て、存じておりますよ」
    「……女がすることじゃない」
     小さな彼女の手なのに、背中全体がとても熱かった。するすると衣擦れの音が聞こえて、彼女が大倶利伽羅の傍に来る。大倶利伽羅は身動きをとらなかった。
    「伽羅様、いつもありがとうございます……」
     それには返事をせずに、大倶利伽羅は目を閉じる。いい加減、もう眠たい。スゥスゥと聞こえ始めた寝息を追いかけるように呼吸していたら、大倶利伽羅も自然と眠りに落ちていた。



     家事を分担することにした。
     いや、これは馴れ合いではない。また彼女に倒れられたら堪ったものではないからだ。だから力仕事は大倶利伽羅がやり、厨仕事は彼女のほうが得意だから彼女に任せる。それだけである。餅は餅屋だ。
    「女学校では修身でよい成績をもらいましたから、ご安心くださいませ」
     彼女が笑ってそう言ったが、大倶利伽羅はフンとひとつ鼻を鳴らしただけであった。食事に罪はない。出されたものは食材に感謝して食べる。それだけだ。だからこれも馴れ合いではない。いずれ出て行く女だ。一時の間だけ。そう、その間だけ。大倶利伽羅は自分の心のうちでそう繰り返した。
     だから一緒に、食事を摂るようになった。彼女が支度をし、その間に大倶利伽羅は風呂を沸かしたり仕事をする。集中しているときは、彼女は静かにただ手でつまめるものを部屋の外に置いていた。大倶利伽羅は黙って手を合わせ、それを食べる。
     それだけ。大倶利伽羅と彼女の生活は、ただそれだけのものだった。
     例の屏風は鶯丸に大層気に入られたらしく、あとで光忠が代金と礼を持ってやってきた。果物だったので、そのまま彼女に渡した。彼女は「剥いてまいります」と笑って、それを厨に持っていった。
    「奥様がね、とても気に入ってくれたんだって。あの屏風。だから鶯丸さんもご機嫌で」
    「ふん、俺は見合った代金がもらえればそれでいい」
    「まあまあ、鶯丸さんに気に入られておけば、定期的に仕事は入ってくるから。結果的にはよかったんじゃないかな。まあ伽羅ちゃんは大変だったみたいだけど」
     ふふと笑いながら光忠が言う。その言葉には大倶利伽羅はそっぽを向いた。光忠め、どこで聞きつけたやら。
     しかし光忠は心底安堵した表情を浮かべていた。彼女が淹れてくれた茶を飲み、金色の瞳を和ませて笑う。
    「安心したよ。伽羅ちゃんが優しいのは知っていたけど、女の子とうまくやれるかはちょっと心配だったし」
    「……俺は馴れ合うつもりは」
    「ねえ伽羅ちゃん、あの子のこと、このままここに置いてくれないかな」
    「なんだと?」
     大倶利伽羅は眉間にしわを寄せた。話が違う。最初は彼女の家の管理やらなにやらの処理が終わるまでという条件だった。
    「でも、あの子もう身寄りがないんだ。伽羅ちゃんに放り出されたら、行くところがないんだよ」
    「俺の知ったことじゃない。光忠が探してやればいいだろう」
    「女の子一人でどう生きて行けって言うの? あの子、ここにいる間十分に頑張ったんじゃない? 伽羅ちゃんの邪魔はしなかったはずだよ。だからここに置いてあげてもいいでしょう?」
     ……もしや。
     そこまで言われて、ピンときた。大倶利伽羅は獰猛な龍の瞳で光忠を睨み付ける。そうか、そういう魂胆だったのか。ぐっと自身のスラックスを掴んで、大倶利伽羅は吐き捨てるように言った。
    「そうか、あんたの入れ知恵か」
    「何が?」
    「あの女が妙に献身的なのも、気を回して先回りしていたのも、あんたが俺に気に入られるようにしろと言ったからか」
    「えっ、違うよ、伽羅ちゃん。そうじゃないよ」
     光忠は慌てて首を振り否定した。しかし大倶利伽羅は立ち上がった。
     なぜこんなに苛立つのだ。こんなに胸がざわつくのだ。もし彼女のあの態度が嘘だと、仮初のものだとして、どうしてこんなにも。
    「煩わしい……! あんたらの慣れ合いに俺を巻き込むな!」
