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    カイすば小ネタログ4■酒は呑んでも


     なあ、おい、聞いてくれよボンレスはむ。この前あの体力バカがウチに泊まりにきただろ。あの、とっておきのワインあけた日だよ。なんであけたかって、べつに、なんでもねーんだけど。付き合いだしてちょうど一年経ったからとか、そんなんじゃねえ。
     で、あいつも俺と一緒にビールだのチューハイだのもあけてたから、……そーいやワインとちゃんぽんすんのなんて初めてだとかなんとか言ってたな。とにかくジャーキーばっか食いながらグダグダっつーかぐずぐずしはじめて、なんの話かと思ったら、初めてシたときの話だったんだけどよ。廊下でするなんてびっくりしましたとか、ちゃんと歩いてベッドまで行けましたとか、んなわけねーだろ完全に腰砕けだったっつの。
     まあ、あいつがわざわざそういう話振ってくることなんざ滅多にねーし面白かったから、とりあえず黙って聞いてたんだよ。そしたらあいつ、あの日俺んちに来るまでの一週間なにやってたか話し出して。男どうしのやりかたとか、そーゆー動画?とか、調べたほうがいいと思ってって、まあ結局まともにパソコンの画面も見れなかったらしいが。気合は褒めてやってもいいが、あんなピュアが服着て歩いてるみてーなヤツが何言ってんだっつー話だよなマジで。
     そもそもやりかたはともかく、そーゆー動画見てそーゆー気分になられでもしたら俺の立場がねえっつうの。お前がすんのは俺だろうが、余計な知恵入れてんじゃねーよ。抜いたりしてねーだろうなと思ってカマかけてやったらランニング行ってましたっつってたから、無理矢理なんとかしたんだろーな。……そのへんは律儀な犬だし。
     大体、俺だって廊下でなんぞするつもりじゃなかったんだぜ。この俺が、やりかた調べてベッドルームに色々準備しといたってのに、ろくに役に立たないまんま終わっちまった。煽られすぎて全然余裕もなかったし、カッコ良くて優しい新堂カイト様計画丸つぶれだ、ちくしょう。
     まあ、べつに、そういうのもあいつ相手なら悪かねーんだ。思い通りにいかねえのがおもしれーっていうか、退屈しない、っつーのかな。俺はあいつの、そういうとこを気に入ってる。言うと調子に乗るだろうから、内緒だぞ、ボンレスはむ。
     ……そういやお前、いつもよりふわふわであっつくて、なんか昴みてえだな。いつの間にそんなに背が伸びたんだ?


    ***
    20170730Sun.
    ■花火とメロン、夏のあと。


    「はー、楽しかったですね!」
     ぱたん、と閉じた自宅のドアの音に重ねるように、幼くはしゃいだ声がした。鷹揚に頷きながら肩越しに振り返れば、濃緑色の浴衣姿の昴が屋台で配られた団扇をぱたぱたとあおいでいる。
     例年この時期に催される夏祭りにカンパニーの面々と出掛けた、その帰りである。外で軽やかな音階を奏でていた下駄を玄関へ揃って置き去りにして、裸足の足音がふたつ続く。
    「花火も見れたし、屋台もだいたい制覇できたし、すっげー満喫した!って感じです!」
    「ったく、よくあんだけメシものばっか食うよな」
    「カイトさんこそ甘いものばっかりだったじゃないですかー」
    「量が違うだろ量が!大体、お前だってりんご飴だのかき氷だの食ってたじゃねえか」
    「そりゃあお祭りですもん、りんご飴もかき氷も食べますよ」
     そう答えて得意げに笑う男の中低音は、賑々しい非日常の残り香を未だにたっぷりと纏いつかせている。人混みを歩き回った疲れもさほど見受けられない横顔にひそかに感心さえ覚えながら、カイトは「そういや」と軽い調子の問いを続けた。
    「かき氷っつったら、口ん中まだ変な色してんのかお前」
     締めのデザート代わりに食べたかき氷のメロンシロップの色に染めた舌を、昴がまるきり子どものような笑顔とともにカイトへ見せてきたのはそれほど前の出来事ではない。まったく色気もなにもあったものではないけれども――そういうところもまた、この男らしさなのだろう。カイトの問いに、まるいティーブラウンがぱちりとまばたく。
    「もうそんなにじゃないと思いますけど……まだ色残ってます?」
     べ、と舌を出してみせた男の言葉に促されてついと顔を寄せる。うっすらと着色料の緑が残っているのを確かめてから視線を上げると、意識していたよりも近くで男の紅茶色が揺れていた。
     無防備にさらされた赤い舌が室内灯の明かりを含んでてらりとひかる。口腔へ戻ろうとするそれを追うように、唇を重ねて距離を零にした。ふいの口付けにも吐息をひとつ揺らしただけの素直な体温が心地好い。熱い口腔を舌先でまさぐって、薄い緑を残したそれと絡める。あまく歯で掠めた途端に広い肩が大仰に跳ねたのに気を良くしてそのまま舌にやわく噛みついた。
    「っ、あ、ふ、」
     顎を掴み、厚みを確かめるようにかぷりかぷりと食んでやるたびに男の喉の奥でくぐもった声が上がる。隠しもせず快を伝えてくるその色に、聴覚から全身へとさざなみじみた熱が広がっていくのがわかる。団扇を持ったままの手に浴衣の袖を縋るように握られて、自身の袷が緩む衣擦れの感触にぞくりとした。
    「……っカイ、トさん、」
    「あ?」
     息継ぎの合間、ふいにカイトの名を呼んだ男が顎をつかまえていた手を掴み返してくる。不器用に五指を絡めてくるのに思わず目瞬きと疑問符を返すと、薄く濡れた双眸が満足げに眇まりながらカイトを映した。
    「花火のときにつなげなかったぶんです」
     内緒話のようにひそめた声でそう言って、男は絡めた指先をわずかに強める。熱い体温から伝わる熱帯夜の残滓に、くらり、目眩がした。


