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    しおり
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    しおり
    刀擬き かたん、かたん。
     規則的な振動がもたらしていた睡魔がふと飛び去った。窓辺に肘をついて俯いていた女は、瞬きを何度か繰り返しながら顔を上げ、向かいの席に座っている男を見た。
    「ごめん、寝てた」
    「そうみたいだね」
     お互い年の頃は五十歳前後だろうか。女は固まった首を動かしてから時計を確認した。到着予定時間までもう少し。
     都心から離れる方向へ向かう電車の中である。棚の上に置かれた大きめのトランクには天照のロゴ。二人組の天照職員だ。ただし、一見わからないがその足元に置かれている方のケースには刀が入っており、つまるところ彼らは一般職員ではなく刀遣いであった。
     女の方はパンツスタイルのスーツこそ着ていたがその髪は男性並みに短く切り揃えられており、その上アッシュグレーに染められていた。到底公務員には見えない容姿で、窮屈そうに足を伸ばしてから折り曲げ、取り出したタブレットを操作し始める。名を草薙あこやといい、緋鍔局の所属であった。
     一方の男もまたスーツ姿ではあったが、やはりどこか一般的な中年男性とは雰囲気が違っていた。男の眼差しにはあおい叡智がきらめき、たくわえられた髭と彫りの深い顔立ちとが相まってどこか日本人離れしている。芹賀谷容という名のこの男は凪鞘班所属で本来ならこういった遠出についてくる人員ではなかったが、少々事情があってこうして連れてこられていた。
     今回は妖魔退治ではない。妖刀の調査だ。ある民家の蔵から出てきた古い刀に妖刀の疑いがあり、天照から調査に向かうこととなったのだ。こういった事件未満のことがらについて調べるのは緋鍔局の仕事であり、あこやが割り振られるのは適切な人選といえる。ではなぜ容がこうしてここにいるのかといえば、あこやの指名であった。
     ──なぜ?
     ──大人の男性、加えて医者。それから目と舌。
     その説明で容は要請を受け入れ──診察の予定が入っていなかったというのもある──、あこやと共に都心から離れたある村へと向かっていた。村の名前は浜内村。人口は少なく、老人が多い、典型的な過疎集落である。そこから刀の発見の通報があったのが今日の午後。検討の末職員を派遣することとなり、あこやと容が天照を出たのが日暮れ頃。そして今はそろそろ月が出る頃合いだ。
     車内アナウンスが二人が降りる予定の駅の名を告げる。荷物を下ろし、降りる準備を始める二人。荷物はそれほど多くはないが、この時間だと日帰りは無理だとの予想から一泊分の準備と、妖刀を収納するためのケースが嵩を増させている。だが互いに軽々とその荷物を持って駅に降り立った二人は改札へ向かって歩き出したが、その途中で容がふとあこやを見てあることに気付き、口を開いた。
    「草薙くん、ついたままだ」
    「ん? ……ああ」
     耳元を示す容に、あこやは瞬きをしてから己の耳に触れた。そしてピアスを外してジャケットのポケットへと放り込む。それを眺めた容は鞄から何かを取り出し差し出した。
    「使うかね? それじゃあ傷がついてしまうだろう」
     きれいに畳まれたハンカチである。あこやは少しだけ柔らかく目を細めて「ありがとう」と頷くと、素直にそのハンカチを受け取ってピアスを取り出し、丁寧に包んでまたポケットへとしまい込んだ。
    「お気に入りなんだ。気が付く同僚がいると助かるな」
    「どういたしまして」
     そうして二人は改札を通り抜け、バス乗り場へと向かった。バスは一時間に数本、なくなる時間も早い。これは予想通り泊まることになりそうだ、と息を吐いてから二人はバスへと乗り込んだ。
     流れる景色には自然の色が多い。真っ直ぐ遠くまで続くような道も多く、バスの乗客も二人以外にはいない。あこやと容は軽く打ち合わせをし、それからはただ黙ってバスに揺られていた。バスを見下ろす月は細く、星が多かった。
    「夜分遅くにすみません」
    「いえいえ、すぐに来て下さってありがとうございます」
     駅からバスで十五分。通報者の家を訪ねた二人は家主に迎え入れられ、そのまま蔵へと案内された。家主は感じのいい老人であったが、対面してからずっと主に容の方を見てそちらに決定権があるものという前提で話している。あこやは気にした風もなく容の後をついていっており、容もまたそれを受け入れている。
     ──相手の態度に合わせてくれ、私のことは気にしなくていい。
     ──緋鍔のやり方は知らないけれど、いいのかね?
     ──基本的な民間人対応はわかるだろう? それでいい。
     来る途中にした打ち合わせ通りの展開である。あこやが若い頃はもっとひどい展開もあった。ともあれ蔵の中へ通された二人に見せられたのは、木製の箱に収められた一振りの刀であった。
    「この箱の蓋を開けた瞬間、悪寒というかとても嫌な雰囲気を感じましてね。念の為ご連絡した次第です」
    「なるほど」
     容がちらとあこやを見る。あこやは軽く頷くと、鞄の中から一枚の符を取り出して刀の上にかざした。特に異変はない。ふむ、と首を傾げてから容へと目配せし、慎重に刀を握る。そのままゆっくりと持ち上げ、表裏とためつすがめつ眺めてから少しだけ抜いて刃を確認する。何も起こらない。
    「これは……普通の刀ですね」
    「え、そうなんですか?」
    「はい、このままお持ち頂いて大丈夫です。ああ、警察には届け出て下さいね」
     老人はあこやと容の顔を交互に見てから、ほっとしたような落胆したような顔で息を吐いた。
    「いや、お手数かけて申し訳ない。わざわざ来て頂いたのに」
    「いいえ、ご協力感謝します。また何かありましたら天照までご一報を」
     柔らかく微笑む容に老人は頷き、お茶でもどうですかと勧めてくる。一杯だけ、と厚意を受けてから家を辞する頃には予想通り夜はとっぷりと暮れており、バスはなくなっていた。近くの旅館へと向かうと旅行シーズンから外れていたこともあって部屋は十分に空いており、二人はそれぞれ部屋を取ると一泊することにした。食事の時間はもう過ぎているため途中のコンビニで買った弁当が本日の夕飯である。あこやは部屋でおにぎりを食べ、軽く風呂を済ませてから報告書を書き、いつもと同じ時間に眠りについた。容の方もまたこれといって特別なことはせず、静かに夜を過ごしたようだった。

