華を演じる 一緒に任務をする筈だった刀遣いが死んだ。つい昨日のことである。クビツリに不意を突かれ、一瞬の出来事だったと聞いている。帰って来た遺体の首は蜂の腹のようにくびれていた。
しかし悼みの気持ちとは裏腹に、任務の日は待ってはくれない。代わりの人員を探そうにも条件を満たす人間がなかなか見つからなかった。私と同年代で、対人での立ち回りも出来て、気心の知れた人物。
……知っている、最適な相手が一人いることなんて。
※ ※ ※
目的の人物の部屋を訪れ話を切りだした女……草薙あこやは、任務の内容を説明できる範囲で説明し、最後にこう付け加えた。
「医者に頼む仕事じゃないのは重々わかってる」
あこやは相手の目を見て話す。目つきが鋭いと言われることが多いため、相手が気の弱い人物であったり若い女子供であったりする場合はその限りではないが。少なくとも、三十年近い付き合いの男に対してその気遣いは不要だった。
「だが、正直手詰まりなんだ。きみに手伝ってもらえると助かる」
相手はあこやを見下ろし、緩く瞬きをした。その碧眼に知性を湛えた男、芹賀谷容は、安心させるように微笑んでから口を開く。
「構わないよ」
静かに答える声は低く穏やかで、あこやは少しだけ目を細めると手に持っていたファイルを容へ差し出した。
「これが資料だ、目を通しておいてくれ。わからないことがあればいつでも連絡してくれていい。ああ、今から目を通すなら付き合ってもいいが」
片手を振って腕時計を確認し、三十分くらいならいけるぞ、と言ったあこやに容は軽く頷き壁際のコーヒーメーカーへと向かった。
「なら付き合ってもらおうかな、君の見解も聞きたい」
「ん」
コーヒーの用意をする容を横目に、慣れた様子で椅子に腰掛けるあこや。彼女が背凭れにぐっと体重をかけて伸びをするところを見た容は、小さく笑った。
妖魔派の集会が行われている疑いのあるパーティーへの潜入。それが今回の任務である。入手した招待状はペア用で、用意した身分は資産家夫婦。つまるところ二人は夫婦のふりをしてその場へ向かうこととなる。刀が持ち込めないため異能はなし、自前で衣装を用意し変装する。……という段になって、少し問題が発生した。
容の衣装が用意出来ないのだ。日本人離れしたその体型に相応しいフォーマルな装いとなるとオーダーメイドになり、とても任務には間に合わない。となると自前の洋服を使うしかないが、
「ドレスコードに合いそうなスーツくらいはあると思うが……私は君のドレスを知らないから、君に直接選んでもらう他ないな」
ということになる。あこやは少し考えた後、ひとつの提案をした。やむを得ない。
「じゃあ、次の日曜にでもきみの家へ行ってもいいか? 衣装合わせしよう」
「ああ、構わないよ」
……そういうわけで、次の日曜日、あこやは容の住むマンションを訪れていた。長年の付き合いではあるが初めて招き入れられた部屋は広々としていて、落ち着いた雰囲気の家具が揃えられていた。彼らしいな、とあこやは感じたが、特に言及することもない。
クローゼットのある部屋へ案内され、ドレスバッグからあこやが取り出したのは、ダークネイビーの、丈の長いスレンダーラインのドレスだ。背が高く細身のシルエットであるあこやに相応しい選択である。光沢はおさえ気味の落ち着いた雰囲気で、動く度に裾が優雅に揺れることだろう。
「なるほど、じゃあ私は……そうだな……」
クローゼットに半身を入れ、いくつか服を取り出してくる容。見るからに上等なスリーピース。イタリアの、それもクラシカルなスタイルだ。
「うん、グレーかな、そっちの……」
受け取ったそれを壁際にドレスと並べて吊るし、見比べるあこや。その眼差しは真剣だがどこか楽しげだ。……夫の衣装を選ぶ妻というのは、実際こんな感じかもしれない。
「悪くないが少し落ち着かないな」
「タイをドレスに寄せようか」
容が何本かネクタイを出してきて、襟元に合わせる。そのうち一本を指差してセットさせて、あこやは満足げに頷いた。
「いいんじゃないか?」
「お気に召したかな」
冗談めかす容に、あこやは楽しそうに目を細める。どこか娘じみた所作ですらある。付き合いが長いせいか、時々彼女は容にこういった顔を見せるのだ。
「うん、満足だ」
いっそ無邪気ですらある
応えに、容はそれはよかったと微笑んだ。
それから任務の日まではあっという間であった。
パーティー会場の前に、一台のリムジンが停まる。中には一組の夫婦……のふりをした刀遣いが二人。
「ちょっと待ってくれ。……やっぱり髪はまとめた方がいい」
降りようとした容をあこやが引き留める。振り返ろうとしたのを押し止め、そっとその髪に触れた。素直にされるがままになっている容の髪を器用に結い、これでよしとついでに襟元に触れてから指を離す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