    ***
    20170809Wed.

    ■おいぬさまの話


     吾輩は犬である。名前は――いや、いまはそれどころではない。
    「ただいまー!」
     ドアの向こうの玄関から、覚えのある声と足音が響く。
     しばらくぶりに聴くそれは、「昴」のものだ。昴は私の弟分のようなもので、少し前にこの家を出て、いまは別の場所で暮らしている(その家にも母上に連れられて何度か行ったことがあるが、まあ、悪いところではなかった)。今日は客人を連れて帰ってくるのだと、私も昨日から母上に繰り返し言い聞かされて知っている。
     母上にせがんでリビングのドアを開けてもらい、年甲斐もなく廊下を駆けてゆく。出迎えに行くと昴が喜ぶのだ。玄関に辿り着いて足を止めれば、私の名前を呼ぶ声とよく知ったあたたかさの手のひらが軽々と私を抱え上げて胸の高さにまで連れていった。昴に抱き上げられて見る景色はこの家の誰にされるよりも高く、見晴らしがいい。尾を振って昴の鼻や頬を舐めると、昔から変わらない笑い声がした。
    「はは、くすぐったいって!元気してたか?」
     もちろんである。元気だったことを伝えるために、昴の腕から落ちてしまわない程度に身をよじってみせれば、昴はもう一度笑いながら腕の力を少しばかり強める。私を抱えたまま半身ほど後ろを振り返って、後ろに立っていた男と私を向かい合わせた。
    「ほら、今日はカイトさんも一緒だぞ、挨拶は?」
     匂いと声でなんとなくわかっていたが、例の客人とやらはやはりそうだったらしい。昴が「カイトさん」と呼ぶこの男と私が会うのも、何度目かのことになる。わふ、と小さく鳴いて挨拶に代えると、「カイトさん」の指先が応えるように私の喉元をくすぐっていった。私の名前を呼びながら撫でる手の感触と声のやわらかさは、犬好きの人間のそれだ。心地が良かったので、大きな手のひらに鼻先を擦り寄せてせがむようにぺろりと舐める。
     前に会ったときと変わらず、「カイトさん」の手からは昴の匂いがする。昴からも同じくらいに「カイトさん」の匂いがするので、よほど仲が良いのだろう。
     なぜだか嬉しそうに笑った昴が私の体を「カイトさん」に渡して、私の耳元で少し慌てたような声がする。まったく賑やかなことだ。ふたりに増えた弟分を窘めるように、わふん、と鳴いた。


    ***
    20171028Sat.
    ■晴れた日には


     今日は家の片付けをしようと思う。いい天気だし、アクションスクールは夕方からのコマしか空いていなかったから、それまでは時間がある。思い立ったがなんとかかんとか――っていうよりは、何日か前にゲームをしに遊びに来た陽向と伊織に散らかり具合を怒られたからっていうほうが大きいんだけど。
     日課にしている朝のランニングのあとに洗った洗濯物をベランダに干して、窓際で伸びをひとつ。
     こじんまりとした自分の家のなかを見渡せば、床には筋トレ用のダンベルや漫画が置いたままになっている。自分なりに片付けてたつもりなんだけど、まあ確かにそろそろ怒られても仕方がないのかもしれない、なんて思いながら、テレビ台の前まで歩いていってしゃがみこんだ。ゲーム機の本体やソフト、それからカンパ二―のみんなから勧められた舞台や映画のDVDと一緒に、CDが何枚か並んでいる。実家から持ってきているものも、こっちに来てから買ったものもあるけど、どれもお気に入りのものばかりだ。
     うーん、と考え込みながらそのうちのひとつにそっと手を伸ばして、棚から取り出す。二枚組になっているそれはカイトさんのバンドのライブアルバムで、全国ツアー最終日のライブ音源がまとめられている。
     CDプレーヤー代わりにも使っているDVDプレーヤーにCDを滑り込ませながら、手に持ったCDケースをじっと見る。
     カイトさんがバンドをやっていたころのオレの毎日の中心はもちろんサッカーで、ライブに行くどころかゴールデンタイムにやっているような音楽番組すらまともに見られなかったから、ファンって言ってもCDを聴いて、友達と行くカラオケで歌うくらいのものだった(それでも、朝から晩までサッカーばっかりのオレからしたら『CDを自分で買って、覚えるくらいに曲を聴く』くらい好きなアーティストって、そんなにいなかった)。
     だからバンド時代にミュージカルに出演する予定があったことも、それから降板になったことも知らなかったし、バンドを解散したあと夢色カンパニーに入団してたことも全然知らなかったわけで――伊織の記事を読んでカンパニーの公演を観に行ったときに初めて、オレはカイトさんが役者になっていたのを知った。観ているあいだじゅうまぶしくてしょうがなかった舞台の上にはもちろんカイトさんもいて、CDのジャケットやテレビのCMくらいでしか見たことのないひとがステージの上に立っているのが、すごく不思議だったのを覚えている。それを言ったら入団してからなんてもっとそうなんだけど、カイトさんのボイトレがすっげースパルタだったから、あんまりそれどころじゃなかった。
     CDを流し始めたテレビから、カイトさんの声がする。オレのことなんて絶対に知らないころのカイトさんの歌が聴こえる。
     自分が行ったわけでもないライブの歌声を聴きながら、それでもなんとなくこのときのカイトさんがどんな顔をしてたのか想像できて、なんだかすこし、くすぐったい。
    「あいたいな」
     自分でも気づかないうちにぽつりとこぼれていた声が心臓のあたりにすとんと落ちて、それからふわっとあったかい気持ちを連れてくる。オレのことを呼んでいるみたいに明るい青空を横目に見ながら、プレーヤーの停止ボタンを押していた。