     
     早朝、容の部屋の電話が鳴り響いた。叩き起こされながらも動きが鈍くはない──恐らく慣れている──容が受話器を取ると、外から……件の老人から電話がかかってきているとのことだった。不穏な知らせ。繋がれた電話の向こうから飛び込んできたのは、切羽詰まった声だった。
    『あの刀、本当に妖刀じゃないんですか!?』
    「どうされました、落ち着いて」
    『人が死んだんです!』
     容の眉がわずかに寄る。動揺が激しく、あちらこちらへと飛ぶ老人の話を丁寧に聞き取るとつまりはこういうことだった。
     さきほど村で死体が発見された。それも明らかな他殺体で、ばっさりと大きな刃物で切られたような姿で死んでいた。外を出歩く気が失せてしまった老人は、気晴らしにまだ掃除の途中だった──その掃除で刀を見付けたのだ──蔵へと入り掃除を再開しようとしたのだが、そこでぞっと血の気が引いた。蔵の床に件の刀が入っていた箱が落ちており、中に入っているべきものが影も形もなくなっていた……。
    『あの刀がやったんじゃないんですか!? 何かのミスだったんじゃ……!』
    「それは無いと思いますが、今からそちらへ伺います。そうですね……二時間後でよろしいですか?」
    『大丈夫ですけどなるべく早くお願いします!』
    「わかりました」
     通話を終えた後、今度は別の番号へと連絡する容。言うまでもなく相手はあこやだ。事情を説明するとあこやの声色も変わり、すぐに準備するとの答えが返ってくる。そうして一時間後には二人は旅館の玄関で落ち合い、再び老人の家へと向かった。


