任務 足を長椅子の上に乗せ、ブーツの紐を結び直す。立ち上がり軽く飛んで具合を確認してから床に置いてあった鞄を背負い、男……クレイン・オールドマン神父は振り返った。
「アスール、行けるか」
「はい」
明るい色の目がオールドマンを見た。光に似ている。艶の無い灰色の髪をした男、アスール・ハイネ神父がオールドマンと同じく鞄を背負ったところだった。
二人は教会――昨日の仮宿であり、本来所属するそれではない――の扉を開けて外に出た。揃いの黒い外套のフードを被り直す。
「今日中には着くな、状況に変化がないと良いが」
「……『処女懐胎』ですか。真実であれば得難い奇跡ではあります、ですが……」
「憶測はやめておこう。我々はそれを調べに行くのだから」
つまるところこの二人は、中央区にある教会からとある辺境の集落に派遣された調査員であった。本来の業務はもっと物騒で単純なものだが、今回の任務は少しばかり事情が違っている。
……中央区に手紙が届いたのは数日前。それは、集落で民たちの監督をしている聖職者が奇跡の発現の報告を記したものだった。「処女懐胎」。清らかな筈の乙女が子を授かったというのだ。真実であれば奇跡として認定されなければならないが、虚偽であれば不敬どころの騒ぎではない。また、ただの虚偽であればまだしも、それ以外の要因があった場合の処理はこの二人の専門分野、本来の業務に関わりが深いと思われた。
言葉少なに足を進める二人の間に漂う空気は日溜まりのような暖かさとは違い、木枯らしのような冷たさとも違い、ただそこに在る秋の空気のようだった。
目的の集落まで、そう時間はかからないだろう。
集落に到着し、早速二人は調査を開始した。……数日後の夜、用意された部屋で額を突き合わせる二人の表情は――特にクレイン・オールドマンのそれは――苦々しいものだった。
「誰も『天使(ガブリエル)』を見ていない。考えられるのは二つ、乙女は処女などではないか、腹にいるのが赤子ではないかだ。前者であれば、……懺悔の用意をしよう、主は彼女を許されるだろう」
どこか青ざめているように見える顔で十字を切ったオールドマンへ、ハイネが静かに訊ねる。
「後者だったなら?」
オールドマンの目がそちらを見る。ひどく凪いだ、静かな緑色。
「話が極めて単純になるだけだ。我々が『本来の職務』を果たせば良い」
その意味を理解したハイネは小さく頷き、少し考え込むように顎を引いた。
「しかし……どうやってそれを確認しましょう。娘を問い詰めたところで正直に話すでしょうか」
「問い詰めるべきなのは娘ではないよ、アスール」
憂鬱げに、あるいは……怯えるように。オールドマンは腕に巻いたロザリオを引き出すと、掌に握り込む。
「問い詰めるべきなのは、神父補佐だ」
――ああいう顔をした聖職者を、俺は何度も見たことがある。
そう囁くオールドマンの頬は、白かった。
「……先輩」
「どうした」
「いっそ悪魔であればよかったと思う私は、罪深いでしょうか」
オールドマンはハイネの言葉に一瞬手を止め、また荷造りを再開しながら頭を振った。
「主は君を許すだろう、……今の言葉は聞かなかった事にしておく」
「すみません」
部屋の中に訪れた沈黙は、絶望の歩み寄る音に似ている。