     今日は家の片付けをするつもりだ。窓の外を見るだけで気分がよくなるくらいのいい天気だし、昴のアクションスクールが終わるまではなんの予定も入れてねーから、時間はたっぷり余っている。要するに気が向いたってやつだ。
     真っ先にヒナタのケージの掃除を終わらせたあと、家の中を見渡す。よく考えれば(考えなくても)定期的に家事代行の業者を入れて掃除をしてるこの家に、そう目立つ汚れだのなんだのがあるはずもない。せっかく生まれた謎のやる気を早々に持て余して、ベッドルームへ向かった。
     当たり前だが、ベッドルームはこの家のなかで一番生活感のある部屋だ。持て余した掃除欲の行き先を探すなら、この部屋しかない。起きたときのままのかたちで置かれていた布団を抱えてベランダへ移動する。
     布団を干すたびに、あの大型犬は干したてのそれに頬を埋めて機嫌よく笑う。今日くらい天気のいい日なら、数時間後にはさぞあいつ好みの布団に仕上がっていることだろう。
     いーのか昴、お前の好きな干したての布団だぞ。
     まんまガキみてえな表情を思い出して笑いそうになるのをなんとか抑えてリビングへ戻ったところで、――インターホンが来客を告げた。
    「……は?」
     マンションのエントランスにある来客用モニターのカメラに映っているのは今しがた俺が頭のなかで勝手にからかっていた張本人で、あまりのタイミングに思わず通話を繋ぐのをしばらく忘れる。応答がないのを俺が出かけていると判断したらしい男がモニターから離れていこうとするのに気が付いて、慌てて通話ボタンを押した。
    「おい待て、帰んなこのバカ」
    「へっ? あ、いたんですかカイトさん」
     モニター越しに、今日の夜まで聞かないと思っていた男の声がする。さっさと解錠して、上がってくるように促せば、数分後には玄関前のチャイムが鳴った。
    「んだよ、今日は夜まで来ねーんじゃなかったのか」
     ドアを開け、そんな言葉を投げつつ迎えてやると、玄関先で靴を脱ぎながら昴が応える。
    「家でカイトさんのバンドのCD聴いてたらなんか、すっげー会いたくなっちゃって。急いで片付け終わらせて来ちゃいました」
     夜からの約束だし家にいなかったら諦めようと思ってたんですけど、いてくれてよかったです。
     そう言って笑う昴の笑顔のあどけなさといじらしさに、返す言葉を見失う。(外に出てようが電話ひとつ寄越せばどーとでもなるっつーのに、これだからこいつは!)
     込み上げた感情のあたたかさを声のかたちにできないまま、少しでも伝わるようにと紅茶色のくせ毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。


    ***
    20171105Sun.//Thanks a lot!
    ■サイレント・キラーにご用心
    ※カイすば時空、日→すば前提、日まこ行き


     次回公演の準備が日々進められている劇場内では、今日も団員が各々の仕事や稽古に奔走している。探していた長身をレッスンルームの奥で見つけ出し、大工真は稽古場の入口そばから呼び声を投げた。
    「昴!」
    「へ?」
     真が投げかけた声を肩越しに受け取った彼が、ぱっとこちらへ向き直る。目があったのを確かめて、そのまま彼のほうへ歩み寄りながら言葉を接いだ。
    「さっきカイトが呼んでたぞ。事務所に来いって」
    「カイトさんが?」
    「悪い、そこの廊下ですれ違っただけだから詳しいことまでは聞いてこなかったけど」
    「あっ、いや、大丈夫です!ありがとうございます、行ってみます。……ごめんな日音、またあとで!」
     呼ばれた理由に思い当たる節がないのかきょとりと首を傾げはしたものの、昴は見慣れた明るい笑顔をすぐに浮かべて踵を返す。歩き出しざまに、一緒にアクションの稽古をしていたらしい男に申し訳なさげな言葉を残し、彼は早々に稽古場を出て行った。あざやかな緑のスポーツウェアにつつまれた広い背中がドアの向こうに消えたところで、隣から呪詛じみた低い声が立ちのぼる。
    「……どうしてよりによってアイツのところなわけ」
    「どーしてって、仕方ないだろ用事なんだから。あと、アイツ呼びはやめとけってホントに」
     声の主――日暮日音は、苦笑混じりの真の言を聞いているのかいないのか、相変わらず彼が消えていったドアの方向を凝視し続けている。おそらく意識はドアを飛び越えて、いましがた昴が向かった事務所へ向いているだろう。日暮、と名前を呼んでようやく一瞬視線がこちらに移されたが、すぐにまた戻っていった。普段通りの調子にもうひとつ苦笑をこぼしてから、どちらかといえば線の細い肩を軽く叩いて切り替えを促す。
    「ほら、昴もあとでって言ってただろ。戻ってくるまで自主練してようぜ」
    「今度は絶対アイツも来るし、たったいま僕からあの人を奪った君にだけは言われたくない」
    「また人聞きの悪いことを……」
     一連の台詞について、一体どこから突っ込めばいいものか。軽く痛みを訴えはじめたこめかみを押さえつつ返す言葉を探していると、ひどく恨みがましい声がさらに耳朶を打つ。
    「君はいつもそうだ、すぐに僕からあの人を遠ざけようとする」
     ドアに向けられ続けていた男の視線が、こちらへ戻る。ずいぶんと腹に据えかねているらしい色の目と声が、真を捉えた。
     不可抗力とはいえ、日暮がヒロインと呼んで憚らない存在と居残り稽古をしようというところを引き剥がしてしまったのだ。それもどうやら、特別な関係である相手の元へ向かわせるという形で。
     たしかに恨み言のひとつやふたつは致し方がないと貧乏籤を引く覚悟はしていたが、続いた言葉に思わずその覚悟を取り落とした。
    「――なに?もしかして君もあの人が好きなわけ」
    「は、」
    「それとも僕?」
     どちらも本気で言っているわけではない。とどのつまりが八つ当たりであることは声と表情から明らかで、だからこそ勘に障った。
    「……んなわけないだろ」
     男の言う「あの人」――昴のことは、無論カンパニーの仲間として好ましく思っている。昴が、眼前の男から向けられている好意の真意に驚異的な鈍感さで気付かずいるものだから、話が妙な方向にこじれるのを防ぐ意味であいだに入ることは間々ある。
     けれどもそれはこの男に関しても同じことだ。カンパニーの仲間として放ってはおけないと思っているから、貧乏籤を覚悟してでもいまここにいるというのに、その言い草は如何なものか。
     周囲に剣呑な雰囲気であることを察されないようにどうにか気を払いつつ(否、もしかすると気付かれていたかもしれないが)抑えた声でそう答えると、しばらく黙り込んだ男から長い嘆息が返ってきた。
    「…………君さぁ、それ本気で言ってるの」
    「は?」
    「……、なんでもない。君があんまりバカだから、バカらしくなっただけ」
     どうせしばらくあの人も戻ってこないし、僕ひとりで練習するから、放っておいて。
     つい先ほどまでのひどく冷笑的な態度がなぜか突然ほどかれてなりをひそめたことに真まで気を削がれ、引き止めるための言葉のひとつも出て来ない。そのうちにすいと横をすり抜けられて、小柄な背中が真に向いた。
    「そんな物好き、君だけだよ」
     ほとんど空気にふれることもなく男の喉から漏れ落ちた呟きを、――真は知らない。