     老人の家には既に警察が来ており、蔵を中心に調査が始まっているようだった。家の前で警察官に止められた二人が身分証を見せると、その若い警察官は一瞬唇を引き結んでから二人を睨め付けた。
    「昨日いらっしゃったという天照の方ですね。少し事情を伺ってもよろしいですか」
    「ええ。とはいっても刀を見せて頂いただけですが」
     あこやが昨日のくだりを説明すると、警察官は一応納得したように頷いたがその眼差しは冷たいままだった。仕方がないことではある、天照は公的機関とはいえ外から見れば完全なブラックボックスである。理解を得られないことも少なくはない。“競合”しがちな警察が相手ともなればなおのことである。
    「なるほど。では昨晩……午前三時頃はどこにおられましたか」
    「宿で寝ていました」
    「私も同じく」
     こういった質問に慣れてでもいるような、ごく自然な口振りで答えるあこやと、落ち着いた様子で相手の襟元辺りを見ている容。実際こういった状況には不慣れではないのだろう、事件に居合わせることの多い刀遣いは──先行捜査に任じられることが多い緋鍔局の人間であればなおのこと──高い確率で容疑者となる。
    「お二人同室で?」
     あこやは目を細めると僅かに首を傾げて耳元に触れ、ピアスがないことに気付いたのか少し指先を迷わせてから下ろす。容が緩く頭を振り、否定の言葉を告げた。警察官は軽く頷いて更に続ける。
    「ではお互いの行動を証明出来るわけではない」
    「そうなりますね」
     警察官は二人を見比べ、ふむ、とわざとらしく顎に指を押し当てた。二人は互いに軽く目配せし、軽く肩をすくめてみせる。妖魔の囁きであってもそうそう迷わされないような精神性を持つ熟練の刀遣いが、常人の言動に惑わされる筈もない。片手を腰に当てたあこやは、堂々と警察官を見返した。
    「遺体の様子は既に聞いておられるようですが」
     揺さぶりは諦めたのか、それとも気圧されたのか、警察官の目があこやから離れる。
    「……素人がめちゃくちゃに切りつけたような傷ではなかった」
     告げる警察官のその眼差しが一瞬腰の刀に向けられたことに気付いていながら二人とも顔色ひとつ変えない。町中においても帯刀を許されている刀遣いには、高い倫理観と冷静さが要求される。
    「とにかく、捜査にご協力願います。天照の方も色々とおありでしょうけれども」
    「勿論、市民として協力は惜しみません。ただし、天照としてあなた方に協力を求めることもあるでしょうが」
     澄まし顔で話すあこやは、警察官を相手にしても怯むことはない。緋鍔局に身を置く刀遣いとして、こういったことには慣れているからだ。事件“未満”に対応する彼女らは、警察とやり合うことも多い。
    「なるほど? 昨日の調査では妖刀の反応はなかったと聞いていますが、間違いだったということですか?」
    「昨日の段階では妖刀の反応はありませんでした。それは確かです。ですがもし他の理由で、我々の管轄だったら?」
    「……妖魔が関係していると?」
    「今のところはまだわかりませんが」
     警察官はじっとあこやを見た。いかにも意思が強そうな、かつ異質な女がそこにいる。語調は強くないが、声には力がある。あこやが刀遣いとして生きて──戦って──きた三十年をこの警察官は知らないが、この女が常人でないことは直感的にわかった。一般人に比べれば十分に様々な経験をしてきたであろう警察官であっても、長年妖魔を殺し続けてきた刀遣いの異質さには敵わない。
    「……まあ、お互いの職務に忠実にいきましょう。我々の許可なしに村からは出ないで頂きたい」
    「わかりました。では捜査現場への立ち入りを許可して頂いても? 勿論お邪魔はしません」
    「いいでしょう。中では鑑識の指示に従って下さい」
     現場を封鎖しているロープを持ち上げた警察官に一礼し、二人は家の敷地内へと足を踏み入れた。現場の空気はぴりぴりとしているが、この緊張感は戦場とはまた違う。あこやは蔵の方向を見、容は鑑識たちの動きを見ているようだった。誰も彼も忙しそうに動き回っていて、二人への値踏みの視線はそこまで強くはなかった。
     そして鑑識の指示通り、手にグローブ、頭にキャップ、靴にカバーをつけて二人は蔵に入った。蔵の状態は昨日見た時と変わっておらず、特に荒らされたような様子もなく、ただ刀だけがなくなっていた。揃いの制服を着た人間が何人もしゃがみ込んだり立ったりして糸くず一本見逃さぬようにしているところに、スーツ姿の男女が自然体で立っている様はひどく浮いている。二人とも長身であり、足が長く、スマートなシルエットである。帯刀しているというのもその場違いな雰囲気に手を貸していた。
    「失礼、少しだけ触れさせてもらえませんか」
    「ああ……はい、どうぞ。撫で回したりはしないで下さい」
     あこやが鑑識の一人に声をかけると、その人物は少しだけ横に動いた。シートの上に置かれているのは刀の入っていた箱だ。あこやはボディバッグから二枚符を取り出すと、胡乱そうに見ている鑑識の目を気にした風もなくその唇で二枚ともを食んだ。唇だけ使って挟んでいるような状態で、噛んでいるわけではない。その状態のままそっと指先を箱に触れさせる。二呼吸ほどの間を空けてから指を離し、符を唇から離して手元で状態を確認する。特に変化はない。
    「うん、反応は相変わらずだ」
     そうしてひらりと符を振るあこやに、容が軽く首を傾げた。
    「もう一つはどうだね」
    「ああ」
     手首を返して裏を表にする。二枚目の符だ。一見何の変化もないように見えるが、ぽつん、と中央に墨を落としたような小さな染みが出来ていた。あこやが使用したこの二枚の符、一枚は昨日も使った妖刀探知の符であり、もう一枚は……妖魔探知の符であった。
    「……僅かだがある、か」
    「ふむ……この反応では刀遣いといえど生身では感知出来ないだろうな」
     は、と小さく息を吐いてから符を縦に裂いてポケットへと押し込むあこや。軽く手を振って腕時計を確認し、それから下ろしたその手は腰の刀にかけられた。
    「これ以上遅れを取るわけにはいかない。あまり褒められたことじゃあないが……別行動といこうか」
    「ああ、では私は話して回ればいいかな。『舌』の出番だ」
     表情を緩めたあこやが頷く。
    「そういうこと。とはいえ芹賀谷、きみは私たちみたいな本職ではないわけだから、無理に聞き出すより相手に拒まれない方を優先してくれていい。それなら得意だろう?」
    「苦手ではないね」
    「謙虚は美徳だな。情報は随時共有すること、特に何か違和感があったらすぐに教えてくれ」
    「ああ」
     容は素直にあこやの指示に従っている。こういった現場の経験が豊富なのはあこやであるし、そもそも今回の任務はあこやの任務に同行者として容が指名された形である。容は刀遣いであり、医師でもあるが、探偵ではない。求められていたのは“目と舌”で、それを本人も了解していた。あこやがそれに信頼を置き、必要としていることも。
    「私は関係者にあたる。きみは他の住人たちにあたってくれるか。そうだな……十二時になったら合流しよう」
    「わかった。君に限ってそんな心配はいらないだろうが、気をつけて」
     あこやは小さく笑った。刀遣いが単独行動をしないというのは基本中の基本である。あこやも新人の刀遣いには妖魔と一対一で戦うのは避けるように教える。ただ今回は時間がなく、それぞれの戦闘能力も一定水準には達していた──容に至っては弐段、刀遣いにおける最高峰の一歩前である──ため、やむにやまれずではあるが単独行動をよしとしたのだ。覚悟であれば、既に出来ている。
    「じゃあ、後で」
     そうして二人は身支度をしながら別々の方向へと向かった。足元に連れる影は、まだ短い。


