はさみ むっとする土の匂いで我に返った。
暑い午後の気だるさが、体にまとわりついている。シャムロックはちかちかする太陽の光のしたで、身じろぎとともに姿勢をただした。手は胸にあてたままだ。
耳には、ざく、ざくという音がひびいている。目の前で背を丸めた男たちが、スコップを動かしながら地面を掘っている最中なのだ。彼らの作業に熱意は感じない。ただ淡々と、事務的にすすめられている。
やがて、視線の先にぽっかりと深い穴が掘りあがった。スコップを持った彼らが背を起こす。間をおかずに白い布切れでくるまれた何かが運ばれてきて、穴の底に入れられる。
それが敬愛する人の亡骸であることを、シャムロックは知っていた。
まるで物のように―――実際既にただの物と化しているのだが―――扱われる亡骸を見て、シャムロックはしまった、と思った。だが、口に出しては何も云えず、青ざめたまま、敬礼とともに土をかぶせられ消えていくそれを見送った。
最後の土がかけられたのを見届け、顔を上げると、穴を取り囲むように立つ人々が目に入った。自分と同じように礼をとる、彼らの顔は無表情である。
シャムロックは茫洋とした目でそれらを見渡していたが、人の群れの向こうに覚えのある緑の髪を見つけて息をのんだ。
目を見ひらいて見つめた先で、しかし頭はきびすを返して足早に歩き去ってしまった。シャムロックは気づくと、その場を駆けだしていた。
「フォルテさま」
背中に追いついて叫ぶと、相手は立ち止まった。振り返った顔は、やはりよく知った人のものであった。シャムロックは声が震えてしまいそうになるのを抑えて、語りかけた。
「フォルテさま……ああ、来てくださったんですね」
「なんだよ」
かえってきた返答は素っ気ない、どことなくふて腐れたようなものだった。シャムロックはそんな彼にひるむのも忘れて、自分の胸を押さえながら懇願した。
「フォルテさま。お願いします、一緒に参列してください」
「どうして」
フォルテはシャムロックに向き直り、怪訝そうに眉をひそめて見上げてきた。
「俺が行かなくったって、あんなに人が、いるじゃねえか」
シャムロックはいいえ、と云った。
「ひとりもいないんです。心からあの方の死を悼む者は、私しかいないんです。お願いします。いい式で送って差しあげたいんです」
「……」
フォルテは無言で、シャムロックの背後にのぞく人の群れを見やった。
「もっと立派な葬儀をしてあげたかったのに、時間も人手もなくって、あんなものになってしまったんです。来月、トライドラとデグレアの慰霊式もあるから、こちらは簡易に済まそうということに決まってしまって。反対しようにも、私の力は足らなかったんです。お願いしますフォルテさま、一緒に来て下さい。あそこにいる人たちは、誰もあの方のことなんて知らないんだ……」
シャムロックは、胸のつぶれる思いで吐きだした。だがフォルテは、今にも崩れそうな友人から視線をずらしたまま、ぽつりと呟いた。
「行かねえよ」
「どうして、」
掴みかかる勢いで問うシャムロックの前で、フォルテは隠れるように俯いた。
「だって……だって行ったら俺、捕まっちまう」
「……え?」
思いもよらぬ答えに、シャムロックは言葉を失う。フォルテは、そんなシャムロックの目の前で、小さな拳を握りしめた。
「親父のやつ、今度逃げだしたら塔に閉じこめるって。それでもってもう二度と、俺をどこにも出さないっていうんだ。俺の好きなもの全部、取り上げるって」
頭のてっぺんをこちらに向けながら語る彼の、今にも泣きだしそうな頼りなさに、シャムロックは困惑した。
「俺が行こうとするあちこちに、兵士が待ち伏せてるんだ。お前のところにも、きっと来ている筈さ。気づいただろ?」
そうだったろうか。シャムロックは朝出てきた家を思い出そうとした。だが、頭の中は霞がかかったようにぼうっとしていて、回想するのもままならない。
シャムロックが視線を宙に漂わせていると、手の中に何かを握らされたのを感じた。
