カイすば小ネタログ6■月について
夜空にぷかりと浮いたまるい月を見るとどこかほっとした心地がするのを城ヶ崎昴が知ったのは、数か月ほど前のことだった。
「月って、ホントにどこで見ても一緒なんですよね」
ロンドンの街明かりと、すぐそばを通り過ぎた二階建てバスが連れてきた風に髪をかき混ぜられて、ゆるくかぶりを振る。その拍子に視野を掠めた半月をふと見上げて呟くと、隣を歩く彼から「なに言ってんだ」と呆れたようないらえが返る。
「当たり前だろ、そんなもん」
「それは、そうなんですけど」
宿舎から出て、ウエスト・エンドの街をほんのすこしだけ歩いてまわる。なにを思い立ったか突然昴の部屋のドアを叩いた彼に誘われて、昴は短い夜の散策のために街へ出ていた。
「日本で見る月も、アメリカで見る月も、イギリスで見る月も、同じなんだなって」
「……まあ、そりゃあな」
すでにとっぷりと日が暮れているとはいえ、街が眠るにはまだ早い。慣れない夜のひかりと喧騒のなかで、見慣れた彼の輪郭があわく滲んでいる。知らず、目を細めた。
数か月前、異国でひとり見上げた夜空に見つけた月への安心感を、覚えている。――それから、自分自身の未熟さも。未知へ飛び込む高揚も。覚えている。
「カイトさん」
「あ?」
「オレ、がんばります」
胸裡を揺らしたなにかを彼の名前にして呼んだ。続けてぽつりの落ちた言葉に、うすむらさきのひとみがまばたく。ぱちり。
いま目に映る彼の姿が自分よりもしっくりと風景に馴染んでいるように見えるのは、彼が月の見え方を知っていたからだろうか。ふと脳裏をよぎった問いに応えるように、大きな手のひらが軽く背を叩いていった。
***
20191030Wed.//HappyBirthday,dear Kaito!!
■春の雲
桜並木の沿道を、やわらかな風と道行く人々のざわめきが抜けていく。うららかな春の日差しのなか、桜を見上げながら隣を歩く男の紅茶色のくせ毛はずっと機嫌良さげにふわふわと揺れていて、上機嫌という言葉の意味を寸分違わず体現していた。
「あっ、カイトさんカイトさん!」
「んだよ」
「いまの女の子、わたあめ持ってましたよ!どこかで屋台とか出てるんですかね?」
「あ、おいコラ待て!」
探してみましょう、と、弾んだ声が自身を呼んで、子どものようなあどけなさで向かう先をふと変える。男の横顔越しの青空に浮いた春の雲ばかりあざやかで、少女の持った綿飴をまるきり見逃していたことには、――ひとまず、気付かなかったふりをした。
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20200321Sat.
■コートと手袋
しゃっ。軽やかな音とともに開かれた冬の寝室のカーテン、その向こうに広がる景色を認めた男のまるいひとみと声が、ぱっとあどけなくきらめいて弾むのを、――この休日の朝、新堂カイトが想像できないはずはなかった。
「カイトさん!雪!雪ですよ!」
「おー…………」
カイトはといえばまだ蓑虫もかくやとくるまったあたたかな布団から指先のひとつも出せていないというのに、窓辺ではしゃいだ声をあげる男はすっかり元気なものだ。数日前からの予報通り夜更けすぎに降り出した淡雪が、朝を迎えた街を白く染めているのだろう。
「積もってんのか」
「んー……あんまりちゃんとは積もってないです。昼までには溶けちゃいそうな感じ」
布団越しにくぐもった声で投げた問いには、ちらとこちらを振り向いた男の残念そうないらえが返される。そーかよ、と応えながら、身じろぎをひとつ。つられるように口からこぼれた欠伸を噛み殺して、枕元のデジタル時計を見遣る。午前八時十五分。
緩慢な速度で寝返りを打ち、窓辺へと向き直る。開け放したカーテンのあいだからそそぐ朝日が普段よりも眩しく見えるのは、周囲を覆う雪の反射のためか。男の紅茶色の癖毛と頬の輪郭がやわらかく滲むのをしばらく眺め、ゆるく息を吐いた。
のそり、スプリングを小さく軋ませながら身を起こす。寝癖のついた髪に手櫛を通しつつ足先をベッドから下ろして「しょーがねーな」と呟けば、澄んだ陽光のなかで男が笑う。
近場の散歩へ出掛けるのは、朝食に温かいスープの一杯でも飲んだあと、もこもこと着膨れた男のコートのポケットに手袋が押し込まれているかを確かめてからだ。
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20201229Tue.