     しばらく後。住人たちに聞き込みをしている容は、ゆったりとした足取りで歩いていた。時間の節約よりも、足早に歩くことにより周囲に与える威圧感を避けることを優先したのである。ただでさえその日本人離れした容姿は目立ち、異物として拒まれやすい。あまりきょろきょろと周囲を見回すのもよくはない、容は散歩でもするような足取りで目当ての人物を探している。喋りたがりの誰かさんを。
     ふとその目にとまったのは、移動商店の前で立ち話をしている中年の女性二人組であった。そちらへと向かった容の耳に彼女らの会話が届き、その内容にこれは“当たり”であろうと見当をつける。
    「やっぱりね、はぁさまをないがしろにしたのはよくなかったのよ」
    「うちも急いで鋏の手入れしたわよ、怖いわねえ」
     近付きすぎないように少し手前で足を止める。逆光ではなく順光、顔に影が落ちず柔らかな雰囲気になる。容はまだ笑顔は作らないまま、真面目な表情で二人に声をかけた。名刺を差し出すのも忘れない。
    「失礼、ご婦人がた。少しお話を伺っても? 私、こういう者です」
    「? ああ、天照の! ご婦人だなんて、変わった天照さんもいるのねえ」
     ころころと楽しげに笑う相手に、容は柔らかく目を細めてから続ける。
    「先ほど話されていたこと、詳しくお聞かせ頂けませんか。『ハァサマ』というのは?」
     女性たちは軽く首を傾げてから顔を見合わせ、それから容に向き直った。いかにもお喋り好きな彼女らの言葉を脱線しすぎないように誘導し、だが決してその語りを阻害せず、聞き出し、つまびらかにする。丁寧に言葉のひとつひとつを摘まみ上げ、検分し、並べていく。最終的に彼女たちから聞き出せたのは、この集落に伝わる変わった風習だった。


