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    真珠貝と真珠 寄り添って眠るだけで満たされる夜もある。ただ互いの体温と鼓動と息遣いを感じるだけで、この世のすべてに祝福されているような気分になる。幸せの胎内に抱かれるような心地で腕の中の愛しいひとを愛でていた容は、彼女が何かを言いかけてやめたことには気付いたが、安心させるように柔らかく目を細めてその頬を軽く撫でるにとどめた。少し体の力を抜いたあこやは、それでも少し緊張したような様子で口を開いた。
    「今度の休みに、付き合ってほしいところがあって。……いや、正確には、途中まで送ってほしいというか……」
     容を見たあこやの目はどこか、不安の色に濡れている。
    「……娘と、会うんだ」
    「そうか」
     あこやは十五年ほど前に離婚している。離婚した前夫との間には子供が一人。裁判の末親権は父親が取得し、その後、まともに面会も出来なかったということを容は知っている。それ以上のことは知らない。あこやが語ろうとしないというのもあったし、彼女のこころの特に柔らかな位置に刺さっているだろう棘を不用意に刺激するようなことも本意ではなかった。であるから、彼女の子供が女であることも今初めて知った。
    「会うのについてきてくれというわけじゃない。ただ、……きみが待っていてくれたら、心強いから……」
    「わかった、どこで待っていればいい?」
     迷わず返した容に、あこやはぱちぱちと瞬きをするとほうと溜め息を吐いた。安堵したように首を軽く傾げ、それから先ほどよりも柔らかな声で言葉を紡ぐ。
    「駅の北口前にカフェがあるだろう。あそこで待っていてくれればいい。私は反対出口の方のレストランで会う予定だから……」
    「そうか、ならカフェで待っているよ」
     大きな手であこやの髪を撫で付け、額にキスをする。自分は愛されている、彼の愛情で守られている、と感じたあこやは目を細めると容を見上げ自分からも口付けた。


     次の週末、駅前に立つあこやは落ち着いた色のジャケットとスラックスを着ている。前夜、手持ちの服を並べ試行錯誤はしていたが、結局無難なところに落ち着いたようだった。容は彼女の緊張を和らげるべく一言二言声をかけ、それから静かな声で告げる。
    「指輪を預かろう」
     その言葉に、ああ、と何かに気付いたような声を出してからあこやは己の指に触れた。左手の薬指に光る、シンプルな婚約指輪。それを慎重に抜き取ると、差し出された手に広げられたハンカチの上に乗せる。それを丁寧に畳んでポケットへと仕舞い、そっと上から撫でてから容は柔らかな声であこやを送り出す。
    「待っているよ」
    「……ん」
     最後にそっと容の指に触れてから、あこやは改札口を抜けて行った。