    ***
    20180404wed.
    ■おすわりわんことひみつの箱庭


     車で小一時間ほど走った先にある、カイトの気に入りのパンケーキ店に、ふいに昴が連れ出されたのはとある土曜日の朝のことだった。
     土日は予約ができないらしくしばらく待ちはしたものの、どうにか売り切れまでには潜り込むことができ、ふたり揃って大満足で店を出た。そのあとも彼は「ついでだから」とほうぼうの店で買いまわり(ついでのさらについでといったていで、昴の馴染みのスポーツ用品店へ足を運んだりなどもした)、夜になったころには昴が午前中から座っている後部座席も大きなショッパーや紙箱でその面積の大半を占められようとしていた。
    「ちょっ、カイトさん、もう後ろいっぱいですよ!」
     だというのに彼ときたら最後に寄った量販店で買い込んだ食料品の袋まで後ろに載せようとするものだから、さすがに座る場所がないと文句を言うことにした、のだけれども。
    「言われねーでもわかってんだよそれくらい!」
     返ってきたのは大層不満げな声と表情で、やはり彼は昴の文句などまるで聞こえなかったような調子で後部座席に袋を押し込んでしまう。昴がもう一度彼の名前を呼ぶと、閉じたルーフの上に片肘を載せた彼が不機嫌にこちらへ向き直って人差し指の先を向けた。びしり。
    「あのなァ、普通に考えてもう一個席が空いてんだろうがこの体力バカ」
    「へ?」
     予想していなかった言葉にまばたきをひとつ。席。もう一個。いましがた聞こえた単語を二、三反芻して、昴はようやく未だに空席のそこ――とどのつまりが助手席に思い至った。
    「ちょっと前から思ってたが、カンパニーのやつらと一緒とかならともかくなんでお前はどーしてもこっちに座んねえんだよ」
    「えっ、いや、だってオレがそっちにいたら狭いし邪魔じゃないですか」
    「ほほー。この俺様の愛車を捕まえて狭いたぁいい度胸じゃねーか、あ?」
    「違っ、そ、そういう意味じゃなくて!」
     平均より大柄な部類に入る(かつ、大人しく座っていることがどちらかといえば苦手な)昴は子どものころから後部座席に収まっていることが多く、その癖が抜けないままに無意識で後部座席に座っていたのだけれども、彼はどうやらそれが不満だったらしい。腹いせにか大人げなく揚げ足を取ろうとしてくる彼に勢いよく首を横に振って返して、もう一度ぱちりと目をしばたかせた。そうしたところでようやく、今日一日頭の片隅にあったかすかな違和感がほどけて落ちる。
    「…………、もしかしてカイトさん、オレをそっちに座らせるためにこんないっぱい買いものしたんですか?」
    「くっそ、気付くのが遅ぇんだよお前はッ!」
    「だ、だってそんなことカイトさんが気にしてるなんて思わいたたたた!!!頭つかまないでください!!」
     昴にはいまでもさっぱり仕組みがわからないが、新堂カイトというのは彼がひと声かければ自宅に百貨店の担当社員が品物を届けに来るような男なのである。それがわざわざ(いくら出かけついでといっても)車の後部座席を埋めるほどの量の買いものをすることなど、そうあるはずがない。じりじりとシートを埋めながら、彼は昴が助手席へ移動するのを待っていたのだ。
     彼の意図するところに辿り着いた昴の頭をひとしきり握って叱りつけてから、彼はようやく手を放す。それから助手席のドアを無造作に開けて、ひどく楽しげに口角を吊り上げた。
    「こういうときの『おすわり』はこっちだろーが、このバカ犬」
    「……っ、ば、バカ犬ってなんですか!カイトさんひどい!」
    「あー?んだよ、俺の膝の上がいいってか」
    「そんなこと言ってないです!」
     耳朶を撫でる笑声がわずかに含んだ色の響きに、首筋がざわりとふるえる。人影のまばらな屋外駐車場、人目がないのをいいことにからかわれているのは昴も十分わかっていたが、とっさに返した声の動揺で自身の頭のなかがあっさり筒抜けているだろうということもまた、わかりきっている。
     ばん、とドアの閉まる音。エンジン音にわずか遅れて、カーステレオから洋楽が流れ出す。特等席で見る彼の輪郭が夜のひかりにほんのりとにじんで、なぜだかひどくまぶしく見える。
    「そっちはもーちょいオアズケな」
     少々意地の悪い笑み混じりで上機嫌に投げられた揶揄は、彼の愛する密室で昴が聴いてきたなかで一番近かった。