     この集落では、はぁさま……刃様、つまるところ刃物が丁重に扱われていた。使ったらすぐに手入れして片付ける、特定の日は使わないなど、独特のきまりごとがあるようだった。そのきまりごとを破ると、はぁさまが災いをもたらすのだという。持ち主が怪我をするだとか、下手をすると死ぬこともあったのだとか。今回死んだ被害者は、そのきまりごとをあまり重視していなかったらしい。


     ……と、容から聞かされたあこやは、少し眉を寄せた。思考している。それを黙って待つ容の目は静かだ。
    「刃物への信仰か……教訓の変化と見てもいいだろうが、報いが激しいな。真実かはさておき、死人も出ているとなると」
    「教訓どころか災いレベルだ、こういった伝承は高い確率で」
     ──妖魔案件。
     囁くような声が重なる。あこやは大きく溜め息を吐くと、腕時計を確認した。細いベルトのシンプルなそれは、いつだって正確に時を刻んでいる。
    「……では次は殺害現場に行ってみようか」
    「ああ」
     そして歩き出した二人は最初の内は無言だったが、途中で不意にあこやが口を開いた。
    「カタナモドキという妖魔を知っているか」
    「いいや、聞いたことがないね」
     あこやの声は少し低い。知性を感じさせる響きではあるが、同時にどこか威圧感もある。当人もそれは自覚しているが、努めて繕うつもりはないようだった。
    「私も三十年勤めてきて実際に出現したところは見たことがない。……刀神に誤認されやすい妖魔だ」
    「ふむ、続けて」
    「カタナモドキは刃物に憑く。そして誰かに自分を使わせて生き物を切らせ、生気を喰らう」
     ゆるく瞬きをした容は、その思慮深い眼差しをあこやに向けた。開いた唇から滑り出た言葉は、温度を持たなかったがひやりとしていた。その声の調子は己の与える印象をきちんとコントロールしている者のそれで、けして相手を萎縮させようとしているとか己の優位に持ち込もうとしているものでは──少なくとも今は──なかったが、甘えもなかった。
    「それは、刀神と何が違うんだね」
     差し込むような言葉だ。だが、それを受けたあこやは動じた風もなく目を細める。
    「はは、言うな。『刀神則』の最新版を読んだことは?」
    「勿論あるとも。『一、刀神は妖刀に憑く神である』」
    「そう、つまり妖刀でないものに憑いている存在は刀神ではない」
    「……」
    「そんな顔をしないでくれ、刀神の定義は年単位で議論される問題だ。初版とも変わってきているし、かいつまむにしたって限界がある、興味があるなら帰ってから話そう。……ともあれ、人に害を与える超自然的敵性存在であるならば、何であれ私たちの討伐対象だ」
     あこやの指が、刀の柄を叩く。丁度、現場へと到着したところだった。
     現場は封鎖されていたが、連絡はきちんと行き届いていたらしく身分証を見せると無事に中へと通された。既に遺留品などは回収されたらしく、現場には最低限の人員しか残っていない。ただ、わずかに周囲と空気感は違う。地面にはまだ血痕が残っていた。
     周囲には畑くらいしかない、恐らく普段から人通りの少ない道。ここで被害者は殺された。容が聞き込みをしていた間にあこやが仕入れてきた情報によると、被害者は二十代の男性で、集落の外で働いている人物だった。死亡推定時刻は午前三時頃、発見されたのは午前五時頃。傷の具合から見ると即死ではなく、しばらくは生きていたと思われる。死因としては失血死だが、その原因となったのは大きな刃物による背中への切り傷である。
    「犯人は右利きで、被害者と同じくらいの身長だと思われるらしいが……」
     説明しながらバッグから符を取り出したあこやは、目を閉じ何事か囁いてから符を振る。ひらりと宙で揺れたそれは、一瞬で真っ黒に染まっていた。
    「……ここまで強い反応だと、偶然とは考えづらいな」
    「そうだね、我々の管轄とみてもう間違いはないだろう」
    「一言入れておくか」