怪訝に思いながら右手をひらくと、一枚のくしゃくしゃになった紙があった。
「―――これは?」
「地図だよ。城のそばまで見つからないで来れる、抜け道の」
広げてみると、そこには拙い感じの線やら丸やらが書かれていた。
相手の意図するところが分からず戸惑いの表情を浮かべてメモに視線を落としていると、フォルテが、
「シャムロック、頼む。会いに来てくれ」
「えっ」
フォルテは驚くシャムロックの手元をのぞきこみ、メモにある線を指さして云った。
「ここをこうやって通って、ここのところまできたら、近くの茂みに隠れているんだ。でもって、合図をしたら出てきてくれ。大丈夫、兵士たちには見つからないように俺が何とかするから」
「でも……」
「寂しいんだ」
切羽のつまった悲しい声に、シャムロックはどきりとした。
「頼む」
何も云えずに立ち尽くすシャムロックの手を両手で包み、額をすりつけるようにして、フォルテはもう一度云った。
「頼む。絶対来てくれ」
次に気がつくとフォルテの姿はなかった。
その代わりに目の前には、一本の道があった。背中越しに振り返ると、やはりそこにあるのもどこまでも続く一本の道だった。
握りしめていた右手を、思い出したようにひらく。出てきたのは、先程の一枚のメモである。
シャムロックはしばらくその場に立ち尽くし、手のひらを見つめていたが、やがて行こうと決意した。行こう、今度こそ。そう思った。
そうしてシャムロックは歩みはじめた。道はまっすぐで平坦で、果てしなかった。辺りには何もない。緑も空もない。砂利を踏む音だけがひとつ分、聞こえるだけだ。その音とて、意識をせねば響くのを忘れるようだった。
じきに、行く手をふさぐように立っている人影が遠目にふたつほど見えた。近づいていくと、
「シャムロックさま」
呼びかけられた。見ると、ふたりとも知り合いである。部下だ。
「ああ、お前たち……」
不思議と名前が出てこなかったので、シャムロックは黙った。
彼らはそんな上司の様子には気づかぬ風で、親しげに話しかけてくる。
「どうなさったんですか。この道は、トライドラとは逆方向ですよ」
「あ、ああ。いや、私はこちらの方に用事があるんだ」
右手をぐっと握り締める。ふたりはそうですか、と頷き、片方が苦笑しながら口をひらいた。
「本当に、休む間もありませんね。ご就任が決まってからというもの、お館にも戻られていないのではないですか」
就任、と言葉を繰り返すシャムロックに、もう片方が云った。
「砦に入られてからは、ますますお忙しくなりますね」
砦。ローウェン砦……。
聖王国の盾トライドラの、要衝のひとつ。
そしてそう、自分が守るべき場所であった。
守備隊長へと任命されたと聞いたときには、誇らしさで身が震えたものだった。
平和という名の大地を支える、一本の柱になれる。騎士として、なんという名誉だろう、と。
多くの命と生活の守り手となる責任の重さに不安を感じながらも、自分の腕が大きく広がったような気がして嬉しかった。だが―――。
「そんな器が、私にあっただろうか……」
「何をおっしゃいます」
思わずつぶやいた言葉を、部下がいさめた。
「器があると認められたからこそ、守備隊長になられたのではありませんか。貴方をおいて他に砦を任せられる者はいないと、リゴール様が判断なさったからこそ」
熱心に語りかけてくる部下の前で、シャムロックは段々とうつむいていった。
「自分もそう思います。自分だけじゃありません。皆、貴方がローウェンの長に就かれると聞いて、心から喜んだんです。貴方を慕う者たちのために、どうか気弱なことを仰らないでください。―――申し訳ありませんでした、生意気なことを云って」
話を聞きながら額にこぶしをつけて顔を伏せていたシャムロックは、何度か頷いてから顔をあげた。
「…………すまない。ありがとう」
シャムロックがもう一度小さくありがとう、と云って微笑むと、ふたりも照れたように笑った。