    ***
    20180420Fri.
    ■偽薬効果とその論証に関する一考察


    『この前陽向が教えてくれたんですけど、人の体って百パーセント水でできてるらしいですよ!』
     脳筋属性の疑いが多分にある大型犬の口からそんな衝撃的な台詞を聞いたのは、数日前のことだった。
     まずは自分の耳を疑って(ンなこと生まれてこのかた初めてだ)、それからどうにも心底大真面目に言ってるらしいっつーのを見て取って、自分の目まで疑う羽目になった。百パーセント水分だったらもうそれ固体じゃねえだろうが。ヒナタのやつもまさか真に受けてるとは思うまい。
     なんでお前は周りの冗談をいちいちバカ正直に真に受けやがるんだ。もーちょっと日本語の意味を考えろと叱りながら、「……むしろ、こいつどこまで信じやがるんだ?」っつー真逆の興味も同時に湧いて、少しばかり試してやりたくなった。
     興味本位。原因はただその一言に尽きる。
    「カイトさん、なんですかそれ?」
     風呂を済ませてベッドルームに顔を出した昴が、枕元に置かれたものに気が付いてきょとりと首を傾げる。
     視線の先にあるのは小ぶりな半透明のピルケースで、薄い黄色をした錠剤が数粒収まっている。それを教えるようにからからと振って見せながら、手招きして昴をベッドまで呼びつけた。
    「……え、あれ、薬?どっか具合悪いんですか?」
     素直に寄ってきて隣に座った昴の声に、さっと心配の色が載る。相変わらずのけなげさに良心の呵責を覚える前に「そうじゃねーよ」と否定を返してやってから、なるべく真面目な顔と声で問いを投げた。
    「お前、媚薬って聞いたことあるか」
    「?びやく?」
    「…………、はー……」
    「なんですか溜め息ついて!」
     ある程度予想はしてたが、もともと語彙力に乏しいうえに超弩級の純粋培養っつっても過言じゃねえこいつの頭ンなかに『媚薬』なんつー単語があるはずがなかった。ぜってぇ平仮名だろいまの。
     想像通りのキョトン顔に聞かせるための溜め息をひとつ吐き、小生意気な文句の声を上げた昴の手首を掴んでぐいと額を寄せる。真正面から視線を噛み合わせてやれば、こいつは逃げていかない。
    「やらしー気分になるクスリ、って言やぁわかるか?」
    「――な、ッ……!」
     わざとらしくひそめた声でそう言えば、昴はドカン!なんて擬音がしっくり嵌まる勢いで首筋まで赤くなる。思考のキャパが溢れそうになってるうちに、言いくるめるべくさらに続ける。
    「お前は知らねえだろうけど、そのへんの薬局とかでも普通に売ってんだぜ」
    「そ、そう……なんですか……?」
    「おー。アレだ、猫にマタタビやるよーなモンだからな」
     実際は犬にビタミン剤なわけだが。我ながら雑な口上だと思いはしつつ、まだ処理能力が追いついてねえ昴の目にはそれほど粗は映らなかったらしい。
     カケラも疑いの目を向けてこないあたり、そのうち変な壺でも買わされるんじゃねーかと本気で心配になってくる。駄目だ、いろんな意味でこいつは近くに置いとかねえと。若干逸れた思考を巡らせていると、数拍のあいだ黙り込んだ昴がやけにちいさな声で俺を呼ぶ。「…………、あの、」
    「そういうくすりを買ってくるってことは、……いつものオレじゃ、ダメってことですか?」
    「は、」
     ……は?
    「だって、いつも通りじゃないオレがいいって思ったんでしょ」
    「いや、オイ」
     待てコラなにを勝手に勘違いしてやがんだこのバカ犬。咄嗟にそう言い返そうとしたものの、それさえ躊躇うほどのしょぼくれように思考が止まる。
    「……べつに、おれは、カイトさんとならそんなのなくたって、ちゃんとそーゆー気分になります」
     そこにあるはずのない犬の耳と尾をペッタリ垂らしながらぼそりと呟かれた中低音を理解した瞬間、――悔しいかな早々に敗北を悟った。
    「だークソッ、この、バカ!」
    「はあ?!なんなんですかいきなり!」
    「それはこっちの台詞だ!なにひとりで勝手にわけわかんねー勘違いしてんだよお前!」
    「なっ、なんですかそれ!だいたいあんたがそんなの買ってくるからっ」
    「媚薬なんざ嘘だよ嘘!ンなもんそこらの薬局で売ってるわけねーだろーが!」
    「は……っ、はああ!?」
     ピルケースを放り出して、バカ犬の腕を捕まえたままベッドサイドの引き出しから小瓶を取り出す。ビタミン剤のラベルが貼られた小瓶の中身と、ついさっき見た錠剤が同じものだと気が付いた昴が、すぐさまキッと睨みつけてくる。
    「なんでそんな嘘つくんですか!わけわかんないです!」
    「お前が周りの冗談をイチイチ真に受けるからだろ!少しくらいは学習しろっ、カンパニーのやつらはともかくそのうち痛い目見たらどーすんだ!」
    「だって、そんなの、……っ」
     そこまで勢い込んで言い返したところで、昴がぐっと唇を噛み締めた。数拍ぶんの間。はくり。
    「カイトさんだから信じたのに」
     ……もういいです。オレ、今日はもう寝ます。おやすみなさい。
     唸るみてえに低くひそめた声でそう言って、紅茶色の両目がふいと逸れていく。素直が専売特許のこいつにしては珍しく、完全にヘソを曲げている――ああ、くそ、どーしてこうなる。
    「オイ、昴」
    「……もう寝るって言ってるじゃないですか」
     俺が掴んだままの腕に一瞬視線を移して、昴が言う。その気になれば俺の手を振りほどくくらいすぐにやってのけるかわいげのねえ腕力を知ってるから、それをせずにいる理由もだいたいわかる。
     俺の手を振りほどいてこの場を出ていくにも、いつもみてえに俺と真正面から目を合わせるにも、いまのこいつはバツが悪りーんだ。
    「お前、俺が本気で、パッケージも見せねえ妙な薬をお前に飲ませるよーなヤツだと思ってんのか?」
    「ッ……」
    「べつに人体が百パーセント水だろうがなんだろうが構いやしねえが、お前の体に関わることは、ちゃんとお前の頭で考えて決めろ。俺を言い訳にすんな」
     ――ほら、そうだ。頭が回らねーうちに流されそうになって、そんで痛いトコつかれて八つ当たりしたって、お前だってちゃんとわかってんだろ。少なくとも、これに言い返せねえくらいには。
    「いいか、お前がさっき言ったのは、『信用』じゃなくて『考えなし』っつうんだよ」
     ガキみてえなまるい両目が、さらにひときわまるく瞠られて俺を見た。
    「…………な、んで、嘘ついたカイトさんにそんなふうに言われなきゃいけないんですか!?」
    「うるっせえな!しょーがねえだろムカついたんだから!」
    「なんなんですかそれ、さっきからわけわかんないですよあんた!」
     真正面から俺を映したティーブラウンが極彩色の激情を孕んで色づく一瞬に、形容できねえなにかが背すじを駆け上がる。選ぶ嘘の種類を確実に間違えたことと、いまの自分が理不尽だっつーことは理解できたが、感情はまったく追い付いてこない。「ワケもなにもあるかよ、」
    「――なんでこの俺がッ、すきなやつに自分のことは自分で守れなんてカッコつかねーこと言わなきゃならねえんだっつってんだ!」
    「は……っ、」
     理性と真逆の方向に向かった感情に引きずられるまま、昴の胸ぐらを掴んで声を荒げる。
    「そ、んなの、当たり前じゃないですか、それくらい、オレだってわかって」
    「わかってんだったら、わけわかんねー薬なんざ引ったくってブン投げろ。相手だの理由だの、どーでもいい。俺が言ってるのは、そういうことだ」
    「……っ」
     俺がいちばん腹を立ててるのは、見当違いな勘違いをされたことでも、八つ当たりされたことでもない。それよりももっと。
     派手で金と権力の動く世界についてまわるリスクを、そんなものとは縁遠い場所で生きてきたこいつが知るわけもない。
     俺の目の届くところにこいつがいるときは、いい。どうとでもなる。けどそうじゃねえとき、たとえば俺の名前でも使われて、俺の名前を信じたせいでこいつになにかあったら。たとえば俺の知らないとこで、俺を守るためにこいつがなにかしなけりゃならなくなったら。こいつが役者として表舞台で生きていく以上、こいつの無防備な純粋さが食いものにされる可能性がゼロにならないことだけは確かで、――なのに。
     それでもこいつに変わってほしくねえって、バカみてえに思ってる自分に腹が立つ。
    「……カイトさん」
     腕を掴む指先を強くしたのに応えるように、昴が俺を呼ぶ。ついさっきまでヘソ曲げて不貞寝しようとしてたことなんかサッパリ忘れた顔して、こっちの感情を探ろうとするまっすぐな目が、どうしようもなく、すきだ、とおもう。
    「昴」
     自分を守るだけなら、疑うことを覚えるのが一番ラクだ。疑って、信じないことを覚えればいい。昔の俺が、自分のプライド以外ろくに信用しなかったみてえに。それを知ってるクセに教えさえしねえのが、――俺の勝手なエゴ以外の、なんだってんだ。
    「……俺は、お前を考えなしのバカにさせたくてお前を選んだんじゃねえ」
     大事なやつのことくらい、もっと簡単に、俺が守ってやるって言えるモンだと思ってた。こいつが喜ぶかどうかは別にしても、そのくらいのタンカはきれる男でいるつもりだった。それがどーだ。
     ろくに見栄も張れねえくせに、一番手っ取り早い方法も教えたくねえから、こんな回りくどい言いかたしかできねえじゃねーか。ちくしょう、カッコ悪りい。
    「かいとさん」
     呻くみてえな俺の声を黙って聞いていた昴が、もう一度俺を呼ぶ。知らずのうちに結構な強さで腕を掴んでたってのに、ンなこと微塵も感じさせないかわいげのねえ声と表情だった。
    「……オレ、自分がまだ知らないこといっぱいで、足りないとこがたくさんあるのも、わかってた、つもり、でしたけど」
     ……、……ほんとにまだ、「つもり」、だったんだなって。
     ひどく悔しげに掠れた声でそう言った昴の手が、俺の腕を掴む。
    「心配させて、ごめんなさい」
     指先の食い込んだ腕が痛い。たぶん、こいつとおなじくらい。痛みのかたちによく似た熱を手放したくなくて、腕を捕まえたまま唇に噛みついた。
     重心を前に傾けて、ベッドに押し倒す。ふたりぶんの体重が沈んで、スプリングが音を立てて軋んだ。ぎしり。
    「……どうしよう、カイトさん」
    「んだよ」
    「おれ、びやくなんて、飲んでないのに」
     素直に腹の上を明け渡した昴が、呼吸の絡まる距離でちいさく呟く。
    「どうにかなるくらい、してほしい、です」
    「……っ」
    「いますごくくやしいのを、忘れたく、ない」
     カイトさん。
     低い獣の唸り声が、耳朶を打つ。縋るように、誓うように、戒めるように、昴の五指が背に食い込む。
    「すき、」
     いまこの瞬間のくるおしさを忘れないように刻みつけてくれとねだるティーブラウンの温度に、ぞわり、ふるえがはしる。極彩色を湛えたまま、それでもどこか躊躇うようにやわく首筋に噛みつかれて、――気づけば喉元を食らい返していた。ひゅ、と軋んだ音で鳴く喉笛と熱い体に目眩がする。
     身じろいだ拍子に、さっき放り投げたピルケースが足先を掠める。もうお互い完全に熱がまわってんだから、偽薬効果なんざ確かめようがない。気づかなかったふりをして、そのままベッドの下に蹴り落とした。



