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    過去 この身を神に捧げると誓ってから十年。誰かに恥じるようなことは一切せずに生きてきた。神を信じ、隣人を愛し、勤勉で誠実であろうとしてきた。
     だが、一度だけ。一度だけ、神を呪ったことがある。祈りは届かず、快楽に屈服し、罪を犯したあの時……絶望の中で、神の愛を放棄した。
     その一度の罪で、俺は地獄に落ちるのだ。

       *   *   *

     大きなベッドの上で男は目覚めた。強い倦怠感と熱っぽさが体を支配している。ゆっくりと起き上がり部屋を見回した男は、この部屋の主が去り際に言った台詞を思い出していた。
     ――今夜、この世で一番気持ちいいことを教えてあげる。
     ぞくりと背筋を這い上がったものは恐れと嫌悪であって断じて期待ではない。男は今も体をじわじわと炙り続ける疼きに重たい溜め息を吐く。何日にも渡って快楽に晒され続けた体は常に熱を帯びているような状態で、まともに動いてはくれない。男は何度か部屋からの脱出を試みたが、窓や扉を破壊しようとすると快楽が蘇り腰を砕いて力が入らなくなった。
     罪深い快楽が体を征服し、支配している。脱出に繋がるような行為を試みるたびそれを思い知らされ、男の思考を諦めが侵食し始めていた。ベッドに腰掛けたまま、男は怯えるように己の体を抱いて、きつく目を閉じた。
     男をこの部屋に連れてきたのは一人の美しい女悪魔であった。いかにも無害でしおらしい様に騙され、不意を突かれて拘束され拉致されたのだ。そしてその悪魔は色欲の大罪を抱いており、その罪を男にも犯させた。
     男は抵抗したものの最終的にその理性は崩壊した。快楽に噎び、悪魔に縋りつき、神の愛を放棄した。「神様なんてどうでもいい、もっと気持ちいいことして」。
     我に返った今、男は神を否定してしまった罪に強く怯えている。最初に奪われ放り投げられたロザリオが部屋の隅に落ちているが、拾うことすら出来ない。
     男は心の底から神を愛し、隣人を愛し、誠実に奉仕し続けてきた。それだけにこの体たらくは男の自尊心を取り返しがつかないほどに傷付けた。彼はもう、己の信仰心さえ信じられなくなっていた。つまるところ、もう誰も彼を許してはくれなくなってしまったのだ。
     無条件に、尽きることなく、あらゆる存在を愛して/許してくれるのは神だけである。人間にはその暴力的な愛は生み出せない。信仰を失うということは、無条件の許しを失うということである。
     あれは一時の気の迷いで、本当に神を捨てようとしたわけではない、と己に言い聞かせようにも、気の迷いごときで神を放棄しようとしたのならそちらもそちらで問題であり、結局男は自分自身を許せない。神が男を許さないのなら男を許せるのは男自身だけなのに、それがもっとも難しいのだから男は完全に袋小路へと迷い込んでいた。
     情けなくて、苦しくて、いつの間にか男は泣いていた。どうしてこんなことになってしまったのか。落ちる涙を拭おうともせず啜り泣き、背を丸め、肩を抱く。しんとした部屋には男の泣き声だけが響いていた。
     どれくらいの時間が経っただろうか。
     不意に館の中が騒がしくなったような気がして男は顔を上げた。扉越しに外の様子を窺うと、争いの喧噪に似た音が聞こえる。断片的に聞こえる声から察するに、聖職者の部隊が館へと踏み込んだようだった。
     助かった、とは男には思えなかった。
     男の顔がさあっと青ざめてゆく。彼らはじきに一階を制圧し、二階へ来るだろう。そして遠からずこの部屋を見付け、囚われていた男を見付けるだろう。
     ――どんな顔をして仲間たちに会えばいい?
     罪を知ったこの体で仲間たちの前に立つことは男にとっては耐え難いことだった。見た目には男は何も変わっていないし、黙っていれば秘密が露呈することはないが、それでも彼にはどうしても耐えられなかった。
     煩悶している間にも喧噪は徐々に近づいてくる。男は怯えに支配された目で周囲を見回しながら部屋の中をうろうろと歩き回る。その視界に、床の上に転がっていたあるものが飛び込んできた。
     ナイフである。聖別されていないため悪魔に傷一つ与えることが出来ず、取り上げられずに放置されていたものだ。それを、男はゆっくりとした仕草で拾い上げた。ケースから取り出すと鈍い銀色の刃に男の顔が映る。ひどい表情をしている。
     ――死のう。
     脳裏をよぎった考えは、男にとってとても魅力的な考えだった。それが重い罪であること、地獄へ自ら足を踏み入れる行為であるということは頭から抜け落ちていた。男は焦りと恐怖で正常な判断力を失っていた。ああ、喧噪が近づいてくる。仲間たちが助けに来てしまう。
     男の震える指がナイフの柄を強く握り締め、その切っ先を己の喉へ向ける。目は奇妙な熱にぎらついていた。自ら命を絶つ行為に感じる本能的な恐怖をねじ伏せるべく何度も深呼吸をし、一度唇を引き結んで、からからに渇いた喉へ唾を送り込む。
    「……ファーザー・オールドマン! どこですか! 無事なら返事をして下さい!」
     遠くから己を呼ぶ声が聞こえた瞬間、罪を知られる恐怖が一気に死への恐怖を上回った。手の震えは止まり、ナイフの切っ先が男の喉を切り裂いた。