【ワンクッション!】
うっすらした破廉恥(R15程度)1つと性別反転百合1つ
■サイダー
いつも通りの、なにげない夏の日のことだった。
起き抜けの大型犬の髪に残った少しばかり豪快な寝癖を笑いながらかき混ぜて、朝食を済ませ、季節限定スイーツを目当てに海沿いのレストランまで車を走らせる。レストランのテラスから夏のひかりに瞬く海を眩しげに眺める紅茶色のひとみと、潮風に揺れる癖毛の輪郭を横目に飲んだサイダーの、ほのかな甘さを覚えている。多忙さを増した日々のなか、休日の秒針の傾く速度まで増したように思えて、柄にもなくほんの少しの名残惜しさを含ませながらしなやかな長躯をソファとのあいだに閉じ込めたのは宵の口のころだった。
「……っ、カイ、ト、さん?」
「んだよ、」
随分と素直に腹の上を明け渡した男が、あどけなさの残る両目を熱にけぶらせたまま自身を呼ぶ。応えの前にちいさな唸り声が聞こえたかと思えば、ふいに伸びてきた男の手のひらに思うさま髪をかき混ぜられた。
「どわっ……!」
「せっかくのオフなのに、むずかしい顔してたらもったいないですよ」
ね?
性交のさなかだというのに相変わらず屈託なく笑ってみせる男は、こちらの胸中をわかっているのかいないのか。ぎうと首筋を抱く両腕はひどく熱い。昼間に飲んだサイダーの、かすかに喉を擽るような甘さを思い出しながら、応えの代わりに男の耳朶をやわく食んだ。
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20200808Sat.
文字書きワードパレット 7.夜を食む(寝癖/傾く/秒針)
■カイト嬢と昴ちゃん
遠巻きに連なった並木道から届くかすかな蝉の声が、小波のように五感を揺らす。素のままの土の色をした地面をサンダルの裏で踏みしめれば、夏の日差しに灼かれた地面がじゃり、と鳴いた。
「うわあ……!」
カイトが日傘の影の下で目を細めるのとほとんど同じタイミングで上がった幼い歓声は、すぐにカイトの想像通りのはしゃいだ足音に繋がり弾む。眼前に広がる景色に呼ばれるように数メートル先に駆けて行った昴が、ぱっと振り返って頭上を指さしてみせた。
「カイトさんカイトさん!見てください、あたしよりおっきいですよ!すごい!」
「おー、そうだな」
「えっ、なんかリアクション薄くないですか!?あたしより大きいってことはカイトさんよりも大きいってことですよ?!」
「すごくないとは言ってないだろ!ってか見れば分かるわそれくらい!」
眩しいほどの白にライムグリーンとレモンイエローのあしらわれたワンピースが、昴の背後に広がる向日葵畑に重なって揺れるのがひどくあざやかに目に映る。どうしても日傘に慣れないという昴に見繕ってやった大きな麦わら帽子が持ち主のあどけない表情に健気に陰を作ってやっているのを横目に見ながら追いついて肩を並べると、夏草の匂いが濃さを増した気がした。
「お昼に食べたひまわりのアイスもおいしかったですけど、本物のひまわりもきれいでいいですねえ」
「ああ」
青い絵の具を溶かし流したような空にはソフトクリームめいた入道雲が浮いていて、強い日差しが燦々と注いでいる。浮かぶ雲が溶けてしまわないだろうかと子どもじみた思考を巡らせていることに気がついてゆるくかぶりを振ると、ちょうどカイトを見ていたらしいティーブラウンが不思議そうにまばたきをひとつした。
――最初のひと口は真夏の盛りに。
梅雨のころからそう決めていた夏季限定の新作スイーツを、昴とふたりで食べに行くことにしたのも。
冷房の効いたカフェのなか、涼しげで愛らしい造形の甘い向日葵をたっぷり堪能した大型犬が持ち前の素直さで「ひまわりを見たい」と言い出すことも。
最早なにからなにまで(あらかじめワンピースと麦わら帽子を着せて出かけるほどに!)カイトの予定通り、想像通りの展開だった、はず、なのだが。
向日葵畑をさざめかせて吹く風に、夏の木漏れ日色のワンピースの裾と麦わら帽子のリボンがふわりと踊る。
太陽を追いかけて咲く向日葵と同じようにまっすぐなまなざしを花々へ向ける横顔はひどくあどけない。短い紅茶色の髪から滴って首筋に消えていったひと粒の汗のしずくの軌跡が、いやにあざやかに目に灼きついて離れない。いま目に映る景色のあざやかさに、言葉の衣服を着せることすら惜しかった。
「カイトさん?」
「……べつに、なんでもない」
きょとりとした呼び声には、ちいさく首を横に振って返す。
思ったよりも強く眩しい陽光の照り返しが、日傘の内側に届くからいけないのだ。
足元に落ちた短い影だけが嘘のように濃い。
夏のひかりのコントラストに、ただ、目を細めた。
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20190803Sat.
文字書きワードパレット 8.クーマ(向日葵/氷菓/影)