    ***
    20180612Tue.
    ■いってきますのそのまえに
    ※今更すぎる湯けむり温泉ネタ ※カイトさん未所持のため齟齬があったらすみません


     ドアを引いて客室に足を踏み入れると、藺草のほのかな青い匂いが鼻先をくすぐった。
    「やったー、ついたー!」
    「おいコラ、後ろ詰まってんぞ昴」
    「わっ、すみません!」
     子どものような歓声を上げる大型犬を横目に見つつ手ごろなサイズのトラベルバッグを部屋の隅に置き、新堂カイトはゆるい息を吐く。馴染みの面々と訪れた慰安旅行先の旅館に、ようやく到着したところだった。
    「あ、カイトさん、お茶飲みます?」
    「おー」
    「淹れときますねー」
     道中で賑やかしく話し合いながら決めておいた部屋割りの通りに分かれ、夕食までは各自自由行動になっている。部屋に備え付けのポットと茶器でふたりぶんの緑茶を仕度したあと、昴が楽しげな足取りで入口近くにあるクローゼットの戸を開ける。先ほど上着をしまうために開けたそこだったが、いまの昴の目当ては上着ではなく低い位置にある棚に置かれた四辺形の籠だった。
    「カイトさんカイトさん、ほら、浴衣ですよ!」
     オレとおんなじサイズでいいですよね!
     籠ごと抱えてカイトのそばに戻ってきたかと思えば、声を弾ませながら早々に籠の中身――とどのつまりが浴衣の用意を広げだす。中高生の修学旅行もかくやといった様子がどうにも可笑しく、「ちょっとは落ち着け」と軽く宥める声をかけながら、カイトもまだ熱い湯呑みから手を離す。
    「まだメシまで時間あるし、混む前に風呂行ってみるか」
    「行きます!」
     夕食の時間を待つあいだだけとはいえ散策に出かけるにはいささか寒い季節である。放っておくとはしゃいだ勢いのまま散歩に行きたいなどと言い出しかねない男の先手を取ってそう提案してやると、素直にぱっと目を輝かせた男からすぐさま首肯が返された。
    「ええと、じゃあ、浴衣着て風呂の準備して……あ、カイトさんの浴衣こっちに置いときますね!」
     緑茶を用意したことなどおそらくすっかり忘れて浴衣をひと揃え腕に抱え、昴は自身の荷物のそばで早々に着替えはじめる。
    「……お前、ホンット色気ねえなァ」
    「へ?」
    「なんでもねーよ」
     考えようによっては、近い空間に慣れているということなのだろうが。色気のなさと無防備さは紙一重だ。苦笑混じりの呟きに首を傾げる男を適当な言葉で誤魔化して、リードをくわえた大型犬に急かされる前にとカイトも着替えるべく腰を上げた。
    「わーっ、やっぱり浴衣着るとテンション上がりますね!」
    「べつにフツーだろ」
    「えー、スゲー温泉来た!って感じがしません?」
    「っふ、はは、んだそれ」
     存外手際よく浴衣を着込んだらしい昴と他愛のないやり取りを交わしつつ、少し遅れて身支度を終えた。微温くなった湯呑を揃って空にしてから、軽い足取りで部屋を出る長躯に続く。ぺたぺたとスリッパを鳴らしてドアの前に立った男が、ふとこちらに視線を寄越して動きを止めたことに気が付いて、目だけで問いを投げる。
     ティーブラウンが一瞬の逡巡にさまよって、それから、呟くように答えを紡ぐ。
    「そういえば、その、衣装とかじゃないカイトさんの着物見るの、はじめてだなあと思って」
     部屋から出るだけなのに、いつもと違って、なんか、ちょっとどきどきします。
     困ったような、それでいてどこか嬉しげな中低音が耳朶を打つ。つい先ほどまでまるきり子どもじみて無邪気に着替えていたかと思えば――これである。
    「……っとに、この、バカ犬!」
    「へっ、うわっ、なにするんですか!」
    「うるせえ大人しく頭貸してろ!」
     その台詞そっくりそのままお前に返してやろうか!
     口をつきかけた言葉は意地で飲み込む。この男を近日中に再度の温泉旅行へ連れ出す算段を立てながら、カイトは紅茶色の髪を両手で思いきりかき混ぜた。