    「違うんだ伽羅ちゃん、ごめん、僕の言い方が悪くて」
    「燭台切様は関係ございません」
     静かな声で、彼女が入ってきた。唇を噛み締め、彼女は大倶利伽羅のほうを見つめている。大倶利伽羅は舌打ちしてそちらからは目を背けた。
    「燭台切様はわたくしに伽羅様をご紹介してくださっただけです」
     彼女はただそう言ったので、大倶利伽羅はつっけんどんに返す。みしりと畳の下の床が音を立てた。
    「じゃあなんだ、俺に取り入ろうとしたのはあんたの独断ってことか」
    「……そうです」
     あっさりとした返事。胸の内が一層暑苦しくなる。それほどまでに容易く、認めてしまえるのか。自分との日々が嘘だと。
    「わたくしには、もう身寄りがありません。お嫁に行くしか、もう生きていく道はないのです」
    「女が働く術もないというのか」
    「ございます、知っています。けれど私は、それを持ちません」
    「甘えたことを言うな! 持たないのなら歯を食いしばってでももぎ取れ!」
     大倶利伽羅が怒鳴れば、彼女は今まで見たことのないような強い眼差しでギッとこちらを睨んだ。思わずどきりとして大倶利伽羅は口を噤む。
    「伽羅様は御存じない! 誰も彼も、伽羅様のような強い人間ばかりではないと、伽羅様はわかっていないんだわ!」
    「俺は」
    「一人で生きていける、そうでしょう、そうでしょう! でもそうではない人間だっているんです、生きるために、その為に誰かと慣れ合わなくては、そうしなければ生きていけない人間だっているのだと、伽羅様は御存じないんだわ! だからわたくし決めたの、あの見合いの日、どんな人があの襖を開けようと、そこを開けた人を必ず愛そうって、絶対にそうしようって!」
     激昂した彼女は涙を零しながら苦しそうに顔を歪めた。光忠が何か言いたげに右手を上げかけたけれど、そのあと首を振ってやめる。大倶利伽羅は最早言い返すこともできず、ただ彼女を見つめていた。
    「優しい伽羅様に取り入るほかなかった、伽羅様を愛していると思い込んで、せめてここにいていいと言っていただけるようにしなければ、わたくしどうしようもなかった。でも、でも伽羅様ったら、最初から最後まで、結局は、優しいんですもの」
    「……」
    「そんなの、こんな醜いわたくしはどうしたらいいの。伽羅様の優しさを利用しようとした、わたくしは、どうしたら……っ」
     顔を覆って嗚咽し始めた彼女の肩を、光忠が抱いた。「大丈夫、大丈夫だから」と声を掛け、彼女を部屋から連れ出す。外に待たせてあった車に乗せたのか、戻って来たときには光忠一人だった。ハンガーから上着を取ると、光忠は瞳を伏せて、立ち尽くす大倶利伽羅に言う。
    「ごめんね、伽羅ちゃん。怒っていいよ。あの子は僕が連れて帰るから」
    「……」
    「ねえ伽羅ちゃん、覚えてる? 僕が片目になった日」
     忘れるはずもない。大倶利伽羅は黙って頷いた。あれは、光忠が長船派の当主に決まる直前。派閥争いだのなんだの、そんな揉め事に巻き込まれた光忠は芸の道を進む者としては致命的な怪我をして、結果的に片目になった。
    「あのとき僕に言ったよね、伽羅ちゃん。『甘えるな、まだやっていける。もう片方の目がある、手もある』って」
    「……ああ」
    「嬉しかったんだ、僕。皆同情するばっかりでさ。誰も芸事を続けられるなんて言ってくれなくて。伽羅ちゃんだけが僕を信じてくれた。だからさ、僕あの子を伽羅ちゃんに預けたんだよ」
     ぎゅっと大倶利伽羅は自分の拳を握った。
     本当はわかっている、どうしてこんなに苛立つのか。だが認めたくないだけだ。それを、自分のものとして受け入れたくないだけ。弱さを、甘えを、他者を認めることは大倶利伽羅のこれまでの生き方に反する。
     光忠が静かに立ち去って、大倶利伽羅はただ誰もいなくなった一人きりの家の中じっと畳の上に座った。