「ああ、すっかりお引き止めしてしまいましたね。それでは、我々は先に戻っております」
うむ、と笑顔のままで頷こうとして、はたと気づいたようにシャムロックは声を上げた。
「駄目だ。戻っては駄目だ」
「え?」
急に様子の変わった上司を、ふたりは不思議そうに見返してくる。
「どうしてです。何故戻っては、いけないのですか」
「とにかく駄目だと云っている!」
滅多に怒らない指揮官の怒鳴り声に、ふたりはびくりと体を強張らせた。
その様子を見て、シャムロックは我に返り、つとめて穏やかに云った。
「……すまない。だが本当に、トライドラに戻ってはいけないんだ」
ふたりの部下は互いに顔を見合わせてから、シャムロックに向き直った。少し下の位置にある四つの瞳から、まっすぐな視線がそそがれる。
「でも、自分たちは帰りますよ。トライドラは、自分たちの故郷ですから」
諭すように語りかけてくる彼らに、シャムロックはそれ以上何もいえなくなった。
「シャムロック様も、帰りましょう。自分たちと一緒に」
「私は……」
足元から冷たい風が吹きこんでくる。
凍えてしまいそうな寒さに耐えながら、ゆっくりと息を吸い、吐いて、シャムロックは静かに云った。
「私は、やるべきことがあるから。もう少し、待っていてくれないか」
ふたりはガラスのような目でシャムロックをじっと見つめていたが、やがて、云った。
「……わかりました。お待ちしております」
見送るふたりの笑顔から逃げるように、シャムロックはその場を去った。
いつしか暗闇が降りてきていた。
シャムロックはぐらぐらとする気持ちをもてあましながら、道をすすむ。
ふと顔をあげると、自らの歩みとともに、遠くから色とりどりの光が近づいてくるのが見えた。
(なんだろう。きれいだ)
答えはじきに分かった。祭りの灯だ。
あかるい音楽や人の影で、あたりは溢れかえっている。シャムロックは子供たちのはしゃぐ声にさそわれるように、足を踏み入れた。
赤や黄や青の明かりと熱い喧騒に包まれ、シャムロックは周りの人につられて笑った。空を見あげると、花火が音もなくひらき、光のシャワーをふらせている。なんだか随分と気分が良くなって、顔も火照ったけれども、シャムロックはそのまま足をとめることはなかった。道の両脇から差しのばされる陽気な人たちの腕や、ふるまい酒を断り、すすんでいく。
光の群れを抜けると、辺りは急にしんと静まる。足音も響かない暗がりの中を、シャムロックはひとりとぼとぼと歩いた。
この道は本当に正しいのだろうか?
そういぶかしみ始めた頃、どこまでも続くように思えた道の先にぼうっと、巨大な白い輪郭が浮かび上がった。その輪郭は城の形をしていた。
(たどりついた)
陽炎のように立ちのぼる城の、門の前に立ちどまり、シャムロックは空に吸い込まれそうに高い壁を見上げた。
―――惑っていてはいけない。そう思った。
このまま逡巡していると失敗してしまう。たとえばひとりの兵士に声をかけられ、思わず逃げだしてしまって、機会をのがしてしまうようなことになるのだ。そしてそれから半年も経ってから、ひどく強張った顔の彼に会うことになる。……それではいけない。
シャムロックは勇気をふるい、城に向かって走りだした。
マントを風になびかせながら振り向くと、先程まで自分が立っていたあたりに、灰色の鎧をまとったひとりの兵士の姿が見えた。
肩で息をしながら走り続ける。まわりはふわふわした白いもやに包まれていて、まるで雲の中にいるようだ。
前に進んでいるかも不確かで、シャムロックは空気をかくように手と足を動かしながら不安に思った。しかし白いもやを肺に吸いこむたびに、そんな不安は甘さに取って代わられていく。シャムロックは自分の正気が保たれているうちに、彼の姿を探さなければと思った。
やがて視界を隠す白色は薄まっていき、その向こうに何かに腰かける人影が透けて見えた。
「フォルテさ、」