     一柱の天使がその場所に降臨したのは幸運だっただろうか、不幸だっただろうか。自ら喉を突き血の海に沈む男の、その今にも消えそうな命の火に差し伸べられた手は小さかったが、しっかりと火を守り掬い上げた。
     その天使は超越的な力を使わなかった。迅速で的確な治療行為をその場ですませた後、診療所へ運ばれた男の経過を見守った。その天使は癒しの天使と呼ぶより医者と呼ぶ方が適切であろう振る舞いをし、その結果、数日の後に男は意識を取り戻した。
     意識を取り戻した男に仲間たちはわっと歓声をあげたが男はそれが耳に入っていないらしく、朦朧とした様子で視線を動かし、天使を見た。はく、と唇が動かされる。
    「まだ喋るな」
     天使はそう止めたが、男は空気漏れのような声で何かを繰り返す。一度聞かなければ黙りそうにないと判断した天使が屈み込み男の口元へ耳を寄せると、男の手が重傷者とは思えない力強さでその腕を掴み、獲物をとらえた猛禽のように爪を立てた。
    「どうして死なせてくれなかった……!」
     男の薄暗い緑色の目に灯っているもの。輝きを塗り潰しすべてを飲み込む闇の奥には己を救ってくれた天使に対しての感謝も尊敬も畏怖すらもなく、どうして、どうして、と問い続けるような眼差しに宿っているものは名状しがたいが、恐らくは憎悪と呼ばれるものに極めて近い。
    「どうして……」
     なおも言いつのろうとした男は小さく呻いたあと目を閉じ、手からも力が抜けた。意識の覚醒はこの一瞬しかもたなかったらしく、静かな寝息が聞こえてくる。そっとその手を布団の中に戻し、天使は軽く唇を噛んだ。


     クレイン・オールドマン。彼は十歳で聖職者の修行を始め、真面目に勉学を続け、悪魔の侵攻が本格化したその年、二十五歳で正式な聖職者に任じられた。
     それから五年後、クレイン神父は自死をはかった。悪魔に囚われ筆舌に尽くしがたい責め苦を受けたものと思われ、表立って糾弾する者は少なかった。
     一命を取り留めた後のクレイン神父は以前にも増して精力的に働き、聖職者としての務めに心血を注ぐようになった。「主はより多くの隣人を救えるようにと私を生かして下さったのだ」と述べる彼は誰から見ても敬虔で勤勉な神父である。
     彼がその身中に飼っている絶望を、誰も知らない。
    新矢 晋 Link Message Mute
    2018/09/16 13:46:02

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     天使エルダフラウ @twinklystar777 に会ったあの日

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