    ***
    20180620Wed.
    ■猫じゃらし犬じらし

     ざあざあ。相変わらずオシャレなシステムキッチンの銀色の蛇口から、勢いよく水が出る。カイトさんの家に泊まるとき、メシの後片付けはオレの仕事だ(っていうか、それくらいはさせてもらわないと落ち着かなくてしょうがない)。
     腹いっぱい食べたメシと、それを食べながらカイトさんと話したことをあれこれ思い出しながら後片付けをする時間は楽しくて好きだ。いまの時期はそろそろ夏が近づいてきてるから、水道水の冷たさも気持ちいい。次公演の劇伴を気分よく口ずさみながら食器を洗っていると、風呂に行ったと思っていたカイトさんがキッチンにひょいと顔を出した。
    「あれ、カイトさん?どーしたんですか」
     喉でも渇いたのかな、と思ったけど、「あー」みたいな適当な返事をしたカイトさんはそのまま冷蔵庫の前を素通りしてオレの背後で立ち止まる。皿を洗いながら、肩越しにカイトさんを振り返って、ぱちりとまばたきした。キッチンに入ってきてからなにも言ってないけど、やたらと機嫌が良さそうなことだけは空気で伝わってくる。
     ……えーと、これはたぶん、なんだかよくないことを考えてる顔だ。イタズラを仕掛ける、やんちゃな子どもみたいな顔。
    「あの、カイトさん、マジでなに――うひゃあ!?」
     これまでの経験上、オレはこういう顔をしてるときのカイトさんになかなか勝てたためしがない。思わず身構えて、とりあえず手についた泡を流して水を止めようとしたところで声が裏返った。
    「ちょ、あは、なっ、なにすんですかカイトさんあはははは!!」
    「おー、相変わらずいいくすぐられっぷりだなお前」
    「あは、も、やめ……っ!」
     なにをされてるのかまだよくわからないもののとにかく首の後ろだの耳の後ろだのがくすぐったくて身をよじる。持っていたマグカップを放り投げそうになったから慌ててシンクのなかで手を離して、手首のあたりに泡を残したままでカイトさんのほうを向く。「なんすかいきなり!」って言葉で噛みつこうとしたのを、逆に唇にがぶりと噛みついて塞がれた。
    「っんう、」
     唇をゆっくり合わせるやさしいキスもあったかくてすきだけど、噛みつかれるのは、もっとすきだ。欲しいものしか欲しがらないこのひとに、欲しい、よこせ、って言われてる気がするから。開きっぱなしの蛇口を片手で閉めたカイトさんに、こぼれた息ごと食らいつかれて首の後ろがぞくぞくする。まだ体に残っていたくすぐったさとそのぞわぞわが混ぜこぜになって、くらくらする頭が「きもちいい」って言いはじめる。
     まだ皿洗いの途中なのに。
     あと、メシ食ったばっかり。
     思考回路の端を掠めたそんな考えはすぐにわたあめみたいに溶けて消えて、カイトさんが貸してくれたボンレスはむのエプロンの腰紐がするりとほどかれるのがわかる。――オレがこういうキスがすきで、されたら同じくらい応えたくなるんだって、言ったことはないはずだけど絶対バレてるんだと思う。弱点を見つけられてなんだかちょっと悔しい気がするけど、小さい子みたいに得意げに笑われると結局いつも「まあいっか」って気分になってしまうし、たぶんこれからもずっとこんな感じなんだろう。オレにできることといえば、からかわれないようにまだしばらくのうちはこれを言わずにおくくらいのものだ。
    「は……」
     ほどけた腰紐を通り過ぎて、部屋着の裾からカイトさんの片手が潜り込む。腰を抱き込むみたいに両腕をまわされて、そのままシャツの裾を持ち上げられたと思ったら、その隙間からあの謎の感触がもう一回滑り込んできた。
    「ちょ、あ、ン、なに、っ、」
     つつっ、さわさわ。
     とにかくカイトさんの手じゃないなにかふわふわしてやわらかいものが、背骨や脇腹をくすぐっていく。なに、マジで、なんだこれ。必死で考えてはみるけどさっぱりわからない。そのうえ「くすぐったい」を「きもちいい」に変えるスイッチが入った体はコントロールがうまくきかなくなってきていて、ガッチリ捕まえられた腕から一旦離れて体勢を整えることもできない。正体不明のなにかにうろたえたオレが面白かったのか、意地悪く肩を揺らして笑ったカイトさんが、やっぱり意地悪く声をひそめて口を開いた。
    「なにって、猫じゃらしだが」
    「は?」
     猫じゃらし?
     あの、だいたいどこのペットショップにも売ってる、猫じゃらし?
     いや、たしかに何日か前にヒナタの世話用品を買い足しにペットショップに行ってきた、って話は、さっきメシ食いながら聞いたけど。こんなことするために猫じゃらしを買ってきたなんて話は当然これっぽっちも聞いてない。でもそういえばその話をしてるあいだのカイトさんはなんだか妙に上機嫌だったような。あんまりにも予想外の答えに固まるオレに、カイトさんがますます楽しそうな声で言った。
    「くすぐったがりの犬とちょっと遊んでやろーと思っただけなのに、お前、猫じゃらしでそんなやらしー声出しちまってんだよなァ」
    「ッ、だ、出してませんっ!!」
    「しっかりやらしー気分になっといて、説得力ねえぞお前」
    「そ、れはっ、カイトさんがいきなりッ……!」
     文句を言っている途中に、不意打ちで背骨をくすぐられる。反射的に背中が弓なりに反って、カイトさんの下半身に自分の腰を押しつけるはめになってしまった。服越しのそこが熱くなりはじめているのがオレだけじゃないのをストレートに感じて、心臓が跳ねる。
    「……っだいたい、『ちょっと遊んでやろうと思っただけの犬』にっ、なんでこんなことしてるんですか……!」
    「さあ、なんでだろーなァ」
    「っこの……」
     オレがくすぐったがりなのも、あんなふうにキスされたらこうなるのもわかってて、最初からそのつもりだったでしょあんた。
     してやられた悔しさと恥ずかしさでキッとカイトさんを睨んでみたけど、カイトさんはといえばいつも通りどこ吹く風だ。
    「いいじゃねえか、『くすぐったいとこ』は性感帯らしーぞ」
    「全っ然うれしくないです!」
    「俺様は楽しいけどな!」
    「カイトさんのばか!不意打ちとかずるい!」
    「ふははどーとでも言え!これは作戦勝ちってんだよ体力バカ」
     カイトさんのセリフの意味を、まさにいま自分の体で理解しはじめてるオレとしては、むしろイヤな予感しかしない。せめてベッドルームに行くくらいの間が取れたらこの猫じゃらしからは逃げられるのに、どうやらカイトさんにそのつもりはないらしかった。猫じゃらしをこんなふうに使う作戦なんて本気で立てなくていいです。
    「つーわけで観念しろ。好きだろ、キモチイイの」
    「……ッおれは、」
    「あ?」
    「カイトさんとするのがすきで、きもちいいだけですっ」
     もうここまできたらどうせ逃げられないし、このひとを相手にして逃げる気にもならない。腹をくくるついでにカイトさんのセリフを少し訂正して、うすいくちびるをがぶりと噛み返した。
    「ッん、は……っ、」
     息継ぎのあいまに一瞬見えたうすむらさきの両目が、なにか言いたそうにオレを見たのは気づいたけど、とりあえずカイトさんが猫じゃらしを放り出すまでは知らんぷりして唇に思う存分噛みつくことにする。くすぐられたらぞわぞわするけど、これなら声も飲み込まれるし、あんまり顔も見えないはずだ。
     オレがあんたの手にさわられるのがすきだって知ってるのにこんな意地悪してるんだから、オレだってそのくらいの仕返ししてもいいでしょ、カイトさん。
     ――どっちが先にじれったいのをがまんできなくなるか、しょーぶです。