呼びかけの途中で、シャムロックは言葉を飲んだ。明瞭になった空気の中で振り向いたその人は、彼ではなかった。
(―――さま……)
四角い窓から淡い光が落ちる下、ひとりの女性が静かに微笑んでいる。視線に気づくと、彼女は恥らうように目を伏せた。
亜麻色の髪が、細い肩からさらさらとすべり落ちる。扇のようなまつげに隠された、うつむき加減の緑の瞳を見るなり、シャムロックの心はくじけた。
うっすらとひらいた唇から、柔らかな声がこぼれおちる。
―――来て、くれたのですね……。
懐かしい人であった。いつも心の片隅にあった、儚げな幻。指先に刺さった、柔らかい花の棘のような。
白い手が、自分に向けてゆっくりと伸べられる。
シャムロックは、いざなわれるように、その手をとろうとした―――。
(切り取り線。ここで分かたれる)
「シャムロック」
シャムロックはまばたきを繰りかえしながら、鮮明になっていく情景を、ぼうっとした意識の中で眺めていた。
目の前に近づいた男の唇が動く。
「そろそろ起きろ」
そう云って離れていく彼の黒い鎧を見ながら、シャムロックはようやく自分の現在の位置を確認する。ああ、とうめいたあと、椅子の背もたれに寄りかかったまま、ふたたび目をつむってため息をついた。手のひらでまぶたを覆う。
「なんだ、まだ目が覚めていないのか」
「あ……いえ。大丈夫です」
咎める声にあわてて手をはずし、椅子に座りなおした。
「さっきまで見ていた夢が、なんだか残っていて。それだけです」
力の入らない手足に、寝起きのだるさ以外の何か―――余韻のようなものが残っている。どうやら知らないうちに、自分は違う世界へと入り込んでしまっていたらしい。忙しさの合間のうたた寝に連れられて、現実と地続きの、夢という名のまぼろしの世界に。
目覚めた途端に掻き消えてしまったから、なかみは思い出すことができない。ただ夢の切れ端とでもいうべきか、後味のようなものだけが、胸のあたりに漂っていた。
つかもうとしてもつかめない、もどかしい感覚を払い落とすように何度か頭をふってから、シャムロックは口をひらいた。
「すいません。結構眠ってしまいましたか」
「かまわん。特段変わったことは起きていない」
机越しの椅子に座った彼が、髪をかきあげながら云った。
「では、先方は動いてはいないんですね」
「動いていたら、もっと早くに叩き起こしている」
「はは、違いありません」
先の会議に使った大きな机の上には、作戦のための資料が散乱している。シャムロックはそのひとつをつまみあげながら、脳裏に天幕の向こうに広がる荒野を描きだした。
膠着状態がつづく戦場。夕闇のなかで静寂に沈む大地は、厳かにも不気味にも思えて、シャムロックはそこが早く騎馬のひづめの音で満たされると良いと密かに願った。
だがその時には多くの血も流れるのだろう……それは望むところではない。
「早く終わらせて砦に帰りたいですね。なるべくなら、みんな無事に」
視線を遠くにやったまま、気づくとそう呟いていた。
「またお前はそのようなことを」
どの言葉に対してかは分からないが、呆れたように云う彼に、シャムロックは曖昧に苦笑するしかなかった。
手元に寄せた書類に目を通していると、じっとこちらを眺めていた男が表情を崩さぬまま口をひらいた。
「―――それで。どのような夢だった」
「え?」
唐突に問われて、顔を上げると同時に聞き返す。
「先程見たと云っていただろう。吉夢か、それとも凶夢か。指揮官の見る夢だ。もしかしたら今日の戦の行方を占うものかも知れぬだろう」
彼らしくもない、そのようなことを云うので思わずまじまじと見つめてしまった。すると彼は、口元にかすかな笑みの形をきざむ。
戦いの前で、上機嫌になっているのだろうか。相変わらず業の深い同僚にシャムロックは笑い、
「いい夢でしたよ。―――多分ね」
そう云って、書類を机に放った。
拍子に、切り離されたものは深く深く沈んでいったけれど、もう気に留めることはなかった。