ハーモニカ きらきらと輝いたふたつの目が、刃にうつった。
なんどか忙しくまたたきしてから、その目はまん丸い形のまま自分の方を見上げてくる。
レイドは笑みを浮かべ、まだ幼さの残る少年のまなざしに優しく語りかけた。
「気に入ったか?」
「うん……うん! レイド、ありがとう!」
少年は大きな声で言った。頬を上気させ、顔をくしゃくしゃにして笑っている。
彼の右手には、一本のすらりとした剣があった。大人のそれよりは多少小ぶりなそれは、傷ひとつない新品だ。太陽の光を浴びて、銀色が眩しい。
「まだ少し、その剣はお前には重いかもしれない。でも、がんばって体を鍛えれば、すぐに合うようになるだろう」
「ああ、おいら頑張るよ! すごいや、こんな立派な剣……」
―――きっとお前はこんな剣を越える、立派な騎士になるよ。
レイドは、きらきら輝く剣を傾けてはしゃぐ少年を見守りながら、口にはださずに心で言った。
街を見下ろす緑の丘。午後の風は音なくそよぎ、ふたりのまわりをゆるやかに流れていく。
あした、少年はこの街を去る。
明るい門出だった。少年はここから遠く東にある騎士団に入るために、いままで住んでいた家を出ていくのだ。みんなの祝福を、小さい体にめいっぱい受けながら。
アルバという名のこの少年は、騎士にあこがれていた。
勇敢で格好よくて、弱いものの味方。やさしく強い馬上の剣士。
少年はいつも戦勝のパレードを人ごみの中から見つめながら、自分も大きくなったらあのように誇り高く背を伸ばし、ほほえんで民に手をふる騎士になるのだと心に決め、そして公言もしていた。
彼は夢をかなえるために剣を学び、がむしゃらに努力していた。朝も昼も夜も。
その頑張りようは、そばにいて剣術を教えていたレイドが、誰よりもよく知っていた。
だが、アルバは孤児だ。孤児は大きくなっても、騎士になることはできない。
華々しい武勲をあげれば別だ。有力者の後ろ盾をもち、領主の目にとまるほどの手柄をたてれば、特別に騎士にとりあげられることもある。
だがその道は、もともと騎士の家系だったレイドと比べると、恐ろしく遠く険しいものになることは間違いなかった。
レイドはそれでも仕方がないと思っていた。アルバの夢はつらいものだが、それを知っていてなおも、本人の意思はかたい。反対すべきことではないと思った。自分にできるのは何年か後に、自分の所属する騎士団宛に推薦状を書いて、副騎士団長のハンコを押すことぐらいだと、そう考えていた。
だがそれは、「巡りの大樹」という騎士団発足の噂を聞くまでの話だった。
力なき民のための騎士団だという。
どの国家にも所属せず、どんな権力にもしばられないというその騎士団は、家系にかかわらず志願者を騎士として迎え入れる。条件はふたつ、ある程度の腕と決意のみ。
それはいままでの常規を打ち砕く、この世界に身をおく者にとっては相当に衝撃的な組織だった。
彼らについては、仲間のあいだでも賛否両論がある。どちらかというと眉をひそめるものの方が多いような気がする。
だがそんな中でレイドはひとり、「チャンスだ」と思った。夢見る少年―――アルバにとってのチャンス。
どうせアルバの道は遠い。
ならばたとえ不確かなものであっても、成功する可能性があるのならばそれに賭けてみてもよいのではないか?
その自由騎士団とやらに入り、とにかく騎士の名を得て剣をふるうことはきっと、アルバにとって無駄にはならないはずだ。だめでもともと、もし失敗だったら他の方法を探すこともできる―――。
レイドはこの何年かで、随分と柔軟な考えをするようになっていた。
そして少年も、レイドの考えを柔軟に受け入れた。
レイドは数年後に書くはずだった推薦状を、すぐに書くことになった。
*
「アルバ、それは?」
アルバはたくさんの贈り物をもらった。
大きなものは持ってはいけないので、大体は小さなもの、それかレイドがあげた剣のように実用的なものだ。
腕輪だったり、額あてだったり、手づくりハンカチだったり、小さな絵だったり。どれも一様に、心のこもった品ばかりだった。
やはりきっと誰かからの贈り物なのだろう、お尻のポケットからはみ出たそれを、アルバは言われて引っ張りだした。目の前に掲げて、レイドに見せる。
「あ、これ? スウォンの兄ちゃんからもらったハルモニウス」
「ああ、スウォンからか」
アルバの手にすっぽりおさまっているそれは、ハルモニウスという木でできた楽器だった。息を吹きこんで音を鳴らす仕組みになっている。弓の使い手であるスウォンは、このハルモニウスの名手でもあった。
「聞いてレイド、おいらこいつの吹き方も教えてもらったんだ」
そう言って唇にあてる。すると、すぐにたどたどしくて元気な音が、小さな楽器から流れてきた。
目を細めて耳を傾けていると、突然ぴい、と変な音をたてて音楽はとまる。アルバは口を離して、赤くなった。
「下手だね、おいら」
「そんなことはない。よく吹けているよ」
「そう、かな? えへへ、おいら今度帰ってくるまでにもっと上手くなってるようにするよ」
「……」
レイドは何も言わずに、微笑みをうかべたままうなずいた。
「レイドも吹いてみる?」
「私か? 私はお前のようにはきれいに吹けない」
「そんなことないって! 練習すれば、なんだってできるようになるんだぜ」
幼い手に握らされたその楽器を、レイドは眺めた。少し戸惑ってから、唇にあてる。吹き方は何となく知っていた。むかし聞いた童謡のメロディーを、ゆっくりと奏でていく。
朴訥な音が、手の中のハルモニウスからこぼれていった。青い空に吸いこまれるように、高くのぼっていく。いくつかは、風にさらわれただろうか。それでも最後には白い雲にとどけばいいと、レイドは願った。
「なんだい、うまいよレイド」
少年の元気な声が耳に入ってくる。レイドは、そのまま吹き続けた。
―――自分はこの子のようには吹けない。
自分は随分前に、この子が持っているものを失ったから。
……無知。
それはただそれだけで価値のあるものだ。
時に美しく、時にみにくくもなる白さ。手を離せば二度と、戻ってはこない。
いつかこの子も、それを失うときがくるのだろう。
だが、どうかもうしばらくはこのままで。
祝福とわずかな憂いが滲むこの音は、彼が大人になってから思い出してくれればいい。