手をつなぐ 夜がもっとも濃くなる時間帯に差しかかり、街は一層闇に沈みこんだ。
繁華街から離れた住宅地ともなれば騒音とは無縁であり、時折思いだしたように響く犬の鳴き声も絶えると、灯りの消えた戦士たちの住処は、完全な静寂につつまれた。
みな深い眠りに身を浸している。日がのぼれば始まるだろう新たな戦いにそなえて、心と体をゼロに戻しているのだろう。
ただひとりの例外をのぞいては。
ギブソン・ミモザ邸の一室。
ベッドの中でもぞもぞと何度も寝返りを打っていた大きな体は、やがてしんと静かになったかと思うと、突然がばりと飛び起きた。
乱れた髪がかかる顔にげっそりとした表情を浮かべて、フォルテは、ぼそりと呟いた。
「あー……。眠れねえ」
くああ、と声なき叫びをあげながら、フォルテは両手で頭をがしがしとかきまわした。
手を毛布のうえに落とし、ため息をつく。
「いま何時だよ」
時計をさがして視線をさまよわせていると、部屋の反対側に置かれているもうひとつのベッドが目に入った。
そこでは今夜の不眠の元凶が、すやすやと小さな寝息をたてている。
(あのやろう―――)
安らかに眠りやがって。
フォルテは毒づきながら、顔をしかめた。寝る前にあんなシャレにならない話をしやがったくせに。
本当に淡々と、シャムロックはそれを語った。
始まりはあまりにもさりげなかったので、半分うつらうつらとしていたフォルテは、ともすれば聞き流して眠ってしまっていたかもしれない。
彼が失った故郷の話。
何度か折にふれて出る話題ではある。しかし今夜の彼の口調はいつもと違った。
まるで死者たちに呼ばれている―――いや、呼ばれたがっているような。
フォルテは、どこかぼうっとした表情で言葉をつむぐシャムロックの横顔を見ながら、彼をローウェンやスルゼンに連れまわしたことは失敗だったかもしれない、と思った。
内心の焦りを隠しつつ、フォルテは言葉を選んで遠のいていきそうな友の心にくさびを打とうとした。が、果たしてうまくいったかどうか。
ぼんやりと正面にひろがる暗闇を見つめていたフォルテは、視線を隣のベッドにうつした。
枕にうまる薄い茶色の髪も、今は深い紺色に染まっている。耳をすませばかすかな寝息をたてているのが分かるが、見た目にはほとんど動きはなく、本当に死んだように眠っているようだった。
(疲れてるんだろうな)
フォルテは寝具から出てベッドの端に腰をかけ、眠る友の背を見やった。
(悩み癖のあるこいつのことだから、やっぱぐるぐる考えこんで、果てしなく沈みこんでたりするんだろうな。やだやだ)
膝のうえに頬杖をつき、大儀そうに顔をのせた。じゅうたんに触れた足の裏が冷たい。
こいつ、どうなっちゃうんだろうな。
フォルテはぼんやり考えた。
トライドラに、人生のすべてを賭けていた男だ。
普段のシャムロックには、心配なところはまるで見られない。むしろ新しい仲間たちに溶けこんで、明るくやっている。
だが、その明るさはどこかふわふわして、現実感がない。胸にぽっかり穴があいている奴特有の明るさにも見える。
(やめよう)
フォルテはまばたきをして、最近ひとりのときによく浮かべるようになった疲れの表情を吹き消した。シャムロックの悩み癖がうつってしまったようだ。
自分まで考えすぎて参ったら、元も子もない。踏ん張らないと駄目だ。多少、頭をアホにしてでも。
フォルテは思考をストップさせてることにした。口を半開きにして本格的にボーっとする。
ふたつのベッドのあいだを、真夜中の歩みのおそい時間が、訥々とあるいていく。
フォルテの目には、寝癖で髪がハネているシャムロックの後ろ頭がうつっている。
こうやって、じーっと頭の一点を見つめていたら、そのうち視線を感じて起きたりしないだろうか。とぼんやりした思考の隅でそんな考えが浮かんだ。