改めて車から降りた二人は互いの姿を見、小さく笑う。普段とはまるで違う華やかな装い、香水のにおい。あこやに至ってはウィッグで髪型がダークブラウンのボブに変わっており、化粧も普段より華やかなため、大分印象が違う。
「よく似合っているよ」
「ふふ、きみもいい男だ」
自然な仕草で差し出された腕に腕を絡め、仲睦まじい夫婦の顔をする。招待状を提示すれば一切怪しまれることもなく通され、ホールへと足を踏み入れると思いの外参加者は多いようだった。目立たないように気をつけながら会場の一角から全体を見渡すと年齢層は幅広く、こういったパーティーにしては若者もそれなりに参加していた。
仕事中ではあるが、一切口をつけないのも手持ち無沙汰になる。シャンパングラスをボーイから受け取り、軽く口を付ける二人。刀を抜く必要もないため、片手を塞いでも問題はない。一口飲んで、へえ、と目を瞬かせる。
「このランクのものが出てくるか」
「役得だな」
酒や料理はパーティーの華である。ホストの面目にも関わる。少なくともこのパーティーはその点は申し分なかった。シャンパンがこれなら、食事の方も期待できるだろう。小声で囁き合う二人は遠目にはお似合いの夫婦だが、実際のところは友人でしかない。ただ付き合いが長すぎて、その立ち居振舞いは夫婦のように自然だった。
「今晩は。楽しんで頂けてますかな」
声をかけてきた男にも動揺せず、微笑む。主催者だ。相手の情報も自分たちの“設定”も頭に叩き込まれており、やり取りはそつなく進む。最後に挨拶を交わして別れた後、乾いた唇をシャンパンで濡らす。
「どう思う」
「たいした見栄っ張りだが、不審というほどではない」
「同意見だ」
身を寄せ小声で言葉を交わす様は仲睦まじげで、二人が実際は夫婦でも恋人でもなく、潜入捜査中の刀遣いであることなど誰にもわからないだろう。
「外も見たいな、行こう」
するりとホールから抜け出した二人を見咎める者は、いなかった。
ホールの外はしんとしている。ざわめきは遠く、思いのほか息が詰まっていたらしいあこやは小さく深呼吸をした。回廊を歩くも人間の気配はなく、怪しげな予感もしない。ふわりとドレスの裾を翻しながら歩くあこやは、少し邪魔だと思ったのか軽く裾をつまんで持ち上げた。くるぶしが見える。容はちらと視線を流したが特に言及せず、回廊の先へと視線を戻した。
……何者かが近付いてくる気配がする。ホールからは随分離れてしまっていて、また、手洗いにしても方向が違う。何か話しかけられてしまうのも面倒だ。ほんの数秒の逡巡、あこやの腕が容の首へ回った。
「隠してくれ」
「了解」
口付けでもしているかのような距離感で、身を寄せる。体格差もあり、あこやの細い体は容の陰にすっかり隠れてしまう。ただ人目を避けてこんなところまで来てしまっただけの仲睦まじすぎる夫婦に見えるように。
近付いてきていた気配は二人の様子に気付いたのか、気まずげな空気を出しながら引き返していく。
「……行ったか?」
「もう少し」
容の手はあこやの細腰に回されたまま動かない。あこやは少しだけ目を伏せると、目の前の男に額を押し付けた。……相手の匂いに包まれたまま、少しの時間が経つ。ようやく容の腕が解かれ、距離を取った二人は小さく息を吐いた。顔色ひとつ変えていない。
それから二人は回廊を一巡りした後ホールへと戻り、酒と料理を楽しみながら歓談し、情報を集めた。やはり怪しいところはない。強いて言うなら客層が少し品がないが、そんなものは現代においてはありふれている。適当なタイミングで帰ることにした二人は、最後まで完璧に夫婦を演じきった。
「今日は助かった」
「役に立てたならよかったよ」
帰りのリムジンの中で労い合う二人。広々とした車内ではそれぞれ手足をもて余すこともなく、リラックスした様子で座席に体を預けている。
「多分今回は外れだろうな」
「そうか」
あこやは備え付けのミネラルウォーターをグラスに注ぎながらそう告げ、容は特に落胆した様子もなく頷いた。緋鍔局とはそういうものだということは、あこやとの長い付き合いで把握している。彼女らは“疑い”をひとつずつ潰していくのが仕事だ。毎回当たりを引くわけではない。
水の入ったグラスを容に差し出すあこや。その視線がじっと己に注がれていることに気付いた容は、軽く眉を上げてみせた。
「いや、なんでもない」
薄く苦笑したあこやをそれ以上問い詰めることもなく、容は差し出されたグラスに手を伸ばした。
その後調査が進められ、やはり“白”との判断が下されたため無事に任務は完了した。つまるところ今回はただパーティーを楽しんだだけということになる。存分におめかしして、友人ではなく夫婦として。それは彼らの関係になんら影響することはない筈だ。
……これはそんな特に話の種にもならないような、とある任務の話である。
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オマケ■