     優しい人なのだと、すぐにわかった。言い方が武骨なだけで、態度が素っ気ないだけで、根はきっと温かい人なのだと。その証拠に、物言いや仕草なんかはいつも丁寧なのだ。
     最初はそれを、好都合だと思った。
    「困ったね、家のことやら何やらは僕が何とかできるかもしれないけど。長船は何分男所帯でね、しかも誰も身を固めそうな気配すらないし……」
     知り合いの伝手で、最初に彼女の身元の受け皿となってくれた長船の当主はそう言って首を捻った。長船が相手では、彼女の身分が釣り合わないだろう。自分がそれなりの育ちだというのは理解していたが、彼女は身の程をわきまえていた。それに、燭台切が自分を相手にする気がないのは一目瞭然だったのである。
     だが光忠は彼女を見捨てられるような性格でもないとわかっていたので、何も言わなかった。そうして案の定、燭台切は縁談という形で大倶利伽羅を紹介してきた。だから彼女は、この人に好かれなくてはならないとすぐにわかった。
    「俺は慣れ合うつもりはない」
     面倒な人。心の底からそう思った。でもそれでも、彼に愛されなくては自分は生きていけない。
    「好きにしろ」
     言葉はあまりにも突き放すものばかり。でもそれなのに。
     彼女が最初に気が付いたのは、戸棚の棚板が低い位置に下ろされて調整されていたときだ。燭台切が持たせてくれた彼女用の皿は、大倶利伽羅の家に運び込まれていた。けれど大倶利伽羅も燭台切も、背が高くて彼女がものを取るには位置が上過ぎる。だが元々あった大倶利伽羅のものを移動させるわけにもいかず、彼女はそのままで使っていたのに。
     なくなっていたはずの米櫃は彼女が重たいそれを買いに行く前に補充されて、最初はおっかなびっくりでも一人でしていた薪割りは気付いたら済まされている。
     それはいつの間にかで、本当に微かに、僅かなことなのだけれど。大倶利伽羅が先回りして彼女の負担を減らしてくれていると、彼女にはわかった。
    「あんたは料理をしろ、あとは自分のものだけ洗濯していればいい」
    「え?」
     熱を出した日、羽織の他に大倶利伽羅が元々着ていた上着を被せられ、彼女は行き同様彼に負ぶわれて帰り道を歩いた。いつも比較的早足のはずの大倶利伽羅が、日の陰った道をゆっくり進む。
    「勘違いするんじゃない、あんたに風呂焚きやら何やらを任せていると俺の倍時間がかかるからだ」
    「……伽羅様」
    「またこうも倒れられたら堪ったものじゃない」
     涙が出そうになった。背中についた白粉を払うこともなく、ここまで走ってきて医者を呼んでくれた優しさにも、あまりにも不器用なその物言いにも。
     そして、それに付け入ろうとした自分の醜さが余計に嫌になった。
    「わたくしに、伽羅様の優しさに報いる何かはもうありません。伽羅様を愛する資格なんて、もうありません」
     できることならば、最後まで大倶利伽羅には何も知らないでいてほしかった。
     そうすれば、自分も今までのことは全てなかったことにして、真心から大倶利伽羅に尽くすことができる、愛することができる。だがそんな虫のいい話が、あるはずもなかったのだ。
    「申し訳ありません、燭台切様、本当に、申し訳ありません」
    「……ううん、大丈夫」
     顔を覆って俯いた彼女に、燭台切はとんとんと子どもをあやすようにして背を撫でる。
    「君は伽羅ちゃんが本当に優しいんだってこと、知ってるじゃないか。同じように優しい人しかわからないよ、そんなの」
     そんなはずない、そんなわけない。彼女は首を振って膝を抱えた。
     ぶっきらぼうな背中をまだ覚えている。あの日、あのとき、大倶利伽羅は一体どんな顔をしていたのだろう。だがきっとたまに見せる穏やかな表情だったのだろうと思うと、彼女はまた胸が苦しくなった。



