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    望むを求む 彼女は一通の手紙を引き出しの中にしまいこんでいる。
     封筒の表には彼女の名が書かれており、少し右肩上がりの整った文字からは大半の人間が保守的な印象を受けるだろうが、彼女はそこに繊細さを見出だす。何度もその表書きを確認し、指で触れ、まだ開封しないまましまいこんでいる。
     これは遺書だ。
     芹賀谷容の、遺書なのだ。


     いつもより早く目が覚めて、いつもと同じようにシャワーを浴びて、いつもより少ない朝食を胃に押し込む。顔色が悪いのをごまかすために少し濃いめに化粧をして、鏡と見つめ合う。大丈夫、と己に言い聞かせてから、彼女、草薙あこやは出勤した。
     始業時間の、少し前。緋鍔局の最奥、入室時に申請が必要で厳重に入退室が管理される部屋。入り口はひとつで窓は存在しない、ごく狭い部屋。物理的にも霊的にも独立した部屋。あこやはその奥にあるパソコンの前に座り、モニターを見つめていた。
     ずらりと刀遣いの名前が並んでいる。それぞれの名前の横、所属や段位などの欄の最も端に、現在ステータスの欄がある。「任務中(戦)」「任務中(調)」「通常業務」などの文字が並ぶ中、あこやは「その他」という表示を睨むように見ていた。そのステータスの持ち主は芹賀谷容。しばらく眺めてからステータスを開くべくクリックすると、ダイアログボックスが表示される。「この情報の閲覧にはIDの提示が必要です」。
     あこやはひとつ息を吐いた。公開情報ではない、ということに石を飲んだような気分になる。パソコンに備え付けられたカードリーダーにIDカードを差し込むと、ちかちかとランプが瞬く。……あこやのIDであれば、二階層ほどは情報を潜れる筈である。
     音もなく新たなウインドウが開き、情報が表示される。……とある妖刀の折伏任務。それが、芹賀谷容に遺書を書かせたものの正体だ。既に犠牲者も出ている、危険な刀。軽く泳ぐだけでもこの情報は重たくあこやの身体に纏わりつき、息を奪おうとする。今ここで詳細を精査することは諦め、あこやは息継ぎをするようにキーを叩くとIDカードをカードリーダーから抜いた。
     いるる、と唇が動く。少しの間指でカードを弄んでから、あこやはその部屋を後にした。始業時間はもうすぐだ。
     ……緋鍔局はその日も忙しく、さまざまな情報が飛び交い、迅速かつ的確な判断と連携が求められる。そこにおいて、あこやはいつもと変わらぬ働きをしていた。長年の勤務によって身に付けた技術と勘は十全に発揮され、彼女が抱いている恐怖を誰も知らない。愛する人が死ぬかもしれないという状況に置かれてなお、彼女はいつも通りに働いている。
     静かな絶望が、恐怖に寄り添っている。どんな状況でも能力を発揮できるというのは長所である筈だが、彼女も普段であればそう認識していたが、今だけそれは絶望を招いていた。
     草薙あこやはいかなる状況でも働けてしまう。
     昔からそうだった、何も変わっていない。愛する人に何があっても冷静に自分のやるべきことを果たすことができる、それが草薙あこやという女であった。そのせいで、彼女は夫に見放され、子供を取り上げられた。
     ──もし、彼が死んだら。
     脳裏をよぎった思考に、一瞬あこやのタイピングの手が止まる。だがそれも二秒も続かず、何事もなかったように再開された。……もし彼が死んでもきっと彼女はいつものように働くのだろう。そのことに静かに絶望しながら。
     それは元々の性質だったかもしれないし、育まれた性格だったかもしれない。あこやは愛情深い魂の持ち主であったが、同時に、強く理性を信仰していた。であるから、彼女はその情深さとは裏腹に、感情的に動くことが滅多にない。そのことに自らが傷付いたとしても。
     画面に流れる文字から目を逸らし、指で目頭を押さえる。眼精疲労をおさえる目薬を取り出し使うと、目測を誤り溢れた水滴があこやの頬を伝った。泣いているようにも見えたが、……もし泣けていたなら、彼女はきっともっと楽になれただろう。
     そして、日が暮れる頃、滞りなく仕事は終わった。
     あこやは帰路に、つかなかった。再びあの部屋……緋鍔局の最奥部へ向かう。運良く申請は即時通り、その狭い部屋で彼女はモニターと向かい合う。芹賀谷容の情報を確認し、現在遂行中の任務を改めて精査しする。
     妖刀、檍原滌あはぎはらのそそぎ。ひとが扱える状態にない妖刀をどうにかして捩じ伏せ、あるいは宥め、あるいは浄めてひとの手で扱えるようにするのは天照という機関において重要な任務のひとつではある。だが、これほどまでに危険な妖刀、十年単位での措置であってもおかしくはない。なぜ今なのだ、と考えたあこやは少し苦笑した。
     ──今でなければ、もっと未来なら、容が担当せずに済んだ。
     そんな利己的な考えがよぎってしまったのだ。まったく理性的ではない己の思考に、何故だかあこやはほっとした。自分も醜く浅ましいただの女なのだということに、落胆するのと同時に、安堵した。
     徐々に思考も冴えてくる。あこやは情報の海を泳ぐ方法を取り戻し、己を捕まえようとする手から逃れながらどんどん潜っていく。芹賀谷容のこと。檍原滌のこと。天照のこと。妖刀のこと。断片を拾い上げてはためつすがめつ眺め、また戻しては、深く沈んで、光の届かぬ場所にまで手を伸ばしては闇を探る。
     アラームの音にびくりと肩を跳ねさせたあこやは、退室時間が近付いていることに気付いて瞬きをした。随分長く“泳いで”しまっていたようだ。素早く帰り支度をし部屋を後にする彼女を、監視カメラだけが見ていた。