    ***
    20180623Sat.
    ■36.7℃


    「カイトさーん、風呂ありがとうございました」
    「おー」
    肩に掛けたタオルで濡れた髪をかき混ぜながら、浴室から昴が戻ってくる。先に入浴を終えテレビを気なしに流し見つつソファでちまりちまりと酒杯を傾けていたカイトは、その声へ鷹揚に応えると同時にそちらに意識を向ける。湯上がりの裸足の足音は、迷うことなくキッチンへ進んでいた。
    「ふー、あちー……アイスアイスー……」
    「ついでに俺のぶんも寄越せ。カップのバニラ」
    「はーい。えーと、お皿もいりますか?」
    「いる」
    キッチンからカイトを見遣り、手元のワインボトルに気付いた昴が尋ねてくる。カイトがときおりバニラアイスにワインをかけて食べているのを、すっかり承知しているのだった。
    「はいっ、どうぞ」
    さほどの間もあけず、カップアイスと深めの取皿、スプーンをのせたトレイがテーブルへ届く。普段ならばそのまま隣に腰を下ろすはずの男は、棒付きのソーダアイスを幼い仕草でくわえて足先を別方向へ向かわせた。向かう先には、扇風機が一台。
    羽根のないタイプのそれは、カイトが空調機器類の掃除を業者に依頼して済ませると同時にリビングへ登場することになったものだ。昴は今夜が初対面(?)となる。
    ふんふんと機嫌良さげなハミングが、扇風機の風に紛れて届く。あどけない旋律にしばらく黙って耳を傾けていたカイトだったけれども、小皿とスプーンを片手に立ち上がった。
    「おい」
    「ふぁい?」
    今晩家に来たばかりのときも物珍しさからかしばらく扇風機の前から離れなかったというのに、まだ飽きずに扇風機に張り付いているのがなにやら少々腹立たしい。背後から呼び声をかけると、すでに棒アイスを半ばほどまで減らした男がこちらを振り返る。視線がぶつかる。ぱちり。まるいティーブラウンが、目瞬きをひとつ。それからそのまま、半身ほど横に体をずらして幼く破顔した。
    「ほら、ここ、すずしーですよ!」
    どうやらカイトがここまで涼みに来たのだと思ったらしい。子どものように得意げな表情を浮かべ、手のひらで床をぽんぽんと軽く叩いて示しさえしてみせる始末で――文句のひとつも投げてやろうとしていたはすが、……これである。
    「カイトさん?」
    「……、なんでもねえ」
    「そーですか?」
    腰を下ろしながら目をやった湯上がりの肌はまだ薄く色づいている。もうしばらくはこのままだろう。きょとりと呑気に首を傾げる大型犬にそれだけ返してやって、カイトはワインレッドととろけた乳白色をスプーンですくいあげて口に放り込んだ。


    ***
    20180728Sat.

    なっぱ(ふたば)▪️通販BOOTH Link Message Mute
    2018/08/25 2:34:22

    カイすば小ネタログ4

    #BLキャスト #カイすば #日まこ

    カイすば小ネタログ(31-40)。酔っ払いだったりプラシーボ効果未遂だったり猫じゃらしだったり。テキシブさんから拾い集めてきたので書いた時期はまちまち/1つだけカイすば時空の日→すば前提・日暮くん×大工くん(未満)もあります。どこに入れるか迷ったんですがカイすば時空前提なのでこちらに。

    -----
    ##腐向け ##二次創作  ##Kaito*Subaru ##Others

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