     自分の出自に興味はない。大倶利伽羅に必要なのは、自分を生かすための芸の道。これまでのことではなく、これからのこと。だからその為に不必要な他者は切り捨てた。
     慣れ合わずとも一人で生きていく道を選んだ、自分から、そうすることを決めた。ゆえに弱さを捨て、甘えを捨て、こうして今一人でここにいる。それを悲しいとなど一度でも思ったことはない。大倶利伽羅は自分のこれまでの人生に、誇りを持っていた。
     誰かといなくてはならないような脆弱な生き物にはならない。誰かと慣れ合えば、それだけ弱みが増える。いつか来る別れが辛く恐ろしくなる。……だから自分はこれまでの過去を捨てたのだ。
    「寂しくないの? 伽羅ちゃん。長船のことは皆、伽羅ちゃんの家族だと思っていいんだからね」
    「俺に家族はいない」
     光忠の言葉を、何度も否定した。自分に身内などいらない。家族や仲間などいらない。そんなものを持つから誰かに寄り掛かりたくなるのだ。大倶利伽羅にその余地は要らない。これからも一人で生き、一人で死ぬ。そうしなくてはならない、だって大倶利伽羅はこれまでずっと「ひとり」だったのだから。
     ……それなのに。
    「伽羅様、お茶ですよ。根を詰め過ぎては良い仕事ができません」
     鳥に混じって、鈴の転がるような声が聞こえた気がして顔を上げる。しかし当然のことながら、そちらに件の女はいなかった。
    「……くそっ」
     大倶利伽羅は筆を机に叩きつける。集中なんてできやしない。
     いや、それは今に始まったことではなかった。本当は、あの日から。あの友禅の着物を見た日から、一度たりともそんな平静を保てたことなどなかったというのに。
    「伽羅様は御存じない!」
     あんただって、知らないくせに。彼女の叫びを思い出して、大倶利伽羅は苛立たしくなり後ろに手を突き上体を倒した。視界には天井が映る。
     知らないだろう、このひとりの家の静かさを。ぱたぱたと歩く音がせず、厨から包丁の音が聞こえず、ただ冷たい畳の感触を。それが今まで普通だった。大倶利伽羅の人生だった、それなのに。
     自分の人生において、彼女のいた時間のほうが圧倒的に短かったというのに。
     目を閉じて、五分ばかり大倶利伽羅は考えた。
    「……くそ」
     大倶利伽羅は立ち上がって上着を取る。
     まったく、どうしようもない。一匹狼の名が聞いて呆れる。しかしこのままではできるものもできない。だから仕方がないのだ。自分の人生は自分で決める、それだけはこれまで大倶利伽羅がしてきたことと何ら変わりない。
     長船の屋敷まで行けば、光忠がすぐに顔を出した。ほっと安堵したような、わかっていたような顔をされる。その顔をやめろ。
    「来ると思ってたよ、伽羅ちゃん」
    「……あいつは」
    「呼んでくるから待っていて」
     いくらか揉めたような声がしたものの、彼女はすぐに光忠に押し出されてやってきた。玄関で俯く彼女に、顎でしゃくって靴を履くよう促す。彼女はいつものように綺麗な着物に身を包み、小さな足で下駄を履いた。玄関で話すのもなんだったので、大倶利伽羅はそこから出て長船の庭を歩く。二、三歩あとを彼女がついてきていた。
    「……何か、ご用でしょうか」
     この間とうって変わった静かな声で彼女が問う。威勢のいいあの叫びはどこへいったと大倶利伽羅は息を吐いた。
    「あんたに言い忘れたことがある」
    「お叱りなら、御尤もです。どうぞ思う存分」
    「違う」
     何と言えばいいか、大倶利伽羅は迷った。違う、言いたいことはある。けれどどう伝えるのが正しいのかわからない。
     今までずっと、それを避けてきた。誰かと互いに言葉を交わして気持ちを通わせることを、大倶利伽羅はしないでいた。だからどう伝えれば、正確に言ったことになるのか見当もつかない。
     ……だが言いたいことは一つだけだ。大倶利伽羅は立ち止まって口を開いた。
    「よく、覚えておけ。俺は一人で生きて、一人で死ぬ。それは誰がなんと言おうと変わらない」
    「……はい」
    「だからあんたも、そうしろ。……あんたが好きで、あの家で生きて死ぬなら、俺は何も言わない」
     一人で生き、一人で死ぬ。それを変えるつもりはない、だから。
     彼女と共に、互いに一人で生きて、死ぬのなら。それはそう悪いことではないように、今は思えるのだ。彼女はどうやら、大倶利伽羅が守ってやらねば死んでしまうようなか弱い女ではなさそうだし。
     ぎゅうと腹の辺りに細い腕が回って、大倶利伽羅の着ていた上着の前を握る。背中の中央辺りに何かが押し付けられたのがわかった。きっと彼女の小さな頭だろう。
    「伽羅様、伽羅様」
     上着に顔を押し付けているためか、くぐもった声が響く。もしかしたら少し泣いているのかもしれない。こんなに抱きつかれていては、また羽織に白粉がつく。けれど大倶利伽羅はそれを指摘はしなかった。
    「……なんだ、一度言えばわかる」
     そよそよと、気持ちのいい風が吹き抜けていった。しかし向こうの雲がやや暗い。直に雨が降るのかもしれない。
     だがそれもそのはず、今日の龍は、機嫌がいいのだ。
    「……お慕いしております、伽羅様」
    「……雨が降る、家に帰るぞ」
    「はい。伽羅様、手を繋いでくださいませ」
    「……ふん」
     自分の上着を掴む小さな手を、上から大倶利伽羅は包んだ。
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    2023/02/20 15:05:25

    龍の恋

    #くりさに #刀剣乱夢 #大正パロディ
    一人で生きる大倶利伽羅と一人では生きられない女の話。

    pixivにあげていたものの修正加筆版です。

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