     帰宅したあこやは誰もいない家に「ただいま」と言う。完璧に整えられた部屋は普段であれば居心地のいい場所なのに、なんだか今はざわざわと落ち着かない。
     彼の気配が、しすぎる。
     家事代行が作り置いてくれた惣菜を温めなおして食べ始めるが、喉を通らない。無理矢理胃へと送り込んでもたいした量は入らず、普段の半分ほどで完全にあこやの手は止まった。ゆっくりでいいよ、と声をかけてくれるひとはいない。諦めたように息を吐いて、流しへと向かう。
     一人で後片付けをし、晩酌もせずにシャワーを済ませる。あこやはリビングのソファへ珍しく荒っぽく座り、タオルで乱暴に髪を拭った。短く切り揃えられた灰色の髪はすぐに水気を失うが、あこやはしばらくタオルを頭から被ったまま俯いていた。
     ふいと気分を切り替えるように立ち上がり、書斎へ向かったあこやはほとんど迷わず一枚のレコードを選ぶとプレーヤーに乗せた。音量を上げ、椅子へ深く腰掛ける。流れ始めるメロディーを耳で聞くというより肌で感じ、目を閉じる。
     およそ八分。
     音が遠ざかり始めた辺りでレコードをプレーヤーから取り上げ、書斎を後にしたあこやは水を一杯飲んでから寝室へと向かった。表情は、あまりリフレッシュしたようには見えない。憂鬱はその濃灰色の眼差しから消えきっておらず、ただでさえ細いその身体はどこか心細げで、一輪きりで咲く背の高い花のように折れやすそうに見えた。
     黒で揃えられた寝具は彼の趣味で、ここにもある彼の気配にあこやはわずかに唇を引き結んでからベッドへと向かった。いつもなら二人で使うベッドは広く、あこやは布団を頭まで被ると身を守るように丸くなった。
     ……怖い。こわい。初めて任務に出た時よりも恐ろしい。
     死はいつでもそこにいる。我々は死と歩いている。そんなことを三十年近く刀遣いとして働き続けてきたあこやが自覚していない筈もなく、彼女はその死の恐怖と正しく向き合い続け、正気を保ち続けてきた──それが果たして“ふつうのひと”から見ても正気かどうかはさておき──。
     だが、何十年も遠回りした末にようやく触れられるようになったばかりの相手が死のまなこに睨まれていることは、容易くあこやの心臓を押し潰した。彼を失うことを思うと喉から呻き声が出そうになった。
     どうか触れないで。彼を連れていかないで。
     祈るのとは違い、きつく目を閉じる。願うように。ただ、願うように。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2021/12/11 20:19:16

    望むを求む

    #小説 #Twitter企画 ##企画_刀神 ##いるあこ
    芹賀谷容が任務に挑んでいる最中、彼女は何をしていたか

    草薙あこや@自分

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