そういえば、某サムライは「ブシたるもの眠っていても辺りの気配は逐一感じることができるのでござる」と自慢していた。フォルテにはいまいちブシと騎士の違いが分からないが、似たようなもんだろうとは思う。
突然、シャムロックの体が動いた。肩がゆっくりとこちらを向く。
フォルテは頬杖をついたまま、猫のように目を丸く見ひらいた。
「う……」
シャムロックは軽いうめきをあげると、実にゆっくり寝返りをうち、しばらく体の落ち着き先を探すように身じろぎしていたが、そのうち動かなくなった。再びすやすやと寝息が聞こえだす。
固まって友の動きを凝視していたフォルテは、おそるおそる立ちあがり、シャムロックのベッドに近づいてのぞきこんだ。
「シャムロック?」
「……」
寝ている。
フォルテはにたーっと半笑いを浮かべた。驚かせやがって。
「いったい誰のせいで眠れないと思ってるんだ、こら」
ぶつぶつと呟いて、額をつついた。
それは逆恨みですよ。と言わんばかりに眉間にしわが寄ったが、起きる気配はない。
「おい」
頬に手のひらをあてた。
「おーい」
指を2本そろえて唇に見立て、それを寝ている男の口にあててみる。
「キス」
む、と口を固くつぐみ、やたら不快そうな表情で顔を背ける友に軽く傷つきつつ、フォルテは呆れた声をだした。
「ていうか、ここまでされて起きないのは騎士として流石に問題じゃねえのか……?」
それともこれが騎士とブシの違いだろうか。
顔をにらんだまま、そうっと手を伸ばした。熱いものに触るように寝具からはみでた相手の手のひらに指先を一瞬つけて離す。つけて離す。
それを何度か繰りかえしてから、馬鹿らしくなって普通に触った。この警戒心が希薄な騎士さまは、意地でも起きる気がないらしい。
重い手をわずかに持ちあげ、しげしげと眺める。
厚く硬い手のひらは、いかにも剣を握っている者のそれだった。5本の指もしっかりしている。
この指の付け根には、むかし何度も豆をつくっていたことをフォルテはよく知っていた。
人さし指をつまんで内側に折ってみると、あまり形のよくない爪があらわれた。少しでも伸びるとすぐに切ってしまう几帳面なこの友は、昔から深爪だった。フォルテは思わずにやりと笑う。
そのままぐーっと指を引っぱり、あらわれた手の甲を下からのぞきこんだ。
すっと1本、薄い傷跡が斜めにはしっている。この傷の間の抜けた由来も、フォルテは共有している。
なんだか得意な気分になり、かたむけていた顔を元にもどすと、うんうんと頷いた。
(いい手だよな)
下から包むように自らの手を添えると、フォルテはシャムロックの大きな手のひらを愛おしげに見おろした。
(お前らしい手だ。お前、本当にあの頃のまま、おっきくなったんだな)
この手に救われていた時期が、確かにあった。
外の世界に解き放たれた開放感で、ふらふらと漂ってしまいがちだったフォルテを、しっかりと掴んでいてくれた。
昔から魂を削るように人を愛していたこの男は、フォルテに対しても惜しみなく思いを注いでくれた。
自惚れでなければ、たぶん、他の人間よりも多くの思いを。
つながれた手から注がれたそれは、今もこの胸にのこって、フォルテをあたためてくれている。
それ思えば、今、こうやって遠のいていきそうな彼の手を握りしめ、あたためてやることなど、何でもないことだ。そう、フォルテは思う。
フォルテはシャムロックの手のひらに自分のそれを合わせ、しっかりと握った。
ベッドのうえに顔をのせて、固く結ばれた手と手を眺める。
(この手から、俺の気楽なのが、うつればいいよな。シャムロック)
じんわりと、お互いの体温が通いあう。
フォルテの口元に、さびしげな笑みが浮かんだ。
(でもって、お前の抱えてるものが、少し俺にも分かればいい……)