ひとつのおもいで 翌朝、ひとりで街を歩く。
まだ雪があちこちに残っているから出歩く人も少なかった。出歩いているのはなにか仕事がある人ばかりだ。
俺が始の契約者だと皆が知っているから、獄族が街中でふらついていても誰も怖がらない。
ここで暮らし始めたころは大変だった。
『今は』なにもしなくても、いつ攻撃してくるのかと怯えていた人間はたくさんいた。いちいち説明してまわるのも馬鹿ばかしいから放っておいたけれど。
それが今は知り合いもできて挨拶も交わす。
ほんの一年。
俺にとっては生きてきた時間の千分の一以下だ。瞬きひとつで過ぎてしまう。
ここで出会った人間もあっという間にいなくなるんだろう。
通りの向こうで仲良く肩を寄せ合っている人間の番いもいつかはいなくなる。
始もそうだ。
風のように速くいなくなってしまうだろう。
胸のあたりが重たくて、片足で屋根へと跳び移る。
屋根から見下ろす街は雪でいつもと違う光景だ。
すべての関係が欲しい、と始は言った。
俺にあげられるものはぜんぶ始にあげたいけれど、わからないこともある。
「春」
ぶ厚い外套を着込んだ始が俺を見上げている。
膝に乗せていた顔を持ち上げたら太陽の位置が高くなっていた。
心配して探しに来てくれたのかな。
「ねえ、始」
「なんだ」
「番いになるって、具体的にはなにをすればいいのかな」
屋根の下で始が立ち尽くす。
人間の番いがなにをするかはわかっているよ、もちろん。獄族と人間がどうするのかを知らないだけで。
それを始に言っていなかったなと気づいたのは始が額に手を当てて呻いてからだった。
あとになって、始にものすごく怒られたって隼に話したら大笑いされたっけ。
一瞬のような永遠の思い出のひとつ。