愛天 中央区にある歴史ある教会の、大聖堂。その片隅で一人の神父がシスターと談笑をしていた。そこへ通りかかったもう一人の神父……クレイン・オールドマンはその光景を見てぎょっとした様子で立ち止まり、
「……レグゼズ神父、お久し振りです」
柔らかい――よくよく見ればどこかひきつった――笑みを浮かべ、その神父に会釈をした。
「ん? ……おお、お前か!」
レグゼズと呼ばれたその神父は明るく笑い片手をあげる。彼に対応していたシスターが、クレインの姿とその態度を見て小首を傾げた。
「お知り合いですか?」
「ああ……まあ、そうだ。以前お世話になった方だよ」
クレインが曖昧に言葉を濁したのには理由がある。
……レグゼズ神父は、実のところ神父ではない。人の姿を取って地上に降り立った天使で、その天使名をゼクセルという。ひょんなことからその真実を知ってしまったクレインは、本人としては不遜極まりない態度を天使に取らざるを得ないという状況に胃を痛める羽目になっていた。
そのレグゼズ/ゼクセルにしばらく滞在すると言われたとき、クレインは軽い目眩を覚えた。
夜の礼拝堂。そこに、祭壇の前に跪き一人祈りを捧げる男がいる。蝋燭の火がちらちらと揺れ、その男の……クレインの姿を揺らがせていた。
目を閉じ俯いて小さな声で祈りの文句を呟いているクレインは、ある種の罰でも受けているかのように硬い――泣き出しそうにも見える――表情をしている。繰り返し、繰り返し、呪いのように聖句を呟いている。
ふと、その祈りが途切れた。目を開けたクレインは、礼拝堂の入り口方向を振り返る。そこにはひとつの人影があった。
「悪いな、邪魔したか」
夜の闇にあってなお輝くようなレグゼズ神父の目がクレインを見ていた。
「いえ、もう終えるところでしたので」
手元の蝋燭に火をつけてから、祭壇の蝋燭の火を落とす。一瞬指先を掠めた炎に軽く眉を寄せてから再び顔を上げたクレインは、思いの外近距離にレグゼズが歩み寄って来ているのに戸惑うように首を傾げた。
「……どうかされましたか?」
「そんなに謝らなくたって、主は拒みやしねぇさ」
クレインはその言葉の意味をとらえ損ない、はたとあることに気付いた。
『レグゼズ神父は天使ゼクセルでもある』。
今クレインの前で柔らかく目を細めている男は天使であり、加えて言うなら愛を美徳として抱く天使である。……そして天使は祈りを聞き届ける生き物である。つまり。
――主よ、どうか私をお許しください。
――私の罪をお許しください。
――どうか私を許して(あいして)ください……!
先程までの祈りを思い出し、クレインは凍り付いた。ただ己の許しを乞うだけの祈りが、身勝手なそれが、この天使に露呈してしまったという恐怖。
「いえ、その、」
「うん?」
軽蔑や落胆等の負の感情がうかがえないのが余計にクレインを責め立てた。歯切れ悪く否定しかけたきり言葉をなくしたクレインへ、天使ゼクセルの手が伸びる。大きなそれが、子供にでもするように頭を撫でる。
「お前のそれも、愛だ」
短い台詞である。端的で、簡潔な言葉である。それが、クレインの胸をひどく強く突き、……気付けば彼は泣いていた。震える唇を噛んで嗚咽を堪え、だが涙は止まらない。
「涙は愛の雨だ、存分に自分を愛してやれ」
その頭に手を回し己の肩に乗せさせて、ゼクセルは僅かに上を向く。少しして漏れ聞こえてきた嗚咽には言及せずに、いい夜だな、とだけ囁いた。