      ※※※

     待ち合わせの約束をしている店につく。まだ彼女は来ておらず、私は先に席へとついた。店内はそれなりに混み合っていてざわめきがあり、逆に良かったと思う。
     ──もう、成人している娘。
     互いに“そう”だとわかるだろうか。十年以上会っていないのだ。もしわからなかったらどうしよう、彼女を見付けられず私を見付けてもらえず、誰かもわからないような状態での対面になったら。水の入ったグラスを眺め、ぐっと唇を引き結ぶ。そこへ、近付いてくる靴の音。小さく息を吐いてから、そちらを見る。
    「……お母さん、だよね。……珠李だよ」
     少し幼いな。……そう考えて内心苦笑する、いや、“普通の人間”としては年相応だ。刀を握り妖魔を切り殺す狂人たちと同じにしてはいけない。晒された額が美しくて、眼差しはどこかこちらを窺うように底光りしている。子供の頃の名残は……ある、ように見えるが自信はない。やはり私には母親の資格などないのではないか。
    「久し振り」
     声の硬さはなんとかみっともなくない程度に押さえられた。向かいの席に座る彼女を真正面から見つめることは出来ず、その口元を見ていた。控えめな色のリップ。薄い唇は、誰かに似ている気がした。
    「……最近は、どう? 元気だった?」
     当たり障りのない質問しか出来ない。彼女は少し固い表情で、元気だよ、と言った。本当かどうかはわからないが、本当ならよかったと思う。私はこの十余年の間、彼女が不幸だったか幸福だったかすら知らない。……あの人のことだから、ああまでしたのだから、娘を幸せに育てる努力は惜しまなかっただろうが。
     運ばれてきた食事にどちらからともなく手をつける。静かだ。私の分は通常の半量で出してもらえるよう事前に頼んでおいたが、それでも喉を通らないし、味がわからない。そっと彼女の様子を窺うと食は進んでいて、少し安心した。
    「……お母さんは?」
     どこか緊張した様子で口を開いた彼女への返答に迷うと、元気?と付け加えられる。慌てて元気だと答えると、そう、と静かに相槌を打たれた。
    「……」
    「……」
     沈黙の割合が多い。なんとか彼女の顔は見られるようになったが、落ち着かない。不安が増す。私は自分の娘の顔すら忘れてしまったのだろうか。
    「……お父さんからは」
     ぽつりぽつりと話し始める彼女。兎に角聞き逃さないように、途中で中断させないように、話す気がなくならないように……適切な態度を作り、身の振り方に意識を払う。仕事での技術を使うのは、なんとなく不本意な気分だが。
    「お母さんは仕事が忙しくて、それで……うまくいかなかったって聞いてるけど」
     不意にその目がこちらを見た。灰色がかった黒、我の強そうな眼差し。どこかで見たことがある気がする目。
    「どうして私を置いていったの」
     喉がひきつる。訊かれるとは、思っていた。回答だって何度もシミュレートした。……いつも途中でうまくいかなくなった。
    「ふつう、母親の方が親権の取得に有利でしょ。私がお父さんを選んだとかならまだしも……あの頃の私はよくわかっていなかったから、どちらも選んでない」
    「……それ、は」
     刀遣い以外の生き方が出来ない自分では相応しくないと思った。もしまだ子供のうちに私が死ぬようなことがあったらどうしようと思った。母親として娘を幸せにする自信がなかった。理由いいわけならいくらでも。ただ、突き詰めるなら、私は。私はあの時。
     ──諦めてしまった。
     唇を震わせ黙っている私を見ていた彼女は、少しの間を置いてからふっと目線を逸らした。
    「今度でもいいから、ちゃんと教えて」
     その言葉の意味を掴むことに一度失敗し、瞬きをする。そして、改めて理解して、どきりと心臓が跳ねた。
    「……また会って、くれるの」
     彼女は頷き、グラスの水に口をつけた。その喉が動くのを眺める。……一度きりであっても構わないと覚悟はしていた。罵られたり、詰られたって仕方がないとも。だが彼女は非常に理性的で、何なら優しいくらいである。
    「……ありがとう」
     礼を言う声は震えかけて、なんとか踏みとどまった。