     あこやはスマートフォンを取り出しどこかへと連絡した。少し揉めているような様子があったが最終的には決着がついたらしく、通話を終えてから容へと頷いてみせた。
    「多分あと十分ほどで捜査権が警察から天照へ移行する」
     本部からの連絡が続々と届き始めているらしく、二人を見ている周囲の警察官たちの視線はけして友好的ではない。……今回に限らず、事件を途中でかっさらう気にくわない奴らだと思われることは多い。腕時計を確認したあこやは、ざり、とつま先で砂を踏んでから頭を振った。気分を切り替えるように。
    「応援を待っている時間が惜しい。私たちは私たちで捜査を続けよう」
    「ああ、ここで中断するのは気持ちが悪いしね」
     ゆるく微笑むように目を細めた容に、あこやはどこか安心したように眉を下げた。
     ……天照からの応援が到着するのは恐らく夕方近くになるだろう。それまでの間に新たな被害者が出る可能性はゼロではない。二人は捜査を続けた。妖魔の気配を探し、集落を歩き回る。装備が最低限しかない状況では足が最も有効な道具であった。そして、それは見つかった。
     集落の外れ、山の方へと続く道の途中。うち捨てられた納屋。そこから感じる気配は、明らかに“あるべきでない”もの。敵意、害意、その他様々な悪意をぐちゃぐちゃに混ぜたような臭気が漂っている。そしてそれは、納屋の中でごそりと身動きしたようだった。
    「草薙くん」
    「ああ」
     あこやは刀に手をかけ、少し後ろに下がる。互いの間合いの邪魔になってはいけない。純粋な刀の鋭さでいえばあこやより容の方が上であり、また、今回の妖魔が予想通りであれば。
     ぬるり。
     そう表現するしかないような不自然な動きで納屋から出てきたのは、片手に刀を持った“人間”であった。三十代かそこらの男であり、服は赤黒く染まっている。
     容はその様子を観察する。……通常の人間に見られるような所作ではない。目の焦点は合っていないが、そのくせ隙のない動きで二人の方へと近付いてくる。その刀が構えられる。次の瞬間、男はただの一般人とは思えぬ速度で容へと向かって突っ込んできた。ぎらりと光る刀身は既に汚れている。その刀による一撃を、容は間違えずに受け止めた。
     相手の刀は速い。使い手は一般人ではあるが、技術は妖魔のものだ。集落で伝承になるほど長く潜伏してきた妖魔ともなれば、その練度は高くて然るべきだろう。だが、……だが、まだ、拙い。容の刀が迷わず相手の刀へと向かう。一度弾かれたのは予想通りで、そこへ間髪いれずにもう一撃。耳障りな金属音が響く。容が使っているのは人工の妖刀、豊和であり、妖魔が宿っているとはいえただの刀とはその強度は比べものにならない。つまるところ、相手の刀は、真っ二つに折れていた。
     ぐるんと白目を剥いて倒れる男。折れた刀からもやのようなものが噴き出し、空へと昇るより先に、容の刀がそのもやの中心に抱かれていた核を砕いた。
    「見事なものだな、出番なしか」
    「お褒めの言葉ありがとう」
     近付いてきたあこやが男の様子を確認する。外傷らしい外傷はない。服を染めている血は、どうやら被害者のものらしかった。
     そこで、あこやのスマートフォンが着信を告げる。容に目配せをして男の対応を交代し耳元へ当てると、天照が到着したとの連絡だった。思ったより早い。状況を説明し、迎えを呼ぶ。まだ意識を失ったままの男の様子を確認している容はいかにも医者らしく、手付きは優しかった。
    「カタナモドキは妖刀ほどには使い手の精神を狂わせたりはしない」
     不意に告げるあこやの声は、どこか気遣うような響きをしていた。
    「だから、その男は多分、大丈夫だ」
    「そうか」
     そう告げられても、容の手はそっと男の手を握っていた。

     ***

     ──浜内村におけるカタナモドキ出現事例について。
     妖刀疑い案件からの派生。
     緋鍔局・草薙あこや参段、凪鞘班・芹賀谷容弐段が対応。
     妖魔支配被害者一名、妖魔支配被害者による殺人一件。
     発生当日中に解決。
     事後処理は同上草薙あこやにより完了。

     ***

    「『一、刀神は妖刀に憑いている神である』、これは基準として最もわかりやすい」
    「神が宿れるような容量は普通の刃物にはないからだとされているね。君の見解もそう?」
     任務を終えた後、事後処理が回ってくる前、あこやと容はあこやが述べた通り──「帰ってから話そう」──、刀神という存在について意見を交わしていた。
    「そうだな、おおむねは。ただ例外もある、例えば普通の刀に刀神が宿ることによって妖刀と化したケースだとかな」
    「因果が逆なのか、それでも条件は……満たすのか、そうだね、現在の状態が『妖刀に憑いている』状態なら条件としては問題ない」
    「刀神が宿っていない妖刀が発見されていない以上、妖刀だから刀神が宿るのではなく、刀神が宿ったから妖刀になっているのではないか、という見解が主流だな。もし前者なら『刀神が宿る前の空の妖刀』が発見されていてもおかしくない」
     会議室のテーブルの上には初版と最新版の“刀神則”が開いた状態で置かれている。そのテーブルを挟んでそれぞれ椅子に座っている二人は、長い足を持て余すようにしているところが少し似ていた。
    「だからカタナモドキは刀神ではないとされる。カタナモドキが宿った刃物は、妖刀反応を持たないからだ」
    「なるほど、筋は通っているな。しかし君は、不本意なようだね?」
    「うん?」
     虚を突かれたように目を丸くしたあこやは、少し間を空けてからおかしそうに笑った。肯定も否定もしない。それからふと声のトーンを落とし、
    「カタナモドキを『刀神になる前の存在』だとする説がある」
     と、切り出した。
    「泳がせておけばいつか刀神となるのではないか、とな。戦時中、実際にその説を確かめようとした人間がいた」
     容はわずかに眉を寄せた。続けて、と静かに手で促す。あこやはこめかみに指を当てると、ひとつ溜め息を吐いた。
    「とある緋鍔局員が、カタナモドキの出現情報を隠匿した。カタナモドキはしばらくの間放置されることとなり、何人もの被害者が出た。……最終的に局員は死に、カタナモドキは討伐されたが、この事件は長く緋鍔の汚点として秘匿されてきた」
    「それで、説は補強されたのかね」
     ふ、とあこやは笑った。それが愉快だからでも何でもないことは見ればわかったが、容はただ瞬きをするだけで指摘はしなかった。
    「討伐直前、カタナモドキは異能のようなものを発現していたらしい。だがそれだけだ、妖魔でも高位になると異能めいたものを使ってくることはある、あれは神にはならない」
     断言。それは拒絶に似ている。あこやは恐らくその説を否定しきれずにいる。妖魔というものについて調べるほどその構造は複雑で、緋鍔局の人間で己の知識に確固たる自信がある者など恐らく一人もいないだろう。知れば知るほど例外が多く、“知らない”ということを突き付けられるからだ。それでもあこやは断言し、否定する。それを認めてしまえば、次は倫理との戦いになるからだ。
     容は恐らくあこやの葛藤に気付いている。だが、あこやがこの葛藤を解剖し分析することを望んでいないことにも気付いているため、そのほつれに指をかけることはしない。当人が望むのなら別だが、そうでないならそれはただの暴力であり加害だ。
    「現在の基準においてあれは刀神の条件を満たさないし、ただの厄介な妖魔でしかない」
    「なるほど」
     容は少し考えるような素振りを見せてから、改めて口を開いた。
    「神は……刀神は、と言うべきかな、あれは人によって産み出されるものだよ、草薙くん。定義されると言った方が近いかな。実際そうだろう」
     とん、とん、と刀神則のページを長い指が叩く。
    「なら、『違う』と定義されればそれは刀神ではないんだ。少なくとも今のところはね」
     あこやはわずかに首を傾げ、二度、瞬きをする。容を見る眼差しはどこか戸惑っているようにも見えたがそれは一瞬で、すぐに何かに納得したように落ち着いた色を宿した。
    「ありがとう」
    「どういたしまして」
     礼の言葉はこれまでの文脈からすると突然にも聞こえたが、容は戸惑うこともなく受け入れた。長い足が組み替えられる。あこやはテーブルの上に手を伸ばし、刀神則の初版の方を手に取った。
    「刀神の定義についての話に戻るが、初版と最新版を比べると面白いことがある」
    「へえ?」
     それからまた二人は問答を再開する。静かな低い声が交わすそれは祈りの声にも似ていた。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2021/07/31 23:28:49

    刀擬き

    #小説 #Twitter企画 ##企画_刀神 ##いるあこ
    ある刀の話。

    草薙あこや@自分
    芹賀谷容@ちゅんさん

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