      ※※※

     駅前のカフェで時間を潰している男は、映画のように様になっていた。窓際の席で洋書を読んでいたその男、芹賀谷容は、ドアベルの鳴る音に少しだけ視線を上げるとわずかに表情を変えて本を閉じた。
     靴音を響かせ近付いてくるあこやの姿をみとめ、片手を軽く上げる。ほっとしたように目尻を下げた彼女は、向かいの席に腰掛けた。
    「……平気か?」
    「ああ、ありがとう」
     あこやの分のコーヒーを頼んだ容は、慎重に彼女を観察した。……目が、わずかに充血している。アイメイクを直した形跡があるところを見るに、どこかで泣いたのは間違いないだろう。不安が強いというわけではないという証拠になだめ行動は今のところ見えず、少し伏し目がちではあるが落ち着いているように見える。
    「……聞かないのか」
     しばらく沈黙した後、ぽつ、と呟いたあこやに、容はその目を覗かないまま静かにコーヒーを飲んでから答えた。
    「君が話したいなら」
     テーブルの下で手遊びをしていたあこやは、ゆっくり手を晒して運ばれてきたコーヒーに手をつけた。唇を湿らす程度、ほんのひと舐め飲んでから、口を開く。
    「顔が。……すぐに、わからなかった」
     目線の動きが後ろめたげだ。
    「一目見たらわかるとか、そんなドラマみたいなことを考えていたわけじゃないが……子供の頃の名残があるかどうかすら、自信がなくて。こんな眉の形をしていただろうか、なんて」
     震える睫毛。濃灰色の目は、容の顔を見ずにコーヒーの水面を見ている。容は少し座る角度を変え、静かな声で口を挟んだ。
    「彼女は化粧をしていたかい」
    「……え?」
     想定外の問いにあこやの視線が持ち上がる。あおい目が、光を抱いて彼女を見ていた。
    「成人した女性だろう。化粧をしている可能性は高いと思うけれど、どうだい?」
    「それは……そう、していたな、眉もきれいに整えられていて、」
     言葉が途切れる。ひとつ、ふたつ、と数えられる程度の間を空けてから小さな溜め息があこやの口からこぼれる。
    「……思っていた以上に冷静じゃあないな、私は」
    「そのようだね」
     あこやは苦笑するとカップを持ち上げる。一口飲んで、窓の外を見た。日差しが明るい。眩しげに瞬きをしてから少し黙り込む。容は何も言わずにあこやと同じ方向を見た。日差しが、明るい。
     それから気を取り直したように娘との対面について語るあこやは、冷静に見えた。その話の内容を信じるのであれば彼女は娘と決裂はしなかったし、対面は友好的に終わったらしかった。容は静かに相槌を打ちながらあこやの話を聞き、認知の歪みがあればそっと指摘し、彼女の言葉を丁寧に読み解く。悲しみが、苦しみが、その心を曇らせてはいないか。容にはそれを読む技術があり、それを彼女のために使うことは──彼の自認がどうあれ──愛の証左でもある。
     その容の技術が、鋭い感覚が、“ざらつき”に己の指先が触れたのを感じ取る。それはあこやが娘との別れを語ろうとした時。その声、表情に、彼以外誰も気付かないようなわずかな変化があった。
    「別れ際に。……捨てられたと思っていたと、言われたよ。それはそうだ、私は……あの子に会いに行けなかったんだから」
     ゆらり、と、灰色がかった黒い目の表面が水面のように揺れる。泣くのではないか、と感じた容の予感は裏切られ、あこやは涙ではなく言葉を落とし続ける。それは容に聞かせるためでもあり、自分に聞かせるためでもあるようだった。
    「それでも私に会ってくれたんだから、本当に、優しい子だ」
     泣くのではなく、あこやは、笑った。
    「また、会ってくれると」
    「そうか」
     容は少しだけ微笑んだ。そっと手を伸ばし、あこやの指に触れる。
    「君の子供だ」
    「……ん」
     するりと容の指をあこやが握った。甘えるように一度力を入れてから、離す。爪まで丁寧に整えられた白い手を名残惜しげに撫でてから、容は手を己のもとへ引き戻した。
    「あこや」
    「うん?」
    「返すよ」
     ポケットからハンカチを取り出した容に、あこやはわずかに表情を和らげると片手を差し出した。再びその指に触れ、丁寧な仕草で指輪を嵌める容。指先に軽く口付けて悪戯っぽく笑った容に、あこやも笑う。
     カップはいつの間にか空になっていた。


     ……草薙あこやと天羽珠李は何度も会うこととなるだろう。彼女たちが断絶していた期間は長くすぐには取り戻せないし、常に冷静でいられるわけもなく、衝突することもあるだろう。しかしそれは必要な痛みだ。
     真珠むすめ母貝ははについて知るために。母貝はは真珠むすめをもう一度大事に出来るようになるために。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2021/10/14 17:45:27

    真珠貝と真珠

    #小説 #Twitter企画 ##企画_刀神 ##いるあこ
    逃げ続けていたものに、会いにいく。

    草薙あこや@自分
    芹賀谷容@ちゅんさん

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